N0.1
(アラブ首長国連邦)





(6 日 間)

「天井の無い美術館」・・・ドバイ
世界一だらけの・・・ドバイ
天空に聳える高さ世界一830mのブルジュ・カリファ



(2011年12月20日〜12月25日)


(ドバイの位置)

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ドバイ旅行日程
日付 日数 ル − ト 泊数 タイムテ−ブル・内容
2011年
12/20
(火)
 福 岡 → ソウル         ソウル → ドバイ 機内
10:30発 → 12:00着                14:10発 →  19:20着         
     
21(水)  ドバイ 市内半日観光&デザートサファリ
22(木)  ドバイ 16時:ブルジュ・カリファ展望台 
23(金)  ドバイ 乗り降り自由のバスで市内観光
24(土)  ドバイ → ソウル   オールドスーク散策。22:55発 →     
25(日)  ソウル → 福岡 11:55 ソウル着。13:15発 → 14:30着


1.出発まで
11月になって年内に軽く旅行したくなり、ふと思いつきでドバイ行きを決めたのが今度の旅である。久々の独り旅とあって早速、ドバイに関する情報集めを始めた。そこで分かったことは現地ツアーがあること。そして、世界一高いビル、ブルジュ・カリファの展望台に上るには事前の予約が必要であることなどが分かった。


フリーツアー
さらに航空券と宿の手配をしようと情報集めにかかると、航空券、ホテル、現地での送迎のみ付いたフリーツアーがあることが判明。これについて2社を比較検討した結果、J社を選ぶことにした。と言うのは、九州在住のため福岡発の設定があるJ社が利便だからである。わざわざ成田などへ出かける必要がないという利点がある。


現地ツアー
これにはドバイ市内半日観光とデザート・サファリの2種類があることが判明。2社から同内容のツアーが用意されている。そこで比較してみたが、いずれも同内容のものであった。


ただ、デザート・サファリはかなりハードなものらしく、J社の場合は60歳以上や子供の参加は不可となっている。しかし、もう一方のH社の場合は万一の場合を考えて「同意書」の提出をすれば自己責任で参加可能となっていた。そこでH社のツアーを選んでインターネットで申し込み、代金はカード払いとした。「同意書」はメールに添付して提出した。


世界一高いビル「ブルジュ・カリファ」の展望台入場券
ドバイの一番の目玉は世界一高い超高層ビル(高さ828m:160階建て)で、その124階にある展望台に上ることである。そこでいろいろドバイのことを調べている中で、その入場券が時間指定の予約制になっていることを知った。その予約は次のサイトからできるにようになっている。
予約サイト⇒ こちら


予約は30分刻みの時間指定制になっているので、自分の好きな時間帯を選んで予約するとよい。料金はクレジットカード払いで105ディルハム(約2000円:11年12月現在)。これが当日に飛び込みで行くと、まず券は売り切れていて入場できないのが普通である。たまたま券があっても予約販売の4倍もの高額になるとのこと。それでも入場人員数の制限があるのでなかなか入れない。


私の場合は、昼間の風景とサンセット、それに夜景を見ようと午後4時の予約を取った。12月22日の日没時間を調べてみると、午後5時34分となっているので、これをはさんで午後4時の入場にしたわけである。これは大正解であった。展望台での滞在時間は制限なしの自由である。


こうして出発前の準備を整え、出発の日を鶴首しながら待つことになる。


2.韓国インチョン(仁川)空港へ
出発の朝、福岡空港へ向かう。受付で航空券を受け取り、チェックインする。この空港からドバイへ行くのは私一人で、これより久々の一人ぽっちの旅が始まる。仁川空港で乗り継ぎ、ドバイへ向かうのだ。今朝は快晴の穏やかな日和である。


ジャズピアニスト
搭乗時間となって機内に入ると、窓側の隣席にはすでに黒人男性の先客が座っている。「よろしく」と声を掛けて座席に座る。これより仁川まで1時間ちょっとの旅である。ほぼ満席の大韓航空機は定刻の10時30分より少し早くエプロンを離れて滑走路へ向かう。


