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                 No.2
                         




7.リスボン(2日目)

昨夜はファドに酔いしれ、良い気持ちになって帰着したのが深夜12時過ぎである。そのこともあって、今朝はゆっくりと起床。ここは窓外の景色が見れないので、天候の様子が分からない。前日の様子からすると、雨の心配はなさそうだ。
 

洗面をすませて食堂へ出かける。シックでこぢんまりとした雰囲気の良い食堂には、種類は少ないが卵料理、ハム・ソ−セ−ジ類、パン・ケ−キ類、フル−ツ類、各種飲物類など、ひととおり揃えてある。朝食には十分な種類である。ただ、パンだけはまずい。モロッコでおいしいフランスパンを食べ慣れていただけに、これはいただけない。どうしてなのだろう?
 

今日は、中心部からやや離れたリスボン市の西部に位置するベレン地区と、その後時間があればサン・ジョルジェ城やカテドラルが点在するアルファマ地区を探訪する予定である。ガイドブックでコ−スや乗物などをもう一度確認すると、いよいよ出発だ。見上げる空はまぎれもなく今日も快晴で、きれいな青空が広がっている。機嫌は上々だ。


路面電車でベレンへ
リスボン市内は路面電車があちこち走っているので便利である。かなりの坂道でもぐんぐん上って走るなかなか馬力のある電車である。目的地のベレン地区には、この路面電車が走っているので、その15番に乗って行くとよい。それが目の前のフィゲイラ広場前から出ているので便利である。
 

そこで早速、電車・バス共通の1日乗車券を買うことにする。ロシオ広場のキオスクで売っているというので、そこまで足を伸ばすと、切符売り場の窓口には少々列ができている。その列に並んで乗車券をゲットする。
 

再びフィゲイラ広場まで引き返し、電車を待っていると間もなく15番電車がやってくる。電車は2両連結の新しい型や旧型の1両だけの電車などが混在している。乗客は少なく、ゆったりと乗り込む。電車はテ−ジョ川岸のコメルシオ広場に向かって走り、そこから直角に右へ曲がると川岸を西へ向かって走って行く。両側の景色をぼんやり眺めながら楽しんでいると、大きな橋桁が頭上に見えてくる。それは海のように広いテ−ジョ川にかかる雄大な大橋・4月25日橋である。






路面電車の車内風景











ジェロニモス修道院(世界遺産登録)
ここを通り過ぎると間もなく、目指すベレン地区に入り、電車はエンリケ王子ゆかりのジェロニモス修道院の真ん前の電停で止まる。ここで下車して、まずは修道院の見学だ。その建物の長さ100mはあるのだろうか? なんと長いこと。遠くからでないと、カメラにも収まりそうにない。道路を横切って修道院に入る。
 





ジェロニモス修道院全景(世界遺産登録)

その建物の長いこと。
この内側に中庭がある。






このジェロニモス修道院は、16世紀はじめにマヌエル1世が大航海時代の立て役者エンリケ王子の偉業をたたえて建造したという。この内部には美しい回廊で囲まれた中庭がある。その内部まで入るには入場料が必要だ。そこで、チケットを買って入場する。まず礼拝堂に入ると、見上げるような高い天井がそびえ、それが幾本もの長く大きな柱で支えられている。その一番奥には6枚のキリスト絵が飾られた祭壇があり、黄金色に輝いて荘厳な雰囲気をかもし出している。礼拝者用のベンチに腰を下ろし、薄暗い中にゆらめくロウソクの灯をぼんやり眺めながら、しばし時を過ごす。
 





荘厳な雰囲気がただよう 聖堂の内部









少し奥へ進むと、中庭が現れる。1辺が55mの真四角な中庭で、それを取り囲むように優美な回廊が立ち塞がっている。この回廊は石灰石でできており、その全面いたるところに繊細な美しい彫刻が刻み込まれている。そして、各柱の間はア−チ型にくりぬかれ、それが2層になった回廊は柔らかなベ−ジュ色の光沢を見せながら、中庭の芝のグリ−ンに映えて優雅な雰囲気をただよわせている。2階の回廊から中庭を見下ろす眺めもなかなか素敵なものがある。




