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  N0.6
(&ベトナム)




今朝は6時に起床。窓から見上げる空は今日も晴れ渡っている。暑い一日の始まりである。今日の予定はアンコ−ル遺跡群の一つ、バンテアイ・スレイの観光と午後は巨大湖のトンレサップ湖クル−ズの予定である。その後は早くもベトナム・ホ−チミンへ移動である。それに備えて、まずは腹ごしらえだ。
 

食堂に出向くと、早速楽しみのフォ−の調理をお願いし、今朝も同じメニュ−で満足の朝食をいただく。麺好きの私には、毎日食べても飽かないフォ−である。味にしつこさがないし、素材を生かしたあっさりとした味がなかなかおいしい。
 

現地観光の状況
食堂から出ると、フロントでいろいろ尋ねてみる。この町に市内観光的なものはないのかを尋ねてみると、パンフレットも何もなく、個人で回るしかないとのこと。遺跡めぐりも同様で、個人で行くしかないという。ということで、この地を訪れる観光客はツア−で来るか、または個人で来るならガイドをつけてタクシ−をチャ−タ−して回るしかないというこになる。
 

そこで、タクシ−料金を尋ねてみると、バイクがワゴンを引っ張るバイクタシ−の場合、1日のチャ−タ−料金は約2,000円とのこと。普通のタクシ−なら、その倍額はするという。この町には乗り合いの観光バスはないので、観光の足はこの2種類しかないようだ。日本語ガイドの料金は分からないが、これを頼めば結構な金額になるのだろう。ガイドなしでアンコ−ル遺跡を回るとなると、右往左往して時間の効率は悪くなるに違いない。だが、それだけ自分の納得のいく観光ができるのかもしれない。二度目の訪問なら、ガイドなしのほうがかえって良いのかもしれない。
 

バンテアイ・スレイ遺跡へ
9時過ぎになってホテルを出発し、バンテアイ・スレイ遺跡へ向かう。この遺跡は主要遺跡の中でも町から一番遠く、アンコ−ル・ワット、アンコ−ル・トムなどのもっと北に位置している。車で40分の距離で凸凹の地道を揺られながら走って行く。途中、高床式の住民部落があり、珍しい光景が見られる。ぜひ立ち寄って見たいのだが〜…。
 

遺跡前で下車し、係官から証明パスのチェックを受けて入場する。環濠の池の前に、こぢんまりとした愛らしい寺院が森を背景に静かに鎮座しているのが見える。他の遺跡と違って規模は小さいが、なんだかすごい彫刻石造の寺院のようだ。


バンテアイ・スレイ寺院の正面入口。左右は環濠。

とにかく、中へ入ろうと思って入口門に近づくと、屋根の部分には繊細な紋様彫刻が一分の隙もないほど見事に彫り上げられており、その緻密さと華麗さに心打たれてしまう。先端の一部が欠損しているのが惜しまれてならない。 








 精緻で繊細な浮き彫りが見事















狭い門をくぐり抜けて境内に入ると、3つの祠堂が基壇の上に立っており、これも壁面全部にびっしりと装飾彫刻が施されている。その余す所なく彫り込まれている繊細で美しい紋様には、ただただ息を呑むばかりである。その上、壁面のあちこちに美しい女神像が優美な曲線を描きながら彫り込まれている。それらが朝の陽光に照らし出されて輝く様子をじっと眺めていると、その無数の彫刻の襞の隅々まで、今もなお彫刻師の魂がしみ込んでいるように思えてならない。それが現代社会にどんなメッセ−ジを届けているのかは、見る人それぞれが感知する以外にない。これら彫刻群は彫りが深いのでその陰影が美しく、それがより立体感を醸し出して、一層彫刻の華麗さを表現してる。これが超一級の芸術品であることは間違いない。
 

基壇の上に3つの祀堂が並ぶ。これらの下部側壁に「東洋のモナリザ」と
称される優雅な女神像群が彫られている。



ロープが張られて中には入れない。両側に女神像が見える。


この壁面にも女神像が彫られている。


この扉は彫刻で開かない。この両側にも女神像が・・・。

「東洋のモナリザ」の正体
ここにはかの有名な「東洋のモナリザ」と慕われる美しい女神像がある。それはこの中央祠堂の側壁面に彫られているのだが、正面からはよく見えない。裏手に回ってみると、今は周囲にロ−プが張られて、それが至近距離から見られないようになっている。いったい、それがどこにあるのだろうと興味津々でガイド君の説明に耳を傾ける。彼が指し示す方向を見ると、中央祠堂の角の柱面の女神像である。
 

その左右に、似たような女神像があるので、そのどちらが「東洋のモナリザ」なのかと質問すると、右側の女神像だという。そこには右手を優しく胸に当て、左手はこれも優しく自然に伸ばし垂らしている穏やかな表情の女神の立像が彫り込まれている。ズ−ムで拡大写真を撮ってみるが、それほど大きくないので残念ながらその様子はよくは分からない。こうして神秘のヴェ−ルに包まれているのも、かえって興趣があっていいのかもしれない。
 









手前の仏像の頭の付近に見える女神像2体が特に注目されているようだ。ガイド君は、この右側がモナリザだというのだが・・・。















後でいろいろ調べてみると、この「東洋のモナリザ」といわれる女神像はこれといった特定の像ではなく、どうもこの祠堂に彫られた複数の女神像群を総称した呼び方のようである。私はてっきり特定の女神像があるのだとばかり思っていたが、そうではないらしい。だから、あちこちで取り上げられている「東洋のモナリザ」の写真もそれぞれに異なっていのである。
 

