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    N0.3
(ヨルダン・シリア・レバノン)



(ヨルダン南部の地図)



4.ワディ・ラム砂漠ドライブ


変色した水面
世にも不思議な浮遊体験を楽しんだ後、ホテルを10時に出発したバスはワディ・ラム砂漠を目指して死海沿いに南下する。窓外に死海の景色を眺めながら海岸沿いに走っていると、水の色が濃い部分と薄い部分に分離された水域が見えてくる。説明によると、濃い部分の水域は川の水が流れ込んでいるためだとのこと。水の比重が異なるので、こんな様子を呈するのだろう。


左側の濃い色の水域が川の水が流れ込んでいる区域

川のプール
軍の検問所を通過してしばらく走っていると橋が現れる。珍しくも死海へ流れ込むやせた川なのだ。その手前で下車し、徒歩で橋を渡ることに。橋の中心部に来ると、ごつごつした岩だらけの切り立つ断崖の中に細い峡谷が現れる。この底部に細い川が流れており、これが死海へ流入して、先に見た色違いの海水域の出現原因となっているのだろう。


断崖の一部に細い足場のブリッジが見えるので、あれは何かと尋ねると、この奥に川水を溜めたプールがあり、そこで泳げるようになっているらしく、そこへ渡るためのブリッジなのだという。その入口では、ちゃっかり入場料を取っているという。天然の川水を利用したプールとは面白い発想である。


峡谷の底に川が流れ、そこにプールが・・・。

ターコイズブルーの水面
再びバスに乗ると、どんどん死海沿岸を南に向かって走り続ける。そろそろ死海の南端にさしかかって来たようだ。次第に水深が浅くなっているのか、水面が薄いブルー色に変わってくる。渚では塩の結晶が白色化して白い縁取りをみせており、その付近はタヒチのラグーンのようにターコイズブルーの美しい色合いに輝いている。ここでフォトストップとなり、その景観を写真に収める。




           死海南部の区域。渚の白い部分は結晶化した塩で、その付近は美しいエメラルドグリーンなっている。




ベドウィンのテント
バスはさらに南下して走ると、どうやら死海の南端に出たようだ。この沿岸一帯には不毛の荒れ地が広がっており、その中に取り残されたようにベドウィン(アラブ系遊牧民)のテントが散在している。彼らはこうした砂漠地帯で羊や山羊などを追いながら暮らしているのだろう。彼らの人口に占める割合は少ないようだが、遊牧生活を始めれば、だれだってベドウィンと呼ばれるらしい。


死海の南端部分


ベドウィンのテントが点在している。


聖書にゆかりの地
これまで海抜マイナス400m地帯を走ってきたバスは、ここから左に折れて坂道を上り、次第に高度を高めて行く。この高台から眺める風景は緑がほとんど見えず、砂岩だけが起伏する荒涼たる砂漠のような渇いた光景である。見るからに喉が渇きそうで、緑豊かな死海北端部のヨルダン渓谷とは対照的な地域特性である。


この瓦礫と砂漠が広がる不毛地帯ながら、聖書に縁の深い土地だという。この死海南部地帯は旧約聖書では「塩の谷」などと称されており、預言者アブラハムとその甥ロトは、この地で二手に分かれ、預言者アブラハムはカナーン(パレスチナ)へ、そしてロトとその家族は、ヨルダンの地を進み、死海のほとりにテントを構えたという因縁の深い土地柄なのだ。



        死海南部地域には荒涼とした風景が広がっているが聖書にゆかりの地でもある。右手遠くに死海が見える。




アル・カラクで昼食
ここからバスは山岳地帯を上りながら東へ進み、アル・カラク(Al・KARAK)の町を目指す。この町で昼食を取る予定である。しばらく走ると、谷間の向こう遠くの丘にカラク城が見えてくる。カラクの町は聖書にも出てくる古い町で、農業貿易が中心だったようだ。長い包囲の末、12世紀にイスラムの英雄サラディンによって奪取されたのだが、その当時のカラク城が今でもよく保存されて残っているという。残念ながら見学の余裕時間はない。


