海外旅行の楽しみは、異国の風景や食べ物、物産、人情、風習、芸術などの海外文化に触れられること、そして、それによって快いカルチャ−ショックを受け、心身がリフレッシュされることである。こうした魅力にひかれて、近年の海外旅行熱は高まり、年間すでに1千万人を超える旅行者数に達している。


その背景には、これまでの円高による旅行費用の低減や豊富なパック旅行商品の登場という事情がある。そんななかで近年、個人旅行が徐々に増える傾向を示している。それを後押しするかのように、旅行社側でも専用窓口を設けて格安航空券や旅行パ−ツ商品をそろえるなど、旅行者のニ−ズに応えようとその対応に努めている。


このように個人旅行が増える背景には何があるのだろうか。そこにはパック旅行では得られない大きな五つの魅力−− 手づくり旅行の魅力、 フリ−・トラベルの魅力、 出会いの魅力、 アバンチュ−ルの魅力、 思い出づくりの魅力、などが得られるからである。以下、このことについて述べてみよう。


(1)手づくり旅行の魅力

旅は計画を立てる時からすでに始まっているといわれる。特に海外個人旅行であれば、周到な準備計画が必要となる。そこで資料を集め、ガイドブックを読み、時刻表を見ながら旅行プランを練りあげる。


どの航空便で出発しようか、どのル−トを経てどこに何泊しようか、このル−トは列車で移動しようか、それとも飛行便にしようか、ホテルはどのクラスのホテルにしようか、それは現地で探そうか、それともこちらで予約しとこうか、目的地ではどんな観光やショッピングを楽しもうか、などと細かなプランを決めていく。


こうして計画を練っていると、まだ見ぬ旅先のイメ−ジが次々とわき上がってきて、いい知れぬ喜びと期待感で心がはずむのである。これこそ手づくりの醍醐味でもある。 これに比べてパック旅行は、レディメイドのお仕着せ的なプラン内容で、個人の裁量が入り込む余地はほとんどない。その代わり、費用は割安となるが、無用なショッピングに付き合わされる羽目になる。また、長期間の旅行の場合、世界一周クル−ズを除けば、パック旅行では不可能なことである。


手づくりの魅力のポイントは、自在な旅行メニュ−づくりができることである。パック旅行では、予めポピュラ−なモデルコ−スが決められており、それを自分の好みに応じてアレンジすることはできない。その点、個人旅行では自由なコ−スの設定が可能であり、十分な旅行情報を集めていろいろ検討した上、自分の好みに合わせて様々な内容をアレンジすることができる。この点が手づくりの醍醐味がもっとも味わえるところであり、旅の興趣が一層増すところでもある。


旅の情報も少なく、懐具合も貧しい時代には既製品のパック旅行で満足していたものが、その事情が好転するとそれでは満足できず、自分独自のオ−ダ−メイドの旅が求められるようになる。バブル経済時代の所得向上で一層豊かな時代を迎え、あふれる旅行情報とともに旅行者のニ−ズも一段と高度多様化してきたからである。


こうして、独自の旅の世界が広げられる手づくり旅行の魅力が、人々のニ−ズにマッチするようになったのである。それは所得の向上に伴って、大量生産による規格商品よりも、個別注文による個性ある商品が好まれるようになるのと同様の現象である。


(2)フリ−・トラベルの魅力

文字どおり、個人旅行では自由気儘な旅が可能となる。出発地や出発日が限定されることなく、自分の都合に合わせて自由に決められる。パック旅行の場合は、それが限定されており、しかも最少催行人員に満たなければ催行取り消しとなってしまう。 また、自分の都合に合わせた旅行期間の設定ができる。パック旅行では期間が限定されており、延泊可能な場合でも一定の限界がある。その点、個人旅行では自由な期間設定が可能であり、それに応じた旅行内容を決めることができる。


滞在日数も旅行の状況に応じて、自由に伸縮すことができる。例えば、旅行中であっても、A地の滞在を伸ばしてB地のそれを短縮したり、あるいはB地を省略してC地に飛ぶといった自在な変更ができる。


