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    N0.13
(ヨルダン・シリア・レバノン)




十字軍の城砦クラック・デ・シュバリエ
くるまは斜面に広がる小さな村を通りながら坂道を上って行く。その丘の頂上にがっちりと石造りで固められた堅固な城砦が見えてくる。これがクラック・デ・シュバリエである。眼下には緑の田園が広がる素晴らしいパノラマ景観が見られる。ここで下車し、この城を見学する。


クラック・デ・シュバリエ城砦の全景(丘の上のレストランより望む)

このクラック・デ・シュバリエは、高さ750mの丘の上に築かれた難攻不落の城砦で、かの有名なイスラムの英雄サラディンでさえ、この砦を一目みるなり、この攻略をあきらめたという、いわく付きの城でもある。ここはもともと11世紀にホムスの王が築いた砦であったが、12世紀になって十字軍に占拠され、その後大幅な増改築が行われたという。


この城は、中近東地域に点在する十字軍の要塞の中でも最も保存状態がよいといわれ、美しい要塞として有名でもある。昨日見たパルミュラのアラブ城砦に似て、このクラック・デ・シュバリエも急勾配の丘の上に建てられており、二重の城壁に囲まれて4000人以上の守備兵を収容できる広さを誇っている。


これも13世紀後半にはイスラム軍の手に落ち、その後増改築が行われたらしい。そのため城内にはモスク跡があるなど、東西文化の融合が見られて面白い。こうしてみると、静かにたたずむこの城砦も、キリストとイスラムの宗教対立の攻防の嵐の中に巻き込まれた悲しい城でもあるわけだ。この両者の対立関係は、現代においてもなお尽きることなく続いている。これは実に悲しいことで、それがテロ頻発の根源にもなっていると思われる。


暗い大部屋を通り抜けて奥に入ると、深い堀がめぐらされて二重の城壁で守られているのが見える。下から見上げる城壁はそびえるように高く、いかにも堅固そのもので重厚な構えを見せている。城砦の上にのぼってみると、そこには360度に開ける素晴らしいパノラマ大景観が広がっている。緑に囲まれた田園地帯や斜面に広がる緑の農地の景色が一望の下に俯瞰される。青空の中に流れる空気も実にうまい。たっぷりと吸って、おみやげにしよう。


広い部屋が・・・


堀がめぐらされている


見上げる城壁



             城壁の上から眺めたパノラマ景観。緑の田園風景が広がる。



       別の方角を眺めた景観








城砦のすぐ下には民家が並ぶ


城内に入ってみると、何百頭もの馬を入れたという厩舎、食料庫、トイレ、礼拝所など、広い部屋が幾つも設けられている。そして礼拝所にはミンバル(イマーム<指導者>が説教をする階段状の説教壇)が置かれ、壁面には簡素なミフラーブ(聖地メッカの方角を示す壁のくぼみのこと。)が設けられている。


食糧庫









 トイレ
 水が流せるようになっている















列をなすトイレ

いま、ここに1人の青年がどこからともなくやって来て、おもむろにミンバルに向かい、コーランの一節を謳いあげる。その美しい声音がコーランに乗せられて、静まり返った部屋いっぱいに響き渡る。石造りの礼拝堂だけに反響が素晴らしく、その様は実に感動的である。こんな間近でコーランを聞くのは初めてである。ひとしきり謳いあげて終わると拍手喝さいで、みんなチップをはずむ。この青年は、観光客相手にこれを商売にしているのかもしれない。


ミンバルに向かって朗々とコーランを謳いあげる青年

城砦の見学を終わると、昼食の時間である。すぐ目の前の丘上にあるこぎれいなレストランへ向かう。ここは観光客のお決まりのコースなのだろう。丘の上で風当たりは強いだろうが、眺望のきく環境抜群のレストランである。すぐ目の前には、いま見学したばかりの城砦が一望できる。あのでかいお城も、ここからはこぢんまりとした砦に見える。ここでもバイキング料理で、ナンとチキン、それに好物のポテトなどを主に盛り付けていただく。


路傍のイチゴ売り
ここを2時前に出発したバスは、本線に戻ってハマの街を目指す。このあとは観光の予定はなく、目的地までただひたすら走り抜けるだけである。半時間ほど走ったところで、バスは路側にそれてストップ。何事だろう?とのぞいてみると、路傍でイチゴを並べて売っている。下車してみると、大粒の鮮やかな色をしたイチゴが大箱に詰められて並んでいる。そこで、「アッデーシュ ハッア?(これいくら?)」と大箱の方を指して尋ねると、「$2・・・」という。確かに安い。


