NO2
9.カッパドキア・・・・ 奇岩また奇岩・アリの巣のような地下都市・ウフ
ララ渓谷
8日目。今日はカッパドキアへ移動する日だ。イスタンブ−ルから東へ約600km離れた位置にあり、バスで11時間の距離である。トルコは長距離バス路線網が発達していて料金も安く、便利である。しかし、急ぎの旅には時間がかかるので、今回は空路カイセリまで飛び(所要1.5時間)、そこからカッパドキアまで移動することにする。
8時40分発のカイセリ行き飛行便に乗るため、今朝は早起きして5時半に起床。ゆっくりと洗面を済ませ、出発の身仕度を整える。とはいっても、重さ4kgのバッグ1つなので、あっという間に準備は終わってしまう。朝食は空港で取ることにして、とにかく空港へ向けて出発しよう。
ホテルマンにタクシ−を呼んでもらい、それに乗ってホテルを6時半に出発。空港行きバスを探してモタモタしたら、飛行機の出発時間に間に合わない恐れがある。だから、今朝は仕方なくタクシ−利用だ。早朝とあって、道路の混雑はまだ見られない。タクシム広場から金角湾にかかるアタテュルク橋を渡り、旧市街を通り抜けて空港へ向かう大通りを突っ走る。車窓から眺めるイスタンブ−ルの空は、今日も快晴だ。ほんとにありがたい。渋滞がないので、25分と短時間でアタテュルク空港へ到着。ちょっと早過ぎる到着である。
早速チェックインを済ませると、ロビ−の一角にあるスナック店へ入り、パンとジュ−ス(合計175円)を買って朝食にかかる。ミルクがないのはちょっと寂しい。出発までたっぷり時間があるので、ゆっくりと食事する。後はガイドブックに目を通しながら、これからの作戦を考える。カイセリ空港に着いてからの移動方法については、どうなっているのか皆目わからない。それは着いてからのお楽しみというところだ。
やがて出発時刻になり、数十人乗りとやや小型の国内便は、満席の乗客を乗せてカイセリ空港へ向けて離陸する。途中の眼下を眺めれば、連なる山の頂は真っ白に冠雪している。イスタンブ−ルは海の側なので冷え込みはゆるいが、内陸部になるとかなり冷えているようだ。カッパドキアは内陸部の中央になるので雪かも知れないなあと、少し不安になってくる。そこで、通りかかった乗務員に現地の天候のことを尋ねてみると、よく分からないが、今の季節には雪が多いとの答えが返ってくる。降雪の場合、道路は大丈夫なのかと質問すると、「ノ− プロブレム」という。メインストリ−トはそんなに積もらないので大丈夫とのことだ。
カイセリ空港到着
機内ではパンとケ−キの軽いスナックがサ−ビスされる。こちらは食べたばかりなので、コ−ヒ−のみをいただき、パンなどは持ち帰ることにする。昼食の足しになるかも知れない。機は1時間20分の飛行で10時ちょうどに、こぢんまりとしたカイセリ空港に無事到着。ここカイセリは、カッパドキアへの基点となる街で、遠くはロ−マ時代にさかのぼる古い歴史のある街でもあり、城塞などの史跡が散在している。古くから交通の要所で、現在でも中部アナトリアの商業都市として知られ、絨毯の産地としても有名だ。
乗客と一緒に狭いロビ−へ出ると、インフォメ−ションの案内表示を見つける。その矢印に沿って横のほうへ歩いていくと、そこはトルコ航空の窓口ではないか! そこでインフォメ−ションはどこか尋ねると、この窓口だという。窓口の係員が兼ねているのだ。早速、カッパドキア行きのバスはないのか尋ねると、ここからの直行バスはないという。だから、いったんカイセリ市内のオトガル(バスタ−ミナル)まで出て、そこからカッパドキア行きのバスに乗りなさいという。なんという不便なことだ。カッパドキアへの基点の街というのに、飛行便に合わせた直行バスがあってもよさそうなものだ。じゃ、市内行きのバスはどこから出るのか尋ねると、その右手のところから出るのだが、先ほど出たばかりだという。