その日の日程でも、無理のない好きな時間に起床し、行動範囲もその日の体調に合わせて自由に調整できる。そして、疲れた場合はホテルに戻って一時休息もできる。


私の場合、こんな経験があった。午前中の観光を終えるとホテルに戻って休息し、夕方になって再び観光に出かけるといった行動の調整をした。また、モスクワ滞在中にひどい下痢に見舞われたのだが、その間ホテルを根城に1〜2時間きざみで付近の観光めぐりをし、ホテルに戻っては用を足すという繰り返しで急場をしのいだことがある。これなど、パック旅行では到底不可能なことである。


また、好きな観光ポイントが自由に選べる上に、気に入った場所では好きな時間、滞在することができる。私の場合、各地でイベントに出会うことがあったが、その都度、大幅な予定変更となった。コペンハ−ゲンではカ−ニバルの催しに出会い、そのカラフルな衣装のパレ−ドを1時間以上も楽しんだ。


ブルガリアのソフィアでは、公園の一角で催された市民祭のイベントに出会い、次々に繰り出される見事な民族舞踊に見とれて3時間も過ごしてしまった。また、フィンランドのヘルシンキでは陸軍記念日の軍事パレ−ドに圧倒されて時間の経つのを忘れたり、ロシアのペテルブルクでは市創設記念日のイベントで美しい花火大会で時を忘れたりした。


ショッピングや食事にしても、自分の好みに合わせて選ぶことができる。パック旅行のように、行きたくもないショッピングに無理に付き合わされることもないし、逆に行きたい所に行けないということもない。


宿泊にしても、値段の安いユ−スホステルや木賃宿にして費用を節約したり、また時には高級ホテルに泊まったりと、いろいろ変化とアクセントを付けることができる。 また、バッグ・パッカ−旅行など行き当たりばったりの無計画な旅も楽しめる。インタ−ネットや旅行案内所などから得たナマの現地情報をもとに、気の赴くまま自由自在の手づくりの旅を楽しむのである。この点、パック旅行では到底不可能なことで、手づくりが自由にできる個人旅行にして初めて実現可能なものである。


このように、フリ−・トラベルは自己流の旅のスタイルが存分に発揮できるもので、だれにも束縛されない自由があり、自分の目と耳と口と足だけを頼りに旅して回るのである。それだけに、パック旅行に比べると、その喜びや楽しさも数倍化するものである。これぞ個人旅行の最大の魅力であり、何ものにも代えがたい価値がある。


(3)出会いの魅力

個人旅行では、乗り物の中や現地の町中で出会った外国の人たちとの楽しい交流がもてる。パック旅行では、ほとんどが集団行動であり、「カゴの鳥」のように拘束されるので、現地での人間的な触れ合いができない。


私の場合、こんな出会いの体験があった。ルーマニアのブカレスト市内で、道を尋ねた家族連れに出会い、その息子が出演するというオペラコンサ−トに招待されたり、それが終わると、その兄が夜まで一緒に市内観光を案内してくれた。その他、イタリアのポンペイ1日観光ではドイツ人女性と知り合いになり、次の日にデイトしてロ−マ市内を観光したり、夕食を共にしたりして楽しい時を過ごしたりした。


また列車の中でも、多くの人たちとの出会いが生まれた。ブカレストから郊外の観光地へ向かう列車の中で、そこに住む青年と出会い、半日もその町を案内してもらった。ペテルブルクへ向かう夜行列車では、ロシアの青年やカナダ人と同室になり、夜遅くまで語り合った。


エストニアのタ−リンへ向かう夜行列車では、エストニア人と話に花を咲かせ、コインを交換したりした。翌朝着いたタ−リン駅で両替できないことがわかると、ホテルまで行ける路面電車のチケットをプレゼントしてくれた。オーストリアのウィ−ンへ向かう列車では、地元セ−ルスマンと乗り合わせ、よもやま話に時を過ごした。


例をあげればきりがないが、こうして出会った人たちと何度住所の交換をしたことだろう。そして帰国後、記念のスナップ写真を送ると、喜びの礼状をもらったりする。これをきっかけに、交流が始まったりもするのである。こうした多くの出会いが、楽しい思い出を残すことになるのである。


旅の大きな楽しみの一つは、こうした旅行先での行きずりの触れ合いである。列車、飛行機、船舶などの中や街角、ホテルなどでは現地の人々や外国人と出会う機会が多く、そこで生まれるさまざまな出会いが、旅のドラマをつくり出していく。その点、仲間うちだけの交流しかできないパック旅行は、折角遠く外国にまで出かけたのに、異国の人情に触れる機会が奪われてしまっている。


