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  N0.1
(&ベトナム)




密林の中から現れた石積みの壮大なヒンズー教大伽藍・アンコール・ワット
林立する四面仏の慈愛に包まれたアンコール・トム
ガジュマルの巨木にからまれて呻吟するタ・プローム
「東洋のモナリザ」をはじめとする美しい女神像に抱かれたバンテアイ・スレイ



1.アンコ−ルワット遺跡観光
 
カンボジアで初の朝を迎える。とは言っても、今朝は4時起床なので外はまだ暗く、夜明けには少し早いようだ。薄明かりの空を見上げると星がまたたき、今日も快晴であることを教えている。今朝は朝食前の5時過ぎからアンコ−ル・ワットのサンライズ風景を観賞に出かけるのだ。これまで何度となく写真や映像で見てきたアンコ−ル・ワットだが、その全貌はなかなかつかめない。これから実際にこの目で確かめられるのかと思うと胸は高鳴り、心がはずむ。いったいどんな姿を見せてくれるのだろう。
 

カンボジアのこと
ここでカンボジアのことについて少しまとめておこう。この国の正式名称は「カンボジア王国」で立憲君主制。タイ、ラオス、ベトナムに三方を囲まれ、その一部はタイ湾に面する小国である。人口は約1100万人で、クメ−ル人が90%を占め、そのほとんどは仏教徒である。公用語はカンボジア語(クメ−ル語)となっている。その国土面積は18.1万kuで日本の約1/2弱、首都はプノンペンである。
 

その主要産業は農業で、大豆、とうもろこしなどの農作物のほか魚介類、ゴム、木材などを輸出している。森林の国ともいわれるほど北部の国境地帯は森林に覆われているが、近年、森林伐採による森林破壊が進んでいる。主要援助国では日本がダントツで2位のアメリカの4倍となっている。94年より日本国政府アンコ−ル遺跡救済チ−ムを通じてアンコ−ル遺跡の保存修復活動を実施中である。
 

この国の歴史を振り返ると、苦難に満ちたみちのりがうかがえる。1世紀から6世紀の間にわたるクメ−ルのフ−ナン王国の支配は、7世紀になるとフ−ナン王国の属国だったカンブジャの打倒によって終止符を打つ。その後、9世紀から13世紀にかけてアンコ−ル・ワットに象徴されるアンコ−ル文明を築き、アンコ−ル・ワットやアンコ−ル・トムなどといった大石造寺院が建立された。
 

その後、15世紀になってシャム(今のタイ)に破れ、それ以後次第に衰退し始める。そして19世紀後半になるとフランスの植民地となる。その後、90年に及ぶ長い植民地時代を経て1953年シアヌ−ク国王のもとで独立を達成する。しばらく安定期を迎えるが、そのうちク−デタ−や内戦の激化で国土は荒廃する。左翼ゲリラであるクメ−ル・ル−ジュはプノンペンを陥れ、ポル・ポトを首相とする民主カンボジアを樹立した。
 

ところがこのポル・ポト政権は
1.私有財産の強制的な没収、貨幣制度の廃止
2.都市市民の農村部への強制移住
3.バス、鉄道、飛行機など移動手段の廃止
4.電話、電報、郵便、ラジオなどの連絡機関の廃止
5.全ての教育機関の廃止と書物の焼却
6.家族のつながりは無益とし、5歳以上の子供は親から隔離
7.自由恋愛の禁止、無作為の相手との強制的な結婚

などを掲げ、これに異論を唱えた者、従わなかった者はすべて処刑された。こうしてポル・ポト政権下、国民の1/3に当たる300万人の大量虐殺が行われた。 
 
1991年のパリ和平協定でやっと内戦が終結。以後、UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)のもとで国の再建が始まり、明石康代表の活躍、自衛隊の道路舗装、選挙監視要員などに多くの日本人が派遣された。98年にフン・セン氏が首相に就任して新政府が成立し、今日に至っている。
 

