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  N0.4
(&ベトナム)




再びアンコール・ワット
バスは再び郊外のアンコ−ル・ワットに向けて走り出す。遺跡近くに来ると、また入場パスのチェックを受ける。ここを通り抜けてワットの前の広場に到着。そこに降り立つと、早朝には薄暗くてよく見えなかった寺院の風景が、今は午後の強烈な陽光を浴びながら眼前に鮮やかな姿を惜しみなく披露している。やはり早朝の逆光とは違って、順光で見る光景はなんとも鮮明だ。目の前の幅200mの環濠にはひたひたと水がみなぎり、昼下がりの酷暑の中で参詣者に涼感と潤いを与えている。
 

その左手には塔門へ続く西参道(表参道)が堤防のように塞ぎ立っており、その先には塔門の翼廊が左右に長く伸びて通せん坊をしている。その右側翼廊越しの遠くにアンコ−ル・ワット本殿の尖塔がのぞいている。この参道入口からそこまで540mもの距離である。それだけでも、この寺院の見学がいかに大変かが分かるというもの。それも暑さの中とあってはなおさらのことである。 
 






幅200mの環濠と表参道。正面は西塔門。右側翼廊の上に小さく本殿の尖塔がのぞいている。ここからそこまで540mの距離。






表参堂と西塔門
ガイド君に案内され、大きな石畳の表参道に入って行く。この参道の長さは環濠の幅と同じ200m、道幅は20mで、その中央には分離帯の敷石が置かれている。図面で見るように、寺院への参道は東側と西側にそれぞれ設けられているが、正門はこの西側で表参道と呼ばれている。この参道の中央分離から右側部分はフランスが修復したそうだが、左側半分は放置されたため「アンコ−ル遺跡国際調査団」が担当し、日本の技術者もその修復作業に従事しているという。今もなお進行中で、一部には青いシ−トが被せられている。
 

表参道と西塔門。中央には分離の石が転がっている。

ここを渡り切ると西塔門に至る。ここは参詣者が最初にくぐる正門で、写真のように3つの塔があり、その左右に伸びる翼廊は全長230mもある。中央塔の入口に立つと、その真正面遠くに中央神殿の塔の部分が望める。ここを抜けると寺院の広大な内部敷地に入り、そこからさらに参道が本殿まで350mも続くのである。その様子は今朝見たところである。
 

このまま本殿まで参道を直進するのかと思ってガイド君の後について行くと、途中の階段から右側の境内敷地に下りて行く。芝生がまだら模様に広がる敷地を横切って側面に生い茂る樹林の中へ入ると、噴き出る汗を拭いながら木陰道を歩いて本殿の方へ進んで行く。左手遠くに経蔵を見ながら進んで行くと、その先にちょっとした池が見えてくる。これが聖池で、参道を挟んで左右対称に設けられている。いま、その池には可憐な蓮の花がひっそりと咲いている。
 

聖池に映る逆さ寺院
何気なく眺めていると、突然ガイド君が「ここが有名な撮影ポイントです。どうぞ記念撮影をしてください。」と案内する。なるほど、これがあのよく見かける逆さ寺院の映る池なのだ。案内されないと、とても自分ではこんなカメラポイントを探し出すことは無理な話だ。斜め前方に見える本殿を眺めると、正面からは3本の尖塔しか見えないのだが、この角度からは背後に隠れた2本の尖塔も合わせて5本の塔がすべて見える位置になっている。さすがに絶好のフォトポイントではある。
 

ここから眺める本殿はまさに荘厳華麗で壮大。その典雅で壮麗な姿を見せてくれる一方で、それがまた聖池に写る逆影とあいまって立体感のある優美な景観を見せている。聖池いっぱいに広がりながら静かに映える寺院の光景を眺めていると、一瞬時が止まったかのような静寂感を覚える。ファインダ−からのぞくと、目の前の光景が凝縮されてより美しく見える。これはしめたとばかりに、3枚続きのパノラマ連続写真を慎重に撮影する。



聖池と逆さ寺院の風景。このシーンは観光宣伝用に多用されている。この角度からは5本の尖塔が見える。左側が参道。




後でプリントしてみると、池の水面に映える寺院の風景が少なからずぼやけているのだ。くっきりと写っている写真をよく見かけるのだが、これはどうしたことだろう? そこで注意深く写真を見てみると、水面がわずかな微風で細波を立ているようで、鏡面の水面が出現できなかったせいなのかもしれない。 それとも撮影者の腕の相違なのだろうか?
 




