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    N0.12
(ヨルダン・シリア・レバノン)




旅のコース




9.ハマの大水車とクラック・デ・シュバリエ城砦

7日目。旅の楽しみも残りわずか、早くも明後日には帰国の旅に変わる。起床はいつものように5時過ぎ、外はまだ暗く、空には見事な残月がかかっている。写真に撮ってみたが、ハレーションを起こしてうまく行かない。あきらめて柔軟体操、洗面と日課をこなす。


夜明けの窓
そうこうするうちに、東の空が白み始め、間もなく日の出の時刻となる。このチャンスをとらえて、パルミュラの日の出の風景を撮ってみよう。この部屋は前にも述べたように角部屋で左手と表の二箇所に窓がついており、左手からは市街が、表の窓からはナツメヤシの密林と遺跡の一部が眺められる。


待ち構えていると、市街地越しの砂漠の中から静かに朝日が昇り始める。早朝5時40分のことである。途端に地上は明るく輝きを増し、夜の闇に包まれていたヴェールを次第にはぎ取って行く。まずは市街地の見える横窓からの風景を撮ってみよう。朝ぼらけの中に街並みが広がっているのが見える。近くのモスクのミナレットがひときわそびえている。今朝のアザーンの声は聞こえなかったが、眠っていて気づかなかったのだろうか? 右に目を移すと、ナツメヤシが鬱蒼と生い茂って海のように広がっている。パルミュラ(ヤシの町)の名のとおりだ。



            パルミュラの朝ぼらけ風景。左手が街並み。右側にはナツメヤシの樹海が広がる。(横手の窓より)




今度は表の方の窓から眺めてみよう。左手のナツメヤシの密林から右手の方にゆっくりと目を移すと、何やら遺跡が見える。あれはベル神殿ではないか! 紺碧の空の中で、いま静かに朝日を受けながら目を覚まそうとしている。さらに目を右手へ移すと、砂漠の向こうになだらかな丘陵地帯が見える。ん? あの塔墓の墳墓群が見えるところは、「墓の谷」ではないか! 記念門など、メインの列柱こそ見えないが、遺跡の一部が見えるのだ。



             左端は街並み。中央はナツメヤシの樹海。右手に見える遺跡は朝日を浴びるベル神殿。右端の小山の裾には塔墓の墳墓群が見える。(表の窓より)




2000年前も、今と同じような静かな朝ぼらけの風景を見せていたのだろうか? 窓際にもたれかかりながら、一段と輝きを増すパルミュラの風景にしばし見とれる。なんと平和な朝だろう。人間も憎しみ合いさえ捨て去れば、この朝の風景のように静かで平穏な世界が実現できるのだろうに、それができないところが人間の浅ましさなのだろう。少なくとも、この平和の一瞬をカメラに収めておこう。


朝の散策
今日の予定は8時半出発で、これまでよりややゆとリの出発である。朝食の前に付近の探索に独り出かけてみよう。いちばん手前の通りをのぞいて見ると、喜々とした子供たちのグループが見える。とある家のドアの前に4人の女の子がたたずんでいる。近寄ってみると、みんなブルーの制服を着てスクールバッグを肩に背負っている。小学生の子供たちなのだ。間もなく、ドアが開いて子供が出てくる。仲良しグループが誘い合って登校しているのだ。小学1〜2年生だろうか?


「サラマレイコン」と声を掛けると、みんな一斉に興味深げに私の方を見つめている。その顔には天使のような笑みを浮かべ、疑うことを知らないといった様子である。どこの国の子供たちも、実に可愛いものである。彼らの様子から推察すると、この町の暮らしぶりは良さそうで、家庭も堅実なようだ。それに親の愛情をたっぷりと受けながら育てられている様子がうかがえる。


「カメラ・・・OK?」とデジカメを見せながら声を掛けると、みんな一斉に肩を寄せ合って撮影の態勢に集まる。その素早さには驚いてしまう。まだカメラが珍しく、写真写りの機会も少ないのだろう。大人、特にイスラム女性は被写体になることを極度に嫌うが、この年齢の子供たちには、その心配はなさそうだ。いいポーズになったところでパチリと撮影し、早速写真を見せると、わいわいと覗き込みながら喜んでいる。自分の姿を確認して満足げな顔になる。みんな明るく闊達で、素敵な笑顔をしている。この町、この国の将来を象徴しているようだ。


この素敵な笑顔を浮かべる子供たちに幸せあれ!

