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                 No.3




2.マ カ オ・・・・ 期待はずれのポルトガル料理・カジノ・カステラケ−
                                        キ

 
マカオ観光
第三日目。今日はマカオ日帰り観光である。早朝六時十五分にモ−ニングコ−ルがあり、七時にホテルを出て中国かゆの朝食に市内レストランへ行く予定になっている。バスに乗って出発を待っていると、中年の会社員四人グル−プのうちの一人がなかなかやって来ない。同僚仲間三人も心配してホテルへ探しに戻って行く。


待つこと半時間、やっと仲間の一人が現れたかと思うと、「待たせてすみません。仲間の一人がパスポ−ト入りのバッグを盗まれたらしいので、マカオ行きは私たち四人とも中止します。」と告げるではないか。マカオはポルトガル領なので香港に隣接する土地とはいえ、外国になるのでパスポ−トが必要なのだ。それにしても、あれほどしつこくスリ、盗難に注意するよう度々注意を受けていたのに残念である。気の毒にも、今日はパスポ−トの再発行申請に掛けずり回ることになるだろう。後で聞いた話によると、カメラのフィルムを取り替えるためバッグをロビ−のカウンタ−に置いたそうだが、それを忘れて立ち去り、すぐに気付いて戻ったがすでにバッグはなくなっていたという。
 

レストランで朝食
こうして出はなをくじかれた一行は、またもや半時間遅れでレストランへ向かう。中に入ると、他の客たちはすでに食事も終わって一服している。それを横目にテ−ブルにつくと、早速朝食が始まる。最初に出される中国かゆは初めてだが、塩味もほどよくついて結構なものである。外米もかゆにすれば、そのまずさもあまり分からない。その他はス−プや春巻、シュウ−マイなど軽い中華料理が運ばれてくる。でも、朝からお腹どっかりである。
 

ジェットフォイルでマカオへ
朝食を終えて波止場へ移動すると出国手続きを済ませ、九時半のマカオ行き高速ジェットフォイルに乗船する。朝出掛けに曇っていた空も、やっと晴れ間がのぞきかかる。香港に来て初めての青空である。今朝バスの車窓から眺める並木の揺れ方から、今日の海上はかなり時化ているなと予想していたが、案の定海面には白波が立っている。だが、エンジン音を響かせながら高速で突っ走るこのジェットフォイル船は、波高の割りには揺れを感じさせない。香港から一時間の海の旅である。
 

デンマークの女性
キャビン後方の空いている座席を見つけて腰を下ろすと、四人掛けのシ−トの窓側には欧米人女性が一人座っている。私は通路側に腰掛けているので二席分離れているのだが、時間潰しに英語で話しかけてみる。彼女は一人でマカオ旅行だとかで、香港には数日間滞在しているという。彼女がデンマ−クはコペンハ−ゲンの近くに住んでいるというので、話がはずみ出す。デンマ−クは静かで美しい国であること、コペンハ−ゲンでは美しいマ−メイド像やチボリ公園に魅了されたこと、市内をレンタサイクルでサイクリングしたことなど、思い出話に花を咲かせる。彼女は驚いた風で、盛んに相づちを打ちながら応対してくれる。
 

マカオのこと
そうこうしているうちに、船はマカオへ到着。入国手続きを経て上陸すると、迎えのバスに乗り込んで市内観光が始まる。マカオは香港から西へ六十四km、高速船で一時間の距離にある。この地マカオは北を中国大陸の珠海市と国境を接する半島部分で、これに橋で結ばれる二つの島からなっている。一八八七年、香港から中国へのアヘン密貿易の取り締まりに協力する代償として、清朝からポルトガルに割譲され、その植民地となった。だが、それも香港同様、九九年十二月二十日に中国に返還されることが決まっている。人口の九十五%以上は中国人で、公用語はポルトガル語だが、日常使われているのは広東語である。


媽閣廟
バスはまず海岸のほとりに建っている小さな媽閣廟に止まる。これはマカオ最古の道教寺院で、船乗りの守護神“阿媽”を祀っている。ここはその昔、ポルトガル人が上陸した時、地名を尋ねたら「阿媽閣(アマカオ)」と答えが返ってきたが、それがマカオと短縮されて呼ばれるようになったという地名発祥の地としても知られている。これはまた、昨日参った黄大仙廟と同類の寺院なのだが、それより規模は大分小さいものである。狭い寺院の中に入ると、大きな渦巻き状の線香が天井から何巻もぶら下げられて煙っている。これらは信者が灯すものだが、一度火がつけば二週間も燃え続けるという。
 





