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3.中国・深せん・・・・ ミニチャイナ・テレビインタビュ−・集合トラブル
 
第四日目。部屋の窓から眺める朝空は、静かに晴れわたっている。今日は自由行動日で、楽しみの中国日帰り旅行の日だ。中国行きのツア−バスは、ペニンシュラホテルの隣にある九龍ホテルを朝七時半に出発するというので、七時発の一番のシャトルバスに乗らないと到着が間に合わない。食堂は六時半から開くというので早起きして朝食取りに出かける。
 

食堂入口でバッジを示しながらツア−名を告げると、名簿をチェックしていたウェ−タ−が、「皆さんは八時に予定されているので入れません。」という。昨日、パンさんに早朝の朝食時間を頼んでいたのに、連絡されていなかったのだろうか。それにしても、なんと固いことをおっしゃる御仁だろう、座席はいくらでも空いているのに! 


そこで、押し問答が始まる。「昨日、ちゃんと連絡を頼んでいたはずですよ。とにかく、七時のシャトルバスに乗らなくちゃいけないので、取らせてくださいよ。」と頼むが、首を横に振って受け付けない。そこで、もう一度「いま食事して七時のバスに乗らないと旅行に行けなくなるんですよ。ボスに話してみてくれ。」と強い語調でいうと、しぶしぶ電話をとってボスに連絡している。それが終わると話がついたのか、やっと入場を許可してくれる。早朝から不愉快な気分にさせられてしまう。
 

中国越境・深せんへ
早々に朝食を済ませると、七時のバスに乗って尖沙咀にある九龍ホテルへ急ぐ。七時半の集合時間にはゆとりをもって到着し、安堵の胸をなで下ろす。間もなくして、日本語のうまい中国系男性ガイドが現れ、バスに案内する。日本語は現地の学校で勉強したという。日本人向け専用の旅行社だけあって、十二人の参加者全員が日本人ばかりである。そのメンバ−はOL、老婦人、中年カップルなどで、老人男性の独り者は私を含めて二人のみが参加している。
 

バスは一路北へ向けて走り続け、宿泊ホテルのある郊外の沙田を通り過ぎて国境沿いの街・深(土川)へと向かう。一時間足らずで中国国境へ到着。バスを降りて香港出国手続きを数分で終えると、再びバスに乗って百メ−トルほど移動し、中国イミグレ−ションへ到着。バスは香港ナンバ−と中国ナンバ−の二枚のナンバ−プレ−トを車体に付けていて、そのまま入国できる。ここでは予め旅行社が作成している団体ビザの名簿を提出し、その登録番号順に並んで入国手続きを受ける。係官はただパスポ−トを一瞥するだけで検印も何も押すことはなく、あっけない中国入国である。入国者も少ないので、通過するまで数分とかからない。こうして、中国・深(土川)(広東語ではサムチャン、北京語ではシェンチェンと発音)の街へ第一歩を印す。
 

深せんの様子
中国政府は北京、上海など全国に五ヶ所の経済特区を設けて対外経済解放と市場経済導入を図り経済発展を推進しているが、深(土川)はその経済特区の一つに指定された市として急速な発展を遂げている近代都市である。七〇年代末までは人口わずか三万人の漁村にすぎなかったのが、七十九年に経済特区に指定されて以来、新興商業都市としてめざましい発展を遂げ、現在人口三〇〇万の大都市に変身している。駅前には外資を導入して建てられた高級ホテルや高層ビルが立ち並び、建設ラッシュは今なお続いているようだ。
 

この深(土川)市郊外に「ミニチャイナ」(中国の名所旧跡を凝縮してつくったもの)、「中国民族文化村」(二十一の民族の二十四の村が復元されている)、「世界の窓」(世界の名所旧跡や自然景観を集めてつくったもの)の三つのテ−マパ−クが広大な敷地を利用して作られている。これがなこのテ−マパ−ク見物を中心にした深土の街観光で、それぞれ希望のパ−クに分かれて見物することになっている。
 

