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(9 日 間)

世界三大宗教が複雑にからみ合う聖地エルサレム
嘆きの壁で祈る敬虔なユダヤ教信徒
エメラルドグリーンに輝く死海西岸


(2010年5月22日~5月30日)



旅のコース





イスラエル旅行日程
日付 日数 ル - ト 泊数 タイムテ-ブル・内容
2010年
/22
(土)
 成 田 → ソウル         ソウル → テルアビブ 機内
12:55発 → 15:20着                  16:45発 →  22:15着         
     
23(日)  テルアビブ→カイザリア→
 メギド →アッコー →ハイファ
水道橋、円形劇場、聖ヨハネ騎士団の要塞跡
24(月)  ハイファ →ナザレ→カナ→
 タブハ→カペナウム→ガリラヤ
 湖畔
バハイ教寺院、受胎告知教会、聖ヨセフ教会、婚礼教会、パンと魚の奇跡の教会、 
25(火)  ガリラヤ湖畔→ゴラン高原→
 エルサレム
山上の垂訓教会、ゴラン高原ワイナリー、バニアス
遺跡
26(水)  エルサレム    エルサレム市内観光、嘆きの壁、岩のドーム、嘆き
の壁トンネルツアー、ヴィア・ドロローサ、聖墳墓教会、最後の晩餐の部屋、ダビデ王の墓、   
27(木)  エルサレム→エンカレム→
 ベツレヘム→エルサレム
洗礼者ヨハネ誕生の教会、死海写本館、ヤド・ヴァシェム(ホロコーストの歴史)、キリスト生誕教会
28(金)  エルサレム→クムラン→エン・
 ボケック
オリーブ山、ゲッセマネの園、万国民の教会、クムラン、死海浮遊体験 
29(土)   8  エン・ボケック→エリコ→
 ヤッフォ →テルアビブ
機内 マサダ→ロトの妻の塩柱、エリコ、ヤッフォ旧市街 
30(日)  テルアビブ→ソウル→福岡 00:30発 → 16:50着
18:30発 → 19:50着
 ユーラシア旅行社のツアーに参加



1.はじめに
紛争の絶えない中東の危険地帯ではあるが、世界三大宗教の聖地でもあるエルサレムは、私にとって興味津々というところで、一度は訪ねてみたい国であった。だが、自爆テロの横行やミサイル攻撃がなされる危険地帯でもあるし、交通至便の国柄でもなさそうなので、今回もツアー参加と決め込んだ。


私は仏教徒だが、キリシタンでなじみの深い長崎に住むだけに、キリスト教については昔から縁の深いものであった。半端な知識ながらもキリストが生まれた場所(小屋or洞窟)がどこにあるのか、またイエス・キリストが十字架にかけられたゴルゴダの丘が本当にあるのかなど興味は尽きず、この目でそれを確かめてみたい衝動に駆られた。


問題はイスラエル入出国の際に、パスポートにスタンプを押印されると、周辺の敵対関係国への入国が拒否される場合があるということ。そこで留意すべきは、スタンプ押印を避けてもらうこと。これ以外には特別の配慮は不要であった。


また、今度の旅行は飛行ルートが韓国ソウル経由となるので、長崎に住む私の場合、成田まで出ずに福岡⇒ソウルと飛行し、ソウルまたは現地で合流すればロスが生じない。帰路便もソウル⇒福岡にすれば、これもロスが生じない。というわけで、この予定を考えたが、どちらかの出発便がトラブルで遅延or欠航にでもなれば、ツアーに合流できなる可能性があるとのアドバイスが旅行社よりあり、そこで出発便だけは成田から一緒に出発することにした。


さらに旅行の時季だが、現地の気温を考えて4月を目標にしたが、諸種の事情で5月にせざるを得なかった。やはり現地は気温30℃前後と、少々暑い時季であった。


とにかく、こうして準備も整い、無事出発の日を迎えることになった。現地の治安が心配ながらも、どんな旅の展開になるのか期待に胸をふくらませながら、聖地イスラエルの旅は始まった。