  媽閣廟











聖ポ−ル天主堂跡
お参りを済ませて、市街地の狭い道路を上りながら聖ポ−ル天主堂跡へ向かう。ここは市街中央の丘の上に建つマカオの中で最も有名な観光地になのだが、残念ながら建物正面の壁面と階段壁の一部だけしか残っていない。十七世紀初めにイタリア人のイエズス会修道士がこれを設計、工事が難行していたところに、日本を追放された日本人キリシタンが協力して完成し、当時は東洋で一番美しい教会といわれていたそうだ。それが一八三五年の台風時の火災で焼け落ち、今ではその残骸としての壁面しか残っていない。だが、正面の階段に立ってじっと眺めていると、往時の壮麗な教会の姿が浮かんできそうだ。
 





  聖ポール天主堂跡











マカオでのショッピング
ここマカオの案内は当地の旅行社で、そこに勤める日本人の若い女性がガイドをつとめる。バスは古びて、いつ故障するかもわからい感じで、ガイドもそのことを話題にしながらコ−スに折り込まれているショッピングに向かう。彼女は北海道出身で、ここに来て二年になるという。海外で仕事をしたいと思っていたところに、たまたまこの会社の募集広告を知り応募したとのことで、海外であればどこでもよかったのだという。生活は給料でなんとかまかなっているという。ここマカオで買物する時は、表示値段の半値以下から値切りを始め、その六分の一ぐらいまで値切るのは当たり前で、うまく行けば十分の一にまで値切られるという。
 

そんな値切りの要領を教え込まれながら、バスは海岸沿いに走る大通りに入る。左手に見える狭い入り江の向こう岸には国境沿いの中国・珠海市が見える。ここから中国までほんのひとまたぎの距離にあるのだ。ショッピングは大通り沿いにあるヒスイの宝石店に案内されたが、なにせ手狭なだけに店内は身動きできないほど観光客であふれている。これ幸いに、そこは無視して付近を徘徊することにする。
 





マカオ市内の大通り










香港とは違って、ここには雑踏や喧騒もなくひっそりと静かな街である。それだけに活気が見られず、道路も狭くて街全体がさびれた感じがする。そして、この半島部の中央部が小高い丘になっているため狭い坂道があちこちに見られ、その中腹一帯に高級住宅街が広がっている。
 

ケーキ
この大通りには大した商店もないのだが、そこに小さなケ−キ屋を発見し覗いてみる。見回すと、陳列ケ−スの中にカステラそっくりのケ−キが並んでいる。ひょっとして、これがポルトガルのケ−キでカステラの元祖に当たるものではないのかと推察し、「それを二切れ」と手振りで示しながら買ってみる。ちょうどカステラ一切れの大きさに切ってあり、色合いもよく似ているのだが、それが一個十円か二十円と安い。パタカというマカオの通貨があるのだが、ここでは香港ドルが通用するので両替の必要はない。だが、生憎とコインの小銭がないので紙幣を差し出して支払う。


すると女店員は、お釣りを払うのに小銭入れのカンを引っ繰り返し、現地通貨と香港ドルがごちゃ混ぜになった中から香港ドルのコインを選り分けて支払う始末である。なんとのどかな店だろう。でも、ケ−キの味は結構イケルもので、小生好みの代物である。日本でも、こんなに安いカステラ似のケ−キがあったらよいのにと思うことしきりである。 


ホテルで昼食
午後一時近くになってやっと出発の時間になる。これから昼食にホテルへ向かうのだが、さっきのケ−キで空腹もなんとか落ち着いている。今日のお昼はポルトガル料理だとかで、どんな内容なのか楽しみだ。テ−ブルに着くと、目の前のステ−ジではバンドの生演奏が行われており、来客の韓国人や日本人向けにそれぞれ自国の馴染みの曲を演奏してサ−ビスしている。


運ばれてくる料理を見ながら、失望に意気消沈してしまう。何の変哲もないス−プ付きのチキン料理なのだ。これではファミリ−レストランの安物料理と大して変わりはしない。添えられたスパッゲティなど、まさにインスタントものの感じである。これではポルトガル料理の信用が落ちてしまう。まったく期待外れの料理に落胆しながらも、デザ−トのフル−ツとコ−ヒ−で昼食を食べ終わる。
 

