写真を中心にした簡略版はこちら→ 「地球の旅(ブログ版)」









              NO.5




7.カイロ郊外・・・・階段ピラミッドのサッカ−ラ・メンフィスの遺跡・アブ
            シ−ル

6日目。昨夜は夜明けの就寝というのに、今朝は9時出発というので7時に起床。4時間の睡眠だが熟睡したのでさほど眠さは感じない。早々にバイキング式の朝食を済ませて部屋で一服する。窓から空を眺めると、今日も快晴の空が広がっている。先に体調を崩した3人は医師の治療が功を奏したのか、3日目の今朝はどうにか元気を回復。今度は入れ代わるように、昨日から別のご婦人がひどい事態に陥っている。バスの中では座席に横たわったままである。激変する環境のせいで、デリケ−トな女性の体が対応できないのだろう。
 

さて、今日の観光予定は階段ピラミッドのあるサッカ−ラ、ラムセス2世の巨像などがあるメンフィスの遺跡、それに小さなピラミッドが点在するアブシ−ルの3ヶ所である。その後はエジプトを離れ、トルコへ向かう予定だ。
 

サッカーラの階段ピラミッド
カイロのホテルを9時に出発したバスは、ちょっとした田園地帯を走り抜けて郊外へ向かう。走ること約40分で砂漠が広がるサッカ−ラへ到着。目の前には階段ピラミッドが迫っている。バスを降りて域内に入る。丈のやや低い石柱が並ぶ長い柱廊を通り抜けていると、その柱の影で研磨機を使って石粉煙を上げながら何やら石を磨いている。石材品を作っているのだ。彼らは、その作業工程を観光客に撮影させてチップを稼ごうという魂胆なのである。だから、みんなが通り過ぎると、その作業の手をぴたりと止めて休んでしまうのだ。彼らも生活がかかっているのだろう。

 







  階段ピラミッドの側にある柱廊














柱廊を通り抜けてピラミッド正面の周壁に上りあがる。ここは階段ピラミッドを中心とする500m×300mほどのピラミッド・コンプレックス(複合体)になっており、その周囲は無造作に積み上げられた感じの石積みの低い周壁がめぐらされている。



 階段ピラミッドの全景・周囲は周壁で囲まれている。



その上に立って眺めると、ギザのピラミッドやダフシュ−ルのピラミッドが遠くかすんで遠望できる。今日はギザの方は霞んで見えないが、すぐ前方にはダフシュ−ルの赤のピラミッドや屈折ピラミッドが美しいシルエットをつくって砂漠の中に浮かんでいる。






ダフシュールの遠景
左奥に屈折ピラミッドが見える
右の高い方は赤のピラミッド








写真の左側に大小重なって見えるピラミッドのうち、遠方に見える高い方が屈折ピラミッドで、その高さは105m。下から半分ほどの位置から傾斜角度が緩やかに屈折するという珍しくも興味深いピラミッドで、表装石もかなりの部分が残っているという。
 

右側に見える大きな方が赤のピラミッドで、赤っぽい石が使われているためにその名で呼ばれている。後に造られたピラミッドより傾斜はなだらかだが、断面が2等辺三角形の真正ピラミッドとしては最古のものとして有名である。
 

この階段ピラミッドは、エジプトにおけるピラミッド建設の第一歩をしるしたといわれ、6層に積み上げられたその高さは60mもあり、その後完成された姿となるギザのピラミッドの原形を見る思いがする。離れて眺めると、その表面はレンガ状の小石を丹念に積み上げたように見える。これから発展して三角形型のピラミッドが造られていくのだろうが、その技術的な面ではかなりの違いがあるのだろう。裏に回れば小部屋がのぞけるそうだが、その時間は取れない。
 

メンフィスへ
ここを終わると、次はメンフィスへと向かう。ここは古代エジプト、古王国時代には首都として栄えた所だそうだが、今では廃虚となっており、この地を有名にしているアラバスタ−製のスフィンクスなど一部の遺跡を残すのみとなっている。
 

サッカ−ラからほどなくして到着してみると、周囲を生け垣で囲まれた長方形のグランドのような敷地が広がっており、その中央付近には1912年に発見されたという前述のアラバスタ−製のスフィンクスが置かれている。それほど大きい像ではないが、これでも10mの長さはあるという。






これがアラバスター製のスフィンクス










その一番奥には高さ4、5mもあるラムセス2世の立像が見下ろすように立っている。それは腰巻布を覆っただけの、たくましい上半身の肉体美をさらけ出している。

 








 ラムセス2世の立像













この遺跡広場の入口右手に建物があり、その中にラムセス2世の巨像が横たえられたまま置かれている。入口を入ると15mの長さにで〜んと横たわる巨像が目の前に迫ってくる。その迫力に圧倒されつつ2階の回廊に上がってその巨像を見下ろしてみると、惜しいかな左腕部分と両足の膝下部分が欠けている。左足を前に出しているところを見ると、本来は立像のはずなのだが、残念ながら両足欠けでは立つことはできない。この巨像も、やはり腰布だけの上半身裸像となっている。

 






  横臥するラムセス2世の巨像
   両足が欠けている














この遺跡の周辺には民家の集落が見られ、コンクリ−ト造りのしっかりした家や粗末な家などが入り混じって、ヤシの木陰越しにのどかな田舎村の風景を見せている。バスはほこりをたてながらそこを通り抜け、次のアブシ−ルへと向かう。

