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                No.1 





(8 日 間)

            南太平洋に浮かぶ「天国にいちばん近い島」

         抜けるような青い空とどこまでも透き通った海

         どこまでも続く白いパウダーサンドのビーチ


             パリの香りがただよう首都ヌメア
        


(2003年1月27日〜2月3日)








ニューカレドニア旅行日程

日付 日数 ル − ト 泊数 タイムテ−ブル・内容
2003年
/27
(月)
成田 → ヌメア              
機内 20:55発 →                     
     
28(火)  → ヌメア 07:35着、
29(水) ヌメア プチトレイン観光 
30(木) ヌメア 水族館
31(金) ヌメア ダウンタウン散策。サイクロン襲来   
2/1(土) ヌメア カナール島
 2(日) ヌメア カナール島、アンスバタビーチ 
  3(月)   8 ヌメア → 成田 12:30発 → 19:30着 






1.南国の青い空と海を求めて・・・
 
冬になると、いつもこんな思いが頭をもたげて私を悩ます。寒い日本から脱出して南国の暖かい国へ行ってみたいと。それもさんさんと照り輝く太陽と青い海、白い砂浜のあるところへ。それがこの03年の冬、ついに実現し、長年の悩みは解消したのだが……。


「天国にいちばん近い島」
私が目指したのは、日本から7000kmも離れたオ−ストラリアに近い南太平洋上に浮かぶ島国・ニュ−カレドニアである。この国の名は読書家なら知らない人はいないと言うほどつとに有名である。というのは、今から40年ほど前にロングセラ−本となった森村桂の「天国にいちばん近い島」で紹介され、またその後においても映画(原田知世主演)や舞台化されてもいるからである。
 

森村氏は64年(昭和39年)、日本での社会人生活に疲れ、昔、亡父に聞いた「天国にいちばん近い島」を信じて、それを探すため単身ニュ−カレドニアに渡った。そして、そこのウベア島で天国にいちばん近い島を見つけるという感動の小説である。当時は外貨使用制限もあったりして海外旅行に行く人は少なく、特にニュ−カレドニアに観光で行く人は皆無で、同島で産出されるニッケル関係の商社マンが数名駐在していたに過ぎないという。そんな未知の島に単身で乗り込もうというのだから、作者はかなり勇気と冒険心に富んだ女性である。
 

こうして日本に紹介され、「天国にいちばん近い島」のイメ−ジを決定づけられたニュ−カレドニアだが、現在では毎週5便の直航便が通う素敵な南国のリゾ−ト地として日本人観光客であふれている。
 

無知な私は、そんな背景があることなどつゆ知らず、ただ南太平洋、島、ビ−チ、青い海と空だけをイメ−ジしながら出かけたのである。それが思わぬハプニング続きで、ついに「天国にいちばん近い島」にはたどり着くことができなかった。サイクロン(台風)の襲来と島民の抗議運動によるストライキという思わぬ事態に遭遇し、当初イメ−ジしていたリゾ−トの旅は未完成に終わった。


2.ニュ−カレドニアへ
 
半時間遅れの夜9時半、降りしきる雨の成田を飛び立ったエ−ルフランス機は、一路南太平洋へと向かう。風雨の中の離陸とあって、いつものようにすんなりと上昇できず、何度か機体を揺さぶりながら苦しそうに上昇する。大丈夫かなと、一瞬ひやりとさせられる。現地の週間天気予報を見れば、ずっと雨ばかりになっている。これでは、さんさんと太陽が輝く南国の島のイメ−ジとはほど遠いではないか。これまでの数多い旅の経験では、いつも天候に恵まれて快適な旅ができたのだが、今度の旅はいったいどういうことになるのだろう。早くも、機内放送が現地付近の低気圧を避けるため、迂回航路をとるので30分遅れの到着になると伝えている。先が思いやられる。
 

機内を見渡すと、日本人乗客は少なく、そのほとんどはフランス人である。遅い機内食を取ると、後は身体をシ−トに横たえて浅い睡眠を取り、静かに到着を待つのみ。時間が経って目的地が近づいてくると、機内にライトが点灯し、軽い朝食のサ−ビスが始まる。食後の一服をしていると、いつの間にか機は高度を下げ、着陸態勢に入っている。窓から覗いて見ると、カレドニアの海や島が見え始めている。この窓から見るかぎり、どこにも白砂のビ−チらしき所は見えず、ただ変哲もない海と海岸線が広がっているだけである。南国特有の空の青も紺碧の海の色も見られない。天候のせいなのだろうか?
 