2.イスラエル最大の都市・テルアビブへ 
集合時間は2010年5月22日午前10時55分。前泊した成田のホテルを早目に出て第一ターミナルへ。そこのラウンジへ飛び込んで、まずはパソコンから出発メールを家族へ送る。それを済ませて4階の集合場所へ行ってみると、すでに参加メンバーは搭乗のチェックインを済ませている模様。


成田空港第1ターミナル4階の出発ロビー

そこで航空券をもらって急ぎ大韓航空のカウンターへ。通路側席の希望を述べると、ソウルまでは取れるが、そこからテルアビブまではすでに満席状態でふさがっており、中席しかないという。仕方なく、3人掛け座席の中席を取ってもらう。


チェックインを終えて再集合の時間に行ってみると、そこで参加者全員が初めて顔を合わせる。参加者11名に添乗員さん1名(男性)の総勢12名である。家族的な雰囲気がただようこぢんまりとしたグループである。その後はセキュリティチェックを受け、出国手続きを済ませて搭乗口へ。


まずはソウルへ
搭乗の大韓航空ボーイング777-300機は出発予定時刻より約30分遅れの13時25分、快晴の成田空港を離陸してまずは中継地点のソウルへ向かう。土曜とあってか機内は満席状態で、隣席には土・日の連休を利用してソウルへ遊びに出かけるというOL3人組が乗り合わせている。会社の同僚だそうで、ショッピングとグルメを楽しむという。


間もなく昼食のサービスがあり、食後の一息をついていると、やがて着陸態勢に入る。機は2時間と少しでソウルの空の玄関口・仁川(インチョン)国際空港へ到着。外は小雨模様だ。何度となく世界ベスト空港に選ばれているだけあって、なかなかしゃれた快適空間のある空港である。ここでテルアビブ行き便へ乗り継ぎ、イスラエルへ長い空の旅が始まるわけだ。


世界ベスト空港の誉れ高い韓国ソウル・インチョン国際空港ロビー


テルアビブへ
再度セキュリティチェックを受けて搭乗ゲートへ。わずか50分という理想的な乗り継ぎ待ち時間で、間もなく搭乗が始まる。満席の乗客を乗せたボーイング747-400機(2階もあるジャンボ機)は16時45分、小雨降るインチョン空港を離陸、一路中東のイスラエル国テルアビブへ向けて飛行する。


ここから3人掛け座席の真ん中席と動きづらい空の旅になる。隣席はどんな乗客なのか気になるところだが、いざ座ってみると左右の隣席はどうもイスラエル人男性のようだ。そして彼らは中席の私を挟んで会話を始めている。そこで私は早速、通路側の男性に「あなた方はお友達なんですか? それなら私と席を変更してもらえませんか?」と提案してみる。すると、「OK.ノープロブレム.」と通路側の男性が快く応じてくれ、私は通路側へ移動する。こうしてラッキーにも、通路側席で過ごせることになる。


この機はジャンボ機というのに、各シートにモニターテレビの装備がなく、前面に共通の大画面テレビがあるのみである。だから各自好みのチャンネルが見られず、ゲームなども遊べない。その上、フライトマップも見られないから、機が今どこを飛行中なのか皆目分からないのである。こうして乗客にとっては暗中模索の飛行となる。今日、テレビ付きでないのは珍しいだけに、この機は古い型なのだろうか?