 繊細な彫刻が施された優雅な回廊




「発見のモニュメント」
1階に下りて幾つかの部屋を見て回ると、入口に戻って修道院を後にする。すぐ目の前には路面電車の走る広い道路があり、それを横切って進むと公園に出る。それを真っ直ぐ通り抜けて行くと再び道路に出る。そこに設けられた地下道を通り抜けて上がると、その向こうには大西洋に通じるテ−ジョ川が広がっている。
 

その川岸の一角に川面に突き出すように高さ52mの「発見のモニュメント」が建っている。これはエンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に建てられた帆船をモチ−フにしたもので、大海へ乗り出す勇壮な姿を表現したものである。その先頭に立つのがエンリケ王子、その後に続くのが天文学者、宣教師、地理学者、船乗りたちだそうである。大航海時代の昔の様子がしのばれる。
 





「発見のモニュメント」
先頭に立つのがエンリケ王子、その後に続くのが天文学者、宣教師、地理学者、船乗りたち。







このモニュメント前の広場には、大理石の上に描かれた当時の世界地図が埋め込まれている。日本国の地形もなんとなく判別できるぐらいの不正確な地図である。それでもどうにか体を成しているのには感心させられる。
 





大航海時代の世界地図?
日本の地図がおもしろい。









このモニュメントの中にはエレベ−タ−が設けられており、それでトップの展望台まで上がることができる。もちろん有料である。ここまで来たからには、上らずに帰るわけにはいかない。早速、チケットを買って上ってみる。ここからの眺望は実に素晴らしく、レンガ色に染まったベレン地区の家々の落ち着いたたたずまいや、テ−ジョ川にかかる4月25日橋の雄大な眺め、それに大西洋を背景に浮かぶように立つベレンの塔などが展望される。やはり、料金を払ってでも上ってみる価値は十分にある。
 

 モニュメントの展望台よりの眺望。ベレン地区の静かな風景。



 テ−ジョ川にかかる4月25日橋の雄大な眺め


眼下に見えるベレンの塔(これも世界遺産登録)にも行きたいが、ここから1km近くもあるらしいので、止すことにする。この塔は16世紀初めに建てられたもので、テラスをもつのが特徴である。1階は水牢、2階は砲台、3階は王族の居室になっているらしい。







ベレンの塔(世界遺産登録)
背後は大西洋。









ウルトラマ−ル庭園

そろそろ昼時となったので、サンドイッチでも買って公園で憩いながら昼食にしようと思い、辺りを見回すと、広場の片隅にスナックを売る店を発見。そこでハムと野菜のサンドを注文し、これとジュ−スを買って公園へ向かう。この公園は修道院の右手隣にあるのだが、それはここへ来る電車の中で乗り合わせた乗客に教えられて知っていたのだ。
 

また来た道を戻り、修道院の方へ歩みながら、そこから右側へ分かれて道路を横切り、公園へ向かう。入場門を入って行くと門番の管理人が出てきて、入場料を要求する。自由に入れるものと思っていたのに有料だったのだ。ちょうど今、紫色の花をつけるジャカランダの木が開花期を迎えているので、「ジャカランダの木はどこにありますか?」と尋ねると、言葉が通じたらしく、奥の方を指さして教えてくれる。
 

園内に入ると、大小さまざまの樹木が欝蒼と生い茂り、素敵な緑陰をつくり出している。その中を整備された広い通路が走り、整然とした感じである。教えられたジャカランダの木を探しながら奥の方へ進んで行くと、確かに花を開いたジャカランダの木が見える。しかし、残念ながらわずか数本の、それも細い樹木があるだけで、ちっとも見栄えがしない。とはいうものの、ジャカランダの花の実物を見るのはこれが初めてである。ちょっとがっかりしながら、通路に設けられたベンチに腰を下ろし、そこで昼食とする。人影も2、3人しか見えない広く、静かな園内で、ひっそりと木々に囲まれてサンドをおもむろに取り出し頬張る。
 





