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             NO.3




5.ルクソ−ル(東岸)・・・・圧巻カルナック神殿、ルクソ−ル神殿、音と
                光のショ−


早くも旅行4日目となる。昨夜は早く寝たので睡眠もたっぷり取れ、6時には目が覚めて床を離れる。今日もアスワンの空は快晴である。エジプトでは雨の心配もなさそうだ。身仕度を終わり、バイキング式の朝食をすませると、空港へ向け出発である。
 

エジプトの砂
空港へ向かう途中、“アスワンの砂”をお土産に拾って持ち帰ることになる。ほどよい砂丘が広がる地点でバスを止め、みんな下車して砂をひとすくいずつ拾い始める。砂に足を取られながら砂丘に入り、用意していたフィルム入れのキャップに一杯すくい取る。ここの砂は見事な自然の造作物である。日本の砂と違い、色は薄い茶褐色で、そのきめはあくまで細かく、掌で包めないほどサラサラと流れ落ちる。手触りがなんとも心地よく、いつまでも砂遊びを続けていたい感触である。でも、こんなにサラサラでは、砂で形を作るのは不可能だ。ひとしきりエジプト土産の砂拾いが終わると、再びバスは空港へ向けて走り出す。
 

カルナック神殿へ
アスワンからルクソ−ルまでは、1時間もかからない短い空の旅である。9時半ごろにはルクソ−ル空港へ到着し、出迎えのバスで早速観光開始である。ここルクソ−ルは、かつてテ−ベと呼ばれ、中王国、新王国時代には首都として栄えたという。だからこの地には例を見ないほどの巨大建築物が往時の栄華を偲ばせるように遺跡となって残っている。そしてこの地域は、ナイル川を挟んで東岸と西岸に2分され、東岸にはカルナック神殿やルクソ−ル神殿など巨大神殿が点在し、西岸はテ−ベの人たちが墓地として利用した死者の地域で、有名なツタンカ−メンの墓など王家の谷や貴族の墓などが点在している。
 

バスはまずカルナック神殿へ直行する。神殿に到着すると、周辺のあちこちに配備された重装備の警備兵たちが目に付く。あのいまわしいテロ事件以来、警備体制が一段と強化されているようだ。二度と繰り返されてはならないことである。
 

ここカルナック神殿にはいくつかの神殿があるが、なかでもこれから見学するアモン大神殿はエジプトでも最大規模の遺跡とされる。その神殿の祭祀とされるアモン神は当時の国家最高神であり、歴代のファラオたちはアモン神信仰の地に神殿、オベリスク、神像などを寄進し、こうしてカルナックは巨大な神殿建築物となったのだ。今、その入口に立って神殿の全景を眺め回してみるが、手前にそびえる高い第1塔門の壁面にさえぎられて、その内部の全容は隠されている。

 




カルナック神殿入口門前
目の前にスフィンクス参道が・・・









チケットのチェックを受けて神殿入口に進んで行くと、その両側に小型のスフィンクス13頭ずつが威嚇するかのように居並んで威圧している。これがスフィンクス参道である。






スフィンクス参道
両側にスフィンクスが並んでいる









ここを通り抜けてそびえる第1塔門をくぐり抜けると、そこは広い中庭になっており、ラムセス2世などの巨像が立っている。後ろを振り向くと、その第1塔門を築いた時の盛土が当時のまま残されている。これには驚きである。写真のように壁の高さに応じて土を段々と盛り上げていき、そこを足場に石を引きずり上げながら積み上げていくのだ。最後はかなり高い盛土だったに違いないが、今ではその一部だけが写真のように残っている。石を滑らした跡と思われる溝が見える。


 



第1塔門の壁
石を積み上げるのに利用した盛り土が見える








この中庭から第2塔門を抜けて奥へ進むと、そこは壮観な大列柱室で、二抱えもある巨大な石柱が所狭しと林立しているのだ。なんとその数134本、高さ23mと15mの2種類の巨柱が覆いかぶさるように立ち並んでいる。圧巻とはまさにこのことであろう。しかもその石柱の一本いっぽんには、みごとなまでのレリ−フが丹念に彫り込まれている。迫り来るような巨柱の列を眺め回しながら、ただただ感動するばかりである。数千年も積み重ねられた歴史の響きが神殿いっぱいに轟きわたっているような気がする。なんとかこの迫力ある巨石列柱を写真に収めようと試みるが、距離間隔が取れなくて、なかなかうまくいかない。 