こちらは午後半日のカッパドキア観光を考えているので、先を急がなければ午後の時間がふいになってしまう。タクシ−で行くしかないのかなあと思案して辺りを見回すと、頼りのタクシ−は1台もいない。さきほどまで2、3台いたのに……。乗客たちは、みんな地元の人たちとみえて、出迎えの車に乗ってそれぞれ立ち去ってしまっている。そこにたった一人取り残された私。しまったことをした、こんなことなら初めからヒッチハイクをすればよかったのだ。今となっては、もう遅すぎる。車は1台もいないのだから……。
オトガルへ
どうしたものかと思案していると、玄関前に若い空港職員が立っている。彼にすがる思いでタクシ−はいないのかと尋ねると、「オトガルへ行くのならバスがありますよ。」といいながら、親切にも私をバスまで案内してくれる。なんと、横手の引っ込んだところにバス停があるものだから、建物の陰になって目に入らなかったのだ。インフォメ−ションの係がいい加減なことを教えるものだから、とんだ失敗を犯すところだった。バスの前に切符売りのオジさんが立っているので、1枚購入する。運賃750,000TL(150円)。
間もなく発車したバスは、地元のオバさんたち3人と私の4人だけの乗客を乗せて市街へ向けて走り出す。広々とした郊外の風景を眺めていると、やがて家やビルが立ち並ぶ市街地へさしかかる。間もなくアパ−トが立ち並ぶ一角で停車すると、オバさんたち3人はそこで下車してしまう。一緒に降りようと「オトガル?」とドライ−バ−に尋ねると、「ハユル ハユル(いいえ)」と首を横に振る。そして、私を指差しながら「オトガル?」と聞きただす。そこで「エヴェット(はい)」と返事する。すると、手を差し出しながら「マネ−」とお金を要求してくる。切符を見せると、首を横に振りながら「ビル ビリオン!(100万)」という。
初めは何をいっているのか分からず、きょとんとしていると、今度は大声で「ビル ビル!」と叫び出す。そうか! ビルは1の意味だったなあと、覚えたてのトルコ語をふと思い出し、100万トルコリラをよこせといっているのに気づく。その剣幕に押されて「200円なら安い」と頭の中で換算しながら、100万トルコリラ札を1枚手渡す。するとそれを受け取り、私一人を乗せてバスを発車させる。こんなところで、覚えたトルコ語が役に立つとは!
ほどなくオトガルに到着である。目の前のタ−ミナルにはバスがいっぱい並んでいる。ここまでちょっとの距離しかないのに、どうして100万もボルのだ。このドライバ−は自分のポケットマネ−が欲しかったのだろう。先に買ったチケット代も合わせると、175万リラ(350円)にもなる。運賃の安いトルコなのに、この距離でこんなに高いはずはないのだ。まるでタクシ−並みである。
苦い思いをしながらオトガルの構内に入って行くと、呼び込みのオジさんにとらまり、どこへ行くのかと尋ねるので、「カッパドキア」と答えると、そのチケット売り場へ案内する。次の便の時間を聞くと、11時だという。これにちょうど間に合いそうだ。よかった! そこで運賃125万TL(250円)を払ってバスへ急ぐ。案の定、先に払った市内バスの運賃のほうがべらぼうに高くついたことが分かる。カッパドキアまで1時間以上の距離なのに、その運賃より市内バスのほうが高いという不可解な事態になってしまった。
バスでカッパドキアへ
気分を取り直し、カッパドキア行きのバスを探して乗車する。なかなかきれいな大型バスで、座り心地も満点。座ると間もなく発車する。このバスには男性車掌一人が乗っている。トルコの長距離バスには、必ず車掌が乗務するらしい。彼が、どこまで行くのか、ホテルはどこかと尋ねるので、「カッパドキアのユルギュップ、ホテルは×××」と返答する。「ユルギュップで降ろしてもらえるのか?」と尋ねると、OKと首を縦に振って答える。やれやれ、これで安心だ。
