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             NO4




10.アンカラ・・・・アナトリア文明博物館・ベリーダンス・アタテュルク廟

10日目。今日は首都アンカラへ移動の日である。昨夜は早寝したので、今朝は5時半に目覚める。TVのCNN放送でも見ながらゆっくりと過ごす。世界の天気を見ると、トルコ方面は晴れの予報となっている。今日も天候は心配なさそうだ。7時になったので食堂へ行ってみると、やはり昨日と同様に、お客はもちろんスタッフの姿も見えない。いくら宿泊客が少ないからとはいえ、その対応の悪さに不愉快な気分にさせられる。またもフロントへスタッフを呼び出しに出向き、そして人気のない食堂でお粗末すぎる朝食を始める。
 

出発の支度をしてロビ−で待っていると、約束どおりガイドのオジさんが7時半に出迎えに来てくれる。なかなか信頼のおけるガイドである。旅行社の前がバスのタ−ミナルになっているので、出発まで事務所でティ−の接待を受けながら待つことにする。その間にガイドさんがアンカラまでのバスのチケットを買いに行ってくれる。運賃は約600円。最後まで、よく面倒をみてくれる御方である。8時の出発時間となり、ガイドに礼をいって別れを告げる。
 

のんきなドライバー
大型バスには数人の乗客しか乗っていない。若い男性車掌がエンジンを始動し、暖房を入れ始める。ところが出発時間の8時になってもドライバ−の姿はまだ見えない。いったいどうしたのだろう。車掌も降りてドライバ−を探している様子である。戻って来た車掌に、乗客が詰問している。車掌がそれに答えているが、こちらにはトルコ語が分からない。15分過ぎてもまだやって来ない。車掌も携帯電話をかけたり、右往左往している。こちらも先を急いでいるので気が焦る。20分過ぎになって、やっと小走りに何処からともなくドライバ−が駆け込んでくる。これで、やっと出発だ。
 

長距離バスのドライバ−は、この国ではなかなか権威のある様子だ。かしずいている車掌の様子から、そのことが察知される。かなり遅れて出発したバスは、ネヴシェヒルへ向けて走っている。こんなに遅れて、この先どうなるのかなと案じていると、20分ほどでネヴシェヒルのオトガル(バスタ−ミナル)に到着である。ここでみんな降ろされ、アンカラ行きの別のバスに乗り換えとなる。直行バスではなかったのだ。だから、乗客が少なかったわけだ。やはり、カッパドキアの交通基点はネブシェヒルになっている。
 

座席違い
アンカラ行きのバスには、結構乗客が乗っている。何時に出発するのか尋ねると、9時発という。それで、ユルギュップからのバスは遅れても余裕があったわけだ。うまく最前列に空席があるので、これ幸いに腰を下ろす。しばらくして出発間際に若い男性客が乗ってくる。彼はステップに乗ったまま私が座っている席を見ながら、なにか怪訝そうな顔をしている。それに動じず居座り続けていると、彼はバスを降りて係員を呼んで来る。やってきた係員が、私にチケットの提示を求めるので差し出すと、あなたの席はここだといって中ほどの席に案内する。なんと座席番号が決まっていたのだ。カイセリからカッパドキアに行く時がそうだったことをすっかり忘れていたのだ。ちょっとしたトラブルに何事ならんと、トルコ人ばかりが乗った車内の視線が一斉に私の方に集中している。この外国人は、いったい何をしでかしたのだと思っているのだろう。


指定の9番席に移ると、隣席は空いている。独りゆったりと腰を下ろしていると、車掌らしき女性がやってくる。今度はTulban(イスラム教の女性が被るスカ−フ)を頭に被った若い女性である。イスラム社会では仕事をする時でもスカ−フは被ったままなのだ。乗務員が揃ったところで、バスは9時ちょうどに出発。このバスも郊外に出てから2、3カ所で臨時ストップし、手を振る乗客を拾っていく。なかなか合理的な慣行である。
 