そんなことを考えていると、やがて夕食の配膳が始まる。ソウル便で出された食事からあまり間がないため、まだ空腹感がない。だが、とにかくお腹に押し込んでいなければ・・・。デザートにコーヒーを飲んでいると、お腹は満腹となる。


食事が一段落したところで、隣席の男性に話しかけてみる。
「あなたはイスラエル人ですか?」
「えゝ、そうですよ。」
「ソウルへはお仕事ですか、それとも休日をお過ごしですか?」
「仕事なんです。ソウルで開かれた会議に出席したんです。」
「どんな関係の仕事なんですか?」
「ハイテク関連で、イスラエル・インテルに勤めています。それでアメリカや世界各地によく出かけます。先年は東京にも仕事で行きましたよ。」


これ幸いに、こうして次々とイスラエルのことについて質問を浴びせる。その都度、彼は丁寧に応答してくれる。イスラエルの経済は先年の経済危機からいち早く立ち直り良好な状態にある、イスラエルの主要産業はダイヤモンドとハイテク産業であること、自分の家族は子供3人だが、子供3~4人の家族が多い、人気スポーツはサッカー、バスケットボールなど、コーシェルの食事戒律があるが、自分はあまり守らず何でも食べている、食事はチキンが主で、ビーフ、ライス(カレーなどで食べる)、魚、野菜(トマト、キュウリ、キャベツなど)など、米はどこから輸入しているのら知らない、隣接国への国境通過はヨルダン、エジプトのみが開門され、敵対国のレバノン、シリアへの越境は不可、などなど、いろいろ話をしてくれる。


テルアビブ到着
あとは静かに眠るだけで長い空の旅を過ごすしかない。途中、深夜におにぎりのおやつと朝食のサービスがある。朝食が終わると、やがて高度を徐々に下げ、テルアビブに向かって着陸態勢に入る。そしてスムーズなランディングで予定どおり22時15分、ベングリオン国際空港(空港名は初代首相で建国の父でもあるダビッド・ベン・グリオンにちなんでいる)に到着。


これで12時間近くの空の旅から解放され、やっとのことで聖地イスラエルの地を踏むことになる。ここで日本との時差マイナス6時間の調整を行い、現地時間に移行する。昼間は30℃前後の気温予報が出ていたが、夜だけに気温はそれほど高くはなく、爽やかな感じである。


この空港では38年前の1972年5月30日、日本赤軍(岡本公三ら3名)による無差別乱射テロ事件があり、死者26人、重軽傷の負傷者73人が出た。今では遠い過去の事件ながら、因縁深い空港に降り立ったわけである。


ここでイスラエルのことについてまとめておこう。
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≪イスラエル国のこと≫
イスラエル国は地中海に面した中東の国で人口619万人、国土面積20,770k㎡(四国より少し大きい)。 国土の60%は岩などの荒野などになっている。一番高い山は北端にあるヘルモン山で標高2814m、雪も積もる。一番低いところは死海で海面下400mとなっており、国土は起伏の激しい土地柄となっている。


公用語はヘブライ語、アラビア語で、英語も広く通じる。


宗教はユダヤ教(76.8%)、イスラム教(15.5%)、キリスト教(1.7%)、ドルーズ(1.6%)。民族はユダヤ人(約76%)、アラブ人その他(約24%)。


北部でレバノンおよびシリア、東部でヨルダン、南西部でエジプトとそれぞれ国境を接している。


現代のイスラエルはヨーロッパにおけるシオニズム運動を経てユダヤ人により建国された。建国の経緯からパレスチナ人およびアラブ諸国との間にパレスチナ問題を抱えている。


今でも世界100ヶ国からユダヤ系民族が帰還しているという。90年代のソ連崩壊で100万人のロシア系ユダヤ人が帰還したため一気に人口が増加した。10年5月現在での人口は740万人となっている。このうちの75%(550万人)ほどがユダヤ人で、この他イスラエルの市民権を持ったパレスチナアラブ人21%(150万人)が住んでいる。ガザや西岸地区のパレスチナ人は市民権を持っていない。


ロシア系やフランス系のユダヤ人も多く在住しており、ロシア語やフランス語も飛び交っていて、表示もロシア語になっている場合もある。そんな環境のため、住民のみんなが3ヶ国語を話すのは普通となっている。