ここのバスは臨機応変で親切だ。街の郊外に出てからでも、手をあげて合図する乗客がいれば、そこでストップして乗せてくれる。しばらくすると、車掌が順番に何やら容器から液体を振り出して掌に落としている。「? あれは一体なんだろう。」興味深げに眺めていると、みんな手にこすりつけている。なかには顔にも塗っている者もいる。私の番がきたので両手を差し出すと、チュッチュッと掌に液体を落としてくれる。途端に、プ−ンといい香りがあたりに広がる。ロ−ションなのだ。後で聞くと、レモンのロ−ションらしい。なかなか乙で面白い車内サ−ビスがあるものだ。感心しながら、手の甲に塗って香りを楽しむ。
ロ−ションサ−ビスが終わると、今度は水のサ−ビスである。紙コップにミネラル水をついで乗客に配り始める。車掌さんも、なかなか忙しい。しばらく走ると、窓外に岩肌の露出した低い山並みが見え始める。そろそろカッパドキア地域に入ってきたのだろうか。この地は、アナトリア高原の真中に広がる世にも不思議な奇岩が連なる地域であり、それをこの目で確かめるのが今度の旅行の目的でもある。それだけに期待も大きいものがある。
この奇岩地帯は太古からの火山活動と浸食作用によって、つくしんぼやキノコのように奇岩の数々がにょきにょきと地表に林立しているのだ。その様子は、これまでに何度となく写真や映像で紹介されたものを見てきたが、一度はこの目で確かめてみたいと思っていたのだ。ここカッパドキアの地域は、かなり広い範囲にわたって広がっており、1日の観光ではとても見終えることはできない。ここでの観光は今日の午後と、明日の1日半を当てている。それでも駆け足観光だ。ここでの宿は奇岩の中にあって、カッパドキアの雰囲気が楽しめるというユルギュップにしている。
カッパドキア地方はいくつかの町に分かれており、観光の基点となる町はネヴシェヒル、ユルギュップ、ギョレメの3つである。その中で、この地方の中心都市でバスのオトガル(バスタ−ミナル)もある交通至便な町はネヴシェヒルである。だが、奇岩の雰囲気には浸れない。ユルギュップは奇岩の中にあって、その雰囲気が楽しめ、ギョレメは奇岩を利用したカッパドキアらしいペンションやレストランも多い。それぞれ、自分の好みで場所を決めればよいだろう。
やがてバスは奇岩の気配が漂う山岳地帯を走り、どうやらカッパドキア地域に入ったらしい。どんな奇岩風景が見られるのか期待に胸がふくらむ。山沿いにはうっすらと雪が積もっている。が、今のところ雪は降っていない。空は晴れたり曇ったりの天気だ。そのうちユルギュップの方向指示看板が出ているのを発見。その矢印は左を指しているのに、バスはそれを無視して真っ直ぐに走り去る。「?」どうしたのだろう。確かに車掌はユルギュップで降ろしてくれるようにいっていたのだが……。このまま素通りしてオトガルのあるネヴシェヒルまで行ってしまうのかも知れない。それが心配になり、車掌へ「ユルギュップ OK?」と再確認すると「OK」と首を縦に振る。それを信じて待つことにする。
バスはとうとうネヴシェヒルのオトガルへ到着してしまう。ここが終点なのだ。カイセリからここまでの所要時間は1時間半。目的地のユルギュップは、こことは方向違いなのだが……。不安を抱えながら、とにかく下車して降り立つと、車掌が待ち構えたように私を案内して別の小型バスに乗せてくれる。バスの表示には、確かに「Urgup」と書いてある。なるほど、事情が分かってきた。長距離バスはネヴシェヒルのオトガルまで来て、そこから各方面へ乗り継いで向かうわけだ。だが、これでは今来たル−トを再び戻ってユルギュップまで行かなければならない。こちらは急いでいるのに、なんとやっかいなことだ。
