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  N0.3











3.グアム島1周観光
 
早くも3日目。今朝も睡眠十分で、気分爽快に6時起床。いつものように真っ先にカ−テンを引き分け、空の様子をチェックする。やはり、期待も空しく雨雲が低く垂れ込めて、今日もシャワ−がありそうな空模様である。とうとう最後まで太陽は拝めずじまいに終わりそうだ。こればかりは、くよくよしてもしようがない。あきらめが肝心だ。
 

最終日の今日は島内1周めぐりの観光予定で、8時過ぎに出迎えが来るので、それまでに朝食を済ませて身仕度を整える。朝食は昨夜買い揃えたパン類2個とジュ−ス、それにバナナと簡素なものである。これでも腹応えは十分。しかし、腹もちは悪くてお腹が空くのは早い。
 

島内めぐりへ
時間通りにやって来た迎えのバスに乗って、1日がかりの島内めぐりの旅へ出かける。これも日本人ばかりで総員15〜6名。いくつかのホテルを回って参加者をピックアップする。全員がそろったところで、一路南部を目指して出発する。今日のガイドさんは男女2人で、男性は年配のヴェテランガイド、女性はサイパン生まれの中年ガイドである。案内役はもっぱら女性ガイドで男性ガイドはただ付き添っている。
 

バスは一昨日、昨日、今日とこれで3度目となる海岸線の見慣れた風景を見せながら沿岸道路を走って行く。太平洋戦争国立歴史公園前を走り抜け、すぐ隣の海中展望塔前を通り過ぎる。そして、その先の火力発電所の高い煙突を見ながらさらに走り、昨夕のサンセットクル−ズでめぐったアプラ港を通り過ぎる。そこからしばらく走るとバスストップとなる。ガアン・ポイントである。
 

ガアン・ポイント
ここは旧日本軍の要塞跡地で、日米軍の激戦地となった場所らしい。それを記念してここも「太平洋戦争国立歴史公園」として保存されている。広い敷地の入口には「GA’AN POINT」と表示した石碑が置かれている。ここに立つと、すぐ目の前は海岸線になっており、椰子の木が立ち並ぶ片隅に3つの国旗がひるがえっている。真中にアメリカの星条旗が、そしてその左右に日本とグアムの国旗が仲良く掲揚されている。60年前には両軍兵士が命を賭して戦ったのが、今はこうして仲良く国旗を掲げられる平和な時代になったものだ。
 

ガアン・ポイントの石碑


日・米・グアムの3国旗が仲良くひるがえる

岸辺に立つと、目の前には波静かでのどかなビ−チが広がっており、その昔、ここが激戦地だったことがウソのようである。いつまでもこの穏やかで優しい風景を見せていてほしいものだ。



今は穏やかな風景を見せているが、ここには幾多の戦士の魂が眠っている。




このビ−チに立って国旗の方を振り返ると、その前には当時使われた高射砲が記念物として置かれている。砲に錆つきのないところが、ちゃんと維持管理がなされていること示している。
 

記念の高射砲と国旗

ここからビ−チ沿いに右手へ少し移動して行くと、旧日本軍のト−チカが現れる。ここが要塞として使われたのだろう。若い世代は「ト−チカ」といっても知らないかもしれない。今は死語となって幸せな時代だが、我々の世代にはそうはいかなかったのである。


今も残るトーチカが戦争の無残さと無意味さを物語っている

ト−チカの中はそんなに広くはなく、その覗き穴から狭い四角にカットされた風景を眺めていると、当時の兵士たちもこれと同じ景色を見つめていたのだろうかと胸が熱くなる。同じ“見る”という行為でも、こうして観光で眺める視線と敵の動きを探索する視線とでは大きな違いがある。この窓から見る兵士の視線には命がかかっているのだ。平和な時代のありがたさが身にしみる。
 

トーチカの小窓より見た風景。迫り来る米軍を見た時の心境や如何!?

