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  no.4
(ハンガリー・ブダペスト編)




5.ブダペスト・・・・ 夜景に浮かぶくさり橋・のどかなドナウの船旅・涙した
             ビ−フタルタル
  

ブダペストへ
マレ−ブ・ハンガリ−航空を利用するのは初めてだ。期待していたのだが、六十人乗りぐらいの小型機で、しかもタ−ボブロップ機だ。東ヨ−ロッパ諸国間の飛行便は毎日運航されておらず、自分の旅行日程に合わせて取るのがなかなか難しい。そのため、ソフィア〜ブカレスト間も日程が合わず、鉄道にせざるを得なかったのだ。これ以後は飛行便が使えるので、時間の節約になる。
 

国際線とはいえ、わずか一時間の空の旅である。日本の国内線を思い出して、お茶程度のサ−ビスしかないものと思っていると、なんとちゃんとしたランチと飲物のサ−ビスが出される。飛行時間が短いので、スチュワ−デスたちも一段と忙しそうである。その中に日本語のうまいスチュワ−ドがいて、私を見るなり日本語で話しかけてくる。どこで日本語を勉強したのかと聞くと、以前、名古屋に滞在したことがあるという。思わぬところで日本語に出会い、懐かしい気分になる。
 

意外な出迎え
一時間の飛行でブダペスト空港に無事着陸。マイナス一時間の時差なので、現地時間は出発時刻と同じ午後三時過ぎである。規模は大きいようだが、ここもエプロンなしの空港で、バスに乗り移ってタ−ミナルへ移動する。窓から見ると、滑走路の一角で砂塵が舞い上がっている。かなり強い風が吹いているようだ。入国手続きを終えて出口の方へ歩き出すと、空港係員らしい女性が、「ミスタ− ムカイ?」と声を掛けてくる。見ると、「Mr.Yasuo Mukai」と書いたプラカ−ドを持っている。私がムカイだというと、どうぞこちらへと案内する。不思議に思いながら後に従いロビ−の出口まで来ると、若い女性へ案内をバトンタッチする。


「ようこそ、ブダペストへいらっしゃいました。私の名前、アニクといいます。これからホテルまでご案内します。」と、彼女は流暢な日本語で話しかけてくる。キツネに摘まれたような感じで、「あなたは誰に頼まれて出迎えに来たのですか?」と質問すると、「私の会社から行くようにいわれました。」と答える。「ひょっとしたらあれか?」と思って、「ブダペスト・ツ−リストカ−ドですか?」と聞き返すと、「そうです。」という返事。これでやっと謎が解ける。旅行出発前にブダペスト・ツ−リストカ−ドを購入しておいたのだが、その送迎サ−ビスで彼女が出迎えに来ているのだ。
 

このカ−ド(料金八、五〇〇円)を購入すると、ブダペストで次のサ−ビスが受けられることになっている。空港〜ホテル間の往復ミニバス無料乗車、レストランでの無料ディナ−、市内の各種交通機関無料乗車(三日間)、博物館無料入館(二ヶ所)、ハンガリ−のガイドブック、ブダペストの市内地図、指定店での十〜二十五%ディスカウントなどである。案内書きには自分でミニバスのカウンタ−に提示して乗車するようになっているので、まさか出迎えに来るとは予想だにしていなかったのだ。いい気分になり、彼女の案内でバスに乗り込む。
 

彼女は大学生で、この仕事のアルバイトをしているという。日本語は大学で勉強しているそうだが、まだ日本へは行ったことがないという。車中で交通機関の無料乗車券や地図などの資料を渡しながら、予約が必要なのでレストランと博物館をどれにするか決めてくれという。そこで彼女の説明を受け、博物館はブダペスト美術館と国立博物館を、レストランは今夕、自由橋のたもとにあるレストランに行くことにする。
 

話している間に、十人乗りぐらいのミニバスは市街地に差しかかる。その様子は、これまでのソフィアやブカレストの街とは全然趣が違う。町並みが奇麗で、歴史を刻んだ風格のある建物が立ち並び、「ここはヨ−ロッパだ。」という雰囲気を視界いっぱいに漂わせている。さすが、ブダペストが“ドナウの真珠”と呼ばれることはありそうだ。彼女に、「どうして正式国名がハンガリ−ではなく、マジャ−ル共和国となっているのですか?」と尋ねると、そもそもハンガリ−はマジャ−ル人の国だという。ここで少し、この国の歴史に触れておこう。
 