少々待たされて、バスはやっと町外れのオトガルを発車、途中ネヴシェヒルの町中のバスストップで乗客を乗せながらユルギュップへ向かう。学校帰りとあってか、高校生らしき学生が大勢乗り合わせ、バスは満員となる。山を越えながら走り、約20分で目指すユルギュップへやっと到着である。時計は1時を過ぎている。この時間から果たして半日観光ができるのだろうか。「テシェッキュレデリム(ありがとう)」とドライバ−に礼をいって下車するが、運賃は何も要求されない。恐らく、ここまでの運賃が込みになっているのだろう。
午後の観光へ
不安げにバスを降りて辺りを見回すと、ここはバスのタ−ミナルで、ちょっとした商店や旅行代理店が並んでいる。そのうちの一軒に、大きく「INFOMATION」と書いた看板が目に留まる。「しめた! 案内所が目の前にある!」と思って飛び込んでみると、そこは旅行社なのだ。英語を話す人の良さそうなオヤジさんが応対に出る。そこで早速、これから午後の観光はできるのか尋ねると、嬉しそうな顔をしながら「Of course!」と叫ぶように答える。今から自分が案内するという。他に誰もいないので、個人ガイドになるのだという。今はシ−ズンオフで観光客が少ないのだ。いいカモが来たと思ったのだろう。荷物は車に積んでおけばOK。最後にホテルまでちゃんと送るからという。
ここで明日の観光も含めて商談を進めることにする。午後の観光が$40、明日の1日観光(昼食付き)が$45という。そこで少しディスカウントしてくれと頼むと、午後の分を$5だけまけてくれることになる。明日の分は、グル−プになるので規定料金になり、まけられないという。これで商談成立。私の宿泊ホテルを聞くと、あそこは料金がとても高いホテルだ。自分が安くていいホテルを紹介しようという。でも、すでに予約を取ってあるので次の機会にと辞退することにする。
そこで昼食は食べたのかと聞くので、「まだです。」と答えると一緒に食べようという。応接ソファに腰掛け、彼は自宅から持参した箱入り弁当を開く。そして私にそれを一緒に食べろと勧めてくれる。私も機内でもらったパンとケ−キを取り出して一緒に食事を始める。彼が盛んに勧めるので、弁当を少しご馳走になる。細切れにしたパンにトマト・ポテトなどを混ぜ、それをマヨネ−ズ状のものでまぶしてある。肉類は何も入っていない。なかなか質素な弁当である。飲み物に紅茶をご馳走になる。昼食を終わると、コ−スの説明を受けていよいよ出発だ。
2人は乗用車に乗り込んで、最初の観光ポイントへ向かう。これから回るのはポピュラ−な一般コ−スだという。途中、彼のことについていろいろ話を聞いてみる。彼の勤める旅行社はイスタンブ−ルに本社がある大手の旅行会社だそうで、ガイドを始めて16年になるという。その前は他所で別の仕事をしていたという。子供たちは独立して外に出ていき、ここでは妻と2人で暮らしているという。もうヴェテランの老ガイドである。
最初のポイントに到着である。前方には大きな岩山が立ち塞がっている。その岩肌には大小さまざまの無数の穴ぽこや人家が建っている。遠くから見ると、まるで蜂の巣か鳥の巣のように見えるが、昔はそこに人が住んでいたのだろう。現在でも岩肌にへばりつくように数軒の住家が建っていて人が住んでいる。毎日岩肌ばかりを眺める生活というのは、どんな感じがするのだろう。そんなことを想像しながら、次のポイントへ向かう。
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