離陸して水平飛行に入ると、サンドイッチの配膳が始まる。仁川までの飛行時間が短いので機内サービスもあわただしい。食事しながら隣席の黒人と話が始まる。
「旅行ですか?それともお仕事ですか?」
「ソウルで仕事があるんです。」
「どちらから来られました?」
「博多で用事があり、次の仕事でソウルに向かっているところです。私はフランス人でパリに住んでいます。」
「おや、パリにお住まいですか・・・。素敵なところですよね。お仕事は何ですか?」
「ミュージシャンなんです。」
「どんな種類の音楽なんですか?」
「ジャズでピアニストです。演奏活動で世界中を飛び回っています。日本国内の主要都市すべてでコンサートを開きました。東京ブルーノートでも演奏しました。福岡にはたびたびやって来ます。また、年明けの1月にも福岡に行く予定です。」
「それじゃ、かなり有名な方なんですね。よかったら名刺をいただけますか?」

そう告げると、バッグから名刺を取り出し、渡してくれる。彼の名前は「JEAN GAETAN ALKOORDOSS:ジャスピアニスト:作曲・編曲・音楽ディレクター」となっている。(帰国して検索してみると、多数のサイトが見られた)。


「いや〜、なかなか有名な方なんですね。私はこれからドバイに行くところなんですが、そちらでもコンサートされたんですか?」
「ドバイもよく行きますよ。フランスから近いですからね。このホテルに泊まったことがありますよ。」
と言いながら、スマホを取り出して保存されたホテルの写真を見せてくれる。なんと、そのホテルはドバイで最も有名な7つ星ホテル「ブルジュ・アル・アラブ(Burj Al Arab 」で、1泊最低でも15万円程度はする全室スイートルムの超高級ホテルなのである。やはりセレブなのか?


さらに会話が続く。
「ところで、あなたの先祖はどこから来ましたか?」
「ずっとパリです。私が知っている数世代前から、ずっとパリなんです。」
こんな答えが返って来る。私の推測では、恐らくアフリカだろうと思うのだが、ご本人の様子では、そこまで分からないらしい。


こんな会話を交わしているうちに、やがて快晴のインチョン空港到着である。「パリに戻ったらクリスマス関係で多忙な日程になります。」と言う彼と別れて空港ロビーに降り立つ。そこでセキュリティチェックを受けて早速、出発ロビーへ。


インチョン国際空港


素敵な空間が広がるインチョン国際空港出発ロビー

この素敵なインチョン国際空港は、2011年まで6年連続「世界最高空港賞」を受賞している誉れ高い空港で、成田空港を超えて今や東アジアのハブ空港として君臨している。それだけに空港設備は充実しており、2011年には世界初のスケートリンクもオープンしている。


干潟を埋め立てて造成されたこの空港は2001年にオープンしており、ソウルとは52km離れている。空港鉄道A’REXを利用すればソウル近郊の金浦(キンポ)国際空港まで約30分、ソウル駅までは直通列車で43分の距離。また、専用の高速道路を利用すればソウル中心部まで約60分でアクセスできる。


ロビーで出会ったチョゴリ姿の女性。撮影を頼んだら、
快くポーズをとってくれた。


この空港で私が決まって行くのは、インターネットラウンジである。出発までの時間消費にもってこいの場所なのである。携帯を持たない私は、ここで必要なメールを送ったり、ネットサーフィンなどを楽しんでいる。ラウンジは2階ロビーに2ヶ所設けられており、年中無休で24時間オープン。それぞれ専属の係員が居て質問に応えてくれる。


ゆったりとしたインターネットラウンジ(無料)(インチョン国際空港)


3.ドバイへ
搭乗時間が迫ったのでラウンジを引きあげ、ゲートへ向かう。ドバイへの飛行も大韓航空機である。いつも思うのだが、このエアーラインの女性乗務員はスタイルブックから出て来たような洗練されたスタイルの持ち主ばかりで、素敵な笑顔をたたえながら応対してくれる態度には好感が持てる。


座席に座って後から搭乗する乗客を見ていると、その中に揃いのユニフォームを着た若い集団が乗って来る。スポーツ選手だろうか?と思って横を通る青年に「スポーツのチームですか?」と尋ねると、「テコンドーです」との返事が返って来る。やはりスポーツ選手団なのだ。


そう思っていると、私の座席列にその集団の数人が着席することに。そこで隣席の韓国青年とブロークンイングリッシュで質疑応答が始まる。彼は29歳でガールフレンドなし。すでに2年の兵役は済まさせていると言う。
「あなたもテコンドーですか?」
「いいえ、私はダンスのチームです。」
「どんなダンスなんですか?」
「スピンヘッドのあるヒップホップダンスなんです。」
「競技会があるんですか?」
「いいえ、エキシビジョンで演技するんです。」
「ところで、今度の北朝鮮の金正日総書記の急死についてどう思いますか?」
「韓国にとっては何も問題ありませんよ。戦争も起こらないと思います。」