ハンガリーのこと
ハンガリ−の建国は八九六年。遊牧民の一部族マジャ−ル人がウラル山地からこの地に移住したことに始まる。だから、ハンガリ−語はアジア系だそうだ。十一世紀から十三世紀初めにかけて発展し大国となったが、モンゴル襲来で崩壊の危機に陥る。その後オスマントルコが襲来し、十六世紀半ばにはブダを占領、ハンガリ−中央部と南部はトルコの直轄領に、西部はハプスブルク家の支配となる。
 

十七世紀末、トルコに替わってハプスブルク家がハンガリ−全土を掌握。その後、失敗に終わった二度の革命を経て一八七六年ついに内政自治権を得、オ−ストリア=ハンガリ−帝国が形成さる。第一次世界大戦ではドイツ・オ−ストリア側に参戦し敗戦、国土の七〇%を失って帝国は崩壊する。その後、右翼による王不在の王国が復活。第二次大戦では枢軸国側に加わってドイツに占領されるが、ソ連により駆逐。一九四六年、王制を廃止して共和国となり、ソ連圏となる。五十六年、政府の粛正に対して民衆が蜂起(ハンガリ−動乱)したが、ソ連軍により鎮圧。その後、経済危機を招いて党・政府への批判が高まり、八九年、複数制党制を導入して一党独裁制を放棄、共産主義と訣別の道を歩む。
 
ホテルへ
バスは半時間ぐらいでホテルに到着。彼女はフロントまで案内して、いろいろ気を遣ってくれる。帰りも迎えに来てくれるのかと尋ねると、帰りは自分で空港まで行ってくれとのと。「ではレストランの予約を入れておきます。」という彼女と別れ、キングサイズベッドのあるデラックスル−ムへ上がる。


このホテル・フォ−ラムは観光名所「くさり橋」のすぐたもとに位置しており、しかもドナウ川に面して川向かいのブダ側にある王宮の丘が眺められる抜群のロケ−ションとなっている。そして、中心街へは歩いて五分ときているから便利この上ない。一泊料金一四、〇〇〇円と少し高いが、それだけの値打ちはありそうだ。だが、ドナウ川のリバ−ビュ−ル−ムになると、もっと高くなるのだが、こちらは裏側の部屋で我慢するしかない。 


ここに来て初めて熱い湯が勢いよくほとばしり出るのを見て、思わずシャワ−を浴び一服する。ディナ−は八時の予約なので、まだゆっくり時間はある。一階ロビ−へ下りて行き、明日の観光を検討する。さすが東欧の中では一番の観光国らしく、種々の観光パンフレットが用意されている。その中から午前半日の市内観光を選んで予約する。後は観光パンフをどっさり部屋に持ち込んで読みながら、憩いのひとときを過ごす。
 

レストランへ
そのレストランは歩いて十五分ぐらいと彼女がいうので、七時半ごろになってホテルを出かける。玄関を出ると気温一変して、木枯らしのような冷たい風がビュ−ビュ−と唸りをあげて吹きまくっている。思わずジャケットの襟を立て、自由橋のほうに向けて歩き出す。このブダペストは南北にドナウ川が流れ、西側が山の手のブダ、東側が下町のペストに二分されている。そして、このドナウ川には八本の橋が架かっている。上流の橋から四つ目が有名な「くさり橋」、その下流があの皇妃エリザベ−トにちなんで付けられた「エルジェベ−ト橋」、そしてその次が「自由橋」である。
 

台風並みの強風にあおられながら、下流に見える自由橋に向けて急ぐ。川沿いに並ぶ出店も、この強風でみんな店をたたんでいる。風に吹きちぎられた並木の枝が、痛々しく道のそこここに舞っている。十五分も歩いたのに、まだエルジェベ−ト橋を過ぎたところだ。これはずいぶんと話が違うぞと思いながら、やっと自由橋を渡りかけると、強風で足がすくわれそうになる。