 「ウルトラマ−ル庭園」










ところでこの公園は、「ウルトラマ−ル庭園」と呼ばれているのだが、庭園というよりも植物園に近い感じの公園である。食べ終わってから、ぶらりと歩き回ってみると、かなり広い奥行きをもっている。その所々に古びた建物があるのだが、よく見ると温室のようになっている。ここで1時間あまりを過ごした後、やおら腰をあげて引き上げることにする。


アルファマへ
これから中心部の方へ戻って、アルファマ地区へ向かう。リスボンの中心バイシャ地区の東側に隣接する丘陵地帯で、サン・ジョルジェ城や幾つかの教会やカテドラルが点在している。再び15番の路面電車に乗ってコメルシオ広場へ向かう。ここの電停で下車し、繁華街アウグスタ通りに入ってロシオ広場へ3ブロック歩いた所で、28番の路面電車に乗り換える。
 

その前に、テ−ジョ川岸に広がるコメルシ広場を見渡すと、何かの工事中なのか何本ものクレ−ンが林立するだけで殺風景なこと。しかし、この場所には1755年の大地震で破壊されるまで、ヌエル1世の宮殿があったという。今は広場の中央にドン・ジョゼ1世の騎馬像が立っているだけである。






コメルシオ広場
中央に立つのはドン・ジョゼ1世の騎馬像









カテドラル

28番の電車に乗ってアルファマ地区へ向かって行く。間もなく坂道に入り、かなり急な斜面を上って行く。その馬力には驚くばかり。間もなく、一つの教会が目に入り、その最寄りの電停で下車する。レンガ造りのこの教会はカテドラルで、1147年、イスラム教徒からリスボンを奪回した直後にイスラム寺院跡に建てられ、砦の役目もあったらしい。1755年の大地震にも生き延びた堅固な造りで、2本の高い塔が特徴である。
 








 2つの塔が特徴的なカテドラル















聖堂内に入ると、薄暗い中に多くの柱で支えられた高い天井がそびえ、奥の祭壇部分は上部の大きな明かり窓から差し込む光で明るく照らされている。訪れる人影もなく、ひっそりとたたずみながら長い歴史の風格をただよわせている。午後のカテドラルの静寂の中で、椅子に腰掛けながら独り沈思黙考する。






 
聖堂の内部










サン・ジョルジェ城

ここを出て、次はサン・ジョルジェ城へ向かう。が、便利な行き方がよく分からない。そこで尋ねてみようと辺りを見回すと、カテドラル前のキオスクで警官が立ち話しているのを発見し、彼に尋ねてみることにする。近寄って「ダ リセンサ. オンヂ フィ−カオ カステロ デ サン ジョルジェ?(ちょっとすみません。サン・ジョルジェ城はどこでしょうか?)」と尋ねると、横からキオスクのおばさんが、「前のバス停から37番のバスに乗って行きなさい。お城の前で止まりますよ。」と手振りを加えて教えてくれる。 
 

ジョルジェ城はアルファマ地区の丘陵地帯の頂上に造られた城で、昨日フィゲイラ広場から夕日に映えるこの城を眺めたばかりである。バス停で待っていると、しばらくして37番のバスがやってくる。こんな時、電車・バス共通の1日乗車券は便利である。バスは狭い急坂の道をくねりながら上って行く。ほどなくして、ジョルジェ城の門の前に来ると、そこで停車する。なるほど、これは便利である。一歩も歩かなくてよいのでありがたい。
 

がっちりと重厚な感じに造られたア−チ型の門をくぐって中に入ると、一帯は殺風景でお城の原形はどこにも見当たらない。ただ、昨日フィゲイラ広場から眺めた城壁が残っているだけである。だから、お城とはいっても城址といったところである。
 





