写真を中心にした簡略版はこちら→ 「地球の旅(ブログ版)」





     N0.




(10 日 間)

  ゴンドラのベニスと国境の港町トリエステ~イタリア
 ヨーロッパ最大のボストイナ鍾乳洞とアルプスの瞳ブレッド湖~スロベニア
森と湖のプリトヴィッツェ湖群と城塞都市ドブロヴニク~クロアチア
第一次世界大戦発端の地サラエボ~ボスニア・ヘルチェゴヴィナ
                 

(2008年5月15日~5月24日)




イタリア・スロベニア・クロアチア・ボスニア旅行日程
日付 日数 ル - ト 泊数 タイムテ-ブル・内容
2008年
/15(木)
 関空 → イスタンブール(乗り継ぎ) 
機内 22:30関空発 →                  
     
16(金)  イスタンブール→ベニス→トリエステ ベニス着12:05 
17(土)  トリエステ~ボストイナ~ブレッド湖~
 リュブリャナ
ボストイナ鍾乳洞観光
ブレッド湖観光 
18(日)  リュブリャナ → ザグレブ リュブリャナ市内観光、ザグレブ市内観光
19(月)  ザグレブ → プリトヴィッツェ プリトヴィッツェ湖群観光   
20(火)  プリトヴィッツェ~シベニク~トロギール
 ~スプリット
シベニク市内観光
トロギール市内観光
21(水)  スプリット → ドブロヴニク  スプリット市内観光  
22(木)   8  ドブロヴニク ドブロヴニク市内観光
23(金)  ドブロヴニク → サラエボ→
 イスタンブール → 関空
機内 サラエボ市内観光、午後イスタンブールへ
24(土) 10  関空着 16:55関空着


旅のコース








イタリア編



バルカン半島の旅
さあ、待ちに待ったバルカン半島の旅が始まる。この半島はヨーロッパの東南部にあって、トルコのヨーロッパ部分、ギリシア、アルバニア、ブルガリア、そして旧ユーゴスラビアの大部分(マケドニア、セルビア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ)からなる地域とされる。


この地域には古代から様々な民族が入り込む一方、東ローマ帝国、オスマン帝国、オーストリア・ハンガリー帝国といった多民族国家の時代が長かったことから諸民族が混在していた。このため、西欧から単一民族による国民国家の概念がもたらされると、たちまち諸民族同士の争いが勃発し、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれることになる。


第一次世界大戦勃発の原因はバルカン半島の民族問題にあり、現代においてもボスニア・ヘルツェゴビナ内戦やコソボ紛争など宗教・民族問題を多く抱えている。2008年2月17日にコソボが独立を宣言したことで、今後バルカン半島の国境に変化が起こる可能性がある。


こんな流動的で多民族が混在し、絶え間ない紛争の歴史に彩られてきたバルカン半島だが、今度の旅はこの地域に位置するクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、そして隣接するスロベニアなど3ヶ国をめぐるものである。


この地域へのアクセスは幾つかのルートがあるが、今度の旅はイタリア経由で入るというユニークで興味深いルートである。ヨーロッパの火薬庫と呼ばれながらも、それとは裏腹に、この地域には美しい湖や大規模な鍾乳洞、それに世界遺産に登録されたローマ時代の古代都市の町並みが幾つも残っているなど、珠玉の観光名所を抱えている。その美しい自然美と古都が織り成す風景が近年、日本人の心をとらえて大人気となり、日本から多くの観光客が繰り出す状況となっている。


こうした流れに乗って私も旅に出かけたわけだが、民族紛争の裏にどんな素顔を見せてくれるのか、そしてどんな自然、風土、町並み、人情、食べ物などに出会い、触れ合えるのか、その興味は尽きないものがある。さあ、「旅の宝石箱」を開いてみよう。


イスタンブールへ
夜景に映える関西空港を飛び立ったのは定刻の22時30分。満席の乗客を乗せたトルコ航空47便は一路イスタンブールへ向けて飛行する。これから13時間の長~い空の旅が始まる。いつも思うのだが、この飛行時間中の快適な過ごし方はないものか。もしその解決策が開発されたらノーベル賞ものに違いない。だが、それができない現状では限られた自己対策でやり過ごすしかない。