この上はこんもり茂る小山になっており、ここにも砲台跡がある。ここには下のト−チカとの間で伝令のやりとりをしていたパイプが今も残っている。そこをどんな指令や連絡が飛び交っていたのだろう? 身のすくむ思いがする。このト−チカの後方壁面に「高木隊・第二分隊13名」と刻まれた文字がくっきりと残っている。こんな遺構を見るにつけ、心が締め付けられる思いがする。この公園の片隅に大きく成長したマンゴの木がたわわたに実をぶら下げているのを見上げながら、兵士たちの鎮魂を祈る。
 

コンクリートに記された分隊名の文字痕


たわわに実をつけるマンゴの木

スペイン古橋
ここを後にして、さらに南へ進む。ほんの数km走ったところに細い小川が現れ、右手の奥に可愛い石造りの眼鏡橋が見える。これが「スペイン古橋」と呼ばれ18世紀のスペイン統治時代の代物だそうで、史跡記念物にも指定されているという。ここでは下車せず、車上から眺めるだけで素通りする。
 

小さいが歴史のあるスペイン古橋

ここから3kmほど南下しながら山路を上っていくと、2つのビュ−ポイントが現れる。手前にセラ展望台、そしてその1.6km先にセッティ湾展望台と続く。この海岸線一帯はその昔、火山活動で隆起した標高300mぐらいのなだらかな丘陵地帯になっており、その上からフィリピン海の雄大な景観が一望できるポイントになっている。バスはセラ展望台は素通りして、小さな入江のセッティ湾が見下ろせる展望台へ進み、ここでストップ。
 

セッティ湾展望台
何やら雲行きは怪しいが、とにかくシャワ−に遭わないうちに急いで展望台へ。少々の階段を上りあがると展望台に至り、そこから禿げ山のようななだらかな丘陵がセッティ湾を包み込むように広がっているのが眺望できる。この海岸地帯には3000年もの間チャモロ人たちが住んでいたらしい。ここでラッテ・スト−ンも発見されている。折角の展望が、垂れ込めた鉛色の雲ともやに覆われて海の青も空の青も見ることができない。実に残念で惜しいことである。この湾はグアムおよび合衆国の史跡に指定されている。





セッティ湾展望台よりの眺望




山頂の十字架
ここを後にすると、6km足らず南下してソレダット砦に向かう。その途中に見える背後の高い山を見ると、その山頂に十字架が何本も立っているのが見える。あんな高い山奥の所に墓地が?と思っていると、それは墓地ではなく、信者が何かの際に特別の祈りを捧げるために建てるのだそうだ。17世紀にスペインのイエズス会宣教師サン・ピトレスによってカトリック教がこの島にもたらされた歴史的経緯もあり、島の住民の75%が熱心なカトリック信者と聞けばうなずける話である。
 

山頂に見える十字架群

ソレダット砦
砦に到着してみると、壁で囲まれた台地になっており、その海寄りの壁際には当時のものか3門の大砲が海を向いて据えられている。ここはスペイン統治時代、交易船を海賊から守るために築かれた砦の跡だそうで、改修されて現在の姿になっているという。
 

大砲が据えられたソレダット砦

この砦の右手下には小さな入江が静かな海面をたたえながら美しい景観を見せている。日本のどこかにあるような風景で、グアムとは思えない景色である。南国のグアムであれば、岸辺に椰子の木が立ち並ぶそれらしい風景が想像されるのだが、ここにはその雰囲気がない。教会が見えるところなど、熊本の天草島か長崎の五島列島の感じにさえ見える。



砦から眺めた入江の景観




熊 岩
ここを引き揚げると、グアム島の南端に向かって走り、マリンスポ−ツのメッカとなっている小さなココス島を右手に見ながら南端をぐるりと周回する。ここからバスは今度は北上しながらチャモロ文化村に向かう。その途中、小さな入江沿いに走っていると、ガイドさんが「あの岩は何に見えますか?」と突然みんなに問いかける。ふとそちらを見ると、何やら動物に似た岩が岬の突端に立っている。
 

はてな?と思案しながら、走行するにつれ刻々と形を変える岩を眺めやる。どうもゴジラが立っている姿に似てるかな?と独りで考えていると、「あれは熊が立ち上がっている姿に似ていませんか? だから、熊岩と呼ばれるんです。」と答を出してくれる。なるほど、そういわれてみれば確かにそうである。
 

これが熊岩

天然プ−ル
ここを通り過ぎてしばらく走り、イナラハン村にさしかかると、小さな海岸の溜め池みたいな場所が現れる。これがイナラハン天然プ−ルと呼ばれるもので、自然の岩の窪みが造り出した海中の天然プ−ルとなっている。ここなら外海の荒波が直接押し寄せることもなく、子供たちも安心して海水浴ができそうだ。走行しながら眺めるだけだから、あっという間に通り過ぎてしまう。
 

自然が造りだした天然プール


(次ページへつづく・・・)










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