第一回廊へ
ひとしきり記念撮影を終えると、聖池を後にして本殿の第一回廊の右側コ−ナ−に向かって進んで行く。この寺院の構造は三重の回廊が四角形にめぐらされ、それが中央の尖塔を囲むような形状になっている。この第一回廊は一番外側に当たる回廊で、東西200m、南北180、その周囲総延長は800mにもおよぶ。その整然と並ぶ回廊の列柱は、あのエジプトのルクソ−ル西岸にあるハトシェプスト葬祭殿(テロ事件で日本人観光客多数が殺害された)を思わせる。その側にぽつんと高くそびえる椰子の木がとても印象的である。
 

第一回廊の右側コーナー

角の階段を上って第一回廊に入る。この寺院は東西332m、南北258m、高さ2mの広大な基段の上に建てられている。この回廊には「乳海攪拌」「天国と地獄」「マハパ−ラタ」などのテ−マで、精緻な浮き彫りのレリ−フが施されているので有名である。中に入ると、高い壁面いっぱいに彫りめぐらされたレリ−フがどこまでも延々と続いている。こんなレリ−フが周囲800mにわたって彫られているのだから、その壮大さには驚嘆の一語で言葉もない。ただ一つ感じたことは、午前に見たバイヨン寺院の浮き彫りのように肉厚ではなく、彫りが浅いということだ。それだけに、やや立体感に欠けるきらいがある。
 

長さ332mの壁面にレリーフが延々と彫られている


天国と地獄?


レリーフの彫りは浅い

第二回廊へ
その切りがないレリ−フの長さと見学者の多さ、それに暑さも加わってガイド君の懸命な説明も聞き取りにくくロクに耳に入らない。第一回廊はその一部を見ただけで奥へ進む。正面入口へ回って階段を少し上ると、第一回廊と第二回廊を結ぶ田の字型の十字回廊に出る。ここを通り抜けて第二回廊へ出る。ここは第一回廊の内側にあり、東西115m、南北100mの回廊である。回廊内部には何の装飾もなく、幾つかの仏像が置かれているだけらしい。
 

第三回廊へ
ここから最上部にある第三回廊に進むと、それを取り囲むように中庭のような空間が広がっている。ここで一息つきながら第二回廊の外壁を眺めると、そこには特徴的な連子状の窓が連なっている。


連子窓が連なる第二回廊側壁。このすぐ右手に恐怖の階段がある。

この中庭に立つと、その中央部に立ち塞がるように第三回廊が険しい角度でそびえ立っている。それを見て、一瞬たじろいでしまう。あの上に登らないと第三回廊へは入れないのだ。その登り口はいったいどこだ!?
 



恐怖の階段
探すまでもなく、目の前に急傾斜の階段が圧倒するように立ち塞がっている。これは恐怖の階段そのものだ! なんとその傾斜角度は45度を軽く超えて60度〜70度はあるかと思われる危険な階段なのだ。どうしてこんな危険な階段を設けたのだろう? かなりの危険をおかし、恐怖心を払いのけながら登り上がらないと頂上の第三回廊には達しないのだ。これも参詣者に求められた最後の修業なのかもしれない。この寺院の設計者のそんな思いが伝わってくる。
 