また、同国はエルサレムを首都であると主張しているが、国際的には認められておらず、諸外国はテルアビブをイスラエルの首都とみなしている。ただし、現段階ではエルサレムは同国の事実上の首都となっている。


<歴史>
ユダヤ民族の歴史は聖書の創世記に始まる。紀元前10世紀、古代王国が栄えるが、やがて王国は北と南に分裂し、それぞれアッシリアと新バビロニアに滅ぼされる。その後、ギリシャ、ローマの勢力下におかれ、最終的にローマの圧政に反乱を起こすが、鎮圧されて古代ユダヤ史は幕を閉じる。


以後2千年近くにわたりユダヤ民族は世界各地に離散。19世紀末欧州で勃興した反ユダヤ主義を契機としてシオニズム運動が起こり、20世紀初頭よりユダヤ人のパレスチナ移住が増大。1947年国連総会はパレスチナをアラブ国家とユダヤ国家に分裂する決議を採択、イスラエルはこれを受け入れ1948年独立を宣言した。


1948年、56年、67年、73年と4次にわたる周辺諸国との中東戦争を経て79年にエジプトと平和条約を締結、94年にはヨルダンと平和条約を締結。パレスチナ解放機構(PLO)とは、93年に相互承認を行い、暫定自治原則宣言(オスロ合意)に署名。その後、暫定合意に従い、イスラエルは西岸・ガザの主要都市から撤退し、代わってパレスチナ暫定自治政府による自治が実施されている。


<ユダヤ教>
ユダヤ教は大きく超正統派、正統派、改革派の3つに分けられる。超正統派、正統派は律法の字句に忠実な生活を心がけている。改革派は律法の字句にこだわらず、現代に合わせた生活をしている。⇒正統派の写真


超正統派の男性は夏も冬も黒のスーツに黒のシルクハットをかぶり、もみあげを切らず、ひげも伸ばしている。超正統派の人々はエルサレムに集中して居住しており、エルサレムの人口の約30%を占める。特定のエリアに共存している。生活は政府の援助によってまかなわれ、仕事をもたず、日々トーラー(経典)を読み、祈りに明け暮れている。子供たちはイエシバ(神学校)で勉強し、兵役を免除されている。正統派の男性は頭頂部にキッパという小さな帽子をかぶっている。


礼拝はシャバット、安息日(金曜日没から土曜日没)に行なわれる。安息日には一切の労働が禁じられている。ボタンを押して機械類を動かすことも労働としてみなされ禁じられている。車の運転はもちろん禁じられている。公共の交通機関も例外を除いて全て止まる。


ユダヤ教の食生活・・・コーシェル
コーシェル3ヶ条
1.肉はひづめが分かれていて、反芻するもののみ
  良い:牛、羊、山羊、しか、鳥
  悪い:豚、兎、らくだ
2.水に住む生物のうちひれと鱗のあるもののみ
  良い:魚類
  悪い:えび、たこ、貝類、鰻
3.肉と乳製品を一緒に食べてはならない

豚が食べられないということでハムやソーセージは鳥肉や牛肉で作られる。また食べられる肉も厳格なガイドラインのもとに屠殺されたものでなければならない。コシェルのレストランにはチーズバーガーやハムののったピザといったものは存在しない。敬虔な人は食後のコーヒーもミルクを入れずに飲む。


<キブツ>
ロシアのコルホーズ、中国の人民公社のように、イスラエルの象徴的な存在となっているのがキブツで、「集団農場」などと訳されている。これが最初にできたのが100年前の1910年で、最初はロシア系のユダヤ人女性5人と男性2人の7人で始められたもので完全な社会主義共同体を目指すためにつくられたという。


つまり大家族主義で、皆が協力し助け合って生活することを目的としている。日々の育児、教育、仕事、住居などを各自個別に行うのでは大変なので、これらを共同で助け合い、分担して生活しようというのが狙いである。共有財産、平等を追求するものである。最初のキブツが成功し、その後276ヶ所まで国内に広がったという。