雨が降らないから救われたようなものだが、これが雨でも降っていたら目も当てられないところだ。彼女の話を真に受けたのがいけない。いずれにしろ、何か乗り物を利用すべきだった。この疲れた足では、もうこれ以上歩けば殺される……そう思いながら、帰りはきっとあの市電に乗って帰ろうと心に決める。川沿いを路面電車が走っているのがわかったのだ。
 

自由橋を渡り切ると一軒のホテルが目にとまる。その玄関前にホテルマンを見つけ、目的のレストランを尋ねるとすぐそこである。そして、くさり橋へ行くには何番の電車に乗ったらいいのかも尋ねる。すると、十九番の電車に乗ればよいと教えてくれる。さらに、切符はどこで買うのかと畳み掛けて質問すると、このホテルの売店で売っているという。そこで売店まで入り込み、帰りの切符を一枚求める。出迎えの彼女が渡してくれた三日間乗り放題の乗車券は、明日から三日間となっていて、間の悪いことに今日はまだ使えないのだ。
 

結局、レストランに到着するまで三十分もかかってしまい、とんだ誤算に泣かされる羽目となる。案内された席に座ると、すぐ隣の席に若い二人連れの日本人女性が食事している。話を聞くと、当地に住む知り合いを訪ねてチェコ、ハンガリ−を旅行しているという。反対側の席には、スイスから来たという中高年の団体さんが陣取って陽気にはしゃいでいる。そんなに広くない室内は、ほぼ満席である。
 

出された郷土料理のメインディッシュは、七面鳥のステ−キである。これまで何度か食べたことがあるが、相変わらず白味で淡白な味わいである。一緒に出されたサラダが、日本のナマスに似てなかなか美味しい。柔らかくゆでたキャベツを薄味の酢につけて味付けしてある。ビ−ルで一人乾杯しながら、ハンガリ−料理の数々を賞味する。折角だからワインといきたいところだが、喉が渇いていてビ−ルでないと始まらない。隣席の日本人女性たちは、気取ったように高級ワインを注文している。
 

フォ−クロア・ショ−
食べ終わる頃、待望のフォ−クロア・ショ−が始まる。華やかな民俗衣装に身をまとった男女の踊り手たちが、三人編成の楽団が奏でる音楽に合わせてフロア狭しと踊り回る。なかなか活気のある民族舞踊である。素晴らしい声の歌い手が、いっそう雰囲気を盛り上げる。しかし、衣装のきらびやかさや踊りの素敵さの点では、ブルガリアのそれに一歩引けをとっている感じだ。






ハンガリーのフォークロア・ショー










歌い手がスイスの団体さん向けに同国の歌を歌い出すと、みんなで手を取り合い、ウェ−ブをつくりながら楽しそうに合唱し始める。室内はみんなの明るい歌声に包まれ、こちらまでうきうきした気分になってしまう。何曲か歌い終わった後も、団体さんの席ではなおも騒々しく談笑が続いている。それをしり目に、こちらはぼつぼつ退散する。
 

外に出ると、相変わらず冷たい風が吹きすさんでいる。すぐ近くの電停で風を避けながら待っていると、間もなく十九番の電車がやってくる。三両連結の長い電車なのだが、この車両には老人ただ一人が乗っているだけである。切符のパンチの入れ方が分からず、その老人に教えてもらう。もっと力強く、ガチャリと押さないといけないのだ。 


街の灯やイルミネ−ションを映して流れるドナウ川の夜景はとてもロマンティックで、風のない静かな夜であれば、こんな素敵な風景はないのだが……。そんなことを思いながら車窓から夜景を眺めていると、間もなく“くさり橋”の近くの電停に着く。目の前には、イルミネ−ションに美しいラインを輝かせながら、くさり橋が静かに横たわっている。






ドナウ川にかかる「くさり橋」の夜景












        


 同上の昼間の風景










橋に通じる階段を上って歩道に出ると、ネコの仔一匹だれも通っていない。昼間でさえ、この長い橋を歩いて渡る人はあまりいないのかも知れない。ましてや、この夜更けに歩いて橋を渡る人なんていそうもない。ただ走り抜ける車のライトだけが、心細さを救ってくれる。 


このくさり橋は一八四九年に完成したもので、ブダとペストを隔てるドナウ川に初めて架かった記念すべき橋なのだ。橋そのものが観光名所になるほどの立派さで、橋のたもとには二頭のライオン像が見張り番のようにがんばっている。何百メ−トルあるのだろう、歩けど歩けど向こう岸に辿り着かない。強風に足払いを掛けられそうになりながら、漸く橋を渡り過ぎる。もうホテルは目の前だ。
 