 大列柱室への入り口



 大列柱室の迫力



この列柱室の中央をさらに奥のほうへ進むと、巨石列柱の間からハトシェプスト女王のオベリスク(高さ30m)がそびえて立つのが見える。なんと美しく、荘重な光景であろう。









 列柱室の間からオベリスクが・・・














さらに奥へどんどん進んで列柱を抜け、第3塔門を抜けると、少し低いトトメス1世のオベリスクが立っている。そこを通り過ぎて第4塔門を抜けると、そこにハトシェプスト女王のオベリスクがそびえているのだ。そこで距離を取り、見上げるようにしながら写真を撮る。今度は横手のほうに移動し、天空に突き刺すようにそびえる2本のオベリスクをカメラに収める。これら2本とも、見事に彫り込まれたレリ−フが四面を飾っている。  







 ハトシェプスト女王のオベリスク





















左がトトメス1世のオベリスク
右がハトシェプスト女王のオベリスク
手前は横たえられたオベリスク 


 










 別の場所からオベリスクを眺める















これらのオベリスクや巨石柱は、昨日訪れた古代の石切り場からナイル川を船やイカダで運んで きたのだ。ガイドの話によると、ナイルが洪水になる時季を待ち、水かさが増した時に船やイカダに吊るしたり載せたりしながら巨石を運ぶらしい。前にも書いたように、ナイル川の傾斜は緩やかなため、洪水といっても水かさがせいぜい10cm〜20cmぐらい、じんわりと水面が高まるに過ぎないのだそうだ。だから船などで運ぶのにも問題ないそうである。
 

ところで、横たわしにして運んできた高さ30mもあるオベリスクを、当時の技術でいったいどのようにして建立したのだろうか。それは次のように考えられている。まずオベリスクを載せる花崗岩の基台を据え、その周りに石組をつくって砂を盛る。そして、その外側に傾斜をつけた高い盛土をつくり、そこへオベリスクを底部のほうから引っ張り上げる。今度はその底部を盛られた砂の中に滑り落とし、あらかじめ底部に造られた砂抜きのトンネルから砂を徐々に抜いていく。するとオベリスクは自重で穴の中に落ち込み、基台の上に立ちあがるのである。人力と知恵だけが頼りの高等技術なのだ。
 

ここからさらに第5、第6塔門を抜けて奥へ進むと、そこには至聖所がある。そこは石組の天井が高い部屋で、中は薄暗く床の中央には祭祀のためと思われる石の台が据えられている。そこを通り抜けて奥へ進むと、その向こうにトトメス3世の祝祭殿が見える。それは何本もの石柱に支えられて横長に伸びており、高さは低いが重々しい祭殿である。その手前には神殿跡が広場のように広がっている。







 薄暗い至聖所





















トトメス3世の祝祭殿










祝祭殿のその先にアモンラ−神の至聖所があり、そこがカルナック神殿の最奥部になっている。このカルナック神殿は縦長に伸びており、スフィンクス参道の入口からこの最奥部までの距離は優に100mを超えている。 


またこの神殿は、大列柱室の右横手から真横に伸びて第7〜第10塔門があり、その遠くに位置する別の神殿へとつながっている。その途中の左手に50mプ−ルよりやや大きい四角形の聖なる池が設けてある。夜には、このほとりで「音と光のショ−」が開かれるのである。


このカルナック神殿は、かなり広大な敷地の中に、大列柱室のあるアモン大神殿をはじめ、いくつかの神殿が点在しているわけである。現存する神殿遺跡の彩色レリ−フから推察すると、神殿はとてもカラフルな建物だったようで、祭になると神官がご神体を船に載せて奥へ進み、一般庶民は入口に供物を持って参集したらしい。あの極彩色に彩られた巨石神殿に大勢の人たちが集まり、荘厳な雰囲気の中にも華やかな祭典が執り行なわれる様は、さぞかし壮観だったに違いない。できれば、ここでタイムスリップして一緒に参詣してみたい衝動にかられてくる。 


