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                 No.1
                         




6.ポルトガル・リスボン
 
今日はポルトガルへ移動の日である。今朝も快晴の空の下7時に起きて、ゆっくりと朝食をとる。例によって、ここの朝食は豪華版だから、見ただけで心が豊かになる。ぎっしりお腹に詰め込みたいけど、そうもいかないので、タジンス−プにパン、ハム、ソ−セ−ジ、スクランブルエッグなど幾種類かをつまんでお皿に盛り、朝食を楽しむ。飲物もコ−ヒ−、紅茶、ミルク、ジュ−スとそろっており、フル−ツも盛りだくさんである。
 

朝食を豊かに取り終えると、出発準備である。飛行機の出発が12時発なので、その2時間前の10時には空港に到着し、チェックインが必要だ。そのためには、9時前後の列車に乗って空港へ向かわなければならない。駅も勝手が分かっているので、そんなに慌てることはない。すっかり落ち着き払ってチェックアウトを済ませ、ホテル前からタクシ−を拾って駅へ直行。


とんだ失敗!
手慣れた感じでチケットを買い、ゆうゆうと改札口を通ろうとすると、ここで問題が発生。改札係が引き止めるのである。「?」と思ってけげんな顔をすると、彼が言うには、空港行きの列車は今発車したばかりで、次は1時間後の10時15分までないと言う。私としたことが、これはとんでもない失敗をしでかしたものだ。うかつにも、列車の時刻を事前に確認するのを怠ったのだ。半時間に1本ぐらいの頻度で走っているものと、たかをくくっていたのだが、案に相違して1時間に1本しか運行されていないのだ。確か、時刻表は、最初に到着した折にメモをしたはずなのに!
 

これは困ったことになったものだ。飛行機の出発時間には十分間に合うものの、これでは座席取りがうまくできない。じだんだ踏んでもしようがないので、あきらめて待つことにする。それにしても、ここで1時間も待つとなれば、所在なくてどうしようもない。バッグを持って動き回るわけにはいかないし、ここは腹を決めてじっと待つしかない。そう心に決めると、コンコ−スの椅子に腰を下ろす。
 

こうしてやむなく、1時間という貴重な時間を駅頭でボ〜ッとしながら、ただひたすらに時間が過ぎるのを待つことになる。駅員さんを相手に話でもしようかとは思うが、フランス語ではそれもできない。列車も頻繁に発着するわけでもなく、ホ−ムもがらんとして手持ち無沙汰の様子である。やむなく、コンコ−スに出入りする人たちの様子をうつろに眺めるだけである。こうしてようやく1時間を過ごしやり、無事発車となる。


「すべて通路側の席?」
空港駅に到着すると、急ぎ足で2階の奥にある勝手知ったチェックインカウンタ−へ。とはいっても、小さなデスク一つに係員が一人いるのみのちっぽけな受付である。周りを見回しても、乗客の姿はほとんどない。これならまだ大丈夫と思い、「通路側で出口に近い席をお願い。」と申し出る。すると彼女は「全席通路側になっています。」と変なこと言う。これはどういう意味なのだろう? とけげんに思いながらも、その場はそのままやり過ごす。
 

カウンタ−の奥を見ると、狭いスペ−スの待合いらしい部屋がある。だれも人影はないが、そこで待機することにする。ふと見ると、そこのコ−ナ−にミネラルウォ−タ−の入った冷蔵ケ−スがある。ここで買えるのかな? と思いながら扉を開けようとすると、カギがかかっている。な〜んだと思いながら、あきらめていると、スタッフの一人がやってきてカギを開け、中から冷えたミネラル水を取り出して渡してくれる。無料サ−ビスなのだと言う。数人集まって来た乗客にも配っている。
 

早速、それを飲みながら窓外の飛行場を眺めると、目の前に小さな双発のプロペラ機が準備態勢に入っている。まさか、あの飛行機ではあるまい。そう思いながら、他人事のように眺めていると、係がみんなをカウンタ−に呼び戻して、ここで出国の手続きをせよと言う。そこにはパスポ−トコントロ−ルの係官がやって来ており、ポルトガルの入国カ−ドを書かされて出国の手続きを受ける。
 