二日目。ここの朝食は一段と豪華版だ。朝食時にいつも思うのだが、この食事が朝ではなく夕食に出されたらほんとに有難いのだがと。こんなに豊富でとりどりの料理が品揃えされても、朝からそんなに食べられたものではなく、いつも惜しい気がしてならない。昼食用に持ち帰りたい気持ちはやまやなのだが、そこまでの勇気は湧いてこない。有名観光地だけあって宿泊客も多い。ソフィアやブカレストのホテルとは大違いだ。日本人の団体客も結構多い。
 

市内観光
今日は市内半日観光コ−スへ出掛ける。市内の主な観光ポイントを三時間でめぐるコ−スで、料金は二、九〇〇フォリント(二、一七〇円)。玄関に出てみると、昨夜より風は和んでいるが、まだかなり吹き荒れている。ベルボ−イに「今朝は風がきついけど、天気は大丈夫?」と問いかけると、「雪が降るかも知れません。ジャケットをお持ちになったがいいでしょう。」という。「えっ、ホント?」と半信半疑ながら、出迎えのバスに乗って出かける。
 

日本人一人が紛れ込んだ観光バスは、英語による女性ガイドの案内でスタ−トする。まず国会議事堂前を通りながらマ−ガレット橋を渡り、ブダ側にある王宮の丘へと向かう。この国会議事堂の建物は、これが議事堂かと思われるようなネオ・ゴシックの壮麗で美しい姿をドナウのほとりに際立たせている。ちょうど、テ−ムズ河河畔にその優美な姿を横たえている英国の国会議事堂ビッグ・ベンのたたずまいと同じ姿だ。これは一八八四年〜〇四年に建てられたもので、内部は絵画、彫刻、タペストリ−などで豪華に飾られているという。

 




国会議事堂の華麗な姿










王宮の丘に到着すると、そこで半時間あまり散策する。ここには丘の南半分を占めているブダ王宮の荘厳な建てものが立っている。十三世紀に最初の王宮が建設されてから、実際に完成したのは今世紀に入ってからという。現在は国立図書館と三つの博物館になって、市民の文化センタ−的役割を担っているという。すぐ近くには高い塔の目立つマ−チャ−シュ教会や市街が一望できる尖り屋根の漁夫の砦がある。
 

高さ八十八メ−トルもの塔を持つこの教会は十三世紀半ばに建立されたもので、歴代の王たちがこの教会で載冠式を行ったという。教会内部に入ると、高い天井に支えられた薄暗く広い空間が荘厳な雰囲気に包まれている。祭壇の後ろがステンドグラスの明かり窓になっており、そこから幾筋もの光線が差し込んで来て薄暗い内部を照らし出している。

 




 



王宮の丘に立つマーチャーシュ教会














次はゲッレ−ルトの丘へ回り、そこから市内を眺望できるビュ−ポイントでフォトストップとなる。折角のポイントだが、眼下の森が視界を遮って全貌が見とれない。やはり丘の頂上まで上らないと駄目なようだ。




 ドナウ川が流れるブダペスト市街の眺望(橋は有名な「くさり橋」)




それからバスは丘を下りてエリザベ−ト橋を渡り、英雄広場へと向かう。この広場は一八九六年に建国千年を記念して建設されたもので、中央に高さ三十六メ−トルの天使像がそびえている。そして、その周囲には騎馬像や十四人の王・英雄の象が並んでいる。その彼らを見守るかのように、銃剣を持った二人の衛兵が直立不動の姿勢で警護している。折よく来合わせれば、交替式が見られる。         






英雄広場の天使像















 英雄広場の衛兵










この広場の横手には、見学予定のブダペスト美術館がある。この観光ツア−もここを最後に解散場所まで戻るだけというので、ここで離脱して美術館へ行きたいとガイドさんに申し出る。すると、ここまで来るのに地下鉄でわずか五分の距離です。最後まで一緒に来られませんかと誘うので、彼女の言葉に従うことにする。
 