コーヒーのサービス
車掌がそろそろサ−ビスの準備を始めている。今日はどんなサ−ビスがあるのか楽しみである。興味をもって眺めていると、彼女はつつましやかな態度で先頭の座席からコ−ヒ−のサ−ビスを始めている。やはりアンカラまでの距離はカイセリ〜カッパドキア間より長距離なので、サ−ビスの内容も違うのだろうか。そう思っていると、私の順番になって紙コップに熱いコ−ヒ−が注がれる。そこでまたチャンス到来と、とっておきの言葉で「チョク ギュゼルセン(あなたは大変美しい)」と声をかけてみる。
 

愛嬌満点の女性車掌さん
すると、どうだろう。それまでのしとやかな態度は一変し、途端に「キャッ、キャッ、キャッ」と笑いころげながら、私の肩をたたくのである。「この人、なんて上手なこというんでしょう。」とでもいった様子である。実は、彼女はとても明るくてはしゃぐタイプの愛嬌満点の車掌さんなのである。そして私の顔を見つめながら、「チョク ギュゼルセン」と彼女が冷やかす。それに応えて、今度は私が「チョク ギュゼルセン」といい返す。私のところに立ち止まったまま、こんなやりとりの応酬を繰り返しながら、真珠のように真っ白な美しい歯を輝かせながら彼女はキャッ、キャッと笑いころげるのである。なんと陽気な車掌さんだろう。周りの乗客も、その様子を見ながら何やら可笑しそうに話している 。途端に、車内は笑いの渦に包まれてしまう。彼女の年齢は19歳、箸を落としても笑う年頃なのだ。
 

その後、私の側を通る度に、その言葉を掛け合いながら、笑いを楽しむのである。すっかり、うちとけてしまった様子である。ロ−ションを配る際にも、私の番になるとおどけながら他の2、3倍もの分量を掌に振り出し、私が戸惑うのを楽しんでいる。そのうち暇になると、今度はわざわざ私のところにやってきて、何やら話しかけてくる。チンプンカンプンの私が戸惑っていると、前席に座っているトルコの青年が、ほんの片言の英語で通訳に入ってくれる。
 

彼の故郷はカッパドキアで、いまアンカラの大学で地理学を勉強しているという優しい好青年である。彼の通訳によれば、あなたは日本人なのか、これからどこに行くのか、年齢はいくつなのか、などを尋ねているという。そんな問いに一つひとつ答えながら、3人交えていろいろと四方山話に広がっていく。
 

そのうち、また彼女が笑いながら何か話し掛けている。彼にその意味を問うと    “I love you.”といっているという。そこで、また車内はどっと笑いの渦に包まれる。彼にその語のスペルを書いてもらう。「Seni(あなた)seviyoruin(愛する)」となるそうだ。今度は「セニ セビヨルイ」と何度も口の中で繰り返しながら発音練習をする。
 

慣れたところで、彼女に向かって「セニ セビヨルイ」と声をかけると、またまた大きく笑いころげて喜んでいる。そしてまた、彼女がそれに応える。そんなことを繰り返しながら、オリエント風の美しい瞳を輝かせて、辺りかまわず彼女は笑い続けている。外国人の私に愛の言葉を教え込んで、それを楽しんでいるのだ。
 

その後も彼女は、度々私の所に来ては何かとおしゃべりを楽しみ、そして朗らかに笑い飛ばすのである。カッパドキアからアンカラまでの4時間のバスの旅は、彼女と青年とを交えた想い出深い国際交流のうちに、あっという間に過ぎ去ってしまう。アンカラ行きのバスの中で繰り広げられたのどかな風景である。
 

たった一つの外国語がもたらした楽しい旅の想い出。いかに言葉が、それも現地語が、どんなに素敵なコミュニケーションの輪をはぐくむのかを思い知った旅でもある。
 

バスは途中、小休止のためサ−ビスエリアで20分ほどストップする。その間に乗客は、思い思いにトイレに行ったり、食堂で軽食を食べたりして過ごすのである。車内のサ−ビスは長時間とあって、カイセリから乗った時とは違っている。まずコ−ヒ−のサ−ビスに始まり、次はケ−キとティ−、そして最後はミネラルウォ−タ−である。これにロ−ションサ−ビスが加わる。運賃600円でこのサ−ビスだから、トルコのバス料金はほんとに安い。
 

カッパドキアから首都アンカラまでのコ−スはアナトリア高原地帯を走っているので、窓外を流れる風景はどこまで走ってもゆるやかに広がる大草原が視野を埋め尽くすだけである。あたかもドイツのロマンティック街道の草原を走っているような感じである。だが惜しいかな、今はひとしずくの緑さえ見られず、ただ一面に枯れ草色で染められた冬の寂しい高原が静かに広がっているだけである。
 

