N0.3




ヒューストン駅で昼食
ここで1時間ほど過ごした後、いい気色になってストアハウスを後にする。再び赤バスに乗って、次はヒューストン駅に向かう。


ギネス・ストアハウス前に止まる市内観光バス。後方のバスが私が利用する赤バス。

ダブリンの街には、ヒューストン駅とコノリー駅の2つのターミナル駅があり、ヒューストンはダブリンの長距離列車が発着する中心駅で、アイルランドの西と南方面へ向かうインターシティが発着する。一方、コノリー駅はアイルランド北部、南東部、北西部へ向かう列車が発着する。この2つの駅は路面電車で結ばれている。


駅前で下車すると、目の前には石造りのどっしりした駅ビルが建っている。ここでは昼食と明後日のゴルウェー行きのチケットを買う2つの目的がある。駅舎内に入ると、わりと広いコンコースですっきりとした空間が広がっている。見回してみると、スナック類のショップしかないので、一軒の店で三角切りのトーストサンド(2切れ入り)とジュース1パック(合計5.15ユーロ=772円)を買って昼食とする。物価が高い。店頭のテーブルに座って行き交う人を眺めながらのんびり食事する。


どっしりした構えのヒューストン駅


明るく広いコンコース

一息つくと、チケットの購入だ。往復チケットを買いたいのだが、その有効期間がどうなっているのかを知りたい。そこで、駅案内所で尋ねてみると、1ヶ月間の有効という。それなら問題なしと、ホームの中に入った横手にあるチケット売り場でゴルウェーまでの往復チケットを購入。シニア割引はないのかと尋ねると、すべて一律料金だという。そこで往復料金40.5ユーロ(6075円)をクレジットカードで支払い、カードと同じサイズのチケットを受け取る。(片道切符だと29ユーロ=4350となるので往復切符がずいぶんお得)


駅のトイレをのぞいて見ると、ここは15ユーロセント(23円)の有料になっている。日本の習慣に慣れた者にとって、この有料トイレは抵抗感がある(陰の声:駅のトイレぐらい無料にせよと言いたい。)。小銭のコインが要るので、面倒なことこの上ない。


フェニックス公園(Phoenix Park)
駅を出て次はフェニックス公園へ向かう。この公園は都市型公園としては世界最大規模の1730エーカーという広さを誇るもので、ニューヨークのセントラルパークやロンドンのハイドパークの5倍もの大きさがあるという巨大公園である。この公園内にはアイルランド大統領官邸や警察本部、それにダブリン動物園がある。 この動物園は1830年に創立された世界でも3番目に古い動物園なのだそうだ。


そんなことを聞くと、この公園を一目は見ておかないと気がすまない。赤バスに乗ってヒューストン駅から橋を渡り、北へ進んでいると、おや? 珍しい騎馬警官の姿が見えるぞ! 婦人警官が馬に乗ってストリートを闊歩しているのだが、そのりりしい姿がカッコイイ。ここを通り抜けると、すぐに公園の入口にさしかかる。この公園を縦断するように一直線の道路が東西に貫通している。


颯爽とストリートを闊歩する婦人騎馬警官

バスは道路の両側に広がる果てしない緑の公園の中を切り開くようにしながら走り抜ける。車窓から眺めていても、その広さはとんと見当がつかない。この緑の芝生と樹木はよく管理されていて美しく、見事な緑陰をつくっている。この公園は公共事業局によって運営・管理されており、これまで10年間以上にわって10,000本以上に及ぶ木々を植え育ててきたという。


広大なフェニックス公園の中を道路が貫通する


広い広い・・・


よく手入れされた緑陰が美しい

いつの間にか雨はあがったようだが、いったいこの広い公園のどこでストップしてくれるのだろう? そう思っていると、かなり奥まで走ったところでUターンし、戻り始める。あれあれ? ここではストップ場所はないのかな?と疑問に思って眺めていると、ようやくストップする。様子をうかがっていると、どうも動物園前のようだ。動物園に行っても仕方ないので、ここはパスすることにし、次のストップ場所のオコンネル通りで下車することにする。