この険しい階段。階段というよりロッククライミングする感じ。

それはともかく、目の前の恐怖の階段を征服しなければ事は始まらない。これはまるで急傾斜の登岩と同じことだ。オ−ストラリアのエア−ズロック登岩でもこんな場面はなかったぞ!そんな思いでみんなの登岩様子を見ていると、登りはみんな這いつくばるようにしながら登っており、下りは特設された手摺を持ちながらも震えるようにして下りている。ガイド君は平然として「ここで待っています。」と言うだけで、率先垂範して見せようとはしない。自分を信じて登るしかない。
 

この場面のために予め用意させられた手袋を取り出し、邪魔にならないようにバッグを背面に回して身構える。この石段の高さは20m前後はあるのだろうか? 左端に設けられた特設の手摺を使いたいが、それは下りの人専用だから登りは使用不可なのだ。意を決して、いよいよ恐怖の石段に取りかかる。初めの数段は何のことはない。ところが上段に進むにつれて、身体全体が背後に引っ張られるような感じになってくる。というのも、この階段の足踏み面の幅が狭い上に、参詣者の足ですり減ったのか面が水平ではなく外側に傾いているからである。
 

中ほどを過ぎて上部にさしかかると、いよいよ身体が背後に引き摺られる力が強まり、恐怖心がわいてくる。この途中で転落でもしたら一大事である。“アンコ−ル・ワットで転落事故”なんて記事にでもなったら目も当てられない。これまでほんとに転落した人はいないのだろうか? そんなことを思いながら、ただ必死になって這いつくばい、両手で石段にしがみつくようにして一段一段登って行く。上も下も見ることはできない。あと何段あるのか知りたいが、見上げて頭を持ち上げれば、いよいよ背後に引かれ落ちそうだし、下を見下ろせばこれもまた引かれ落ちそうなのだ。とにかく目の前の階段の壁だけを見ながら前進するしかない。
 

第三回廊からの風景
ようやく目の前から階段が消えると、最後の一段を登りあがって第三回廊到達である。中央祠堂まで入ろうとは、なかなか難行苦行の至難の技である。ほっと一息つきながら、今度はびっしょりかいた冷や汗をゆっくりと拭い取り、水を飲んで喉を潤す。この回廊は方形で一辺の長さは短く、簡単に一周できる。
 

眼下に広がる下界の景色を見下ろしながら、回廊を歩み進む。1000年前の創設者ス−ルヤヴァルマンもこれと同じ光景を目にしたのかと思うと感慨深いものがある。幾人もの王族や僧侶、それに参詣者たちが、それぞれどんな心持ちでこの回廊から下界を見下ろしたことだろう。遙かなる時限を超えて今、それと同じ場所に立っている自分が不思議に思えてくる。とにかく、高い位置からへいげいするように見下ろすのは気持ちのいいものだ。
 

西の回廊からは、先ほど歩いて来た表参道と西塔門が遠くに望め、多くの観光客が往き来しているのが見える。他の回廊からは鬱蒼とした樹林の風景が見えたり、また回廊の突端で僧侶と語らう観光客ののどかな光景が眺められたりする。
 

第三回廊から表参道と西塔門を望む


この先には門があるのだろうか? 


僧侶と対話するのどかな風景

そしてさらに進んでいると、中央祠堂の高さ59mの尖塔が均整のとれた姿で陽光を浴びながら白く輝くのが見えてくる。よく見ると、精緻に刻まれた岩石が狂いもなく、そしてバランスよく均衡を保ちながら慎重に積み上げられているのが分かる。その高い部分の壁面にもレリ−フが彫られたり、装飾が施されたりしている。どこまでも手の込んだ完成度の高い芸術品である。
 

昼下がりの陽光に輝く高さ59mの中央尖塔


ここからも尖塔が見える

この最上回廊にも連子状の窓があり、その一角に朱の衣を着けた仏像が祀られていたり、柱にレリ−フが彫られたりしている。この回廊は田の字型になっており、それぞれ4ヶ所の空間=沐浴池がある。そして、その四隅にそれぞれ尖塔がそびえ、その中心部に中央祠堂があって、その上に高さ59mの中央尖塔が空高くそびえているのである。
 