キブツに所属すると、男女とも1日8時間労働が義務付けられ、乳幼児など子供は専門の係に預けられて面倒が見られる。キブツ内に保育園、小学校、高校まであって、保母や教師がそれぞれの教育にあたり、子供たちは別個に集団生活を行っていて、週末になれば親元に戻るという。現在は親元で一緒に暮らすようになっているという。大学へはキブツから送り出されて面倒がみられるという。遠い大学の場合は家を借りて与えられ、生活費、学費もキブツが負担するという。


食事は食堂に行けば1日3回自由に食べられ、クリーニングなどは出しておけばクリーニングされて返ってくるという。毎週1回、映画館が開かれて映画が上映され、5年に1回ぐらいは家族旅行の割り当てがあるという。キブツ所有の車もあり、希望時間を申し出ていると自由に使える。


労働は65歳まで義務付けられ、それが終わると引退生活になる。病気などは診療所があって治療を受けることができる。死亡すればキブツ内にある墓地に葬られる。つまり生まれた時から死ぬまで面倒をみてもらえるという。


以上の様子は以前までのキブツで、近年になってからは様子が変わり、社会主義共同体が維持できず、ほとんどのキブツが資本主義制度を採用するようになったという。徴兵でキブツ外に出た若者たちは外部社会の刺激に誘われて兵役が終わってもキブツに帰らない者が多くなったり、各種の資格を有する若者もキブツ内では資格が生かせず、そのため外部に出てしまう。こうして次第に労働力不足となり、キブツの存続が困難となってきたためらしい。


これまですべてが配給制だったのが、これが給与制になり、お金で物資を購入するようになったという。そして食堂、レストラン、ホテルなどを経営してビジネス活動も行うようになっているという。こうして100年経ったいま、これまでの社会主義体制だったキブツはなくなり、ほとんどのキブツがその中身は資本主義制へと変容してしまったという。ただ外形だけは、これまでどおりのキブツとして存在しているという。


<花の原種>
イスラエルは花の原種がもっとも多い国として有名で、約2500の原種があるという。2番目に多い国はイギリス、3番目がオランダとなっている。花の咲く時期は3月ごろで、きれいな花が見られる。


<季節>
イスラエルは2季節で、5月~10月までが夏(乾季)、11月~4月までが冬(雨季)となっている。乾季は雨が一滴も降らない。雨量が一番多い地域は北部のガリラヤ地方で年間雨量が1200mm、エルサレム600mm、死海は50mm、最南端になると26mmぐらいとなっている。250mm以下のところは砂漠地帯となっている。


<家族構成・年収・税金>
イスラエルの出生率は2.8人で一家族3人の子供がいるのが普通であり、両親を合わせた5人家族が標準世帯となっている。月収平均は24万円程度。統計局の調べによると、5人家族で不自由なく暮らすには月収39万円が必要とのこと。だから共働き家庭が多いという。


イスラエルの所得税は平均25%~35%の所得層が多い。高額収入者になれば50%の課税に達する。これに11%の国民年金と社会保険料が上乗せされるという。


消費税は16%で高く、食品以外はすべてこの税率がかかる。ホテルでの支払いは外貨(ドルorユーロ)やカードで支払うの賢明。現地通貨で支払うと消費税16%が課税されてしまう。ユダヤ人の商店で買い物した場合、総額110ドル以上になれば消費税の還付がある。還付金は空港で出国した後のフロアーに還付場所がある。


家賃は3LDKで12~13万円と高い。ローンで家屋を購入するケースもあるが、ローン地獄に陥る場合が多いという。食費は5人家族で約9万円。教育費は小学1年から高校1年までが義務教育で、中学・高校は同じ建物になっていて入学試験はなく、自動的に進学する。ただし、高校1年時終了時点で卒業試験があり、これにパスしないと卒業できないという。