それが終わると、いよいよ搭乗である。が、乗客と思われる者はわずか数人しかいない。こんなに少ないのか? と、半信半疑で1階へ誘導されながら下りて行く。そのまま出口を出ると飛行場へ案内される。ところが、まさかと思っていた双発の飛行機の方へ歩いて行くではないか! これは意外である。こんなちっぽけな飛行機でポルトガルまで飛ぶのだろうか? 少々不安な気持ちになってくる。これまで、グランドキャニオン、ハワイ、ナスカの地上絵などでセスナ機に乗った経験はあるので、小型機の様子は分かってはいるのだが……。そんな不安をよそに、搭乗前の記念撮影をお願いする。 
 





搭乗前に記念撮影










狭い機内に入ると、細い通路を挟んで両側に1列ずつ座席が並んでいるだけである。道理で、チェックインの時に「全席が通路側」というのが、これで初めて理解できたのである。一人おかしさが込み上げてくるのを抑えながら、座席に着く。
 





18人乗りの機内は貸し切り状態









18人乗りの飛行機に、私を含めてわずか5人の乗客を乗せた双発機は、静かに助走して滑走路に向かい、エンジン全開したかと思うと、簡単に空に舞い上がる。あっけないモロッコとのお別れである。すぐに水平飛行に入ったかと思うと、下には大西洋の大海原が広がっている。国際線とはいっても、機内サ−ビスは何もない。ただ、座席前のケ−スにミネラル水が1本入れてあるだけで、あっさりしたものである。乗務員はパイロットともう一人の男性助手のみである。
 

小型機ではあっても、天候は快晴の安定した気象条件とあって、平穏な飛行である。1時間近く北上したかと思うと、眼下に陸地の海岸線が見えてくる。恐らくこれは、ユ−ラシア大陸の最西端に近い海岸線なのだろう。やがて機は内陸部にさしかかったかと思うと、機首を下げ始める。
 





大西洋に海岸線がのびる









間もなくリスボン空港なのだ。その近くになると、眼下にはレンガ色一色の鮮やかな風景が飛び込んでくる。すべての建物がレンガ色の屋根で覆われているのだ。これはなんとモロッコと対照的なのだろう。彼の地は白一色の世界、ここはレンガ色一色の世界である。いずれの国も申し合わせたように同一化されているところがなんとも見事である。






リスボン市街のレンガ色の屋根










リスボン空港・モロッコ老人

5人を乗せた小型機は、1時間半という意外と短い飛行で無事リスボン郊外の空港に到着。やれやれと思って降りようとすると、前方の座席に座っていたモロッコ老人(機内写真で後ろを振り向いている老人)が、バッグ一つ持って足下おぼつかない様子で降りようとしている。見るに見かねて、手を添えながら降りるのを手伝う。行きがかり上、バッグを持って入国手続きの所まで連れだって歩く。
 

入国管理の所で入国カ−ドを書かなければならない。ところが、老人は何もできない様子で突っ立ったままでいる。この人、入国してから目的地まで一人で行けるのだろうか? そんな心配がふとわいてくる。言葉も通じないので、やりとりもできない。とりあえず、私のカ−ドを書き、後のことは職員に任せるしかないと思い、スタッフを探す。運良く一人の職員が通りがかったので事情を話し、老人を引き渡す。こんな頼りない老人が、よくも他国に独りで旅するものだと、その度胸に驚かされる。
 

「オブリガ−ド(ありがとう)」と係官に挨拶して無事入国し、到着ロビ−に出る。クリ−ンで広々としたロビ−は快適で清潔な感じだ。






リスボン空港のロビー










早速、ユ−ロに両替し、初めて見るユ−ロ通貨をもの珍しげに眺め入る。これでよし、いざ市内へバスで移動だ。案内に市内行きバスの乗場と切符売り場を尋ねると、切符は車内で買いなさいと教えてくれる。玄関を出ると、市内行きのバスが待っている。ワンマンバスの運転席から乗って、「ビリエッテ  ポルファボ−ル(切符をください)」と告げると、用意された切符を渡してくれる。そこで、「クアント クスタ?(いくらですか?)」と尋ねながら切符を見ると、「1.50EUR(=約180円)」と印字されている。それを支払って席に座ると、バスは市内へ向けて心地よく走り出す。