仏像が祀ってある


第三回廊の一角の柱に彫られたレリーフ

恐怖の下り階段
回廊を一巡りすると、登り上がった階段に出る。再び恐怖の階段を今度は見下ろしながら下りることになる。上段から見下ろす光景は、高所恐怖症の人ならとてもじゃないだろう。だが今度は、特設された手摺とコンクリ−トで造られた足乗せ台が使えるので何とかなりそうだ。下りは恐る恐る一歩一歩下りるので時間がかかる。そのため、階段前には下り待ちの列ができている。それに並んで待つことになる。
 

下り階段を待つ人の行列(第三回廊にて)

順番が来ると、手摺をしっかり両手で握りしめ、横向きになりながら下りて行く。高さの恐怖はあるが、手摺という強力なサポ−トがあるので思ったほどではない。慣れてくると、前の人の速度がまだるく思えてくるほどである。途中からは右手だけで手摺を握り、前向きになって下り始める。こうして、恐怖の階段は無事踏破し、中央祠堂への参詣も終わってアンコ−ル・ワット寺院見学はようやく完結する。
 

目もくらむこの傾斜。その角度は60〜70度?


こちらの写真が傾斜角度がよく分かる

軽業師のガイド君
ほっとした面持ちで第二回廊の中庭で後続のメンバ−が下りてくるのを待っていると、そのうちの一人が遅れているらしく、ガイド君はどうしたのかと首を傾げている。すると、中央階段より少し離れた別の急階段へ走り寄り、それを自分の庭の慣れた階段のようにいとも軽々と、トントントンと一気に駆け上がって行く。その鮮やかで軽快なッフトワ−クに並み居る観衆は呆気に取られ、思わず拍手を送る。
 

中央階段と同じ急傾斜の階段だから、そんな軽業みたいな真似はとてもできっこない。若ければ私も挑戦してみたい気はするのだが……。そうこうするうちに、最後の一人を探し出したとみえて階段へ戻り、今度もトントントンと軽業師のように舞い降りてくる。実に身軽なガイド君ではある。あの急階段をこんなに我が物顔に誰が上り下りできるだろうか? 今でも感嘆の思いで記憶が蘇る。
 

全員そろったところで、第二回廊を下り、第一回廊に出て正面入口から外のテラスに出る。ここから続く表参道を逆に歩きながら塔門をくぐり、環濠を渡る参道を歩いて門外に出る。ここでもう一度振り返り、昼下がりの陽光を浴びるアンコ−ル・ワットの姿を脳裏に焼き付ける。 


アンコール・ワットのこと
この世界最大の宗教建築といわれるアンコ−ル遺跡群は802年に創設され、12〜13世紀に栄えたアンコ−ル王朝の都城である。なかでも有名なアンコ−ル・ワットは1113年に完成し、寺院、宮殿、霊廟のすべての役割を果たしており、ヒンズ−教の三大神の一つヴィシュヌ神が祀られている。東西1.4km、南北1.3km、幅200mにも及ぶ堀に囲まれており、参道、三重の回廊、5つの尖塔、それに経蔵からなっている。
 

いま、その全体像を垣間見てきてわけだが、そのスケ−ルの大きさと、それでいて繊細な建築装飾と気が遠くなるほどの浮き彫りのレリ−フが施されているのには驚嘆以外の言葉もない。エジプトのピラミッドもそうだが、千年の昔にこれほどの建築技術を駆使し、これほど後世に注目される大寺院を建立するとは驚愕の一語に尽きる。


この寺院の建立に注ぎ込まれた人々の熱い情熱とエネルギ−は、いったいどこから生まれてくるのだろうか? 神への信仰か、それともス−ルヤヴァルマン2世の権威なのだろうか? 寺院の回廊を回っていると、彼らの魂の響きが聞こえてくるよで、思わず手を合わせたくなる。こうして、アンコ−ル・ワット(大きな寺という意味)への畏敬と尊厳の念は後世代へ果てしなく受け継がれて行くに違いない。 



(次は「プノンバケン」編につづく)










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