兵役は高校3年を終わった時点で男子は3年間、女子は2年間義務付けられている。この兵役が終わってはじめて大学進学となる。大学の学費は年間45万~50万円で、学生には重い負担になるという。


<車>
国内には約250万台の自動車があり、新車の60%が日本車でマツダが一番多く、次いでトヨタとなっている。新車は課税100%がかるので本体価格の2倍と高くなる。トヨタカローラで330万円もするという。車検は毎年更新で費用がかかる。ガソリンは1リットル約250円と高い。


(政体)
共和制


(軍事力)
(1)兵役:男子3年、女子19-24ヶ月(更に予備役あり)


(2)兵力
  正規軍 17.7万人(陸軍13.3万人、海軍1万人、空軍3.4万人)
    (内訳:職業軍人約6万人、徴兵兵士約11.7万人)
  予備役 40.8万人(陸軍38万人、海軍3,500人、空軍2.45万人)

(3)主要装備:戦車3,510両、装甲戦闘車6,750両、水上艦艇57隻、
  潜水艦3隻、戦闘機(F-15、F-16)401機、攻撃ヘリコプター88機


(主要産業)
鉱工業(ダイヤモンド研磨加工、ハイテク関係、食品加工、繊維、ゴム、プラ
     スチック、薬品、機械、電子機器、カリ、臭素、燐鉱石等)、
農 業(柑橘類、野菜、穀物、酪農品等)


(貿易品目)
(1)輸出 ダイヤモンド、機械類、化学製品、農産品等
(2)輸入 自動車、機械類、光学・医療機器、化学製品等

<日本との関係>
(イ)対日輸入 自動車、一般機械、電気機器、化学品
(ロ)対日輸出 光学・医療機器、宝石・貴金属


<その他の注意事項>
・服装
イスラエルの観光は教会めぐりが多いが、教会に入る場合の服装は袖付きシャツ、胸元の開いていないもの、ズボンやスカートなどは膝がしらが隠れるものを着用する。違反すると内部に入れない場合がある。教会に入る場合は帽子を脱ぐ。


・写真撮影
基本的に教会内部など、観光地ならどこでも撮影はOK。フラッシュも問題なし。


・水
水道水は飲めるが、カルシュウム分の多い硬水なので、慣れない旅行者が多く飲むとお腹を壊す場合があるので、ミネラル水を飲用するのが無難。


・トイレのチップ
教会などのトイレではチップ入れの箱が置かれ、任意で入れることになっている。その場合、1シェケル(約25円)でOK。他の場所でもトイレチップが必要な場合は1シェケルを支払う。


・厳しいシェキュリティチェック
ベン・グリオン国際空港ではテロリスト流出入防止、もしくは本人が気づかないうちに利用されて危険物を所持していないか確認するため、出入国のセキュリティチェックを非常に厳しく行っている。出国時は特に厳しく、チェックインカウンター前のテーブルで係官がマンツーマンで質問する。

・入国証印・出国証印
一部のイスラム諸国(特にイスラエルと直接戦争している国)では、パスポートにイスラエルの出入国証印があると入国を拒否されることがあり、どうしても行きたい場合は基本的にパスポートの再発行しか方法がない。イスラエル入国時と同じパスポートでそういった国へ行く場合は、入国審査時に「No Stamp Please.」と申し出てパスポートに入国証印を押印されないようにすること。また、出国時も申し出ないと出国証印が押印されるので、同様に申し出る必要がある。ただし、申し出ても係官が勝手に出国証印を押してしまうことがあるので注意が必要だ。


≪テルアビブのこと≫
テルアビブはイスラエルの西側地中海に面する地域に位置し、人口600万のイスラエル最大の都市である。市中心部には報道、商業、政治などの主要機能が集中し、市内中心部の南東には国内最大のベン・グリオン国際空港がある。