礼を言って別れると、彼らは小走りに路地に消えて行く。そこで後を追っかけ、学校の様子を見に行くとしよう。2ブロック先の角に学校がある。いま、三々五々と生徒たちが登校している最中である。上級生に始業時間を尋ねてみると、なんと7時から学校が始まるという。まだ6時半ごろというのに、続々生徒たちが登校している。当地の学校は早いのだ。ここでも皆をパチリと撮影。ほんとにみんな屈託のない明るい表情をしている。


登校中の児童。左は校門。


学校の校舎。グラウンドでは朝礼が始まっている。

入口門に教師の姿が見えるので、中に入っていいかと、ジェスチュアで尋ねると、首を横に振られてしまう。仕方なく付近を散策する。昨夕出かけた商店街は、まだ人影も見えず、ひっそりと静まり返っている。次の通りに行くと、1軒の果物屋が開店の用意をしている。なかかな種類豊富で、各種のフルーツに野菜や玉子などもそろえている。が、値段の表示はどこにもない。これが普通なのだろう。


昨夕散策した商店街の朝の風景


とりどりの果物がおいしそう


道に迷う
そろそろ戻ろうと、ホテルの方向を目指して歩くが、方向違いに出てしまう。う〜ん、参ったなあ・・・。これは尋ねるしかない。しかし、通りの家は閉まっているし、付近に人影も見当たらない。しばらくうろついていると、やっとOL風の女性が通りがかる。助け舟とばかりに、「ウェーン ○○ホテル?(○○ホテルはどこですか)」と尋ねると、反対の方向なので戻りなさいと手振りで教えてくれる。これで助かったぞ〜! ホテル名の入ったキー入れ袋を持参していたのが幸いした。これがなければ、尋ねようがないところだ。これまでの体験から得られた知恵である。


いそいそと教えられた方向へきびすを返し、ストリートに入る。歩いていると、とある家の前に老人が座っている。そこで念のために再度「ウェーン ○○ホテル?」とホテルの位置を尋ねると、間違いなくそちらの方向だという。「シュクラン(ありがとう)」と礼を言って先を急ぐ。するとその老人、通りの向かい側の家に向かって誰かの名前を大声で叫んでいる。?と思って、そのままどんどん進んで行く。


すると間もなく、「ハロ〜! ハロ〜!」と後方から声を掛けながら自転車に乗った少年が追っかけて来る。何かやっかいなことをいいに来たのかなと、一瞬不安がよぎる。振り返ると、自転車を降りた少年は「何かご用でしょうか?」と流暢な英語で話しかけてくる。これには私も目をぱちくり。まさかこの地で英語少年に出会おうとは! 


そこで、「○○ホテルはこっち?」と尋ねると、「そうです。私が案内しますよ。」と親切にも申し出てくれる。でも、「ここまで来れば大丈夫。ノープロブレム。サンキュー。」といって握手しながら折角の申し出を断る。すると少年は、「OK じゃ、よい旅を〜! バイバイ」と手を振りながら自転車に乗って戻っていく。なんと、先に尋ねた老人が、この少年をわざわざ呼び出して応対、案内させようとしたのだ。このパルミュラの人たちの人情味ゆたかな一面に触れた思いがして、すがすがしい気分にひたる。


こうして無事ホテルに戻ると、早速バイキングの朝食。パンとナンとオレンジジュース、コーヒーにソーセージ、エッグなどを盛って十分にいただく。最後はオレンジ1個でしめくくる。部屋に戻って一息つくと、そろそろ出発である。今日の予定は宿泊地ハマまで320kmの移動で、その途中、クラック・デ・シュバリエの観光を行う。今日は特にめぼしい遺跡の観光はなく、移動が主のようだ。


泥壁の家
朝8時半に出発したバスは、一路西方向へ走り出す。オアシスの町パルミュラを抜けるとすぐに砂漠である。砂漠の地平線を眺めながら走ること1時間超、とんがり帽子の泥土家が現れる。この地域に見られる土壁の家だそうで、これが見物の対象となる。泥で塗り固められた家だが、なかなか堅固そうで、夏でも涼しいという。入口には扉も付けてないが、常時この状態で暮らすのだろうか? 電気も車も何もない、まさに自然のままに暮らすといったスタイルである。世界がこんな生活に戻れば、公害も地球温暖化も何の心配もないのだが・・・。ふと、そんな思いに耽りながら現代文明の利器・バスへ戻る。果たして、これでいいのだろうか?


放牧の羊が見える。


砂漠の中を走行中


泥壁の家


入口には扉もない。この主婦は栄養過多で太りすぎ。

ここからさらに1時間ほど走ると、大きな街にさしかかる。ホムスの街なのだろうか? アパート群もあったり、タクシーの姿も結構見られる。この街を通過して1時間ほど走ると、支線にそれて緑ゆたかな田園地帯に入って行く。これまで砂漠地帯ばかりを走ってきた目には、とてもみずみずしく感じられ、気持ちに潤いを得てほっとした気分にさせられる。やはり、人間にとって緑は欠かせない存在なのだ。その点、ベドウィンの人たちのように砂漠の中で羊を追いながら暮らす生活は、到底できるものではない。


アパート群


街中のタクシー


製油所の炎が上がっている



(次ページへつづく・・・)










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