このような苦難の道をたどったカンボジア国だが、今この地シェムリアップは静かな夜明けを迎えている。アンコ−ル・ワット観光の基地の町シェムリアップには、世界各地から毎日多くの観光客がどっと押し寄せている。人を呼ぶには平和であることが何よりの必須条件である。今日も変わらず平穏なうちにアンコ−ル遺跡の観光ができることを祈りながら身仕度にかかる。朝食は後になるので、水だけはしっかり飲んで行こう。
 

サンライズ観光
早朝5時過ぎ、ホテルを出発したバスは行き交う車もほとんどいない夜明けの道路を郊外のアンコ−ル遺跡に向かって走り出す。早朝とあって、気温はさほど高くない。10分ほど走ると、遺跡入門の検問所にさしかかる。ここで入門用の証明パスを作成する。日本出発時に写真1枚を持参するように求められていたが、ここで証明カ−ドを作成する際に貼り付けるのである。入場料支払済みの顔写真入り証明パスを作らせるとは、なかなか厳しい検問チェックである。写真を忘れた者は、検問所で無料の撮影ができるので問題はない。
 

この写真入り証明パスは発行者のサインまであり、薄いプラスチック板に封印された立派なもので、紐で首からぶら下げられるように穴まで開いている。



入場料金はすべて米ドル払いで
1日券……20米ドル(顔写真不要)
3日券……40〃  (顔写真必要)
7日券……70〃      〃
となっており、結構高い料金となっている。アンコ−ル遺跡群を観光する時は、係員にこれを提示することになっている。また、各遺跡付近の道路には検問の係官がいてバスストップとなり、そこで車内に乗り込んでくる係官に対して乗客は一斉にパスをかざして見せることになっている。これはオ−ストラリアのエア−ズロックへ向かう時の検問と同様の風景である。我々のパスは3日券で40ドル。2日間しか滞在しないのにどうして3日間なのか?と問い質すと、2〜3日は同じ料金だという。また、4日以上は7日券になるという。
 

暁のアンコール・ワット
証明パスの作成が完了したところで、再びバスは走り出す。そして間もなくアンコ−ル・ワット遺跡前に到着である。バスを降り立って東方向正面遠くに目をやると、早暁の空の中に息をひそめるように、ひっそりとその姿を横たえている。なんだか出し惜しみをしているように見える。あれが夢のアンコ−ル・ワットなのだ! 早くその全貌をこの目で確かめたい。はやる心を抑えながら、多くの観光客に混じって540mもあるという表参道を足早に歩き始める。前方に見えるのは西塔門だけで、まだあの本殿にある尖塔は門に隠れて見えない。
 

塔門をくぐり抜けると、遠く前方に3本の尖塔が暁の空に竹の子ようなシルエットをつくって浮かんでいる。これは2ヶ月前に見たプランバナン遺跡(インドネシア・ジョグジャカルタの郊外にあるヒンズ−教遺跡)の尖塔にそっくりである。これはアンコ−ルより半世紀後に造られたところをみると、もしかしたら同じヒンズ−教寺院のアンコ−ルを模倣したのかもしれない。今、歩きながら眺めていると、ふとそんな思いが脳裏をかすめる。
 

まだ辺りは薄暗く、本殿の様子は分からない。参道の途中まで来たところで、歩みを止める。この付近からのサンライズ風景がいいだろうとの話である。ここに陣取ってサンライズを拝むことにしよう。一定の時間間隔をあけながらサンライズ風景を撮影することにする。多くの観光客は暗い本殿へ向かってどんどん進んで行く。
 

暁の空に美しいシルエットを描く本殿の尖塔


上の写真から10分経過


20分経過。参道が見え始める。

東の空が次第に明るみ始めると、それにつれて本殿のシルエットがより鮮明に浮かび上がってくる。参道に敷き詰められた大きな石畳もはっきりと見えてくる。それにしても、なんとスケ−ルの大きい大伽藍なのだろう。正面入口から塔門までなんと200m。それから本殿までさらに数百メ−トルも参道が続いている。幅200mの環濠の中に一つの島のように造られた中央本殿部分へ通じるのがこの表参道なのである。12世紀のいにしえに建立されたこの寺院の参道を、今日までいったい幾人もの参詣者が通ったのだろう? 私もその一人として、今しっかりと足跡を残しておこう。この参道の修復には日本人技術者も参加して行われている。
 