会話しているうちに、ふとユニフォームの胸に貼り付けてある見慣れた韓国
大韓民国国旗

韓国国旗


国旗に目が留まり、普段から思っていた疑問を尋ねてみる。
「中心のマークは何を表すのですか? そして四隅のバーは何を意味するのですか?」
すると、すっきりした回答が得られず、隣席の仲間たちとけんけんがくがくとなってらちがあかない。なんだか複雑な意味があるらしい。


そうこうしているうちに、ほぼ満席の機は北京近くの上空を横切り、タクラマカン砂漠の上空を横断しながら中東へ向かって飛行する。その間、早めの夕食と到着間近に軽食が配膳される。また、合間あいまにサンドイッチやおにぎり、ジュースなどのサービスがある。


そこで私は乗務員に・・・
「カップヌードルありますか?」と所望する。すると
「えゝ、ありますが、スパイシーなものですよ。よろしいですか?」
と返答する。
「かまわないので、おねがいします。」


間もなくしてヌードルが運ばれてきた。確かにピリ辛だが、結構おいしいものである。だがちょっと、お腹が満たされ過ぎの感じである。


しばらくまどろんでいると、機内燈が点灯して軽食の配膳が始まる。ドバイ空港が近づいているのだ。食事を終えて一息つくと、機は次第に高度を下げて下降し始める。素足になっていた足にソックスをはき、さらに靴を履いて態勢を整える。これで到着準備OKだ。アラブ首長国連邦への入国は、出入国カードの作成は必要なく、気楽である。


4.ドバイ空港到着
到着は午後7時40分過ぎで、予定より約20分遅れである。ドバイ空港は2007年にチュニジア行きの際に乗り継ぎで利用して以来のことである。その際はバスに乗り換えて半時間ほどかけてロビーへ到着したものだが、今度はその不手際もなく、直接エプロンに接続されてズムーズに降機する。


フロアーに出ると入国審査のブースへ移動するのだが、その遠いこと甚だしである。歩く歩道はあるものの歩いても歩いてもブースに辿り着かない。約10分ほど歩いてやっと入国審査ブースへ到着。ブースは全員男性の係官で民族衣装のカンドゥーラで白い装束に身を包んでいる。これでアラブの世界に来たのだという思いを新たにさせられる。

(UAEの男性は通常、カンドゥーラ(kandura)またはディスダーシャ(dishdash)と呼ばれる白くて長いシャツドレスを着る。下の写真参照)


審査ブースは多数設けてあり、入国者の列はスムーズに流れる。ここは問題なく通過し、次は税関だ。ところが意外にも、税関のブースはどこにも見当たらない。この国は税関審査はないわけだ。こうしてアラブ首長国連邦・ドバイへの入国手続きはあっさりと終わる。


入国審査へ向かう長いフロア(ドバイ空港)


アラブ首長国連邦・ドバイのこと
こうして足を踏み入れることになったアラブ首長国連邦だが、このことについて述べておこう。正式国名は「United Arab Emirates」で、UAEと略称する。アラビア半島のペルシア湾(アラビア語圏ではアラビア湾と呼ぶ)に面し、アブダビ、ドバイ、シャルジャ、アジマン、ウム・アル・カイワイン、フジャイラ、ラス・アル・ハイマという7つの首長国からなる連邦国家である。首都はアブダビで、人口470万人。公用語はアラビア語で宗教はイスラム教。


国土面積は北海道とほぼ同じの83,600平方キロメートル。徴兵はなく兵力は約5万。主要輸出品目は原油、天然ガス、原油製品、再輸出品(電化製品等)。輸入品目は自動車、機械、電化製品。主要輸出国は日本、韓国、インド。


ドバイ(Dubai)は7つの首長国の一つ。14世紀には漁業や真珠の輸出を主とする小さな漁村にすぎなかった。19世紀にはイギリスの保護国となり、東インド会社に到るための貴重な中継地となった。20世紀に入って社会資本の近代化が図られ、ドバイ沖の海底油田発見はこれに大きな力を与えた。


その後、一段の発展を続け、21世紀に入るころには、中東における貿易・商業・運輸の中心となり、現在ではジャバルアリー・フリーゾーンには約6千社が進出するまでになっている。そしてドバイには、世界一の記録をもつ数多くの施設がる。その代表例が世界一の高さを誇る超高層ビル「ブルジュ・カリファ」(高さ828m:2012年現在)である。