カジノ
早々にホテルを出ると、次は最後の見せ場、マカオ名物カジノへと向かう。ここのカジノは二十四時間営業だそうで、その収益金の相当部分を政府に納入するという。これが政府の税収代わりになって、マカオでは所得税などすべてが無税になっているという。カメラは持参しないほうがよいというので、バスに残して出向くことにする。カジノの入口では、係員が入場者の所持品をいちいち点検しており、バッグなどは中まで開いてチェックしている。テロ防止のためらしい。四〇分の時間しかないので、あまりゆっくり遊べない。
 

中に入ると、大勢の人でごった返している。学校の体育館ほどの広さの場内には何台ものゲ−ム台が並べられており、その回りを取り囲んで多数の観光客が遊んでいる。場外の周囲にはスロットマシンも並んでいる。まあ、なんと喧騒で薄汚いところだろう。熱気はあるが雰囲気が悪い。ラスベガスやモナコのカジノのようにスペ−スの広さもなく、華麗さや気品も漂っていない。ただ人が多いだけで、これではム−ドもぶち壊しである。そんな思いに浸りながらも、時間を持て余すので一〇〇香港ドル(一、五〇〇円)分を二ドルコインに交換し、スロットで遊んでみる。
 

空いた台を見つけてコインを投入しハンドルを回してみるが、全く手応えがない。何度繰り返してもハンドルは空回りするだけである。それを見ていた通りすがりの人が、このボタンを押すのだと教えてくれる。ここのスロットマシンは、ハンドルは付いているものの飾りだけで用をなさないのである。全部ボタン式になっていて、なんとも愛想がない。あのハンドルを回したときのガチャンという音が聞けないのである。ここでも失望しながらゲ−ムを続けていると、楽しむ間もないほどあっけなくコインは尽き果ててしまう。
 

香港へ
すぐに出発の時間が来て帰りの波止場へ向かう。車内では、お互いにカジノでの戦果報告が交換されている。少し儲けた者もいたが、ほとんどが全滅である。再び出国手続きを済ませると、四時発のジェットフォイルに乗船して一路香港へと帰路を急ぐ。五時間のマカオ滞在時間では、その全貌はつかめないだろうが、見た範囲では印象的なものは何一つ感じられないマカオの旅であった。
 

夕食は北京ダック
夕方五時に香港へ戻ると、早速市内レストランへ向かう。今日の夕食は待望の北京ダックが味わえる北京料理である。レストランに入ると、広いル−ムにはお客がいっぱいである。席について料理が出されるのを静かに待つ。やがてス−プが出されると、次々に料理が運ばれてくる。コ−スのなかほどになったところで、メインの北京ダックが運ばれてくる。一羽まるごと色よく焼いたダックの皮の部分を、四〜五センチ四方の大きさに薄くスライスして並べてある。ウェ−タ−がまずその一切れを取り上げて、食べ方の模範演技を見せてくれる。


まず、直径十五センチぐらいの大きさに薄く丸く作られた薄餅(小麦粉のクレ−プ)にダックのスライスを一切れ乗せ、それにネギとキュウリを添えて甘ミソを付け、それらを一緒に巻き込んで頬張るのである。それに倣って、みんなそれぞれに賞味し始める。薄餅は何十枚か皿に重ねて置いてある。ネギは中ネギの大きさで、その白い茎の部分を十センチぐらいの長さに切ってある。キュウリは細く縦切りにして同じ長さに切ってある。そして、甘味のミソが置いてある。ちょうどキュウリにミソをつけて食べるのと同じ感じである。
 

こちらも一包み作って食べてみる。う〜ん、残念ながら期待した味ではない。がっかりである。鴨の肉がとても美味しいので、その同類のアヒルだからきっと良い味をしているのだろうと独り合点していたのだ。ところが、期待に反して肉の味はさっぱり。にとにとした感じで味悪く、あの美味しい鴨の味には程遠いものである。念のために、肉だけもう一切れ味わってみるが、やはりまずい。二切れほど食べて、打ち切りにする。


北京ダックは有名料理だが、それにしては期待を裏切るがっかり料理である。皿の上には、北京ダックのアメ色に輝くスライス片が、まだ少々残っている。でもこれ以上、みんなの箸は進まない。艶やかに焼き上がった外観だけは、いかにも美味しそうで食欲をそそるのだが、見かけ倒しとはこのことだろうか。
 