入国管理事務所の玄関に出ると、現地観光会社のスタッフが出迎えに来ている。三ヶ所のパ−クに分かれるので、三人の現地ガイドがついている。そのうちの一人は、李新という目のパッチリした可愛娘ちゃんで、他の二人は男性である。三人とも現地の学校で勉強したという日本語を上手に話すのだが、バスでの案内役はもっぱら彼女が勤めている。
 





中国・深せん市の通関前










バスの車窓から眺めると、中国らしく広い道路幅をとった中心街には高層ビルが立ち並び、まるで香港にいるような錯覚を覚える。経済特区とはいえ、ここまで成長発展した中国経済の力強さがひしひしと感じられる。これは中欧のブルガリア、ル−マニアなどとは対照的な様相である。中心街の街角にさしかかると、巨大な「登小平看板」が前方に出現する。そのどでかい看板には、深(土川)市の高層ビル群を背景に登小平氏が微笑んでいる絵が描かれている。彼の開放経済政策で深(土川)市が経済特区に指定され、そのお陰でここまで発展したことの記念と感謝の気持ちをこの巨大看板に表しているらしい。その写真を撮りたいのだが、車内からは障害物が多くて無理である。
 





深せん市内の高層ビル









     



 




こんな立派なホテルも








ここまで発展した深(土川)市だが、その所在県である広東省ではバブルがはじけて転機を迎えているという。香港では「年利三〇%保証」という甘い文句に誘われ、広州や深土など急成長する広東州大都市の不動産に投資する財テクブ−ムが起こったそうだが、それが今バブルがはじけて投資した不動産には買い手がつかず、転売どころか元金すら返済されない事態が相次いでいるという。


外資を当て込んで建設しすぎたのが原因だそうで、深(土川)では建設したビルの売れ残りが目立ち、空き家のビルが無惨に風雨にさらされているという。今、深(土川)政府には、これらの不動産に投資した香港市民たちから「資金の回収ができない。」という抗議の電話が急増しているそうだ。(この項、九十六年十二月二十八日付日本経済新聞記事による)
 

博物館
バスは博物館に到着、そこで館内の見学である。大きく広い館内には掛け軸、陶器その他の美術工芸品が展示されており、深(土川)市の未来図も掲げられている。また、西安・兵馬俑のレプリカ数体も並んでいる。時間がないのか、展示物の案内もほどほどに館内の売店へ誘導される。彼らにとっては、お客の鑑賞よりも商売のほうが大事なのだろう。
 





兵馬傭のレプリカ















石に彫った絵を貼り付けた見事な屏風










売店には高価な美術品や民芸品が並んでいて、どれも中国らしい手の込んだ素晴らしいものだが、値段もまた高い。日本語を上手に話す売り子さんに付きまとわれながら店内を物色していると、愛らしい表情で愛嬌をふりまく茶坊主四人組の小さな人形が目にとまる。これなら荷にならないしと思いながら眺めていると、売り子が盛んに勧めにかかる。値段を聞くと五千円というので、これでは高すぎると思い値切り交渉を始める。すると彼女は、別の人形を二つ付けるからそれでどうだと答える。それでも渋りながらバラ売りの人形でも買おうと選んでいると、「じゃ、いいですよ。二個オマケを付けて四千円でどうです。」と切り出してくる。そこで商談成立し、日本円で支払う。その他に白檀の木でつくられた香りの高い球を中国みやげに買い込む。
 

テレビの取材
出発時間だというのでバスへ戻ると、テレビカメラを持った局員が男性ガイドを相手に何やら取材している。その横を通り過ぎてバスに乗ろうとしていると、その彼が走ってきて「先生!」と私を呼び止め、テレビの取材に協力してくれと頼んでくる。お安いご用だとばかり、気軽に応じてやる。それにしても、どうして私が先生だということを知っているのだろうと一瞬不思議に思ったが、これはどうも中国では相手を呼ぶ時の敬称に使われているらしいのだ。
 