ようやく辺りが明るくなったので、参道から眺めた寺院の全景を撮っておこう。広大な野原のような境内敷地の中を大きな石畳の参道が一直線に伸びている。その途中の両側には経蔵(経典などを収納する倉庫)がぽつんと野原の中に孤島のように浮かんでいる。左側の経蔵はいま修復中で、足場が組まれているのが見える。うっすらと朝もやがたなびく中、その先に3本の塔がそびえる本殿が静かにたたずんでいる。穏やかで静かなアンコ−ル・ワットの夜明けの風景である。正面からは3本の尖塔しか見えないが、実はその裏に2本の尖塔があり、陰に隠れてここからは見えない。








上図は「上智大学アンコール遺跡国際調査団」のサイトより転載



姿を現した参道と本殿。途中の左右両側の敷地に「経蔵」が見える。左側には作業用の足場が組まれている。




ふと振り返ると、参道と西塔門の側壁一帯には、サンライズ風景をこの目で見ようと鈴なりの人出である。欧米人をはじめ、アジア諸国から訪れた観光客である。こうして多くの外国人たちが、このアンコ−ルのために多額の外貨を落として行く。カンボジアは世界に名だたる観光名所を抱えたものだ。歴史的偶然とはいえ、エジプトのピラミッド同様、だまっていても世界中から人々が集まってくる。日本もこれほどの観光目玉を持っていたら、海外からの訪問客はずいぶんと多くなるのだろうに…。おや? 塔門のすぐ上にバル−ンが小さく見えているが、あれは観光用のバル−ンなのだ。
 

西塔門側壁にたむろしながらサンライズを待つ観光客。
中央塔のすぐ右手にバルーンが小さく見えている。


サンライズ風景
時間を追うにしたがって、刻々と東の空は明るんでくる。日の出も間もなくのようである。時計を見ると、すでに6時を過ぎている。ガイド君の話によると、前方右手の方に朝日が昇るという。じ〜っと見つめていると、横長に伸びたアンコ−ル寺院の右辺側に、曙光が赤く輝き始める。その光明は次第に強さを増し、高くそびえた椰子の木のシルエットを鮮明に浮かび上がらせている。どんなサンライズ風景を見せてくれるのだろう?
 

さらに時間が経って空も明るくなる


本殿右側が朝日に輝き始める

その瞬間、まぶしいばかりの朝日がきらりと輝き始め、辺りは一瞬にして夜明けのヴェ−ルを脱ぎ捨ててしまう。感動の瞬間である。そこには千年近くも変わらずにたたずむ雄大なまでのアンコ−ル寺院の姿が横たわっている。この瞬間を見逃さずカメラに収める。これ以上は光が反射して撮影できない。ここで撮影を終わり、サンライズ観光は終了となる。
 

朝日が昇った瞬間。朝焼けもなく、直射する朝日が反射する。

惜しむらくは、朝焼けの光景が見られなかったこと。もう少し雲が多ければいいのだが、この雲のない直射光線の中では昇る太陽の姿が写真にうまく撮れない。より素敵なサンライズ風景を撮るには、ほどよい雲の量が必要のようだ。なかなか条件がむずかしい。本殿の観光は暑い午後の昼下がりに、改めて出かける予定である。
 

バルーン乗船
バスの方へ戻りながら、「あのバル−ンにぜひ乗って見たいのだが……。」とガイド君に話しかけると、「いいですよ。みなさんに尋ねてみましょう。」とのこと。そこでバスに乗ると早速、みんなの意向を尋ねてみる。すると、全員一致でバル−ン乗りを楽しもうということになり、そのまま途中のバル−ン基地へ向かうことになる。恐らく、上空からあのアンコ−ル・ワットの全景が俯瞰できるに違いない。そんな想像を抱きながら、意気揚々とバル−ン基地へ向かう。
 