ルクソール神殿
カルナック神殿を見た後は、ここから南に約3km離れたルクソ−ル神殿へと向かう。この神殿は、カルナックのアモン大神殿の付属神殿として建てられたものだそうで、かつてはスフィンクスが両側に並ぶ参道でカルナック神殿とつながっていたそうである。
 

神殿入口前に立つと、ここでも美しいオベリスクが塔門前にそびえている。ただし、左の1本だけである。というのは、もともと左右に2本のオベリスクが建っていたそうだが、そのうち右側の1本がフランスへ持ち出され、パリのコンコルド広場に建っているのである。(そのことは数年前、この目で確かめた。)だから、惜しくも左側1本だけという歯抜け状態になっている。トルコのイスタンブ−ルの公園にも、エジプトから持ち出されたオベリスクが建っている。この国の文化遺産が、世界のあちこちに流出しているのは事実である。
 




ルクソール神殿入り口
もともと左右1対のオベリスクが あったのが、右側の1本はパリの コンコルド広場に持ち去られた。







1本だけ残ったオベリスクの背後には高い塔門を背にしてラムセス2世の巨大な座像1対が塔門入口を挟むように座っている。その右側にはその立像が立っている。これらの像の巨大さは、写真に写る見物客の大きさと比較すればよくわかる。


この第1塔門を入ると、74本の巨石柱で囲まれたラムセス2世の中庭が広がっている。そこに立って見回すと、壮観なまでの巨石列柱の林立である。


                        


 巨石柱で囲まれたラムセス2世の中庭。巨石列柱の迫力ある光景(ルクソール神殿)



ここから第2塔門へ進むと、その入口には1対の座像が見守っている。そこをくぐって奥へ進むと、14本の開花式パピルス柱が2列に並んだ列柱廊が続いている。


   開花式パピルス柱が2列に並ぶ列柱廊           列柱廊の遠景


この回廊を抜けて奥へ進むと、そこには中庭と32本の列柱室が現れる。とにかく壮観で壮大、列柱につぐ列柱のオンパレ−ドで、その迫り来るような圧迫感に押しつぶされそうである。


昼 食
こうして巨石列柱の迫力にうなされながらカルナックとルクソ−ルの2神殿を見終えると、やっと昼食である。ランチのメインは魚とチキンの串焼きで、そのうちのどちらか1品を好みで選び、あとはス−プなどがついている。こちらは魚を注文したのが、チキンを選んだ周囲の人たちが食べ終わろうとするころに、やっと料理が出されるのどかさである。待たされた割りには、期待外れの魚であった。 


ホテルへ
食後は例によって、ショッピングへのお付合いである。金銀細工の店へ案内されるが、こちらにはとんと用無しである。そこを終わって、やっと本日の宿へご到着である。ここはスイス系の美しいリゾ−トホテルで、ナイル川沿いに広がる広大な敷地に、いくつものバンガロ−が点在する分散型宿泊ホテルである。きれいに管理された芝生や植え込みが広がり、終日遊べるプ−ルや小動物の飼育園まで備えている。南国ム−ドいっぱいの、とても心和むリゾ−ト風ホテルではある。家族旅行でゆっくり滞在するのには、打って付けである。




 リゾートムードいっぱいのホテル風景(左端はナイル川、右側はプール))



ここはスイス系のホテルだけあってヨ−ロッパ人の滞在が目立つ。彼らは例によって半裸になり、自分のバンガロ−の前に籐椅子を広げて日向ぼっこしている姿があちこちで見られる。いかにものどかな風景である。ところが困ったことに、割り当てられたわが部屋は、フロント部分より一番遠く離れた最果てのバンガロ−である。そこにたどり着くのに、たっぷり五分は歩かされてしまう。案内表示はあるものの、よく似た建物が点在しているので、自室の場所を間違えてしまう。夜になれば、なんだか物騒な気がしてならない。ル−ムキ−パ−さんも、動くのに大変である。
 