フライトマップを見ていると、機は日本海を渡り、朝鮮半島にさしかかっている。機内では飲み物と食事の配膳が始まっている。遅い夜食もいいところだが、とにかくパスタをもらってお腹を満たす。


隣席にはたまたま他のツアーグループの添乗員さんが乗り合わせ、しばらく四方山話に花を咲かせる。トルコ周遊10日間の旅だそうだが、帰国便もわれわれと同じとのこと。それぞれトルコとバルカン半島に分かれて旅するわけだが、果たしてどんな旅のみやげ話を持ち帰るのだろう。お互い素敵な旅になることを祈るばかりだ。


機は朝鮮半島を横切りながら中国大陸に入り、北京上空を抜けてユーラシア大陸の中央部を横断飛行する。途中、うとうとしながらフライトマップに目を落とすが、なかなか飛行が進行しない。ようやく10時間が過ぎたころ、地図上にはカスピ海が現れ、やがて黒海上空に入る。目指すイスタンブールは指呼の距離に近づいたようだ。


朝食の時間が来て機内はライトアップされ、配膳が始まる。食事が終わって一段落すると、機は高度を下げ始め、いよいよ着陸態勢に入る。これでようやく狭い空間から開放されるのかと思うと、心も踊り晴れ晴れした気分になる。やがて、どす~んとした振動が伝わり、快晴のイスタンブール・アタチュルク空港に到着である。早朝5時半のことで、定刻の着陸。気温13℃と快適な朝である。


5時間待ちの乗り継ぎ
ここからさらに最終目的地ベニスへ飛ぶのでまだ気が抜けない。この空港に立ち寄ったのは9年ぶりのことで、トルコ旅行のことが懐かしく思い出される。それはさておき、ここで5時間の乗り継ぎ待ち時間をどう過ごすかだ。別に妙手があるわけではないので、ただひたすら待つしか術はない。ここのロビーは珍しく木のフローアーでできていて、なかなか足ざわりの感触がよい。


免税店が並ぶ出発ロビーの様子。木製のフロアーが足に優しく心地よい。


高いトルコアイスクリーム
フロアーには免税店や食堂街が並び、買い物客で賑わっている。その中にアイスクリームを売っている店を発見。早速、値段を尋ねてみる。このフロアーではユーロが使えるのだが、小額紙幣がないので米ドルで支払おうと尋ねるとOKという返事。値段は1カップ3ドルという。1カップの分量を見せてもらうと、小さな1スクイの量でお話にならない。そこで仕方なく2カップを盛ってもらう。これで6ドルもするのだからバカ高い話だ。これだと150円で十分と思えるのだが・・・。


バニラを注文すると小さな紙コップに2スクイ分を入れてくれるのだが、それでも量が少ないため底に沈んで見える。やっとゲットしてイスに腰掛け、楽しみの一口を味わってみる。おや? スプーンですくって食べようとすると、ゴムのように伸びて千切れない。それに食感が変だぞ! なんだかモチモチしてゴムを食べているようだ。これはまず~い! 何としたことだ!! 6ドルもはたいて買ったのに、これでは救われない。帰国して調べてみると、これがトルコのアイスクリームの特徴だとかで、「マラシュドンドルマ」と言うのだそうだ。二度と口にしないことを心に誓う。アイスクリームが大好物の私にとって、はなはだ残念なことである。


後味の悪い思いをしながら空いているベンチを探し、そこに座り込んでシェービングを始める。その後はひたすら居眠りをこぎながら時を過ごす。ようやく搭乗の時間となり、搭乗ゲートへ向かう。その前にトイレ用の小銭のためにミネラル水1本(1.6ユーロ)を10ユーロ札で購入し、つり銭を1ユーロコインでもらう。これで準備OKだ。