バンテアイ・スレイのこと
このバンテアイ・スレイは「女の砦」を意味しているそうで、967年に王師ヤジュニャヴァラ−ハが菩薩寺として建立したもの。その建材に紅色砂岩が使用されているため、寺院全体が独特の赤味のある色彩を持ち、それが他のアンコ−ル遺跡とは異なる様相を呈している。周囲400mほどの小規模な寺院で、第三周壁の中に3つの祠堂と2つの経蔵が配置されている。1914年、野焼きをしている時に偶然発見されたらしく、その時の痕跡か、あちこちにすすけた箇所が見受けられる。
 

この寺院の特徴は寺院の壁面を飾る精緻で彫りの深い浮き彫りや装飾紋様で、その美しさゆえに「アンコ−ルの宝石」とたたえられている。なかでも北神殿の四隅に刻まれた女神デヴァ−タ−の像は、フランスの作家アンドレ・マルロ−が、その著書「王道」の中で、その美しさを絶賛したために、「東洋のモナリザ」として世界的に有名になっている。
 

高床式部落見学
華麗で繊細な彫刻群に埋まったこの寺院を後にすると、バスは町へ向かって凸凹道を走り進む。気になっていた途中の高床式の部落だが、なんとかフォトストップだけでもできないものかと心ひそかに思っていると、その思いが通じたのか、村にさしかるとその一角にバスはストップする。ちゃんと当初から予定に入っていたのだ。
 

この一帯には高床式の住宅群が木陰のあちこちに点在しており、見慣れないわれわれには珍しい光景を見せてくれる。シェムリアップの市街地からかなり離れた辺ぴなこの地域は、度々洪水に見舞われるため、こうした高床式の住宅が造られるらしい。地域住民は多分農業を営んでいるのだろう。
 

下車してみると、好奇心いっぱいの子供たちのお出迎えである。だが、彼らの顔には笑顔は見られず、みんな暗い顔をしている。控え目な国民性のためだろうか? それとも、見世物にされたくないとの抵抗のしるしなのか? 少し気になるところである。


子供たちの顔には笑顔がない

各住宅はとても簡素なもので、細い柱を組み立て、それに薄い屋根板と壁板を取り付けただけのもので、細い梯子で上り下りするようになっている。年中高温の夏の状態だから、これで過ごせるのだろうが、雨漏りなどは心配ないのだろうか? 
 

高床式住宅。履物は階段の下で脱いで上がる。

数軒立ち並ぶ家屋を見て回ると、どこも留守のようで人気はない。たまたま、そのうちの1軒に家族の姿が見られるので、靴を脱いで恐る恐る梯子を上ってみる。すると居間らしき部屋には若い母親と3人の子供たちが床の上に座ってのんびり過ごしている。そこで、「スオスダイ(こんにちは)」と挨拶すると、にっこり微笑んで挨拶してくれる。そして、「カメラ、OK?」と許可を求めると、うなずいてくれる。
 

お邪魔した家の母子

居間の片隅には昼寝用のためなのか、カ−ペットが敷かれている。天井にはちゃんと蚊帳が用意されているところを見ると、これは必需品なのだろう。


天井には蚊帳が見える

その隣に入口があり、そこをちょっと覗かせてもうらうと、暗い部屋にベッドが置かれている。多分、夫婦の寝室なのだろう。その奥にも小部屋があるようだが、子供部屋なのだろうか? ここの写真を撮らせてもらおうと、「OK?」と指差しながら許しを乞うと、苦笑いしながら躊躇している様子。そこで、失礼して写真1枚を撮らせてもらう。この部屋の壁には壁紙の代わりに古新聞がべたべたと貼り付けられている。突然の闖入のお詫びに、ささやかな謝礼を差し上げて退散する。
 

寝 室? 壁紙は古新聞 

その生活ぶりは貧しそうで、電気もなく、したがって電化製品はもちろんない。恐らく、夜明けとともに起き、日暮れとともに寝るといった自然に包まれた生活を送っているのだろう。それは素晴らしいことに違いなく、これが人間本来の生活といえるのかもしれない。先進社会はあまりにも進歩し過ぎ、それがかえって様々な弊害をもたらして人間をダメにしている観がある。
 

敷地の一角にはNGOの支援活動で井戸が掘られているので水は不自由しないようだ。のぞいて見ると、水面はかなり上まであり、これだと心配なさそうだ。そのすぐ側で、大鍋をカマドにかけて何やら炊いている。見ると液体がいっぱい入っている。側にいる男性に尋ねてみると、「ココナツ・シュガ−」だという。ココナツから取り出したジュ−スを集めて鍋に入れ、それを煮詰めているのだ。こうして固形の塊に仕上げ、それを商品として売り物にしている。
 

庭先の道路沿いの道端には軒をしつらえた簡易露店が設けてあり、そこでココナツや手編みのザル、ココナツの砂糖菓子、それに飲物などを売っている。こうして通りがかる観光客を相手に商売しているのである。少しは生活の足しになるのだろうか? 
 

ここの家の人たちが露店で商売している

この村で半時間ほど過ごしたあと、バスは市中へ向かって走り出す。村人たちの現代生活とはかけ離れた生活の様子を垣間見たわけだが、人間の生活はその地にふさわしい暮らし方があるのだろう。彼らが大自然とかけ離れた先進社会に移り住んだとしても決して幸せにはならないだろう。自然にまみれた生活こそ、人間本来の生きる道なのかもしれない。
 

昼 食
赤土のでこぼこ道を走る車の車窓から、生い茂る森林の風景を眺めながら、ふとそんなことを考えていると、市中へ到着。これからレストランで昼食である。今日の料理はクメ−ル風中華である。カンボジアのクメ−ル料理と中華料理が融合したもので、なかなかおいしくいただける。
 


(次ページは「トンレサップ湖」編です)










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