モンゴル出身という彼の通訳でインタビュ−が始まる。「どちらから来られましたか?」「香港と中国旅行に日本から来ました。」「この博物館を見てどう思われますか?」「中国の歴史の深さと素晴らしさを感じます。」「この街の将来をどう思いますか。」「その素晴らしい発展ぶりに驚いています。これほど多くの高層ビルが立つ近代都市とは予想外でした。この分だと、きっと香港に次ぐ大都市に発展することでしょう。」「どうもありがとうございました。」深(土川)市テレビ局の取材はほんの短いインタビュ−だったが、中国のテレビ電波に乗せられるのかと思うと、なんだか貴重で珍しい体験をした気分になる。
 

みやげ品店
博物館を後にすると、もう一軒みやげ品店に立ち寄る。この店には衣料品から漢方薬品まで幅広い品物が揃っている。そこで漢方の部屋へ行って「片シコウ」はありますか?」と尋ねると、「えゝ、ありますよ。」と上手な日本語で応対する。彼女は宋香錦(ソウコウキン)という美しい名前のぽっちゃりした可愛い十八歳の中国美人である。田舎から出てきて働いているのだという彼女が、その薬を取り出して見せてくれる。
 

来る途中のバスの中で「中国ではガンの病気はどんな状況ですか?」と尋ねると、「結構いるんですよ。」とガイドさんが教えてくれる。そこで、どんな治療をするのかと尋ねると、漢方薬を飲んで治療することが多いという。ガンに効く漢方にはどんなものがあるのかと尋ねると、“片シコウ”(ヘンシコウ)という薬が肝臓ガンの妙薬でよく効くという。自分の父親の肝臓ガンもこれを送って治したと彼女はいうのである。
 

そんな話を聞いていたので、一度ぜひ現物を見てみたいと思っていたのだが、よい機会ができたとこの店で尋ねてみたのである。差し出された“片シコウ”は木片のようなもので、彼女の説明によると、それを削って煎じて飲むのだという。そして、盛んにこれを買いなさいと勧めにかかる。値段を聞くと、やはり万円単位と高い。そこで、彼女のことをいろいろ尋ねながら、なんとかはぐらかしにかかる。最後に店の名刺をもらって彼女の名前を書いてもらい、帰国後もし必要な際には連絡するからといいながら、なんとか販売攻勢を切りかわす。
 

テーマパーク・「ミニチャイナ」
バスはしばらく郊外へ向けて広い自動車道を走ると、テ−マパ−クへ到着する。ここで各自が希望したパ−クに分かれて入場するのだが、それぞれにガイドの案内が付くことになる。「ミニチャイナ」と「民族文化村」は隣接しているのだが、「世界の窓」は少し離れて車で四、五分の距離にある。私の希望したミニチャイナのグル−プが一番多く、他の二つはそれぞれ二、三人だけである。 ここで過ごせる時間は四〇分とのことなので、ゆっくり見物するには時間不足である。集合場所と時間を確認すると、みんな思い思いに仲間と散らばっていく。私はといえば、この広大なパ−クを徒歩で遊覧するのは大変だと、園内を周遊するミニ自動車を見つけてこれに乗車する。
 





世界の名所のミニチュア版「世界の窓」














ミニチャイナ・パークの入口門を入った正面









精巧なミニチュアで作られた中国の名所旧跡が広大な敷地に散りばめられた中を、自動車はル−トを縫いながらゆっくりと進んで行く。愛想のよい女性運転手の横に座わり、数人の乗客とガリバ−になった気分で左右に展開するミニ中国の景観を観賞する。私がシャッタ−チャンスをとらえて写そうとすると、彼女はちゃんとそれを察して車の一時停止をしてくれる。その優しい心遣いに「ンコイ(ありがとう)」を連発する。有名な故宮、万里の長城など約八十の建築物や景観が地図上の位置とほぼ同じように配置されている。その広い敷地内を車は十分以上かかって園内を一周し、再び出発点に戻ってくる。これで園内の概観がわかり、主な建物などの配置場所をつかむことができる。
 