ペコちゃん
ゲートの待合室に行くとベンチは乗客でいっぱい。やっと空席を探して座り込む。周りは外国人で、しばらく彼らの会話を観察していると、どうもロシア語のようだ。そこで隣の女性に「ロシアの方ですか?」と尋ねてみると、そのとおりだと言う。そこで昔覚えたロシア語で「ズドラーストヴィッチェ!(こんにちは)」と挨拶を交わす。


驚いた様子を見せる彼女に「ロシアはどこから来たのですか?」と尋ねると、「サンクトペテルブルクです。」と言う。懐かしい思いに昔、訪れた時のことなどを話し始めると、それ以上の英語が理解できないらしい。そこで向かいの席の女性が通訳している。彼女は結構英語が話せるのだ。聞くところによると、男女7人のグループで同じ職場の同僚たちとイタリア旅行に出かけているところだと言う。


ふと彼女のシャツに目をやると、なんと不二家のキャラクター“ペコちゃん”が大きくプリントされているではないか! なんとロシア人がペコちゃんのTシャツを~! これには驚いてしまう。思わず「ペコちゃん!」と指差しながら叫ぶと、周囲の仲間たちは皆で大笑いしている。どうしてロシアでこれがウケているのか? そこでいろいろ尋ねてみると、人気のあるTシャツだという。それが何なのか知らないままで着ているのだろう。









 ペコちゃんのTシャツを着た
 ロシア人女性
















そこで記念に写真を撮らせてほしいと申し出ると、恥ずかしがって首を横に振っている。それは「日本で有名な菓子屋のキャラクターなんですよ。」と教えたりしながらしばらく話していると、撮影OKの承諾が出る。こうして撮った写真が次の1枚である。彼女は新婚1年目だそうで、まだ子供はいないと言う。子供2人が欲しいそうだが、隣席の独身女性は「私は4人が欲しいわ。」と言って皆を笑わせる。


ベニスへ
こうして談笑している間に予定の出発時刻が来たのだが、なかなか搭乗の案内が出ない。半時間ほど遅れてやっと搭乗開始したのだが離陸に手間取り、ベニスのマルコポーロ空港に到着したのは40分遅れの午後1時前である。関空を出発してから実に20時間後のことである。イスタンブールから、わずか1時間半の飛行だが、一応国際線なので軽い機内食のサービスがある。


ここベニスは実に14年ぶりの再訪だが、空から入るのは初めてのことである。眼下に懐かしいレンガ色の屋根屋根が見え、ヨーロッパに来たという実感がわいてくる。着陸態勢に入ると、写真を撮ったり、動画を撮ったりと、なかなか忙しい。これで撮り終わりだと思ってカメラをバッグにしまい込んだ途端、サンマルコ広場が見え、貴重な撮影チャンスを見事に逸してしまう。う~ん、残念!


(動画)ベニス上空にさしかかる。一直線に長く伸びる橋が本土とベニス本島を結ぶ唯
    一の橋、「リベルタ橋」。





ベニスの町並みが見えてきた


ベニス・マルコポーロ空港

ベニスのこと
日本人にはつとに有名な町である。アドリア海の最深部、ヴェネツィア湾にできた「ラグーナ(潟)」の上に築かれた水の都である。中世にはヴェネツィア共和国の首都として盛えた都市で、「アドリア海の女王」「水の都」「アドリア海の真珠」など、数々の名声を我がものにしてきた。英語読みで「ベニス」、イタリア語読みでは「ヴェネツィア」となる。


本島全体が177もある運河によって分けられた小さな島々からできており、これらを400の橋が結んでいる。町には運河が縦横に走り、迷路のように入り組んだ路地や通りには自動車は入れず、橋も歩行者専用となっている。何世紀もの間市内の輸送をになったのはゴンドラであった。今は水上バスやフェリーボートが市民や貨物を運んでいるが、ゴンドラも観光に利用されている。人口約20万の町である。


現地に住むガイドさんの話では、ベニスの街内に車両が入れないため物資の輸送がすべて人力となり、それがコスト高となって物価が高く、生活しにくいという。そのため自分は車で隣町のデパートなどに買い物に出かけてしのいでいると言う。ベニスは観光の街ではあっても庶民が住むのには不向きということなのだろう。