バスはブダペストで最も美しい大通り・アンドラ−シ通りを走り抜け、ウイ−ンやミラノのそれよりずっと美しいといわれるオペラハウスの前を通って終着点のホテル・フォ−ラムへ到着。ここは私の宿泊ホテルだが部屋には戻らず、そのまま昼食を取ろうと繁華街のバァ−ツィ通りへ出かける。ここから歩いて五分の所にあるこの通りは、ブダペストの中心街で歩行者天国になっており、みやげ品店やレストランなど多くの商店が立ち並んで観光客で賑わっている。ひと通り見回すが、ビュッフェスタイルのレストランが見当たらず、やむなくド−ナツとジュ−スでお腹を満たす。 






ブダペスト銀座・ヴァツィ通り










英雄広場へ
再び英雄広場へ出ようと「ケ−レム アッソニョム。ホ−ル ヴァン メトロ?(ちょっとすみません。地下鉄はどこでしょうか?)」と尋ねながら地下鉄入口を探す。ここの地下鉄は深度が深く、びっくりするほど長い長いエスカレ−タ−で昇降する。まるで、炭坑の坑内にでも下がるような気分である。だが車両は奇麗で、乗りごごちも上々。
 

地下鉄から英雄広場へ上がると、正面に向かって左手が豪壮なブダペスト美術館である。ここにはグレコ、ラファエロ、レンブラント、ル−ベンス、ゴッホ、マネ、モネ、ルノア−ル、セザンヌなど、絵画ファンにとっては垂えんの的となるような豪華な美術品が惜し気もなく収められている。ここはスペイン本国以外では、最大のスペイン美術コレクションとなっている。
 

美術音痴にとっては、これら超ど級の絵画の放列にただ圧倒されるばかりで、贅沢にも流し見するしか能はない。歩き疲れては展示室の中央に置かれているソファ−に腰を下ろし、そしてまた次の展示室へと足を運ぶ。旅行する度に、どこの国でも博物館や美術館めぐりをしていると、だんだんと新鮮味がなくなってくる感じがする。その上、ボリュ−ムがありすぎると食傷ぎみになり、ついおざなりの鑑賞になりがちだ。
 

美術館を出ると、観光客がたむろする英雄広場の天使像を眺めながら、地下鉄へと足を運ぶ。再びブダペスト銀座ヴァツィ通りへ戻ると、みやげ品店をあさって回る。街頭には気温十五度の表示が見える。相変わらずの賑わいだが、その中に混じって日本人観光客も結構うろついている。ここハンガリ−は、ブルガリアやル−マニアと違ってみやげ物には事欠かない。民族衣装を着けた人形はもちろん、刺繍入りの民俗衣装やとりどりの装飾品など品揃えは豊富だ。荷物にならないように、ビ−ズのネックレスをおみやげに選ぶ。
 

とんだ夕食
夕暮れ時になったので、夕食を済ませてホテルへ帰ることにしよう。あちこちとずいぶん見回ったが、カフェやファ−ストフ−ド店はあってもビュッフェスタイルのレストランはついぞ見つけることができない。やむなくビガ−ド横の落ち着いたテラスのあるレストランへ入り込む。まだ夕食には少し早い時間とあって、客はまばらである。席に座って持ってきたメニュ−に目を通していると、「ビ−フ・タルタル」という料理が目にとまる。久し振りにビフテキでも食べてみようと思ったのが運の尽き、これがとんだ大失敗を犯す羽目になる。
 

“タルタル”とあるから、てっきりビフテキにタルタルソ−スがかけてあるものとばかり思い込んでいたのだ。ところが、出された料理はなんと舌がビリビリするほどスパイスの利いたビ−フの生肉ダンゴである。ちょうど大きなハンバ−グを生で食べるようなもので、生肉嫌いの私には手の施しようがない。あの焼き立ての分厚いビフテキが出てくるものとばかり想像していたのが見事に裏切られ、その反動によるショックはなかなか治まらない。


でも、折角注文したものに手も付けずに残すのは失礼だろうし、目をつぶってビ−ルで流し込むことにする。かなりの大きさに積まれた生肉の塊を前に、辟易しながらフォ−クで摘みあげ、パンもろとも口に運び込む。しかし、どう味わってみても食べられた代物ではない。お腹は脹れてくるのに、まるで食べた満足感がない。こんな経験は初めてのことで、自分のうかつさ加減が悔やまれてならない。
 