アンカラ到着
午後1時、出発から5時間かかって首都アンカラに到着である。楽しい車中のひとときをつくってくれた彼女と別れを惜しみながらバスを下車。これからカッパドキアへとんぼ返りするという彼女の瞳は、アンカラの冬の空のように深く澄みきって美しい。ギュレ ギュレ!(さようなら)と別れの言葉を残しながらオトガル(バスタ−ミナル)の構内へ急ぐ。予定より時間がかかり過ぎだ。こちらの予定では午前中に着いて、午後から市内観光を予定していたのに、これではその時間が取れそうにない。とにかく、腹ごしらえだ。
 

ここのオトガルは最近新築された屋舎らしく、そのスケ−ルの大きさには驚かされる。長方形につくられたコンコ−スはべらぼうに広く、その長さだけでも100mはあるだろうか。その天井も高く、新しい広々とした空間はなかなか気持ちがいい。ここは地下鉄のタ−ミナルとも連結しているので、何かと便利である。
 

コンコ−スの一角に食堂を見つけ、そこへ飛び込んで昼食を始める。陳列ケ−スの中からチキンにポテトと野菜がついた皿を選び、それにス−プをオ−ダ−する。これにパンも添えられている。これで代金300円である。昼食にしては少し重い食事で、お腹いっぱい満腹となる。 


ホテルへ
とにかく先を急がなければ時間がない。このオトガルから中心街クズライまではミニ地下鉄アンカライが走っている。宿泊ホテルはその方向なので、これに乗って急ごう。そこで、アンカライの案内表示を見ると、この構内から階段を上った階上から発車するようになっている。急ぎ階段を駆け上り、チケット売り場を探す。その前に、ホテルまでの行き方を教えてもらわなければならない。
 

そこで、若い通行人をとらえて尋ねてみよう。若者に英語を話す人が多いからである。しかし、いくら待っても若者の姿が見えない。しびれを切らして、若い子供連れの婦人をとらえ、「英語話しますか?」と尋ねると、やや躊躇しながら「えゝ、少しだけなら」と返事が返ってくる。「クズライへ出るには、このアンカライで行けますか?」と質問すると、OKという返事。そこで、チケット販売の窓口を教えてもらい、一緒に連れだって1枚300円のチケットを購入する。なんと運賃の高いこと! 市内バスなら数十円単位なのに、どうして地下鉄はバカ高いのだろう。
 

一緒に案内してもらいながら自動改札口を通過し、ホ−ムへと向かう。待ち構えていた新しい感じの地下鉄電車に乗り込み、間もなく発車。早速、地図を広げて「この場所に行きたいのですが、駅から遠いですか?」と聞くと、その言葉がよく理解できないらしく、その婦人がちょっと戸惑っている。すると、そのやりとりを見ていた近くの中年紳士が、「Can I help you?」と声をかけてくれる。そこで、「英語話しますか?」と尋ねると「Yes!」という返事。これで救いの神が現れた!
 

彼にホテルの場所を示し、そこへのル−トを尋ねる。すると親切な彼は、揺れる電車の中で手帳の用紙にクズライ駅からのル−トを地図に書いてくれ、「ORMAN BAKAN」という建物を尋ねながら行けば分かりやすいからと、親切な解説入りでその用紙を切り裂いて渡してくれる。目指すホテルは、その建物の角を曲がった先にあるのだ。自分もそのホテルなら知っているといい、駅から歩いて10分少々で行けるだろうと教えてくれる。ほんとに親切な紳士である。旅先で受けるこんな親切ほど嬉しいものはない。「チョク テシェッキュレデリム!(大変ありがとう)」と厚く礼をいいながら、間もなく到着のクズライ駅で下車する。
 

駅員をとらえて、「ORMAN BAKAN」へ行くにはどちらの出口かを確かめ、地上へ上り出る。この地域はアンカラの新市街の中心地クズライ地区で、そこにメインストリ−ト・アタテュルク通りが走っている。くるまで埋まる片側3車線の広い通りの両側には、ビルが立ち並んで商店が軒を連ねている。繁華街だけあって人通りも多い。紳士が書いてくれた地図を片手に道を尋ねながら進んで行くと、やがて「ORMAN BAKAN」の建物が現れる。ここは名の知れた所らしい。後で尋ねても、それが何を目的にした建物かはよく分からない。  