4時間のベニス滞在
空港に降り立つと、シャツ1枚でも汗ばむほどの陽気である。出入国カードなどの作成は不要で、ただパスポートチェックを受けて入国し、荷物を受け取ると税関はフリーパスである。到着ロビーに出ると日本語ペラペラの現地ガイド嬢の出迎えを受けて、早速ボート乗り場へ移動開始である。彼女は現地大学で日本語を専攻し、その後大阪の枚方でホームステイをしながら留学生活を送ったという。ユーロへの両替は、すでに関西空港で済ませているので、ここでは必要なし。


しばらく走るとチェックポイントにさしかかる。ここで「入都税」を支払うという。これは一定地域に車で入る場合に支払う税金だそうで、イタリアではフィレンツェやローマなどでも課税されるそうだ。日帰りか宿泊するかによって支払額が異なるらしく、日帰りの場合で100ユーロ程度となるらしい。金額は地域によって異なるそうだが、これは要するに多くの観光客が押し寄せる地域では、ゴミ処理や施設などにかかる特別費用の一部を訪問客に負担してもらおうとの趣旨らしい。


「入都税」を払う納税事務所

支払いを済ませてしばらく走ると、リベルタ橋にさしかかる。長い一直線の橋だが、これが本土とベニス本島を結ぶ唯一の車道で、この他には鉄道があるのみである。


長いリベルタ橋を渡ってベニス本島へ

ここを渡った所に駐車場があり、そこで車を乗り捨てて渡し舟のトラゲットでサン・マルコ広場へ移動する。ここはトラゲット乗り場になっており、広場には多数の土産品店が軒を連ねている。そこで10分の休憩を利用して土産品店を物色してみるが、好みの品は何一つ見当たらない。ここのトイレは有料で1ユーロもかかるのだが、これも入都税がらみの料金なのだろう。


トラゲット乗り場の広場に並ぶみやげ品店


みやげ品店にはカーニバルの仮面が並ぶ(毎年2月前後に行われること
で有名)

一行30名はチャーターされた小型ボートのトラゲットに乗ってサン・マルコ広場へ向かう。デッキに立つと渡る潮風が心地よいが、かなりの強風で吹き飛ばされそうだ。ボートが進むにつれ、14年前に見た懐かしい風景が見えてくる。その折は水上バスのヴァポレットで運河を通りながらサン・マルコへ渡ったのだが、今度は沖合いのコースを通ることになる。



 サン・マルコ広場へ向かう途中の風景




やがてドゥカーレ宮殿の美しいアーチの回廊が見えてくると、そろそろ到着である。30分ほどかかって宮殿前の桟橋に到着。


サン・マルコ広場が見えてきた。高い塔は高さ100mの鐘楼。

上陸すると、どこもかしこも多くの観光客であふれてる。なるほど、連日この多さでは入都税がかかるのもうなずけるわけだ。

小広場へ通じる海岸は人の波


ドゥカーレ宮殿
人波をかき分けながら現地ガイドに案内されてドゥカーレ宮殿へ。ここは二度目の入場だが、以前に撮影できなかった多くの箇所を写真に収めようと努める。ただし、宮殿の一部は撮影禁止となっているので全貌は撮れないままである。


この宮殿は8世紀に創建され、総督邸兼政庁だった建物。入口を入って中庭に出ると、美しいアーチが並ぶ回廊が庭を囲んでいる。その先を見上げると、隣接するサン・マルコ大聖堂の4つのドームが立ち塞がるように建っている。


ドゥカーレ宮殿の中庭


美しいアーチ型回廊が宮殿中庭を囲む

中庭から宮殿内に入り、金色に輝く「黄金の階段」を上って行く。見上げるアーチ型の天井は大理石装飾で、金箔と彫刻が施された豪華絢爛たるものである。写真撮影ができるのはここまでで、その奥の各部屋は禁止となっている。