バスは公園を走り抜けると、Liffey川沿いに走りながらメインストリートのオコンネル通りへ向かう。車窓からは見慣れた川の風景が流れ、私の宿のあるストリートも見える。やがてオコンネル通りに入ったところでストップ。そこで下車すると、昨日撮り残したシーンを写真に収める。


オコンネル通り(O’Connell Street)  
このダブリン中心部のメインストリートは、リフィ川にかかるオコンネル橋を起点として北に延びる長さ500mほどのストリート。この通りの名は、19世紀初頭の国家主義者、ダニエル・オコンネルの名前からとられている。 この道路が他のどのストリートよりも歴史上重要な役割を果たしている。というのは、1916年の英国支配からの抵抗を謳ったH.パトリック・ピアーズの共和国宣言など、ダブリンのさまざまな歴史的事件はここで起きているのである。


このオコンネル・ストリートには3体の彫像があり、道路の北端にはアイルランド国王と呼ばれたチャールズ・ステュワート・パーネルの像が、南端には平和的にカトリック解放法成立を成し遂げたダニエル・オコンネルの彫像が立っている。そして中間には噴水つきの彫刻がある。今日、この通りはファーストフードから高級レストラン、小さなブティック、大きなデパートまであり、バラエティーに富んだ、活気に満ちたストリートとなっている。


ここで南端に立つオコンネルの立像を撮っておこう。そして、もう一つ気になるのがこの針のように細長い尖塔である。塔にしてはあまりにも細すぎるこの代物は、いったい何なのだろう? 到着した日から目に留まって気になっているところだ。調べてみると、これは「光のモニュメント」と呼ばれるものだそうで、ステンレス製で土台の直径が3メートル、高さ120m、先が10cmの円錐型で先端部分が光を発するそうだ。ロンドンの建築家イアン・リッチーの設計で2001年に着工、2003年1月に完成したという。ダブリンの新しいランドマークとして定着しつつあるそうだが、どんな光を放つのか夜しか分からないので見る機会を失ってしまう。









 オコンネルの立像






















 針のように細長いポールが「光のモニュ
 メント」














「Arlington Hotel」
このストリートの南端に掛かるオコンネル橋のたもとからLiffey川沿いの道に入ると、すぐにBachelors Walk(通りの名前)になる。そこで商店の人にアーリングトン・ホテルの在り処を尋ねると「この隣ですよ。」とおばさんが答える。ほとんど目の前まで来ているのに気づかなかったのだ。ホテル前に行くと玄関前に“無料・・・ダンスと音楽の夕べ”と書いた立て看板が置かれている。なるほど、フロントのお兄さんが言ったとおりだ。


中に入ると、ホテルのロビーにつながって左手に広いパブレストランがある。この時間(午後3時)は、さすがに客の気配はなく、フロアはがらんとしている。仕事をしているスタッフを呼び止めてアイリッシュ・ダンスのことを尋ねてみる。すると、「9時からアイリッシュ・ミュージックが始まり、9時50分からアイリッシュ・ダンスが始まります。あのステージなんですよ。」という。フロアの片側に割りと狭いステージが設けてある。


ついでに、料理のアイリッシュ・シチューはあるかと尋ねると、「ええ、ありますよ。」といいながら、メニューを持って来て見せる。それを見ると、なんとメインディッシュのトップに書かれており、しかも、これが中心になっているらしい。これを聞いて、今夜の予定を立てる。客が込まない8時ごろに出かけて食事をし、その後そのまま音楽とダンスを観賞しよう。


そう心に決めて、いったん宿に引き上げる。帰路はテンプル・バーの通りをぶらつきながら宿に向かう。3時過ぎ宿に戻ると、しばしの休息をとる。午前中から歩き回っているので、けっこう疲れている。夜に備えて充電しよう。