下車すると、早速チケット売り場で各自購入する。料金は1人=11米ドルなり。われわれ以外に乗客はなく、待ち受けられてすぐに乗船する。定員は10数人で、バル−ンの下にぶら下がった円形のワゴンに乗り込む。ロ−プに結ばれたバル−ンで上下するだけなので、何の問題もない。バル−ンは音もなく、ゆっくりと静かに舞い上がる。徐々に高度が上がるに従って、視界がどんどん開けてくる。注目の的はなんといってもアンコ−ル寺院だ。その方向を目を凝らして眺め入る。
 

ところが、どうだろう。朝日の逆光に寺院全体の景観が黒く不鮮明で、朝もやの中に隠れてしまってよく見えないのである。ぼんやりではあるが、わずかに西塔門の壁とその手前の環濠が見えるのみで、肝心の本殿は暗闇に隠れて見えないのだ。これは誠に残念至極! 


逆光の中に隠れるアンコール・ワット。右手に参道と環濠がわずかに見える。

(条件がよければ、下の写真のように見えます。)

素晴らしいアンコールワットの全景写真(井上幸子氏提供)


乗船の時間がまずかったのだ。午前の時間帯に乗るものではない。周囲にはのどかな美しい田園風景と密林が広がり、それが朝日を受けて見事な立体感を見せながら美しく、鮮明に映えている。なのに、肝心のアンコ−ル寺院のただずむ東方向だけが逆光になって、まるで夜のように暗く不鮮明になっている。これは順光を受ける午後に乗船すべきなのだ。



                                

バルーン上から眺めた南側の田園風景。


北側の風景?(多分)




なるほど、これで謎が解けた。どの団体ツア−も申し合わせたようにアンコ−ル寺院本殿の観光は昼下がりの暑い午後に決まっているのだ。それは逆光になる午前の観光よりも順光になる午後の方が鮮明に見られるからであろう。それともう一つの理由は、夕方のサンセット風景を見るのにも午後の方が好都合なのだ。それは近くの丘に登って眺めるのだが、本殿観光を終えてからそのままサンセット観光の丘へ登れるという合理性があるからであろう。団体ツア−になれば、このコ−スに乗せられてアンコ−ル観光をすることになる。
 

バルーンのゴンドラの中。ネットが邪魔してパノラマ連続写真が撮れない。

バル−ンは200m上空で10分間の滞空時間を終えると、静かに下降し始める。その途中、朝ぼらけの空にアンコ−ル・ワット寺院の尖塔が小さなシルエットを見せてくれる。本殿部分は、これを見るのが関の山である。順光を浴びる寺院は、さぞかし雄大な姿を惜しみなく見せてくれるに違いない。何とも惜しいことではある。


本殿の尖塔だけがシルエットになって見える。

地上に降りると、次のグル−プが乗船する。黄色いバル−ンが半球面いっぱいに朝日を浴びて空の青と見事なコントラストを見せながらアンコ−ルの青空の中に舞い上がる様は、絵に描いたように美しい。これで心なぐさめるしかない。
 







 紺碧の空に浮かぶバルーン
















朝食にフォーのサービス

こうして、アンコ−ル寺院の俯瞰図観賞は見事に期待外れに終わり、意気消沈しながら帰途に着く。7時過ぎホテルに到着して部屋に戻ると、すぐに朝食である。食堂に入ると、調理係の前に何やら行列ができている。何だろうと思ってのぞいて見ると、なんとベトナム名物のフォ−を各自に調理してやっているのだ。普通よく見られるのは、玉子料理の調理であるが、ここはそれに代えてフォ−を目の前で調理しているのである。これはしめた!とばかりに、行列に並んで注文する。
 

その調理法を見ていると、モヤシ、野菜2種類、それに牛肉の細切れとビ−フン麺を背後の器に用意し、それを1人前ずつざるに入れては熱湯につけて湯掻きあげ、それをドンブリに取ってス−プを入れる。待つこと2分足らずで出来上がりである。かけうどんの調理法と同様だが、材料がやや多い点とス−プの取り方が異なっている。朝食に出来立てのフォ−が食べられるとは意外で、そのもてなしに感心しながらいそいそと食卓に着く。他にお粥とハム、ソ−セジなどを取り揃え、満足の笑みをたたえながらおいしい朝食を終える。


フォーの調理風景
 

(次は「アンコール・トム」編につづく)










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