2000年半ばには経済成長率も2ケタ台と高い成長を見せ、これにつれてすさまじいばかりのビル建設ラッシュが続き、またたく間に摩天楼がそびえる都市へと一大変貌を遂げた。これにつれて世界中から資金が集まり、投機を目的としたドバイでの不動産購入などで未曾有の不動産ブームが起こった。


しかし、このブームも2008年後半に起きたアメリカのサブプライムローン問題に端を発した世界経済の混乱を機に終わりを告げる。外資や投機筋は投資資金を一斉に引き揚げ、地元企業の資金繰りが悪化して建設中断の事態が続出。世界一のブルジュ・カリファまで建設中断となった。また外国人労働者の失業や観光客も減少するなど、不動産ブームは崩壊することになる。


さらに2009年にはドバイ政府自体の債務不履行問題が発生し、リーマンショックに続いて「ドバイショック」となり、世界経済は再び混乱した。
このような状況下にあるものの中東の金融センターとしての地位は揺るがず、またドバイは世界でも有数のリゾート地として観光客も増加しつつある。


ドバイの水道水は殆ど完全に海水を淡水化したもので無菌。しかし成分調整のため鉄分等をくわえてあるそうだ。そのまま飲んでも全く問題はないそうだが、習慣として飲料水はペットボトル入りのミネラルウォーターを飲むことが多いらしい。降雨の少ない砂漠地帯にありながら、緑の街路樹が青々と茂るのはこの水のお陰である。


ドバイをベースに就航するエミレーツ航空は世界の100都市以上に運航している。日本〜ドバイ間の飛行時間は10〜11時間程度。時差は5時間で、ドバイが遅い。ドバイの気候は7〜8月の気温が最も高く50℃近くになることもある。年間降水量は少なく、 93.88ミリとなっている。ベストシーズンは12月〜3月で最高気温は20℃台である。


そんな中にあって、再びドバイ政府の債務不履行問題がクローズアップされている。12年の債務返済に問題が生じているらしいのだ。再びドバイショックの悪夢を見ることになるのか、今後の動きが注目される。


入国&ホテルへ
入国したところで、まずは現地通貨ディルハムへの両替だ。ロビーの片隅に両替所が目に入ったので早速両替しておこう。まずは1万円だけを両替。レートは0.0421で現地通貨421ディルハムを受け取る。1ディルハム=23.75円の交換比率となる。


小型バッグ1つで預け荷物もない私は、入国審査を終えると真っ先に出口へ向かう。そこには大勢の出迎え人が名前を書いたプラカードを持ちながら両側に長い列をつくっている。さてと、この行列の中に私を出迎えるスタッフがいるはずなのだが・・・。


ドバイ空港到着ロビー

一斉に注がれる出迎え人の視線を浴びながら、左右の列をゆっくりと眺めながら通り過ぎる。ところが列の最後まで来ても出迎え人の姿は見当たらない。これは電話連絡してスタッフを呼び出さないといけないかな?と考え始めたその時、「○○さんですか?」と私の名を呼ぶ声が中ほどから聞こえる。


そこで後戻りして名乗り出ると、私の名前をひらがな文字で大きく書いたプラカードを持って見せている。「お名前、間違いありませんか?」「えゝ、間違いありません。私が○○です。」と告げて無事ドッキング完了となる。出迎え人は日本人ではないが、流暢な日本語で応対する。


早速、車へ案内され、ホテルへと向かう。宿泊ホテルは市内中心部にあり、そこまで車で15分の距離である。車内で出迎え人と少し会話を交わす。
「なかなか日本語がお上手ですね。どこで習得されましたか?」
「日本の東京に8年間住んでいました。少し長居をしました。」
「それで日本語が上手なわけが分かりました。出身国はどちらですか?」
「スリランカです。」


こんな会話を交わすうち、9時過ぎホテル到着である。このホテルは前にクリーク(入り江)があって、素敵な景色が見られる。そこで、チェックインの時にフロントで私の部屋が“クリーク・ビュー”なのか否かを確認すると、そうではなく裏側の部屋だという。“クリーク・ビュー”の部屋にするなら追加料金が必要と言う。それなら変更不要と告げて、そのままチェックインする。


部屋に入ると早速旅装を解き、バスタブにお湯を張って入浴する。窓はビルに塞がれて見通しがきかない。とまれ、こうしてドバイの第一夜は更けて行き、床に就いたのは10時過ぎのことである。


(次ページは「市内観光&デザート・サファリ」編です。)











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