アンカラのメインストリート
アタテュルク通り









迷わず目指すホテルに着いたのは、午後の2時半である。午後の観光には、ちょっと遅すぎる時間である。午後の半日は取れると思っていたのに、これでは予定が狂ってしまう。アンカラの観光は、今日の午後半日と明日の午前少々の時間しかないのだ。はたと困ってしまう。ここアンカラの観光ポイントは、それほど多くないので時間はかかりそうにないが、少なくとも「アナトリア文明博物館」と「アタテュルク廟」の2カ所だけは見る予定にしているのだ。  


アナトリア文明博物館
急いでチェックインすると、息つく間もなく直ぐに観光に飛び出す。尋ねてみると、アタテュルク廟も博物館も閉館時間が4時だという。とにかくタクシ−を呼んでもらい、それに飛び乗ってまずアナトリア文明博物館へとくるまを走らせる。ホテルからタクシ−で10分ほどの距離(料金380円)にある博物館は小高い丘の上にあって、15世紀の建物を改造したという古めかしいものである。ここはまさにトルコの歴史を物語る数々の出土品が展示されている博物館で、すべてアナトリア地域から出土された旧石器時代からの遺物が年代順に並べられている。

 




アナトリア文明博物館の入口
レンガ風の古めかしい石積み建築







入場券を買って館内に入ると人影はほとんどなく、静かな雰囲気の中に数々の歴史的遺物だけが静かに展示されている。とにかく急ぎ足で館内をめぐって歩く。地階にも展示室が設けられているが、館全体のスペ−スはそんなに広くはない。案内の解説者がいて説明してくれれば面白いのだろうが、それなしでは歴史や考古学にうとい筆者には手に負えない。ただ目にとまる物といえば、どくろの付いた発掘人骨の生々しい展示だろうか。

 




 発掘人骨の展示















 館内の展示










駆け足見学を終えて博物館の門を出ると、タクシ−の客引きオジさんが待っている。だが、タクシ−の姿は1台も見えない。そこで、「アタテュルク廟に行きたいのだが。」と頼むと、腕時計を見ながら、「閉館まで時間がないので無理ですよ。」という。やはり無理なのだ。そこで廟の見学はあきらめ、ホテルに戻ろうと「クズライ  ル−トファン」と頼むと、無線でタクシ−を呼んでいる。すると、建物の横手のほうからタクシ−が姿を現す。博物館前の道路が狭く、タクシ−の客待ちができないので別の場所で待機しているらしい。それでタクシ−整理専門の係が配置されているわけだ。
 

クズライのメインストリ−ト・アタテュルク通りで降ろしてもらい、繁華街をぶらりと歩いてみる。ウィンド−ショッピングをしながら歩いていると、若い2人連れの女性が歩いている。そこで「ORMAN BAKAN」はどちらの方向かと尋ねると、「この方向ですよ。」と、にこにこしながら教えてくれる。彼らは英語が話せるのだ。そして、同じ方向に一緒に歩き始めながら、いろいろ矢継ぎ早に質問を浴びせる。彼らは高校2年生で、この近くで催されるイベントに出かけているのだという。2人ともボ−イフレンドは、まだいないという。可憐な少女2人と会話を交わしながら歩いていると、あっという間に「ORMAN BAKAN」の前に来てしまう。ここで「ギュレ ギュレ」と手を振りながらお別れである。
 

チーフスタッフとの談笑
ホテルに戻ってコンセルジュを探すと、そのデスクに若い女性の係が座っている。早速、ここアンカラでベリ−ダンスが見れるところはないかと尋ねてみると、なんと今このホテルでそのショ−をやっているという。ダンスと民族音楽の夕べだそうだ。そういえば、エレベ−タ−の中でそのポスタ−が貼られていたのを思い出す。そこでディナ−付きで予約をお願いすることにする。ここの最上階にナイトクラブがあるのだ。ここだと、わざわざ出かける必要もないし、居ながらにして遅くまで楽しめるので心配がない。
 