路傍でイチゴを売っている

再び走り出すと、そのイチゴを1箱買い込んだガイド氏が、みんなに配って試食させる。1粒いただいて食べてみると、見かけに似合わず果肉がやや硬めで甘味も少ない。やはり、水の量と土地柄のせいだろうか? それとも品種の違いなのだろうか? でも、地元産の新鮮イチゴにありついて、うれしいかぎりである。もう1個貰っておこう。


ハマのこと
イチゴに出会ってから走ること1時間、ようやく今日の宿泊地ハマに到着である。この街は紀元前10世紀より地中海の沿岸地方、特に現在のイスラエルとの交易で潤った古都なのである。今ではシリア第4の都市で人口は13万人。のどかな街の様子だが、20年前の「ハマ事件」で知られる内戦の舞台となった悲劇の街でもある。1979年から1982年にかけてイスラム原理主義者と政府の戦いがあり、政府軍による爆撃で一般市民をも含む数万の人々が犠牲になったという。


そんな歴史を背負いながら、この街は市内を流れるオロンテス川沿いに幾つもの水車を持つ珍しい街でもある。以前は32基もあったらしいが、今では十数基が残っているらしい。川の水面が町より低かったため水を汲み上げるために造られたもので、14世紀以来今日まで動き続けているという。これらの水車がこの街の観光名所となって、のどかな風景を見せている。


動かない水車
ところが、われわれがこの目で見た水車(06年3月時点)は、実に哀れな姿と化して失望させられる羽目に陥る。というのは、水車の周りのオロンテス川は干上がってドブ川と化し、それがよどんで流れもなく、ただドブ臭い匂いを辺りいっぱいにただよわせているのみだからである。畢竟、流れを失った水車は回ることもなく、ただ干からびた川のほとりで廃墟のようにたたずんでいるだけである。


川も枯れて静止した水車


干からびてよどんだ川のドブ臭い匂いがただよう

これでは風情も何もなく、かえって街のマイナスイメージになるばかりだ。この街の観光ポイントとして保存するからには、その維持管理のための手を打たないと訪れる観光客を失望させるのは間違いない。関係者による改善が強く望まれるところである。死にかかった目の前の水車を見るに付け、こんな文句を垂れずにはいられない。


水車の前でバスはフォトストップとなる。ただようドブの悪臭に鼻をつまみながら水車の間近まで行ってみる。直径が10m以上はあるかと思われる大水車が目の前に見えるのだが、残念ながら止まったままで動かない。満々と水をたたえて流れるオロンテス川の水を勢いよく汲み上げる水車の姿を見たいものだ。いつの日か、この街の名物水車が復活する日を心待ちにしておこう。


オロンテス川沿いを走るストリート


観光客相手にナツメヤシやアーモンド、木の実などを売っている



水道橋は立派だが肝心の川が干上がっては水車も動きがとれない


水面に影を落とす風流な2連水車。だがこの水は・・・<`ヘ´>




街の探索
今日の宿はこれらの水車が見える上級ホテルである。今日も到着は夕方4時前と早い。チェックインして荷物を置くと、夕食前に仲間と連れ立って街の探訪に出かける。スークも近いというので、ぶらぶら歩いて行く。尋ね尋ねて歩くこと15分、人出で賑わうスークの入口が見える。


スーク入口

人込みに混じってスークの中に入ってみる。細めの道路が100mぐらい奥へ伸びており、その両側には衣料品、木の実や豆類、日用雑貨品などを売る店が軒を連ねている。このメインの通りの裏手にも店の行列があるのだが、そこへ入るのは敬遠する。通りの十字路からふと奥を覗くと、その向こうにはきれいな夕空にシルエットを浮かべるモスクが見える。日没が近いので、夕刻の祈りが間もなく始まるころだ。目新しい物も見当たらず、最奥部まで行ってUターンする。こうして1時間半の街中探訪は終わりとなる。








 夕空に浮かぶモスクのシルエット
















この街は水車以外には観光としての見所はないようで、古都にしては意外な感じである。仕方なく、きびすを返してホテルへ戻る。夕方5時を過ぎると、早くも夕暮れが迫ってくる。帰りの橋の上から眺める2連水車もライトアップされて美しく川面に映えている。昼間には失望させられた水車でも、夜目には美しく見えるものである。


先ほどの2連水車の夜景


夜景の美しい部屋
夕食はいつものバイキング料理。ビール(小ビン4ドル)で乾杯しながらお腹を満たす。部屋に戻って窓外をのぞくと、帰り道に見た2連水車が静かな夜景に浮かんでいる。部屋の位置としては最高のロケーションにあるようだ。夢の中で、満々と流れるオロンテス川の水車がきしみながら回る音でも聞くとしよう。



(次ページは「バールベック遺跡」編です。)










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