金色に輝く「黄金の階段」


天井の装飾は豪華絢爛

内部はかつての大統領官邸、国会議事堂、裁判所といった各部屋があり、武器庫や監獄まで備わっている。中でも目を引くのが「大議会の間」で、広大なスペースの正面壁面には世界最大の油絵とされる「天国」が見られる。また天井画も見事で、部屋全体が絢爛たる雰囲気をたたえている。


ため息橋
重厚な装飾の部屋部屋を解説案内を受けながら回って行く。一通り見物し終わると、宮殿の尋問室から“ため息橋”を渡って薄暗い牢獄の建物へ移動する。厳しい取り調べを受けた囚人が投獄されるわけだが、牢獄へ向かう途中、この橋を渡りながら最後の見納めにこの小さな窓から外の景色を眺めて、ため息をついたという。そのことから“ため息橋”の名が付けられている。


ため息橋の小窓からのぞく


狭い「ため息橋」の通路


囚人になったつもりで小窓の隙間からバリア橋を眺める

この橋は大理石でできており、普通の橋のように露天ではなく、全体が完全に覆われて建物のようになった特異な橋である。現在ではこれがベニスの観光名所の一つとなっており、宮殿の海側にあるバリア橋が、ため息橋を眺める有名スポットとなっている。


有名スポットのバリア橋から眺めた「ため息橋」

地元の言い伝えでは、恋人同士がこの橋の下で日没時にゴンドラに乗ってキスをすると永遠の愛が約束されるのだという。このためか、橋の下の水路は、ゴンドラでヴェネツィアを観光する時の定番コースとなっている。

サン・マルコ広場
外に出ると、目の前にはベニスの中心となるサン・マルコ広場が広がっている。美しい回廊のある建物に囲まれた長方形の広場だが、今日は多くの観光客で埋まっている。この片隅には高さ100mの鐘楼が建っている。







 サン・マルコ広場の賑わい



 左側がサン・マルコ寺院、右側がドゥカーレ宮殿。




一方の端にドゥカーレ宮殿やサン・マルコ寺院が建っており、広場はこの前からL字型に曲がって海側に面した小広場が続いている。ここにはサン・マルコの獅子の彫像と聖テオドーロの彫像が載った2本の柱が立っている。中世にはこの柱の間に死刑執行台が置かれていたことから、ヴェネツィアっ子は柱の間を通り抜けないという。


小広場に建つ2本の柱。左が獅子像。

広場の一角には工事用のフェンスが設けられ、素敵な広場の視界がさえぎられて残念である。名物の広場に群れるハトの姿は昔も今も変わらず、子供たちがハトと戯れる風景が何とも心なごませる。


海岸沿いの小広場を通り抜けていると、おやおや? 新郎新婦がこちらへ向かって歩いて来る。これから寺院で結婚式を挙げるのだろうか? うれしそうに寄り添いながら歩く2人に心からの祝福を贈りたい。花嫁姿は、いつどこで見ても新鮮で、幸せと希望に満ちた光景である。 


喜びあふれる新郎・新婦。お幸せに・・・。

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ベニスの高潮問題(アクア・アルタ)

地盤沈下が年に1mmほど進行するとされるヴェネツィアでは、近年このアクア・アルタ(高潮)で街が水没するという現象に悩まされている。これは特定の気圧配置・風・満潮が合わさって起きる高潮現象で、例外はあるが一般的には毎年10月~4月の間に見られるという。


同じ街でも地盤の高低によって水没状態が異なるそうで、ベニスで一番地盤が低いとされるサン・マルコ広場では、地面から90cmの冠水があったりするという。そうなると橋げたのような急ごしらえの通路が設けられて急場をしのぐことになる。市民は長靴、観光客はビニール長靴などで対応しているようだ。その様子は次のサイトの動画で見られる。⇒こちら 


この現象は近年、地球温暖化による世界的な海面水位の上昇ともあいまって、年々その回数も増える傾向にあるらしい。その最たるものは太平洋上に浮かぶ小国キリバスで、その国土は2050年には水没する危機にひんしている。

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(次ページへつづく・・・)











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