ミニチャイナの一部










そこで今度は、目星を付けていたポイントを徒歩で回ることにする。立派な城郭が作られている場所に行ってみると、その麓には何百体もの人形でつくられた軍隊の行列が見事に並んでいる。精巧につくられた何百という兵隊人形が隊列を組んで並ぶ様は、まさに壮観である。これはチベットなのだ。






チベットのミニチュアの並列     











 





チベットの城郭のミニチュア








その近くに万里の長城があるので、そこへも回ってみる。ミニチュア版とはいえ、これだけの長城をめぐらすには相当の費用がかかっているのだろう。集合時間も迫っているので、あまり遠くへ入り込めない。近くをひとめぐりして、集合ポイントへ向かう。
 





 万里の長城















ミニチャイナの一部










集合場所になっている出口の所に行ってみると、まだグル−プのメンバ−の姿は見当たらない。集合時間の一時にはまだ十分あまり間があるせいだろうか。出口門前に建てられた中国風の建物にみやげ品店が並んでいるので、そこを見物したりしながら待っていると、OLの二人連れが戻ってくる。やがて、独り参加の老人も集まってくる。
 





パーク出口門前のみやげ品店










集合のトラブル
ところが、ここからがトラブル発生である。一時を十分過ぎ二十分過ぎても、ガイドが現れないばかりか、残りのメンバ−の姿さえ見えない。われわれ四人は顔を見合わせ、「おかしいなあ。みんなどうしたのかなあ。少なくともガイドさんは来るはずなのに……。確かに出口の所に集合といいましたよね。」とお互い確かめ合いながら、不審顔の中にも不安の影をちらつかせている。念のため入口門のほうに回ってみても、だれの姿も見当たらない。


三十分過ぎても何の気配もないので、業を煮やした老人二人はOL二人を見張り番に残して駐車場へバスを探しに出向く。降車の時は入口前で降りたので、バスがどこに止まっているのかわからない。駐車場を見回しても、われわれのバスの姿は見当たらない。相棒の彼がいうには、「な〜に、もし置き去られたらタクシ−拾って駅まで行き、そこから鉄道で帰ればいいですよ。」と悠長な話をしている。彼も海外旅行の経験が豊富らしく、あわてもしないで落ち着いている。でも、観光料金には昼食代も含んでいるので、それを逃すともったいないのだが……。お腹もだいぶ空いてきた。
 

バスを探しあぐねて、彼女らのところへすごすご戻る羽目になる。だが、そこにも未だに何の音沙汰もない。それにしても、ガイドさんはきっと探し回っていることだから、われわれを必ず発見する筈なのだが……と空腹も手伝って苛立ちの気持ちがつのってくる。「この後、ホテルで昼食の予定になっているので、そこへ直行したほうが間違いないのかも知れませんね。」と話し合ってはみたものの、ホテルの名前はもちろん、その位置さえ定かでない。走行中にバスの窓から教えられてちらっと見ただけである。ホテル名がわかって言葉さえ通じれば、ことはいたって簡単なのだが、残念ながら広東語では手も足も出せないダルマさんである。
 

カゴカキ
所在なく待っていると、入口門前の広場でなにやら笛・太鼓の賑やかな音が聞こえてくる。見ると、真赤な朱色の中国服を着た男たちが人を乗せたカゴを担いで踊るようにしながら歩き回っている。その珍しい光景にしばし見とれて、写真を撮りに近づいてみる。これは観光客向けに催しているものらしく、幾らかの料金を払うと写真の風景のようにカゴに乗せて派手な身振りで踊りながら広場を一周するのである。何の風習なのかよく分からないが、利用客はたまにしかいない様子である。
 