彼女はすぐに電話して予約を取ってくれる。ショ−は9時から始まるので、8時過ぎには出向かれて食事を楽しまれるとよいでしょうと教えてくれる。彼女の仕事も、ちょっと暇そうな感じなので、少しおしゃべりを楽しむことにしよう。彼女も、「どうぞお座りください。」と椅子をすすめながら、快く応対してくれる。そして、近くのスタッフを呼びつけ、私にコ−ヒ−の接待をするように指示している。彼女はフロント業務スタッフのチ−フだそうで、まだ若いのにお偉いさんなのだ。
 

コ−ヒ−をご馳走になりながら、四方山話に花を咲かせる。トルコ大地震の際には、どんな様子だったのか尋ねると、アンカラではそれほどの揺れはなく、物が壊れたりすることもなくてノ−プロブレムだったという。フィアンセがいて来年(2000年)3月に結婚するのだと嬉しそうに話している。とても優しくしてくれるので気に入っているという。結婚しても当分は共働きするそうだ。インタ−ネットは業務用で使っており、彼女自身のメ−ルアドレスも持っているという。そこで、筆者のホ−ムペ−ジアドレスを教えたり、彼女のメ−ルアドレスを聞いたりしながら双方のアドレスを交わす。
 

日本は行ったことがないが、機会があればぜひ行きたい。長崎・広島の原爆のことは、よく知っているという。その他、もろもろのことを話しているうちに、時間は1時間をとっくに過ぎてしまっている。あまり長居をしても恐縮なので、ここで腰を上げることにしよう。「後ほど、ナイトクラブに顔を出しますから。」という彼女の言葉を耳に残しながら部屋へ戻る。8時まで時間がたっぷりある。その間に入浴を済ませておこう。帰りが遅くなりそうだ。
 

ナイトクラブで夕食とベリーダンス観賞
8時を回って最上階のナイトクラブへ出かける。「予約しているのですが。」と伝えると、すぐに席の方へ案内される。日本人はただ一人だけなので、すぐに判別がつく。小型の丸テ−ブルに座って様子をうかがうと、もうすでにかなりのグル−プが座って賑やかに談笑しながら食事をしている。会社のグル−プなのだろうか。フロアは結構広く、配置されている大型テ−ブルも数多い。そんな中で、特上席を一人で独占しながらディナ−が始まる。
 

すでにテ−ブル上には数種類の前菜が置かれている。とても一人で食べおおせるものではない。運ばれてきたビ−ルを独り傾けながら、前菜を次々につまんでは口に運ぶ。野菜に混じって名も知らない食べ物が並んでいる。どれも結構おいしい。やがてビ−フステ−キが運ばれてくる。昨夜に続いての肉料理に気をよくしてフォ−クを進めていると、もうフロアのテ−ブルはお客でほぼ満席となっている。そのほとんどが大勢のグル−プなのだ。憶測するに、どうも同じ会社のグル−プのようだ。賑やかに広がる談笑のム−ドにひたりながら、ビ−ルの酔いも手伝ってこちらもいい気分になってくる。
 

もうお腹は満腹状態になりかけているのに、今度は魚料理が運ばれてくる。魚種は分からないが魚のムニエルである。これもなかなか美味しい。それを味わいながら食べていると、いよいよ4人の女性歌手グル−プと楽団員が登場し、歌の演奏が始まる。4人の女性歌手たちは椅子に腰掛けながら歌うのである。何曲も歌うからだろうか。どの歌手も迫力がある。その哀調を帯びた旋律はトルコの民族音楽なのだろうか。次々に民族の曲が披露され、フロアにはトルコの夜のム−ドがいっぱいに漂い始める。

 




4人の歌手がトルコ民謡を歌う









ひとしきり歌われた後一段落すると、今度はいよいよお待ち兼ねのベリ−ダンスが始まる。初めて見るダンスなので、わくわくものである。一人で踊ると思っていたのに、ここには3人の若い踊り子が現れて一緒に踊り始める。ピンクやブル−の色鮮やかなヴェ−ルのような薄い衣装を上半身にまとい、下半身は白のもんぺ姿、顔にはヴェ−ルを巻いて鼻から下を隠し、目だけを出している。いかにも神秘的だ。ベリ−ダンス特有のヘソ出しはない。