やっとの思いで食べ終えると、今度はオモチャ用の小型バケツみたいな容器が運ばれてくる。何だろうと思っていると、それが注文したス−プなのだ。容器はまさに小型バケツそのもので、下げるための取っ手までついているではないか。およそス−プの容器にはほど遠い感じの代物で、所変われば品変わるとはほんとに面白い。その容器にたっぷり注がれたス−プのボリュ−ムには、ただただ圧倒されるばかり。が、野菜を煮込んだス−プなので、スパイシ−な味ながらなかなか美味しい。このス−プをゆっくりとすすりながら、タルタル料理で不本意に満腹したお腹の仕切り直しをする。これで料金一、七〇〇円と少々高い。
 

不満足な夕食にすっかり気落ちしながらホテルへ戻る。帰り道ドナウ川沿いの遊歩道に出ると、みやげ品店の出店がずらりと並んで賑わっている。散歩がてらに店をひやかして回るのにはもってこいの場所である。ほんとにこの国のおみやげ品は種類が豊富だ。一軒の店で可愛い花柄模様の入った陶器製のベルが目にとまり、これをおみやげに買い込む。
 

ホテルに戻ると、朝、出掛けに頼んでおいたコンサ−トのチケット(六〇〇円)をもらって部屋へ上がる。ひと風呂浴びてくつろいでいると、お腹がぐるぐると鳴り始める。おやおや、食べたくないものを無理矢理食べたので、お腹が拒絶反応を起こし始めたのだろうか。やがて腹痛が始まり、トイレに全部ストレ−トで搾り出してしまう結末となる。やはり、お腹は正直なものだ。
 

センテンドレ探訪
三日目。今朝は快晴で穏やかな天候。今日はブダペストから二〇キロ離れた郊外のリゾ−ト地センテンドレを探訪してみよう。九時にホテルを出発し、地下鉄でバツィアニ駅まで出ると、そこから郊外電車に乗る。センテンドレまで料金一二八フォリント(九十六円)。ガランとした車内の一角に腰を下ろし、車窓を流れる郊外の景色を眺めているうちに四〇分で到着。
 

この小さな町は、十四世紀にトルコの襲撃から川沿いに逃げてきたセルビア人によって築かれた古い町である。旧市街には七つの教会と十四の美術館がひしめき、週末ともなればブダペスト市民も繰り出して賑わうという。駅から町の中心まで歩いて十分。途中に観光案内所があり、そこで観光ポイントやブダペスト行きの出航時刻を尋ね、マップを入手する。


町の中心、中央広場に出ると、小さな三角形の広場の真ん中には十字架をかざした塔が立っている。そして、広場を取り囲むように、中世時代を思わせる古い建物が立ち並び、みんな画廊やカフェ、みやげ品などの店を開いている。ちょうど、広場の石畳の張り替え作業中で周辺はガタついている。そんな中を大勢の観光客が右往左往している。






センテンドレの中央広場










日本人の団体さんも結構来ている。観光客に混じって小・中学生の修学旅行組も多い。そこで、地図を見せてどこから来たのか尋ねてみると、結構遠い地域から泊まりがけで来ている。どうもこの町は、観光コ−スとしてブダペスト観光とセットになっている模様だ。 


案内所の話では、丘の上の教会がここの名所だというので、その方向へ坂道を上って行く。小高い丘の上に出ると、そこにはセンテンドレで最初の石造りの教会がある。すぐ崖下には取り囲むように建物が立っていて、屋根々々がここからの素敵な眺望を遮っているのが惜しまれる。教会の周りの敷地にはテント張りのみやげ品店が並んでいるが、今はひっそりとして人影もない。観光客はみんな下の広場周辺にかたまっているようだ。
 





 丘の上の教会










教会を覗いた後は、再び中央広場をめざして坂道を下り始める。この町はドナウ川のほとりの小高い丘陵地帯に開けた所で、入り組んだ小路や坂道が多い。そして、到る所にみやげ品店が軒を連ねているところをみると、訪れる観光客の数も結構多いのだろう。中央広場に戻ると軽い昼食をと思い、カフェに入ってド−ナツとコ−ヒ−を注文する。そしてテラスのテ−ブルに陣取り、目の前の広場の風景に自分を溶け込ませながら、ゆっくりとコ−ヒ−に手を伸ばす。
 