夜の7時から、カルナック神殿で催される「音と光のショ−」を鑑賞する予定だが、それまでは、しばしゆとりの時間が楽しまれる。一服すると、すぐ側を流れるナイルの岸辺に出かけてみる。う〜ん、これはなんと素敵なナイスビュ−だ! 広い川幅いっぱいに水をたたえてナイルが悠然と流れている。その岸辺には緑の木々が繁り、遠く前方の彼方には明日訪れる死者の地域の小高い山が見える。王家の谷もあそこなのだ。川面には傾きかけた太陽の日差しがきらきらと映え、その中をナイルクル−ズの遊覧船が静かに航行している。そして右手にはのどかなフル−カの白い帆が浮かんでいる。実にのどかで、心休まる風景である。もう一度ここにやってきて、のんびりと滞在してみたい気分に誘われる。
              



 ホテル前を流れる雄大なナイル川。左側遠くの船はナイル川下りの遊覧船。対岸(ルクソール西岸)右手の遠くに見える山が王家の谷。





「音と光のショ−」
夜7時前にホテルを出発し、夜のカルナック神殿へ向かう。神殿入口には、すでに大勢の観光客が集まっている。これから神殿内で「音と光のショ−」と銘打った歴史ショ−が始まるのだ。みんなは入口前のスフィンクス参道に集められる。第1塔門付近からライトアップが効果的に演出され、神殿を夜景に浮かび上がらせている。






カルナック神殿のスフィンクス参道から 見たライトアップされた列柱室 
















 夜空に浮かぶオベリスク














このショ−は、それぞれ日によって英・仏・独・西・伊・アラビア・日本の各国語で行われる。今夜はたまたま英語版である。
 

いよいよショ−の始まりである。真暗な中に一団となって集まった観衆は、係員の誘導によって第1塔門のほうへ移動する。神殿のあちこちに設置されたスピ−カ−から、英語によるナレ−ションが響きわたる。と同時に、塔門がライトアップされ、その中をぞろぞろと係員に誘導されながらライトアップされた明かりを頼りに歩み進んでいく。ライトアップされた幻想的な巨石列柱を見上げながら、時には立ち止まってナレ−ションに耳を傾け、それがひとしきり終わると、また前進して歩を進める。昼間に見た神殿の様子とは打って変わり、夜の暗闇の中にライトアップされる神殿の雰囲気は幻想的で、数千年の古へ思いを馳せらせるのには十分だ。
 

進むにつれてライトアップが次々と移り変わり、その中を立ち止まってはナレ−ションに聞き入り、そして歩み進むという動作を繰り返しながら奥へ進んで行く。やがて列柱室から右側へそれ、聖なる池の方へ進む。そこから池の向こう側に設けられている観客席スタンドへ移動する。みんな思い思いの席に座ると、再びナレ−ションが始まる。それに合わせるように、時折前方の神殿がライトアップされて夜の暗闇の中にほのかに浮かび上がる。美しい。もし、ここに一人だけいたとすれば、その鬼気迫る雰囲気に打ちのめされるに違いない。
 

さらに英語のナレ−ションは続くのだが、残念ながら英語に弱い者にとっては、それがほとんどキャッチできない。懸命に耳を傾けて聞き入ると、どうやらラムセス2世を中心にした歴史物語を語っているようだ。しかし、アテネのパルテノン神殿を遠望しながら鑑賞した「光と音のスペクタル」ほどの印象は残らなかった。効果音をふんだんに取り入れた迫力のある古代劇がほしかった。それに、このスタンドの位置からは大神殿の全体像が見えず、ただ前面の小神殿あたりがほのかにライトアップされるだけで、迫力もなく物足りない感じがする。
 

7時から始まった“音と光のショ−”は1時間15分で終了し、その後はレストランへ移動してバイキング式の夕食である。これまでと、ほぼ似通ったエジプト料理で、お腹いっぱいとなる。この日になって、グル−プのメンバ−男女3人が激しい下痢症状をともなってダウンし、夜にはホテル医師の診察を受ける羽目となった。連日の疲労と食べ物のせいで、体調が崩れたのだろう。旅先での病気は観光ができないだけに、ほんとに困ったものである。こちらは体調順調で、下着の洗濯を済ませると10時には床につく。



(次ページは「ルクソール西岸編」です。)










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