午後のテンプル・バー

ダブリンの名所・テンプル・バー(Temple Bar)
宿が隣接しているということもあって、私が頻繁に往き来しているテンプル・バーの通りだが、その歴史は古い。もともとこのエリアはアウグスティヌス会修道院の所有であったものを英国人の高官サー・ウィリアム・テンプルが引き継いだのだが、そのことから“テンプル・バー”と呼ばれるようになったという。“バー”は川沿いの道を表しているそうだ。


18世紀初頭になると税関がリフィー川の南岸に建てられ、アイルランドへ運ばれる物資のすべてがここで検査を受けていたため、この界隈には荷物保管の倉庫や商店、酒場、宿が密集して大いに繁栄したという。ところが18世紀末になって税関が移転し、人々は去ってスラム街になったという。


20世紀になってこの界隈を買収した交通公社が短期契約で建物を安く賃貸ししたところ、小さな店や芸術家が次々と集まり、以来このテンプル・バーはロンドンのコベントガーデンやパリのレアール地区のようなファッショナブルなレストラン、カフェ、野外劇場やアートミュージアムなどが集まる芸術村となり、現在ではダブリンを代表する新しい芸術・文化の情報発信基地になっている。


歩行者天国になっているこの通りには映画館、ギャラリー、劇場や最新のクラブ、カラフルなペンキで塗られた洒落たカフェやパブ・レストランなどが軒を連ね、散策には最適の場所となっている。このためダブリンの観光客が一度は訪れる名所となっている。しかし、私があちこちぶらついて得た感想は、それほど目を見張るものはなく、平凡な商店街といった感じである。私の目に狂いがあるのだろうか?


夜のアーリングトン・ホテルへ
8時になってアーリングトン・ホテルに向かう。再びテンプル・バーの通りを歩いて行く。この時間になると、少し人出が増えている。通りの一角にある広場では、2人の男性が観客を集めて倒立などのパフォーマンスを見せている。大した芸ではないなあと思いながら通り過ぎていく。通りの角には、万国旗を掲げた派手な建物があったりして、彩を添えている。


夜のテンプル・バー(8時過ぎ)


テンプル・バーの広場では逆立ちのパフォーマンスが・・・


派手な建物がストリートに彩りをそえる

アーリングトン・ホテルのパブに入ると、まだ客の入りは少ない。ステージ前のテーブルが空いているので、ここはいいのかと尋ねると、「そこは予約席です。」という。そして、案内されたのはステージから少々離れた横手の席である。これではあまりよく見えまい。ダンスが始まったら、ステージ前に移動しよう。


パブの内部は広い。左手側にステージがある。

お国料理のアイリッシュ・シチュー
テーブルに座ると、早速、アイリッシュ・シチューとギネスビールを注文する。これぞアイルランドの郷土料理と地ビールの組み合わせである。やがて運ばれて来たのは、写真のようにボリュームたっぷりのシチューである。ポテトにニンジン、野菜、それにラム肉を一緒に煮込んである。スープもたっぷり入っている。見ただけでもおいしそうである。


これが本場のアイリッシュ・シチュー。スープもたっぷり。

おもむろに、まずはスプーン一杯に盛り込んで口に頬張る。う〜ん、これはなんという美味! さすがに本場のシチューは二味、三味違う。期待を裏切らず、いやそれ以上のおいしさに、私の舌は大鼓を打ちっぱなしである。ポテトもほどよく柔らかく、ラム肉もしなやかだ。これらの味が溶け込んだスープはあっさり味で、これがまたなかなかのものである。満足の笑みをたたえながら、貴重なシチューを大事にゆっくりといただく。


この地でしか食べられない料理だけに、私にとっては貴重な機会なのである。これさえあれば、この地に住み着いても困ることはないなあと思いながら、その味を堪能する。ハーフパイントのギネスビールを傾けながら食すると、いくら美味とはいえ、このボリュームだけに次第にお腹いっぱいとなる。満足、満足、大満足。これぞ旅先でしか味わえない本場郷土料理の味である。