ポルトガル・リスボンについて
ポルトガルは大西洋に面したスペインに隣接する国で、ユ−ラシア大陸の西端に位置し、人口は約1000万人超、面積は日本の1/4ほどのこぢんまりとした国である。この国こそが、世界史に残る15世紀後半から始まったスペイン・ポルトガル主体の新航路開拓という大航海時代をもたらしたのである。
 

ポルトガルは1487年に希望峰を発見してインドへ到達する航路を開き、その後1543年には日本の種子島に漂着し、鉄砲を伝えた。以後鎖国までの100年間にわたって南蛮文化をもたらし、わが国に大きな影響を与えた。こうしてみるとポルトガルは、歴史的にも日本とゆかりの深い国であることがわかる。コンペイトウやカステラなど、なじみのお菓子が渡来したのも忘れてはなるまい。
 

リスボン(Lisboa)は大西洋に面した港町で、アフォンソ3世がここに遷都したのが13世紀、以後大航海時代の拠点となって栄枯盛衰を繰り返しながら激動の時代を過ごしてきた。1755年にはポルトガル史上有数の悲劇、リスボン大地震で首都はほぼ全滅、その後ボンパル侯爵によってパリを模倣した美しい町並みがつくられた。
 

その後、幾多の政変と混乱を繰り返しながら、一応の民主体制が確立されたのがやっと26年前。今では、ヨ−ロッパの都市の中でも比較的治安がよく、のどかな雰囲気が流れる町として知られている。しかし、観光名所として広く知れ渡った有名スポットは見られず、その面では地味な街でもある。


ホテル探し
空港から市内中心部まではそれほど遠くない。バスで30分足らずの距離にあって、なかなか便利な位置にある。空港から市内までは一直線の広い道路を走るだけだから早い。窓から眺める市街の風景も、落ち着いた雰囲気できれいである。これから市内の中心部ロシオ広場まで出て、その周辺を中心にホテル探しをするつもりだ。この一帯が交通の便がよさそうだからである。
 

リスボンのヘソに当たるロシオ広場のバス停で降りると、ほっとしながらバッグを地面に置き、正方形の広場を囲むように建ち並んでいる建物群を見回す。広場の中心には、くっきりとした青空の中に抜けるように立つ高さ20mほどの円柱の上に、初代ブラジル国王となったドン・ペデロ4世のブロンズ像が見下ろすように立っている。それを横目に眺めながら、まずはホテル探しにとりかかる。
 





抜けるような青空の中に立つ ロシオ広場の銅像









やおらバッグを肩に背負い、いちばん近い建物の列から探索し始める。すると広場に面した3つ星の感じの良さそうなホテルが目に入る。そこで、最初の目標をここに決め、階段を上がってフロントに向かう。係に「シングルル−ムで空いたのがありますか?」と英語で尋ねると、OKだという返事。宿泊料金を尋ねると、1泊1万円足らずでリ−ズナブル。「それじゃ、部屋を見せてもらえますか?」と頼んで、階上の部屋へ案内してもらう。
 

部屋はゆったりしたスペ−スで明るく、これなら文句なし。「じゃ、これでお願いします。ところで、今日から4泊したいのですが……。」と申し出ると、「残念ですが、2泊しかお泊めできません。その後は全室塞がっているのです。」という返事。分散宿泊は不便なので、残念ながら断ることにし、退散する。部屋を見る前に、4泊のことを言うべきだった。
 

さて、次はどこにしようかと見回すが、広場側にはホテルが見当たらない。そこで裏手の通りに入ってみると、角に一軒のホテルが目に留まる。これも3つ星ホテルで、フロントへ上って行き、4泊できる部屋の有無を尋ねるとOKだと言う。これで助かった! と思いながら、念のため部屋を見せてもらうと、値段は割安とはいえ、いかにも陰気臭くてベッドも感じ悪く、4泊過ごすのにはちょっと気乗りがしない。ぜいたくかもしれないが、断ることにする。お手間かけて申し訳ない。
 