このように片言の英語と10語ほど覚えた現地語をたどたどしく操りながら生み出す出会いの旅は、「カゴの鳥」になるパック旅行では到底実現不可能で、自由な行動でその土地の人情の機微に触れることのできる個人旅行ならではの魅力がある。


(4)アバンチュ−ルの魅力

旅行中、一切のことを自分で取りしきる必要のある個人旅行では、そのすべてがアバンチュ−ルといえるのかも知れない。特に独り旅ともなれば、その感が一層強い。


飛行機が着陸態勢に入ると、全身に緊張感が走る。それは、無事に着陸するかどうかのためではない。未だ見ぬ土地への不安と期待が入り混じって緊張するのである。これからどんな旅行が待っているのだろうか、無事に入国・通関ができるのだろうか、ホテルはすぐに見つかるのだろうか、そこへはどうやって行けばよいのだろうか、切符はどうやって買うのだろう、両替所はどこにあるのだろう……たちまち数々の疑問や不安が矢継ぎ早にわき上がってくる。


こうした直面する問題を一つひとつクリア−していく時の緊張とときめきは、アバンチュ−ル以外の何ものでもない。無事入国できた時の安堵感、路線図を見ながらバスや地下鉄を乗りこなした時の快感、探し回ってやっと目指すホテルを発見した時の喜びと安堵感など、心をゆさぶる大きな喜びや達成感が得られる。これらは、すべてお任せの殿様旅行では体験できず、みんなアバンチュ−ルの報酬なのである。


私の場合、ホテル探しでこんな体験があった。ノルウェーのオスロ駅の案内所でホテルの紹介を頼むと、ここ当分の間、市内のホテルは満杯で、市外の町まで移動しないと空室はないという。そこで、バッグを背負いながら1時間以上も市内のホテルを尋ね歩き、やっと小部屋の一室を探し出した。


ワシントンD.C.では、公衆電話で何軒ものホテルに当たったが、どこも満杯という。あきらめて駅に戻ると、コンコ−スで電話無料のホテル案内のパネルを発見、そこで表示のホテルを次々に当たりながら、やっと五軒目で部屋が取れたのである。


こうして記述してみると、大したことはないように思えるだろうが、その時の狼狽ぶりは大変なもので、ハラハラドキドキの連続である。だから、目的達成した時の感激はひとしお大きく、安堵の胸を撫でおろすのである。オスロのホテルでは、シ−ズン中に来るときは必ず予約して来なさいといわれる始末。ホテル探しだけでも、こんなアバンチュ−ルが体験できるのである。


チケット取りでは、こんな体験があった。ポーランドのワルシャワからアウシュビッツへ列車による日帰り観光を試みた。途中、ロ−カル線に乗り換えるのだが、その接続に都合のよい往復の列車時刻を調べるのに、窓口で大変なやりとりが必要だった。そして、目的の往復チケットが買えた時には、小踊りしたい気持ちになった。また、モスクワでボリショイ劇場のチケットを入手するため、現地の旅行社へ三度も足を運び、日本で買う値段の半値で入手できた時の喜びも大きなものだった。


このような喜びや感動は、自由に旅する中でのちょっとしたアバンチュ−ルから生まれるもので、何の苦労やチャレンジ精神も必要としないパック旅行では、そうしたことは当然生まれ得ないものである。


(5)思い出づくりの魅力


旅の素敵な思い出は、旅先でのスリルと変化に富む豊富な体験によって生まれる。すべてがお膳立てされた上げ膳据え膳のパック旅行では、得られるはずのこうした体験が初めからセ−ブされて、限られた範囲内の体験しかできない。その点が、「カゴの鳥」旅行の物足りなさで、印象深い思い出づくりができないのである。


ビザの取得を自分で大使館に申請したり、日本や外国の出入国カ−ドも自分で記入する。そして、入国手続きや通関も自分ですませる。この体験だけでも大きな違いがあり、旅の良き思い出につながる。


さらに、空港から目的地までの安い交通機関を探して移動し、予約したホテルでチェックインする。それが現地でホテル探しをするとなれば、もっとスリリングである。 そして観光へ出かけ、道やトイレの在処を尋ね、カフェや食事場所を見つけ出す。また、イベント情報を調べて観劇やコンサ−トなどのチケットを手配する。