満腹のお腹を抱えて一息ついていると、9時になる。広いパブのホールもお客で埋まりつつある。ステージではまず楽団によるアイリッシュ・ミュージックの演奏が始まる。おとなしい郷愁を誘うような歌声とメロディーである。数曲ごとに曲の説明をしながら演奏が続けられる。こうして10時までたっぷり1時間が経過し、ようやく一段落となる。9時50分からダンスが始まると言っていたのに、10時になってしまっている。


ステージではアイリッシュ・ミュージックの演奏が始まる

感激のアイリッシュダンス
楽器類が片付けられると、いよいよ待望のアイリッシュ・ダンスの始まりである。リズミカルな音楽が鳴り始めると、5人のダンサー(男性1人と女性4人)がステージに登場して踊り始める。途端に激しいタップのリズムと響きが場内に響き渡る。いわゆる普通のタップダンスと違い、このアイリッシュは上半身は両腕を体側にくっつけたまま直立の姿勢で足だけを激しく跳ね動かしながらタップを踏む。その5人の一糸乱れぬタップのリズムがなんとも素晴らしく、うなりたくなるほど惚れ惚れして見とれてしまう。


激しい踊りのアイリッシュ・ダンス


このように直立不動の姿で激しくタップを踏むのが特徴


女性4人だけで踊る


男性1人で踊る


全員そろってのダンスは迫力満点


曲が終わって決めたところ。こんなポーズはめったにみせない。


女性1人で踊る

ダンスが始まるや否や、ステージの横に進出して、かぶりつきで写真を撮りまくる。激しくタップを踏みながら時にはジャンプして飛び上がるのだが、その瞬間がなかなかうまく捉えられない。男性1人、女性1人、あるいは女性4人、または5人全員と、交互に登場しながら激しく、リズミカルな踊りを見せる。タップを踏む音がステージの床板から響き渡るのだが、その迫力には圧倒されるばかりである。


その見事過ぎる踊りに、ただただうっとりしながら見とれていると、間もなくフィナーレとなる。都合10曲ぐらい、20分間のショータイムである。踊り手から2mほどしか離れていないかぶりつきで観ていると、踊り手たちの激しい息づかいが手にとるように伝わってくる。このことからも、その激しさがどれほどのものかが分かるというもの。交互に入れ替わって踊るにしても、そんなに長時間続けられるものではないだろう。


あれだけの音を奏でる靴の底はどうなっているのだろう? ステージの床板はどうも鉄板を敷いているようだ。それで一段とタップの響きが効果的に高まるのである。ダンスが終了後、ステージを見てみると、やはり鉄板になっている。念のためにスタッフに尋ねてみると、やはりそうだという。この上で、毎夜あれほどの激しいダンスを踊るとなれば、膝や足首などを痛めたりしないのだろうか? 


これまで世界の各地で多数のフォルクローレ(民族舞踊)を観賞してきたが、私の記憶のデータファイルの中にはブルガリアのそれが一番との記録がある。しかし、このアイリッシュ・ダンスを観た今となっては、この記録を更新する必要がある。それほど期待を裏切らず、それ以上の素晴らしいものであるといえる。


ダンスが終わると、ステージでは再びアイリッシュ・ミュージックの演奏が始まる。ダンスに圧倒された後では、さすがのミュージックも色あせて聞こえる。余韻が覚めないうちに引き上げるとしよう。飲食代(シチュー13.85ユーロ=2080円、ギネスビール・ハーフパイント2.9ユーロ=435円)をカードで支払って席を立つ。


旅の目的
外に出ると、さすがに日暮れの遅い当地も、ようやく夜を迎えたようである。あの汚れたLiffey川も街の灯りが映えて美しく見える。テンプル・バーの夜景を眺めながら帰途に着く。


Liffey川の夜景


テンプル・バーの夜景(夜10時半過ぎ)

これでアイリッシュ・シチューにアイリッシュ・ダンス、それに本場のギネスビールを堪能でき、今度の旅の目的はほぼ達成されたも同然である。これにゴルウェーのモハーの断崖を見れば、私のアイルランド旅行は完結となる。そんなことども考えながら満ち足りた気分で11時過ぎ床に就く。



(次ページは「ダブリン観光(2)」編です。)










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