さてと、次を探さなければ……。裏通り全体を探してみるが、ホテルは見当たらない。そこで今度は、すぐ隣にあるフィゲイラ広場の方を探ってみることにする。途中、ロシオ広場の反対側の列も調べながら進んで行く。すると右手に、歩行者天国になっていて、すきっと一直線にのびる落ち着いた通りが見える。これが繁華街の中心アウグスタ通りで、海の玄関口コメルシオ広場まで約1kmのストリ−トが続いている。ここにはブティック、銀行、レストラン、ケ−キ店などが両側に並んで賑やかである。オ−プンカフェも開かれて、人々が憩いながら飲食を楽しんでいる。
 





繁華街の中心アウグスタ通りこのずっと先の突き当たりがコメルシオ広場








そんな風景を珍しそうに眺めながらホテルを探すが、ロシオ広場には見当たらない。そのままフィゲイラ広場へ進んで行くと、建物の間から斜面の丘に夕日を浴びて輝くお城が見える。サン・ジョルジェ城である。なかなか素敵な風景である。






丘の上で夕日に映えるサン・ジョルジェ城









この広場も正方形で、その中央にはドン・ジョアン1世のかっこいい騎馬像が立っている。近日中に、何かのイベントがあるのか、スタンドやテントなどが設営中である。ひょっとしたら、このために先ほどのホテルは満室なのかもしれない。
 





フィゲイラ広場の騎馬像










フィゲイラ広場に面した側にはホテルらしき姿が見当たらないので、路面電車の線路沿いに歩いて裏側に回り込んでみる。すると、通りの角に1軒の3つ星ホテルを発見。
 

玄関を入ると、すぐのところにフロントがあり、女性の係員が受け付けている。早速、4泊できるかを尋ねると、パソコンでデ−タを調べてからOKという返事。料金も手頃である。それでは部屋を拝見ということでキ−を借りてリフトで部屋に上る。中に入って見ると、バスル−ム、部屋の感じ、ベッドとも申し分なし、熱いお湯もちゃんと出ている。ただ、窓の景色が隣接の建物で塞がれて見れないが、これならOKだ。
 

1階のフロントに戻り、お願いする旨を告げた後、「4泊するので、ディスカウントできませんか?」と問いかけてみると、意外にあっさりと「えゝ、いいですよ。」と言いなら気前よく割り引いてくれる。なんでも、ダメモトで言ってみることである。そこで宿泊手続きを済ませると、早速、「今夜、ファドを聴きに行きたいので紹介してもらえませんか?」とお願いすると、案内パンフレットを見ながら予約を入れてくれる。9時からのディナ−付きで、約4000円とのこと。これを承諾し、ひとまず安心。あとはシャワ−でも浴びて一休みしよう。


ポルトガルの宿泊情報
ポルトガルでは、次のような宿泊施設の種別がある。
(1)一般のホテル
   1つ星から5つ星まで5段階のランク付けがあり、ホテルの玄関口に星
   マ−クが掲示されているので利用客には便利である。
(2)アルベルガリア/エスタラ−ジェン
   2つ星から4つ星まであり、設備的にはホテルと同様だが、由緒ある建
   物を利用しているところが多い。
(3)ペンサオン
   1つ星から4つ星まであり、この3つ星ペンサオンが2つ星ホテルに相
   当する。1つ星になるとシャワ−・トイレが共同のところが多い。
(4)ポウザ−ダ
   古城や修道院、貴族の館など由緒ある建物を利用した施設で、豪華
   な割りに宿泊料が安く人気がある。国内各地に約50ヶ所の施設があ
   る。


哀愁のファド
フランスにシャンソンがあるように、ポルトガルには伝統的な民謡・ファドがる。ギタ−の伴奏で歌われ、哀愁に満ちた旋律が特徴とされる。ファドはラテン語のfatum(英語fate)からきたものだそうで、運命を意味するらしい。その起源は判然としないが、イスラム、ブラジルなどの土着の民俗音楽が持ち込まれ、それが変形しながら伝わったとされ、すでに19世紀初頭にはリスボンで盛んになっていたという。人間の心を歌う哀愁に満ちた旋律のファドは、社会の底辺で生きる人たちの悲しき叙情詩を歌ったもので、それが現在に至るまでカフェや酒場で歌い継がれてきたものである。
 