20世紀初頭までは、古代都市ヤッフォに隣接する海沿いの砂丘にすぎなかったが、住みよい国を建国することに対するユダヤ人の情熱が、ここを開拓して大都会に仕立て上げたといわれている。この街の正式名称がテル・アビブ・ヤッフォとなっているのは、その経緯からである。


ハ・メディナ広場周辺の地域は白亜建造物が並ぶ計画都市で、白い都市として世界遺産に登録されている。また、地中海に面するエリアは欧米から多くの観光客が訪れ、ナイトクラブやバーが立ち並ぶ世界屈指のリゾート地となっている。

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入国審査
一行が集まったところで、入国審査へ向かう。審査ブースに並ぶ列は意外と少なく、順調に審査がはかどっている。いろいろ質問されるかもしれないというので、少し緊張気味である。それに「ノー・スタンプ」のお願いもしないといけないし、係官のご機嫌をそこねないようにしないといけない。


順番が来てブースへ進む。女性の係官である。パスポートを差し出しながら「エレヴ・トーブ、ノースタンプ ヴェバカシャ(こんばんは。ノースタンプでお願いします。)」とヘブライ語で言ってみた。どうにか通じたらしく、彼女は、にやりと笑って「グループですか?」と尋ねる。そこで「ケン(はい)」と答える。彼女はうなずきながら、パスポートサイズの別用紙にポンと入国スタンプを押し、それをわざわざかざして見せる。そこで「トダー ラバー(どうもありがとう)」と礼を述べて受け取る。


これで入国審査通過である。パスポートの表紙と裏表紙には、旅行社が用意してくれたノースタンプのお願いを書いたシールを貼り付けていたのだ。読んだかどうかは分からないが、別用紙に押してくれたので、ちゃんと当方の意向は通じたのだ。イスラエルは出入国カードや税関申告書の作成は不要なので助かる。

やれやれ、これで入国だと思って、すぐ隣接する荷物受け取り場へ移動する。その入口の所に女性の係官が立っていて、スタンプが押された別用紙を回収している。それを渡すとすぐに破り捨て、ゴミ箱に投入している。そんなことなら記念の写真を撮っておくべきだったと思い、後で係官にスタンプ用紙をもらえないかと頼んでみたが、「ノー」と首を振られるのみ。このことを知っていたら渡す前に撮影しておくのに・・・と思ったが後の祭り。

一行は皆、無事入国審査を通過し、荷物受け取り場で各自の荷物も受け取り、全員ロストバゲージもなく、出発準備OKである。ところが肝心の添乗員さんが待てど暮らせど審査から出てこない。事前に、「自分は半時間ぐらいはかかると思うので待っていてください」と予告はしていたのだが、それにしても時間がかかる。待つこと1時間超、やっと添乗員氏が姿を現す。なんでも、イエメンのスタンプでひっかかり、応答に時間がかかったらしい。神経をとがらすイスラエルの一面を見た思いがする。

ホテルへ
さあ、これで全員そろい、宿泊ホテルへ移動開始だ。すでに夜の11時半を過ぎている。ローマ遺跡風の大きな列柱が並ぶしょうしゃな到着ロビーに出ると、現地ガイドのS氏が出迎えている。

テルアビブ:ベン・グリオン国際空港到着ロビー


夜のベン・グリオン空港の風景

バスに乗車し、夜の街をヤッフォの海辺のホテルへ向かって移動する。空港から約30分の距離で、途中、ガイド氏からイスラエル観光についての一般的な注意事項が告げられる。


間もなくホテルに到着し、チェックイン。すでに深夜12時を過ぎている。部屋に入ると、すぐにシャワーを浴びて時差6時間を含め、長旅の疲れを癒やす。床に就いたのは深夜1時過ぎのこと。とうとうはるか遠くのイスラエルまでやって来た。こうしてイスラエル第一夜はヤッフォのやや古びたホテルのベッドで夢を結ぶことになる。


(次ページは「カイザリア、メギド、アッコ」編です。)










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