サン・ジョルジェ城の城門















部分的に残っているサン・ジョルジェ城の城壁









このお城は、なんとジュリアス・シ−ザ−の時代に、ロ−マ人の手によって要塞として建てられたそうで、幾多の変遷の長い歴史を持っている。現在は公園になっていて、市民の憩いの場となっているようだ。
 

少しがっかりしながら、さらに上って行くと、城壁で築かれた広い高台に出る。ここからの眺望が息をのむ素晴らしさである。前面には海のように広々としたテ−ジョ川が開け、市街地のレンガ色の屋根と川のブル−が素敵なコントラストを描き出している。少し右手の方に回り込んで眺めると、眼下にはフィゲイラ広場、その先隣にはロシオ広場、その背後にはロシオ駅が見え、さらにその左手背後にファド・ハウスが点在するバイロ・アルト地区が広がっている。 





 サン・ジョルジェ城からの眺望。正面はテージョ川。右手遠くに「4月25日橋」が見える。中央部川岸にコメルシオ広場が見える。




 左手四角の空間地がフィゲイラ広場、その先隣がロシオ広場。その右手奥の白い大きな屋根がロシオ駅。




見渡すかぎりレンガ色一色の世界で、それが5月の陽光を浴びて鮮やかな光景をつくり出している。日本の屋根の灰色にくすんだ光景とは大違いである。この光景は、ヨ−ロッパ諸国に共通して見られるもので、どの街も木々の緑と美しいコントラストを見せてくれる。
 

見事なパノラマ風景をひとしきり見終わり、ミネラル水でも飲みながら石造りの腰掛けで休んでいると、隣に日本人らしき若い婦人が乳飲み子を乳母車に乗せてやってくる。そこで声をかけてみると、やはり日本人で、夫が仕事でリスボンに長期滞在しているため、一緒に住んでいるという。まだ、現地に来てあまり日が経っていないらしく、ようやく生活にも慣れ始めたところらしい。しばらく、現地での生活事情などを尋ねたりして時を過ごす。


ス−パ−で買い物、そしてホテルへ
そろそろ出立の時間である。若いママさんに別れを告げ、城門を出てバス停に向かう。間もなくやってきた37番のバスに乗り、帰路へつく。このバスは、願ってもない便利なコ−スを走ってくれるので、ほんとにありがたい。なんと、ここからフィゲイラ広場までのコ−スを走るバスなのだ。これだと、ドア・ツ−・ドアでホテルまで帰ることができる。
 
バスは細い急坂の曲がり道を下りて行くと、間もなくフィゲイラ広場に到着。ここでちょっと買い物をして帰る。隣のロシオ広場の裏手の通りに、ホテル探しの折に発見した大きなス−パ−がある。ここに入って、夕食用にフランスパン、ミルク、トマト、リンゴ、ミネラル水を購入して持ち帰る。昨夜、ファド・ハウスからtake out した干しタラ料理の「Bacalhau A’Braz」をメインに、これらで夕食にする魂胆である。
 

ホテルに戻ったのは夕方の5時。早速、シャワ−を浴びて一服すると、店開きして夕食を始める。ところが、持ち帰った干しタラ料理は冷えていることもあって、いよいよ味がまずくなっていて箸が進まない。パンもさっぱりの味で、これまでまずい。どうして、ポルトガルのパンはこうもまずいのだろう?  ワインはあんなにもおいしいのに! あのおいしいモロッコのパンが恋しくなる。
 

こんなことども、つべこべと独り文句を並べながら、とにかくお腹を満たすことにする。ほどよく満たされた後は、ゆっくりとくつろぎながら明日のシントラ行きの下調べをする。一日の疲れが出てきたのか、やがてまぶたは重くなり、そのまま眠りに落ちてしまう。



(次ページはポルトガル「シントラ編」です。)










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