このファドを聞かせてくれるファドハウスは、リスボンの下町、ロシオ駅の背後に広がる斜面地帯のバイロ・アルト地区に密集している。ここでファドを歌い、ギタ−を弾きながら生活する多くの人たちがいる。この地域には石畳の細い路地が幾筋も広がっており、そのここかしこに大小さまざまのファドハウスが点在している。
 

ファドの演奏は、ヴィ−ラ(普通のギタ−)とマンドリンのような丸い形をしたギタ−ラと呼ばれる2種類のギタ−楽器で奏でられる。それを伴奏にしてファディストが哀愁に満ちたメロディで何かを訴えるように切々と歌い上げる。
 

今宵のファド鑑賞のために予約してもらったファドハウスは、その中の1軒
「O Faia」である。そこのメイン・ファディストはレニ−タ・ジェンティルという美人歌手である。


ファドハウス「O Faia」
夜9時に予約してあるので、それまで部屋でゆっくりとくつろいだり、外に出て広場周辺をぶらついたりして、のんびりと夕暮れのひとときを過ごす。ほどよい時間になったので、タクシ−で出かけることにする。歩いても、そんなに遠くはなさそうだが、場所もよく分からないし、疲れても困る。
 

玄関前でタクシ−を拾い、ホテルマンにファドハウスの場所をドライバ−に告げてもらい、バイロ・アルトへ向かって走り出す。広場を過ぎて回り込むと、坂道を上りあがり、細い路地に入り込む。ドライバ−も店の位置をよく知らない風で、あちこち迷いながら徐行する。出会わせた地元の人に場所を尋ねながら、やっと目指す「O Faia」に到着である。タクシ−料金4ユ−ロ(約500円)。この時間でも、まだ外は明るい。
 

店内に入って名前を告げるとすぐに案内され、奥の広いフロアより一段高くなった入口に近いフロアの席につく。入口は狭い感じだが、奥行きは結構広くて、テ−ブルが整然と並び、小ぎれいである。だが、ステ−ジはどこにも見当たらないが、どこで演奏するのだろう?
 

早速、ディナ−のオ−ダ−を受け、「お勧め料理はなんですか?」と尋ねながら、ヴェテランウェイタ−の勧めにしたがって、ス−プはジャガイモをベ−スに、チリメンキャベツが入った「Caldo Verde」を、そしてメインの料理は干しタラを卵とじした感じの「Bacalhau A’braz」である。
 

飲物はワインで、これもお勧めの「Campestre Tinto」という銘柄を選ぶ。間もなく、パンと地元名物イワシの酢漬けが前菜として出される。同時にワインが運ばれ、早速コルク栓を抜いてテイスティングである。少し注がれたワイングラスを手に取り、おもむろに傾け回しながらワインをグラスいっぱいに広げる。そして鼻の先に近づけて香りを嗅ぎ取り、おもむろに口に入れて転がすように味わいながら飲み干す。
 

これが1年前、南アのケ−プタウン郊外のワイナリ−で教えられたテイスティングのやり方だが、それを一度正式に試してみたかったのが、ここで初めてその体験をすることになる。その満足感にひたりながら飲み干すと、なんともいえないまろやかな味が口内いっぱいに広がって、こんなにもうまいワインがあるものだと感嘆させられる。そこで、にっこり微笑みながら、「とてもおいしいですよ。」とウェイタ−に満足げに告げる。
 

数少ない経験ながら、これまで飲んだワインの中では、この「Campestre Tinto」が一番私の口に合っている。これがきっかけで、俄然ポルトガルワインが好きになったというわけである。この銘柄が国内で見当たらないのが残念である。
 

イワシの酢漬けは中型イワシだが、魚の本場長崎で日頃生きのいいイワシを食べ慣れているせいか、あまり目を引くものではない。出されたス−プは、ジャガイモがなかなかおいしく、味付けも良い。メインの干しタラ料理は、タラの身を小切れにしたものを何かと混ぜながら卵を散らしたもの。生魚が好きな私は、この干しタラのぱさぱさとした淡泊な味には物足りなさを感じる。その分量が多くて食べ切れそうにもないので、take outをお願いする。