ドナウ川の船旅
憩いのひとときを終え、十二時四十分発の船で帰ろうと船着き場のほうへ歩き始める。帰路はコ−スを変え、ドナウ川を下りながらブダペストへ戻ろうという魂胆である。朝来た駅とは反対の方向だが、少し距離がありそうだ。その通り道にもみやげ品店が列をなし、日本人客をもまじえて多くの観光客で賑わっている。二度、三度と船着き場のありかを尋ねながら歩き続ける。そして、道路工事の作業員にもう一度確認しようと尋ねていると、船から上がってきたところらしいアメリカ人の婦人が「キャナイ ヘルプ ユ−」と声を掛けてくる。そこで乗船場を尋ねると、「すぐそこで五分とかかりませんよ。」と教えてくれる。十五分かかってやっと辿り着く。
 

木々がこんもり茂って薄暗い木陰の中に、乗船客の待合所がある。そこに入ると、ひっそりとしてだれ一人いない。切符の窓口にも人の気配がないので近寄ってみると、奥のほうからラジオの音がもれてくる。そこで、「ハロ−!」と声を掛けると、男性の係が出てくる。乗船券を求めて小鳥のさえずりに耳を傾けながら桟橋の辺りをうろついていると、やっと若いカップルが一組現れる。そして出発間際に、アメリカから来たという親子三人連れがやってきて、今日の乗客が全員集まる。 


出航時間の十分前に姿を見せた船は、二階建ての白く長い船体をもつ汽船である。数人の乗客が降りるのと入れ替わりに乗り込むと、間もなく汽船は泥水に赤茶けた川面を滑るように走り出す。ワルツの題名にある“美しく青きドナウ”なんて、ほど遠い感じである。これはライン川も同じだが、ヨ−ロッパの川はみんな赤茶けた泥水で、かなりの土を削り込んで流れているらしいのだ。
 

わずか六人の乗客を乗せた汽船は、下流のブダペストへ向けて航行する。この上流はオ−ストリアのウィ−ンへ通じており、ブダペストからジェットフォイルの高速船で六時間で行ける距離にある。ちょうど二年前の今頃、そのウィ−ンで過ごしていたことを思い出し、このままさかのぼってオ−ストリアへ旅してみたい衝動にかられる。
 

二階の見晴らしの良いシ−トに腰掛けながら豊かな水量をたたえて流れるドナウの風景を眺めていると、途切れた森の間にレンガ色の家並みが見えてくる。さきほど立ち寄ったばかりのセンテンドレの町だ。






ドナウ川よりセンテンドレの町を望む









川の両岸は深い緑の森に覆われ、その先端は水没するほど川面にせり出している。水の濁りはともかく、自然の美しさに包まれたドナウ川の鏡のような水面に、大きなひび目を入れながら汽船は進んで行く。旅情をなぐさめるのどかな風景である。






静かに流れるドナウ川















 ドナウ川の風景










帰りは船のコ−スにして大正解だったなと独りで悦に入る。ライン河の風景は両岸が小高い山に囲まれている上に、そこに点在する古城が眺められて変化に富んでいるが、ここは平坦な両岸でさほど景色の変化が見られないのは惜しい。
 

間もなく高いエンジン音が聞こえ始めたかと思うと、ウィ−ンからの高速船が白波をけ立ててブダペストへ向かって走り抜けて行く。






ウィーンへ通う高速船










船が進むにつれて森は途切れ、川の両岸は次第に開けて市街地が見えてくる。そして、遠くに橋も見え始める。ブダペストの街に入ったのだ。
 

最初の新ペスト鉄道橋をくぐり抜けると、オ−ブダ島の横を通り過ぎ、ア−ルパ−ド橋をくぐり抜ける。続いてマルギット島にさしかかり、そこを過ぎると次はマルギット橋だ。ここまで来たところで、あの華麗で優雅な国会議事堂が左手前方に見えてくる。それは陸上から見るよりもはるかに美しく、いくつもの尖塔を持つお城のような建物が中世の雰囲気をいっぱいに漂わせている。
 