中央遠くの丘上にカラク城が見えるのだが・・・写真では遠くて見えにくい

カラクの町は高い丘陵地帯に広がった町で、商店街も坂道に軒を連ねている。その頂上付近にある瀟洒なホテルで昼食となる。この建物は古城をホテルに改造したらしく、外観はとても立派で由緒ある雰囲気をただよわせている。料理はバイキングで、これといって珍しいものはない。飲み物にセブンアップを注文したが、1缶2ドルである。


坂道に並ぶカラクの町の商店街


古城を改装した瀟洒なホテル。ここで昼食。

食後にホテルの周囲を散策してみる。裏手からは眼下に広がる谷間の村落の様子が俯瞰できる。山腹には農地が広がっているが、なかなか肥沃な土地柄のようだ。



       ホテル裏側から眺めた風景。これとは反対側の裏手斜面が町の中心になっている。




写真に見える村落は町のはずれで、その中心街は裏側直下の斜面に広がっており、その一角にサラディンの騎馬像が置かれたちっちゃな広場がある。


ホテル下の道路にはこんなモダンな建物が並ぶ。この辺りは丘の頂
上で平地になっている。



町の広場にあるイスラムの英雄サラディンの騎馬像

デザート・ハイウェー
バスはここから斜面を下り、東方向のハイウェーに向かって走る。ヨルダン国内の砂漠地帯を背骨のように南北に長く縦断するデザート(砂漠)・ハイウェイである。これをそのまま南端へ突っ走れば紅海の最奥部にあるアカバ港に出る。今朝から死海の沿岸沿いに南下して走り、その南端部から左に折れて山間部の道路を東へ向かう。その途中にあるカラクの町を通り抜けて走り続けると、やがてデザート・ハイウェーに突き当たる。そこを右へ折れて南へ向かうのである。


これまでのコースで数箇所に軍の検問所があり、側には機関銃を装備した軍用車が待機している。のんびりと平和ボケの観光を続けるわが身には、一瞬ドキッとさせられる。この地は、いつ何が起きてもおかしくないほど国境が入り乱れる地域なのだ。西隣はイスラエル、パレスチナ、東隣はイラク、北隣はシリアという国々と隣接しているのだ。警備に神経を尖らせるのもうなづける。そんな緊張感?ただよう中を走り抜け、バスはデザート・ハイウェーに出る。


この交差点からバスは右へ折れ、南の紅海へ向かって走り続ける。目的地のワディ・ラムへは、これからまだ200km近くを走破しなけばならない。しかし、よく整備されたハイウェーは振動もなく、バスのクッションも良いとあって快適に走行することができる。


砂漠のど真ん中を貫通するハイウェーだけに、左右の窓外には空の青と茶色の砂漠が溶け合った起伏のない地平線の風景が横たわっているのみ。ここの砂漠は純粋の砂砂漠ではなく、瓦礫が散在するいわゆる礫砂漠なのだ。走行していると、時折規模の小さな砂嵐が巻き起こっているのが見える。大規模な砂嵐や竜巻は、すでにタクラマカン砂漠で何度か体験しているので珍しい光景ではない。


こんな礫砂漠が広がっている。


同上。道路はデザート・ハイウェー。


向こうには砂嵐が巻き起こっている


遠くに山並みが見えてきた

ロレンスの世界
かなり走ったところでハイウェーは終わり、普通道路に変わっていく。この辺りになるとごつごつした岩山が現れ始め、その昔、アラビアのロレンス率いる軍団が集結した地域でもあるらしい。普通道路をしばらく走って左へ折れると、いよいよロレンスの世界である。このワディ・ラム砂漠一帯では、アカデミー賞7部門を受賞してつとに有名な映画「アラビアのロレンス」の撮影が行われたという。その後、このワディ・ラム砂漠が一躍人気スポットになっているらしい。


途中、何台も連ねたリン鉱石を積んだ貨物列車に出会う。こんなところに鉄道が走っているのだ。リン鉱石はこの国の主要輸出品だが、この一帯にリン鉱石の採掘場があるらしい。眺めているうちに、今度は反対側からも貨物列車がやってくる。砂漠の中を走る列車の姿は意外とカッコイイものである。マニアならたまらない光景かもしれない。


リン鉱石を積んだ貨物列車


反対側からもリン鉱石の貨車がやったきた


(次ページへつづく・・・)










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