 




ベリーダンス
3人のダンサーが踊る









オリエント風のリズムに合わせて激しいダンスが始まる。観客の妨害にならないように、場所を選びながら写真を撮る。その微妙な腰の振りに目を釘付けにしながら眺め入る。洗練されたダンスである。だが待てよ、どうも想像していた本来のベリ−ダンスとはちょっと違うよう気がする。TVや映画などで見るそれは、もっと濃厚な感じを受けるのだが、この3人のダンスはあまりにも上品すぎて本来の味が出ていないようだ。現代風にアレンジされているためなのだろうか。やや失望しながら見入っていると、間もなくフィナ−レとなる。時間の短さにも少し不満が残る。次の出番に期待しよう。
 

座席でビ−ルを飲みながら一服していると、コンセルジュの彼女がひょっこりと顔をのぞかせ、「いかがですか? お楽しみでしょうか?」と、約束どおりわざわざ様子をうかがいにやってくる。そのサ−ビス精神に心打たれて思わず「お陰で素晴らしい夜を過ごしていますよ。」と、にっこり笑って答える。彼女は満足そうに笑みを浮かべながら、二、三言かわして静かに立ち去っていく。こうしたちょっとした心遣いが、お客の心をつかむものだ。
 

次いで登場したのは迫力のあるボディを紺のドレスに包んだ歌姫である。オペラ歌手のような重量感のある体躯からほとばしり出る声量は、さすがに迫力がある。主にトルコのフォ−クソングを歌っているようだ。そのうちの数曲については、お客みんなを引き込んで大合唱を始める。みんなが知っている有名な曲なのだろう。フロアいっぱいに響きわたる歌声は、昔の日本の歌声喫茶をほうふつとさせる。みんなが一緒になって無邪気に歌う大合唱を聞いていると、この国ではまだ民衆が心を一つにできる魂の歌が残っているのだなあと実感する。いざという時には、民衆が心を一つにして立ち上がるエネルギ−がひしひしと感じられる。それに比して、日本の場合は果たしてどうなのだろうか。

 




迫力のある女性歌手
場内は大合唱が始まる









デザ−トにフル−ツの皿盛りが出される。一人のテ−ブルなのに大きな皿にいろいろなフル−ツが山盛りに積まれている。とても食べおおせるものではない。何でもふんだんに出されるものだ。
 

次は最初の4人組のグル−プ歌手が再び登場して、ひとしきり歌い終わる。今度はベリ−ダンスの再登場かと期待していると、それに反して楽団の登場である。トルコ音楽の演奏なのだろうか。時計を見ると、すでに12時を回りかけている。お客もぼつぼつ姿を消し始めている。そこでウェ−タ−に、「もうベリ−ダンスはないのですか?」と尋ねると、「もうあれで終わりです。」という。ダンスが一幕だけしかないのは心残りである。もう少しあっても良さそうなものだ。不満はあるが、仕方があるまい。そこで、こちらも退散することにする。
 

ウェ−タ−にチェックを頼むと、レジに案内される。見せられた請求金額は1200万トルコリラ(2400円)、なんと安い料金だろう。これが飲み放題、食べ放題でショ−まで楽しんだ料金の総額なのである。ダンスに若干の心残りはあるものの、大きな満足感に浸りながら部屋へと戻る。今日も快晴の空が広がるアナトリアの大地で、変化に富む楽しい旅の一日を送れたことに感謝する。トルコ最後の夜は、数々の思い出をちりばめながら静かに更けていく。 


11日目。今日は帰国の日である。6時に起きて外を見ると、アンカラの空は今朝も雲一つない快晴だ。今日の行動は、ちょっと忙しい。時間がどうしても足りない。アンカラ発12時15分発の飛行機でイスタンブ−ルへ飛び、そこで17時発の帰国便に乗る予定だ。アンカラ空港には11時までに到着することを考えると、10時の空港バスに乗らないといけない。そうなると午前中の時間がほとんど取れなくなる。なんとかアタテュルク廟だけでも見たいのだが……。とにかく、朝食を済ませて出かけるとしよう。もし、入場する時間がなければ、外観の写真だけでも撮るしか仕方がない。
 