アブシールへ
この地域には14のピラミッドが点在しているそうだが、そのほとんどは崩れかけているという。そのためか、訪れる観光客の姿もほとんど見られないという。しかし、われわれ一行は特別にこの地へ入り込もうというのだ。エジプト考古学の権威・吉村教授が発掘に携わっている場所が、この地域の一角にあるのだという。教授が現地入りしている際には、日本の国旗が翻っているそうなので、その所在が分かるという。 
 

しばらく走るとバスはメインストリ−トから折れて細い横道に入って行く。でこぼこの地道で、バスが通ると対向車とすれ違うのが窮屈なほどである。その通りはゴミが浮いて汚れた幅5、6mほどの水路の側を走っており、それを挟んで両側には粗末な商店や民家が並んでいる。服装も粗末な感じの子供たちが、こちらを見ながら手を振っている。中にはランドセルを背負った子もいる。ガイドの話によると、ここの小学校は午前と午後の授業に分けた2部授業だそうである。ちょうど今、その登下校の入れ変わり時間なのである。
 

住民の人たちや民家の風景を珍しそうに眺めながらバスに揺られていると、その通りのどん詰まりに砂漠が見えてくる。そこが目的地である。そこにはフェンスが設けられていて、係員がその入口に一人もの寂しげに立っている。さすがにわれわれの他には、だれひとり観光客の姿は見えない。フェンス内には入らず、ただ外から眺めるだけである。
 

その向こうに目をやれば、ヤシや緑の樹木が昼下がりの砂漠の中にオアシスのような緑陰をつくっている。その彼方の小高い砂丘の上に無造作に小積まれた可愛い2つのピラミッドが見える。左側のは土を固めたような、右側のは石を小積んだような三角の小山である。この地点からは、これら2つの小ピラミッドしか見えないが、向こうの砂丘に上って眺望すれば付近に点在するピラミッドが見えるに違いない。その一角に吉村教授一行が発掘している現場があるそうだ。残念である。



 アブシールの小さなピラミッド



昼 食
心残りに重い足を引きずりながらバスの人となり、そこから昼食を取るために付近のレストランへ移動する。その前で降り立てば、ここでも賑やかな歓迎の民族音楽を楽員が奏でて出迎えてくれる。ここは緑の木々に囲まれたグリ−ンの芝生が広がり、南国ム−ドただよう素敵なレストランである。建物の白と木々の緑が素敵なコントラストを生み出し、いかにもリゾ−ト感覚の雰囲気をただよわせている。






 南国ムード漂うレストランのガーデン



庭の片隅に設けられたオ−プンなテラス風の食堂で昼食となる。内容はこれまでと似たエジプト料理のコ−ス料理である。われわれ以外にも多数の欧米人観光団が入って食事をしている。その様子を見ていると、彼らはバイキング式の料理で好みの料理を楽しそうに皿に盛り付けながら食べている。うん? 美味しそうなスパゲッティもあるぞ! よその料理と比較しながら、次第に羨望の眼差しに変わっていく。聞くところによると、バイキング料理はワンランク上の料理になるらしい。それだけ旅費も安くなっているのだから、ここは我慢のしどころか。
 

食事が終わると庭園をぶらりと散策してみる。入口に近い建物にあるカマドの前で、2人の女性がアエ−シを焼いている。見るからに香ばしく美味しそうである。写真に撮ってみようか。カメラを取り出して準備する。だが待てよ、先に写真を撮った欧米人がチップを渡している。そうだ、ここはエジプトなのだ! 何事もただでは簡単に見せてはくれないのだ。すべてバクシ−シ(喜捨・チップのようなもの)を要求されるのだ。その様子を見て撮影は止めることにした。そのシ−ンは初日にすでにカイロのレストランで撮り終わっていることだし、無理にここで撮ることもなかろう。
 

門を抜けてレストラン前のメインストリ−トに出てみる。郊外の田舎道にしては、くるまの通行量も多い。その道路を横切った向こうには、幅10mぐらいのゴミの浮いた汚れた水路が流れている。付近に広がる畑の耕作用に使われるのだろう。その向こう岸の一角に茶色のコンクリ−ト造りの四角い建物が並んでいる。面白いことに、これら全ての建物の屋上は突き出たままの鉄筋が並ぶ未完成状態なのである。これは将来、部屋を増築する場合に備えた合理的な知恵なのだ。こうした光景はあちこちで見かけられる。

 




道路わきの水路
前方の建物の屋上は
鉄筋が突き出たまま








これらの家を眺めているうちに、ふと水道や屎尿の処理はどうなっているのかを知りたくなり、近くにいる地元のガイドらしき男性に尋ねてみる。彼の話によると、飲み水は毎日やってくる水運搬車から購入するのだという。そして、屎尿はまとめて砂漠の中へ運搬し、そこにぶちまけて投棄するそうだ。いかにも砂漠の国エジプトらしい処理方法ではある。
 

空港へ
食後の一服を済ませると、いよいよ空港へ向け出発である。15時50分発の飛行機でトルコ・イスタンブ−ルへ移動するのだ。5日間にわたる感動と興奮を与えてくれたエジプト旅行の想い出を胸に秘めながら、この地ともいよいよお別れである。バスはカイロ市内へ入り、ナイル川を越えて空港へ向かう道路に入る。







車窓の向こうにナイル川とカイロ市街が見える








その途中、左手にムハンマド・アリ・モスクの遠景が車窓から飛び込んでくる。このモスクはイスタンブ−ルのモスクを真似て造ったといわれるだけあって、巨大なド−ムと2本の高く鋭く伸びた鉛筆型のミナレットを持つ姿は、ブル−モスクによく似ている。






ムハンマド・アリ・モスク
イスタンブールのブルーモスクによく似ている












間もなく空港到着である。



(次ページは「トルコ・イスタンブール編」です。)










inserted by FC2 system