それに見とれていると、すぐに有名な“くさり橋”にさしかかる。ここを通り抜けると、間もなく終着点である。右手の王宮の丘には、荘重な王宮の建物が見えている。これらの有名建築物は、水上からの眺望がきいて最高である。この印象深い素敵な船旅は、センテンドレから一時間十分かかってヴィガド−広場前で終わりとなる。






ドナウ川より王宮を望む











国立博物館
下船すると、今度は地下鉄に乗って国立博物館へ向かう。二つ目の駅で降りると、出口からすぐの所に博物館はある。ここの目玉は、ハンガリ−の王冠と恐竜の大マネキンである。二階の展示室に入ると、でっかい恐竜のマネキンが出迎えてくれる。マネキンだから、大きくても迫力はない。別の展示室に入ると、そこにはマジャ−ル人がシベリア地方から現在の地域へ移住して来て建国するまでの歴史を、大きな地図の上に図示しながら興味深い展示をしている。
 

一階の片隅には小さな展示室があって、そこに王冠が展示されている。ちょうどいま、これを見ようと引率された小学生の列が並んでいる。入口に行くと警備の係員がいて、「入室は順番待ちで、あと三十分はかかりますよ。」という。小部屋なのと警備の都合もあってか、十人ぐらいずつしか中に入れず、中でゆっくり拝観できるように配慮されている。順番待ちはあきらめ、展示室の中央でライトアップされたガラスケ−スの中に青白く輝く王冠を入口から眺めるだけにして帰ることにする。
 

博物館を後にして再びヴァ−ツィ通りに戻ると、街の中心街を散策しながら今夜のコンサ−トがあるヴィガド−を確認し、川沿いのプロムナ−ドに出てホテルに向かう。みやげ品店の並ぶプロムナ−ドは、相変わらず人出で賑わっている。再び店をひやかしながら、今日で見納めとなる「世界遺産」登録のブダペスト風景  ドナウ川にかかる“くさり橋”と王宮の丘  を眺めながらホテルへ戻る。夜に備えてシャワ−を浴び、憩いのひとときを過ごす。


ヴィガド−のコンサート
六時過ぎになってヴィガド−へ出かける。ここは華麗なコンサ−ト・ホ−ルで、ブダペストの由緒ある建物の一つとなっている。この建物の前から“くさり橋”のたもとまでは川沿いのプロムナ−ドが伸びていて、前述したブダペスト風景を眺めながら歩ける絶好の散歩コ−スとなっている。コンサ−トの始まる前に夕食を取ろうと、同じ建物の中にあるレストランへ入る。時間が早いので、食事のお客はまだ一人もいない。ただ、プロムナ−ド沿いのテラスに飲物で憩う客が数人いるのみである。


ウェ−トレスに、観光客向けのツ−リスト・メニュ−ができるか尋ねると、「OK」という返事なのでこれを注文する。出てきた料理はス−プにハンガリ−風ロ−ルキャベツ、そしてデザ−トはパンケ−キとコ−ヒ−である。飲物はビ−ルを取って食事代全部で一、一〇〇フォリント(八二五円)。なかなか美味しく、満足のいく食事である。 
 

隣のコンサ−ト・ホ−ルへ入ると、由緒ある建物にふさわしく王宮のように豪華な飾り付けに輝いている。玄関ホ−ルから正面の階段に至るまでじゅうたんが敷き詰められ、両側がシャンデリアに輝く階段を上って行くと、正面には天使たちが戯れ遊ぶ大きな壁画が掲げられている。ホ−ル内部は二層になっていて、階上の桟敷席や周囲の壁面の装飾が落ち着いた雰囲気を漂わせている。座席は一階の前から九列目の席で、ちょうどいい距離にある。









華麗なコンサートホール・ヴィガドー














 




ヴィガドーのホール内部













ブダペスト交響楽団による演奏











コンサ−トは、ブダペスト交響楽団による演奏で七時半に開演。馴染みのない曲目ばかりだが、プログラムがないので曲名がわからない。途中の幕間休憩があって九時半にコンサ−トは終了。だが、アンコ−ル曲は一曲もなくあっさりしたものだ。ヴィガド−を出ると、最後の美しい夜景に見入りながら川沿いのプロムナ−ドを歩いてホテルへ戻る。静かなブダペスト最後の夜である。






 王宮の丘 夜景













(次ページは「チェコ・プラハ」編です。)









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