アタテュルク廟
朝食を済ませて8時過ぎチェックアウト。ホテルマンにタクシ−を呼んでもらい、「これからアタテュルク廟に行きたいので、そう告げてください。」とドライバ−に頼んでもらう。地図でそこまでの道程をみると、かなり複雑なコ−スとなっている。これでは時間がかかるだろうな。
 

あちらこちらと曲がりながら、ようやく目指す廟に到着。そこは小高い丘になっており、その構内へ通じる広い参道の入口は遮断されて門衛の警備兵が銃を肩に見張っている。親切なドライバ−は、車から降りてわざわざ警備兵のところまで近寄って尋ねてくれる。戻って来た彼がいうには、開門は9時からだそうでまだ入れないとのこと。その時間は分かっていたのだが、やはり入場は無理なようだ。そこであきらめ、ここまでやって来た記念に入場門からの風景を写真に収める。

 




アタテュルク廟の参道入口









何せ、ここの敷地は広大で、その構内は森のように密生した木々によって覆われている。ここはトルコ共和国建国の父ケマル・アタテュルクを葬るために1944年から53年にかけて造られた霊廟なのである。その壮大な廟の建物にはアタテュルクの墓が納められており、その回廊は博物館になっていて、彼に関連する品々が展示されているという。惜しいかな、ここからはその建物の偉容は拝むことができない。
 

残りの半端な時間ではどうすることもできないので、ここはあきらめてアンカラ駅へ向かうことにしよう。そこから空港行きのバスが出ているのだ。ドライバ−にその旨を告げると、くるまは廟の周囲に沿って走り出す。しばらく走ると、右前方の丘の上に壮麗な廟の姿がぽっかりと浮かんで見えてくる。そこで、くるまを止めてもらい、その容姿を写真に収める。建物の下半分は松林に遮られて見えないが、ギリシャのパルテノン神殿を模して現代風に建て直したかのような端正な姿がなんとも美しい。四角な箱のような建物を支えるように整然と並ぶ大きな柱がとても印象的である。残念ながら、ここから拝むしか手はないのだ。

 




アタテュルク廟の壮麗な建物
この中にアタテュルクの墓がある







アンカラ駅に着いてメ−タ−の料金を見ると、512万5千トルコリラ(1025円)になっている。他の物価に比べて、タクシ−の料金は割高である。ここトルコでは市内バス、長距離バス、路面電車などの料金はすごく安いのに、タクシ−と地下鉄料金は日本並みに高い。できるなら、この2つの交通機関は利用しないに越したことはない。そう思いながら料金を支払って別れを告げる。
 

空港へ
アンカラ駅は、それほど大きくはないようだ。目の前にはHavas(ハワシュ)の空港行きバスが待機している。それに飛び乗って切符を買うと、150万トルコリラ(300円)である。間もなくバスは発車して、アンカラ空港へ向かう。郊外へ抜けて約40分で空港到着である。それほど遠い距離ではない。10時前に到着して、少し早すぎる時間である。
 

空港ロビ−に入ると人影はまばらで少ない。早速、トルコ航空のカウンタ−でチェックインを申し出ると、女性の係員が「ここから何処へ行かれるのですか?」と質問するので、「イスタンブ−ルですよ。」と答える。すると、「いいえ、そこから先のことですよ。」という。「関西空港です。」と告げると、「そのチケットも見せてください。その分もここでチェックインしますから。」という。そこでお決まりの「出口に近い通路側の席をお願いします。」と頼んで、帰国便のボ−ディング・パスをここで入手する。
 

出発まで時間があるので自宅へ電話でもかけてみよう。そう思いながら公衆電話の様子を見に行くと、カ−ドの差し込み口が2カ所あってよく分からない。英語での案内が書かれていないので、使用方法が分からないのだ。近くの案内所に男性スタッフがいるので、そこで電話の掛け方を尋ねるが、首を横に振るばかりでらちが明かない。英語が話せないのである。少なくとも首都アンカラ空港内の案内所のスタッフなのに、英語も話せないとはどうしたことなのだ。そこで今度は、PTT(ペ−・テ−・テ−、トルコの郵便局)の窓口を見つけ、そこの係員に話しかけてみるが、ここも英語がダメである。
 