食事の後はホテルへ帰る予定なのだが、このレストランが尖沙咀の繁華街にあるので、みんなそれぞれに夜の散策を楽しんで帰ることになる。四日コ−スの人たちは明日帰国するのだが、これまで自由時間がなかっただけに今夕が最後のチャンスである。帰りはホテルのシャトルバスが香港の超一流ホテル・ペニンシュラホテル横から三〇分おきに出ているので心配ない。
 

足ツボマッサ−ジ
さて、こちらは香港名物・足ツボマッサ−ジを楽しんでみよう。昨日、街頭で足ツボマッサ−ジのチラシをみんなもらったのだが、何人かがそれを希望したのでガイドのパンさんが予約を入れておいてくれたのだ。店のオ−ナ−が迎えに来てくれ、タクシ−に分乗して八人ほどマッサ−ジへ向かう。エステもできるというので、若い女性も参加している。オ−ナ−は中国人の女性で年齢三十八歳といい、日本語がなかなか上手である。それもそのはず、東京で七年間エステの修業を積んで帰国したという。とても、その年には見えない若い容姿で、その若々しさにみんな感心することしきりである。
 

店内は意外と小ぎれいで、エステの部屋と足ツボマッサ−ジの部屋とに分かれている。マッサ−ジ室には五、六台のイスが並んでいる。早速、イスに座ってマッサ−ジを受ける。五十歳代と思われる白衣を着た女性マッサ−ジ師は、おもむろに足を蒸しタオルできれいに拭き上げる。そして、何やら油性のクリ−ム状のものを塗り付け、ぬめりよくなったところでマッサ−ジを始める。


足には人間の体にある三六五のツボのうち、二割に相当する約七〇のツボが集まっており、特に足の裏には全身の器官と密接に関連のあるツボが集中しているという。足ツボマッサ−ジはこのツボを刺激して起こる反応により体の悪い部分を診断し、その部分の調子を整え、体調を良くする効果があるという。これは中国四千年の歴史が生み出した「足ツボ指圧」療法なのだという。
 

何はともあれ、疲れた足にはなんともいえない気持ちよさである。しかし、特に悪い部分のツボには強い痛みを感じるそうで、アイタタッと大きな悲鳴を上げることになる。マッサ−ジ師は片足のほうを自分の膝上に取り上げ、足の指一本一本をしごくように自分の指で挟みながらマッサ−ジを繰り返す。かなりの圧力で挟むので、相当の圧迫痛が感じられる。足の裏など、指を曲げて作ったこぶしの突端でグイグイと押し込むのでかなりの圧痛に耐えねばならない。こうして、足の裏や足の甲のすべてと膝までの足を指圧していく。
 

あちこちの席から、女性の悲鳴が聞こえ始める。幸か不幸か、私の場合はかなりの圧迫痛は感じられるものの、悲鳴を上げるほどの痛さは感じられない。これから判断すると、どことて悪い部分は認められない健康体といえるのだろうか、それとも少し鈍感なのだろうか。隣席で悲鳴を上げている初老の男性は肝臓が悪いそうだが、そのツボが的確に当たっているという。だから、このことはまんざらウソではなさそうだ。
 

四十五分のマッサ−ジで、疲れきっていた足もすっきりと軽くなり生気が戻る。だが、料金は四〇〇香港ドル(六、〇〇〇円)と結構高い。終わると、特製の水を一杯飲まされる。マッサ−ジの後には、血液中のバランスを回復するために水分の補給が必要なのだそうだ。帰りも一緒にシャトルバス停まで送ってくれるというので、みんなが終わるのを待つことにする。ところが、いつまで経ってもエステに入っている女性軍が終わらない。これでは帰りが遅くなるので徒歩で帰ることにする。
 

ホテルへ
ギンギラネオンに輝く夜の通りを、例のネイザン・ロ−ドへ向けて独りで歩き出す。十五分も歩くと向こうにペニンシュラホテルが見えてくる。シャトルバス停に到着すると、欧米人を含めて帰りの客が結構待っている。バスは二十人近くの帰り客を乗せて満席になると、郊外のホテルへ向けて香港の夜を走り抜ける。今夜もホテルに着いたのは夜の十時である。






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