列車に乗るにも、現地で時刻表を調べ、並んで切符を買ったりする。地下鉄やバスに乗るにも、路線図を調べ、切符売場を探し、切符のパンチ入れに戸惑ったりもする。 このような体験は手間暇がかかって大変だが、その一つひとつが強烈なインパクトとなって記憶の底に焼き付けられ、忘れ得ぬ旅の思い出を構成していくのである。それが事件になっては困るが、思わぬハプニングやトラブルが起これば、その思い出はさらに印象深くなる。


私の場合、こんなハプニングがあった。ドイツのベルリンでベルリン・フィルのコンサ−トに出かけたのだが、帰りの際、暗闇の中で道に迷って方向がつかめず、確かめておいたバス停が発見できない。付近には家もなく、人通りもないので、尋ねることもできない。タクシ−を拾うにも、この地では流しのタクシ−はいないと聞いている。文字どおり暗闇の中で路頭に迷い、立往生している間に、雨まで降り始める。と、その時、空のタクシ−が信号待ちで停止するのが見えた。思わずタクシ−めがけて走り寄り、運転手に手を振って合図するとドアを開けて乗せてくれたのである。地獄に仏であった。


こうした印象深い思い出づくりの楽しさは、体験が限られるパック旅行では到底得られるものではなく、冒険に富んだ個人旅行にして初めて可能になるものである。


以上、個人旅行の持つ魅力や楽しさについて5点をあげて述べたわけだが、その反面、個人旅行にも幾つかの欠点が認められる。


その一つは、言葉の不安である。どこへ行っても空港・駅・ホテルなどの要所では英語が通じるので、それが話せる人には問題がない。それに加えて必要最小限の現地語を知っていればOKである。しかし、片言の英語しか話せない場合、緊急事態ともなれば果たして通用するのか不安である。ましてや、外国語が話せないとなれば、個人旅行は困難である。その点、パック旅行は問題がなく便利である。


その二はドア・ツ−・ドアの旅行ができないことである。個人旅行では自分で移動する煩わしさがある。パック旅行では空港に着けば出迎えのバスがおり、荷物もホテルの部屋まで運び入れてくれる。観光もホテルの玄関先から専用バスでお出ましである。だから荷物の運搬や移動が省力化できて気楽である。反面、個人旅行では、これらのすべてを自力で行う必要があり、かなりの労力と手間暇を要するのである。特に独り旅の場合、途中でトイレに立ち寄るにも荷物の見張り番がいず、困ってしまう。


その三は、個人では旅行困難な場合がある。交通不便な辺境の地を移動したり、山岳地帯を観光したりするのは個人ではなかなか困難である。その点、パック旅行では、定期便のない砂漠地帯を横断する場合でも専用バスで自由に移動ができるし、山岳地帯でも専門ガイドやポ−タ−などを雇って観光することができる。個人でチャ−タ−することも考えられるが、費用が高額負担になって一般的ではない。


その四は、独り食事の味気なさである。個人旅行でも複数で行く場合は問題ないが、独り旅ともなれば、食事相手のいない一人食事となって、なんとも味気ないものである。同じテ−ブルに着いた旅行者と共に食事する場合もあるが、その機会は少ない。


したがって、「外国語に不安がある」、「海外旅行の手続きが分からない」、「手荷物の運搬がめんどう」、「自分で旅行プランをつくるのはめんどう」、「団体行動ができるので安心」、「 上げ膳据え膳の旅がしたい」、という向きにはパック旅行が向いている。


しかし個人旅行には、こうした欠点を埋めてなお余りある大きな魅力があり、それから得られる喜びや楽しみは計り知れないものがある。見方を変えれば、そうした欠点があるからこそ、それをカバ−できれば予想外の様々な体験ができるのであって、そこから生まれる喜びもまた格別のものとなるのである。


だからこそ、個人旅行が多くの人々を魅了し、好奇心旺盛な旅行者の間に普及しつゝあるのである。今後、海外旅行リピ−タ−の増加、旅行社・航空会社サイドからの格安航空券や旅行情報の豊富な提供、それに加えて英会話を容易にするオ−ラル・イングリッシュ教育の普及や所得収入の増大とあいまって、ますます個人旅行熱は高まっていくであろう。








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