客を乗せて踊るように歩き回る









みんなの所に戻ろうとすると、日本語の場内放送が流れてくる。「パンダツア−のムカイ様、〇〇様、……。おられましたら至急入口門のほうへおいでください。」という案内放送が聞こえるではないか。これでやっと迷子から開放されたと安堵の胸を撫で下ろす。
 

ようやくガイドと出会って時間を見ると、予定より四十五分も遅れてしまっている。「すみません。私の不手際で申し訳ありません。お腹空いたでしょう。」と彼女は何度も頭を下げながら平謝りしている。他の人たちはどうしているのか尋ねると、とっくの昔に集まっているという。どうしてこんなことになったのか、その訳を解明すると、彼女が告げた集合場所の「出口」というのは、園内にある「出口」と書いて方向を指示したポ−ルのことだったのでる。


確かにそのポ−ルは彼女の指さす方向にあったのだが、てっきりすぐその先にある出口門と勘違いしてしまったのである。彼女が「あのポ−ルですよ。」と一言付け加えていれば、こんな不都合は起こらなかったはずなのだが……。やはり、その辺のちょっとした手違いが生まれるところが、言葉の壁なのだろうか。恐らく毎日同じような案内をしているのだろうが、これまで問題が起こらなかったのだろうか。それにしても、出口門まで確かめに来る機転が利かなかったのは甚だ残念でならない。でも、他のメンバ−はちゃんとその地点に集まったというのだから、われわれ四人組の落度も少しはあるのだろうか。
 

ホテルで昼食
とにかく昼食をということで、ガイドに案内されながらホテルへ急ぐ。なんと、そのホテルはここから三〇〇メ−トルほど離れたところにあるのだ。それを知っていれば、こんな無駄時間を取らずに済んだのにと悔やまれてならない。すでにテ−ブルには、他のメンバ−が待ちくたびれた様子で座っている。席に座ると、お互い申し開きをしたり、慰められたりしながら、やっと広東料理の遅い昼食が始まる。この四日間、香港のあちこちで広東料理を賞味したが、ここ深土の料理が一番味がいい感じである。お互いたらふく食っても、いつも食べ残しが出るほどの分量で、ほんとにもったいない。お腹が満腹するにつれ、集合不手際の不愉快さも薄れて、なごやかな談笑が続く。  


帰途へ
やっと昼食を終えると、すぐに出発である。本来ならば、これから自由市場を見学する予定になっているのだが、集合のトラブルで時間不足となり、それができないという。みんなブ−イングを鳴らすが、バスは国境の出国事務所へ向かって走り続ける。まだ三時過ぎで時間は十分あるはずなのに、どうしてそんなに急ぐのだろう。これから直行して帰れば、香港には五時前に着いてしまう。折角の中国ツア−なのに、これでは滞在時間が短すぎる。お目当てのミニチャイナでも、園内は広いのだからもっと時間をとってゆっくり観賞させるべきである。そんなことで、滞在時間に不満の残るツア−ではある。
 

中国のガイドさんたちに別れを告げ、再び中国出国→香港入国の手続きを済ませて香港中心街へ向かう。終着点の九龍ホテルに着いたのは夕方の五時近くと、やや早過ぎる到着である。ツア−はここで解散となり、後はみんなと別れてネイザンロ−ドを挟む繁華街を散策することにする。
 

このホテルの道路向かいには、この地で有名な豪華ホテル・ペニンシュラホテルがあるので、まずそこを訪れてみる。リニュ−されたホテル内の設備もゴ−ジャスなら、その一階と地階に並んでいるショッピング・ア−ケ−ドも豪華絢爛である。ルイ・ヴィトン、エルメス、シャネル、フェラガモ、カルティエ、グッチといった世界の人気ブランド店がずらりと勢揃いしており、ブランド目当ての買物客にはうってつけの場所である。あるブランド店などは、お客の入場制限をしているほどの人気振りで、入口の前には入店を待つ女性客の行列ができているほどである。
 