あきらめて仕方なくぼんやりと時を過ごしていると、空港の女性職員2人が電話の傍で長話を始めている。そこで、ここぞとばかりに割って入り、やっと電話の掛け方を教えてもらうことに成功する。早速、PTTの窓口でテレホンカ−ド1枚(150万トルコリラ=300円)を購入し、国際電話を掛けてみる。折角通じたと思ったら、残念にも自宅の電話は留守電になっている。これまでの奮戦が徒労に終わる。イスタンブ−ル空港で掛けるしかしようがない。 


こんなことで時間をやり過ごしながら、やっと出発の時間となり、機上の人となる。イスタンブ−ルまで1時間の飛行なので、飲み物のサ−ビスが終われば間もなく到着である。機内の案内放送を聞いていると、「乗り継ぎの乗客はトランジットバスにお乗りください。」と案内している。イスタンブ−ル空港は国内線と国際線のタ−ミナルが少々離れているのだ。乗務員に「ギュレ ギュレ」と別れを告げながら機外に出ると、「TRANSIT」と掲げたバスが待っている。これに飛び乗って、いよいよ最後の国際線タ−ミナルへ到着する。
 

最後の買い物
ここアタテュルク空港(イスタンブ−ル空港)は、エジプトへ往復する際と今度で3度も立ち寄ることになる。出発ロビ−には同じ帰国便に乗るのだろうか、大勢の日本人ツア−グル−プが待ち合っている。ポケットのトルコ通貨を調べてみると、残りわずかしか残っていない。そこでまず、妻子へ出す葉書の切手を買っておこう。PTTの窓口を探して、切手2枚を購入(1枚50円)。それから今度は、喉の渇きを潤したい。カフェを覗くと、リンゴ1個とミカンが皿に盛られて売ってある。それを買ってテ−ブルに着き、やおら持参のプラスティックナイフを取り出して、得意の皮むきをしながらリンゴを頬張る。
 

後にはミカンが3個ほど皿に乗っている。その姿や形が日本の温州ミカンそっくりなのである。まさか日本から輸入したミカンではないだろなあと、いぶかしげに皮をむいて食べてみる。その皮のむけ具合、実の袋の大きさなど、実にそっくりである。口に含んでみると、甘い! その味は、日本のミカンとはかなり違った甘さで、これはなかなか美味しい。日本のミカンの味は、これにはかなわない。側を通りかかったウェイトレスにその名前を尋ねると、「マンデリ−ナ」というトルコ産のミカンなのだという。日本にこのミカン種を輸入したら、育たないものだろうか。美味しいフル−ツで喉は潤い、生き返る思いがする。
 

いよいよ最後の残金でお土産品を買うべく、あれこれ探し回る。残りの小金では、なかなか適当な品物が見つからない。その中にリンゴ茶を見つけ、店員に紙幣を見せながら「これだけのお金で、どれを買えますか?」と尋ねると、小型のアップルティ−の箱を示しながら、これですという。そこで1箱購入し、トルコ通貨はお釣りのコイン数枚だけとなって使い果たす。 


すっかり帰国気分になってベンチに座っていると、若い日本女性の2人組がやってくる。そこで旅行コ−スを尋ねると、われわれのコ−スと似たエジプト旅行の帰りなのだという。そのうちの1人は、お定まりの激しい下痢症状に見舞われ、さんざんな旅行だったという。やはりエジプト旅行では、どこのグル−プにも体調をこわす人が結構いるのだ。旅行中に発病したりすると、思い出にはなっても本来の旅行目的が果たせず、なんとしても無念なことである。
 

いま11日間の旅程を事もなく終え、安堵の胸をなで下ろしながらイスタンブ−ル空港の雑踏の中に身を置いている。5000年の歴史を秘めた古代エジプトのロマンにひたり、そして奇岩が織りなす不思議の国トルコの魅力にひたった今度の旅も、いま静かに終わろうとしている。この旅で拾い集めた数々の刺激的な体験は、私の魂の糧として想い出の引き出しに大事にしまっておこう。しばし目を閉じて、記憶のテ−プをゆっくりと巻き戻しにかかる。次々に現れる回想シ−ンに、つい想い出の世界へ引きずり込まれてしまう。ふと我に返ると、関空行き985便の搭乗案内のアナウンスが流れている。さあ、バッグを持って搭乗だ。    (完)
                            (2000年3月19日脱稿)










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