初めてのファド
ゆっくりと料理やワインを味わいながら食べ終わりかかると、3人の年配ギタリストたちが歌手とともに現れ、ファドを歌い始める。なんと中央部の壁の側のフロアに立って歌うのである。ステ−ジはないので、こんなスタイルになるのだろう。3人のギタリストのうち1人がギタ−ラを弾き、他の2人は普通のギタ−である。ギタ−ラの音は、チタ−に似た音色を奏でてなかなか素敵な響きをただよわせる。
 

最初の歌い手は髪を長く垂らし、黒のドレスを身に付けた女性である。初めて聴くファドの歌声、腹の底からしぼり出すように心情を込めながら歌うファドの旋律にうっとりとなる。惜しいかな、歌詞の内容は分からない。だが、じっと耳を澄ますと、何かが響き伝わってくるようだ。これがファドなのだ!
 





黒の衣装に身を包み、心情を込めながら歌い上げる。








意外なことに、私のファドに対する先入観とは異なっている。ファドが哀愁に満ちた旋律と言われるので、何か、か細い感じのメランコリ−な響きを持っているのかとイメ−ジしていたのだが、案に相違して、実際の歌い方は太い声量で甲高く、そして力強く歌い上げられる。あたかも、イタリアのカンツォ−ネばりの感じである。これは意外である。
 

彼女は3曲を歌い終わり、ギタリストたちと一緒に退場する。1曲が長いので、結構時間がかかる。私の席は歌手の立つ場所から至近距離にあって見下ろせる絶好の位置にある。幕間に残りの食事をしたり、ワインを飲んだりしながら待ち時間を過ごす。
 

やや間を置いて登場したのは、これも黒の衣装を着た女性歌手である。重量感のある体躯をしており、声量もある。次の登場は中年の男性歌手である。前の2人の女性歌手に比べてやや劣る感じだが、やはりファド音楽は女性の歌い手が似合うのだろうか? 4人目は、超重量級の存在感あふれる女性歌手の登場である。見かけはオペラ歌手そのものといった感じで、確かに音量感にあふれている。これらの歌い手は、みんなそれぞれ3曲ずつを歌い、それが終わるとその間に小休止が入るといった進行である。
 





丸い形をしたのがギターラ
チターに似た素敵な音色を 奏でる












しぶい歌声を聞かせる男性歌手














この迫力ある体躯はオペラ 歌手並み









最後の5人目に登場したのは、真打ち? とり? なんて言うのだろう? とにかくここのメイン・ファディストであるレニ−タ・ジェンティルの登場である。栗毛色の髪を垂らした彼女は、やはり黒のドレスをまとっている。あの堂々とした貫禄のある風貌から、どうやって哀愁に満ちた旋律を歌い上げるのだろう? そう思いながらじっと耳を傾ける。彼女の力強い迫力ある歌声の中にも、どこか哀調を帯びた旋律が流れている。身体の奥底からダイナミックに切々と歌い上げるその調べは、聴く者の胸にじ〜んと迫り来るものがある。その鬼気迫るような迫力には圧倒されてしまう。やはり、ひと味違うものがある。
 





「O Faia」の看板歌手
Lenita Gentil

彼女の迫りくるような歌いぶり は胸を打つものがある。





彼女だけ特別に5曲を歌ったのだが、終わった時にはさすがに拍手が鳴り止まない。顔には汗がにじみ出ており、彼女がいかに精魂傾けて歌い上げたかをこれが証明している。5曲を一気に歌うとなれば、時間が長いだけに、かなりの体力を消耗するに違いない。彼女の魂のこもった初めてのファドに酔いしれながら、そろそろ帰りの時間である。時計は12時になったところである。


ホテルへ
玄関口でタクシ−を呼んでもらい、しばらく待つとやって来る。行き先を告げて走り出すと、人影も車の影もほとんど見かけない深夜の道を駆け下り、ロシオ広場に沿って走るとあっという間にホテル到着である。料金は深夜料金で5ユ−ロ(約600円)。素敵な夜の余韻を残しながら、リスボン1日目の夜は更けていく。 



(次ページはポルトガル「リスボン編(2)」です。)










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