ホテルを出てネイザン・ロ−ド沿いの商店街を散策して回る。よくもこれほど種々雑多な店が並んだものだ。少し路地を入ると、雑多な小店がひしめいており、よくこれで商売になるものだと感心させられる。
 

ホテルへ
ショッピングにも用はないし、これ以上歩き回っても疲れるばかりなので、シャトルバスで帰ることにする。夕方のラッシュのためか、予定よりも半時間遅れのシャトルバスに乗って郊外のホテルへ向かう。バスは満員で、私の隣席に外国人の老婦人が乗ってくる。そこで、どこから来たのかという質問に始まって、いろいろと話に花が咲く。


彼女が英国から来たというので、ロンドンからどっちの方角か尋ねると北のほうだという。そこで、すかさず「スコットランドですか?」と聞き返すと、それが図星だったらしく、驚いた様子で「そのとおりですよ!」と嬉しそうに答える。「じゃ、スコッチウィスキ−が旨いところですね。ウィスキ−はお好きですか?」と尋ねると、「えゝ、好きなんですよ。少しなんですけど、毎日飲んで楽しんでいます。」という。そして、先年夫を亡くして独り暮らししているそうだが、近くに子供が住んでいるので寂しくないという。
 

その後、ロンドンやオックスフォ−ド、ストラトフォ−ドを旅したことなどを話すと、ますます親近感が増したとみえて話が盛り上がる。今、妹と二人で七週間の旅行をしているところで、次はオ−ストラリア・シドニ−へ渡り、そこのビ−チでクリスマスを迎える予定だという。楽しい会話を続けている間に、バスはあっという間にホテルへ到着。「素敵なおしゃべり楽しかったわ。お陰でバスが着くのが早かったわ。」と彼女がいうので、「私も同じです。ではいい旅を楽しんでください。」といって別れを告げる。
 

夕食は麺類
さて、これから夕食を調達しないといけないのだが……。昼食に広東料理を食べているので、夕食には、あっさりと麺類を食べてみたい。そこで部屋に荷物を置くや否や、早速商店街へ出かける。ホテルのすぐ近くには二、三十軒ほどの商店が並んでいる。そしてその周辺には、まだ新しい高層アパ−ト群がそれを取り囲むように立ち並んでいる。この地域は香港のベッドタウンになっているらしい。そのためだろうか、この商店街には五、六軒の不動産屋が競り合うように店を構え、店頭には賃貸し・売買などの広告をびっしりと貼り出している。その様子は、ちょうど日本の不動産屋と同じだが、夜こうこうと明かりをつけながら、遅くまで営業しているのが違う点といえるだろう。
 

「麺」と書いた看板のある店を見つけて店内に入ると、若い男性店員が英語で応対してくれる。これは有難いと、さっそく当店のお薦めメニュ−を尋ねてみる。彼が薦めてくれたのは、肉だんご入りの麺である。それを注文しながら、まばらな客入りの店内のテ−ブルで待っていると、やがて注文の麺が運ばれてくる。


まず一口味わってみると、う〜ん、これはなかなかイケル味でグ−である。ス−プも美味しい上に、五、六個入った肉ダンゴがとてもうまい。麺は皿うどん麺のように細いがプチプチしていて切れにくい。だから噛み切るのが日本の麺のように簡単にはいかない。難をいえば、麺のコシが強すぎることぐらいであろう。日本のラ−メンみたいに柔らかければ文句ないのだが……。中華どんぶり一杯の麺だが、肉ダンゴが多いのでちょうど良いお腹の脹れ具合である。値段は一杯百円台と安い。帰りに小店でオレンジを買って帰る。明日は帰国する日。四泊五日の旅はあっという間に時が過ぎてしまう。バスタブにたっぷりお湯を注いで体を横たえながら、香港最後の夜を感傷にひたる。
 


(次ページは「香港情報」編です。)






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