カレドニアの上空写真










そんな感想を抱きながら眺めていると、いよいよ着陸である。今は現地時間の朝8時ごろ、9時間かかってカレドニアの首都ヌメアの国際空港に到着となる。国際空港とはいえ、低い山に囲まれたこぢんまりとした空港である。機内放送では現地は雨とのことだったが、予想に反して晴れている。これは幸先のよいスタ−トである。この調子で好天に恵まれればいいのだが……。






首都ヌメアの国際空港











ニュ−カレドニアのこと
正式国名はフランス領ニュ−カレドニアで、首都はヌメア。国土面積は四国とほぼ同じ大きさで、人口は約20万5000人。メラネシア系が最も多く全体の43%、次いでフランス人をはじめとするヨ−ロッパ系が37%となっている。そのほとんどがキリスト教である。公用語はフランス語で、ホテルなどでは英語も通じる。
 

先住民は文字を使用しなかったために、1774年にキャプテン・クックがやって来るそれ以前の記録は分からない。クックの後、フランスの探検家ラ・ペル−ズが訪れ、その後ヨ−ロッパ人貿易商、次いで宣教師たちがやって来る。1853年、ナポレオン3世の命を受けてやって来たフェヴリエ・デポワントは、抵抗する原住民を武力で抑えてグランドテ−ル島(カレドニアの本島)を占領し、周囲の島々を含むニュ−カレドニアをフランス領とした。こうしてフランスとイギリスの間で繰り広げられた植民地争奪戦争の結果はナポレオン3世の手に落ちた。ニュ−カレドニアの歴史は、こうしてフランスとともに歩むことになる。
 

ニュ−カレドニアは、本島のグランドテ−ル島、南洋杉が生い茂るイル・デ・パン、それにウベア島、リフ−島、マレ島などの小島からなるロイヤリティ諸島で構成されている。気候は1年を通じてさわやかな夏の気候で、年間平均気温は20度〜25度。しかし、直射日光はかなり暑く、紫外線は日本の3倍も強いという。
 

また、この島ではニッケルが産出され、その埋蔵量は無限とさえいわれるほどで、カナダ、ロシアに次いで世界3位のニッケル産出国となっている。思わぬ埋蔵量に、フランス本土やベトナム、中国、日本から多数のニッケル労働者がこの島に移住した。日本からの移住者は19世紀末ごろには5500人にも及んだという。ニッケルの輸出先は、戦前戦後を通じて日本がその第1位となっている。


ホテルへ
今度の旅は、ホテルと現地送迎付きのフリ−ツア−を利用することにした。そのほうが安上がりだし、必要な観光は現地旅行社を利用すれば十分である。入国手続きを済ませて到着ロビ−に出ると、若い日本人男性のスタッフが出迎えてくれる。上着は脱いでも冬の下着を着たままなので暑い。空港で早速両替をしておこう。ここでのレ−トは1CFP(フレンチ・バシフィック・フラン)=1.13円である。
 

10名程度の日本人客ばかりを乗せた大型バスは、南太平洋有数のビ−チリゾ−ト・アンスバタを目指して走り出す。ここは首都ヌメアの南端にあり、ホテル、レストラン、ディスコ、バ−、ショッピングセンタ−、旅行代理店などが立ち並ぶ賑やかな場所である。宿泊するホテルは、この一角にある。ここまで車で50分の距離で、島国とはいえかなり広い。
 

バスは山間を上ったり下ったりしながら美しい南国の緑の空間を駆け抜けて行く。






バスは緑の山間をかけ抜けてヌメア市内へ向かう。









途中、赤茶けた剥き出しの土地に作られた工場が現れる。これがニッケルの精錬工場なのだ。その高い煙突からは容赦なく黒煙をもくもくと吐き出している。この光景を見た瞬間、南国の青い空と海のイメ−ジが一気に吹き飛んで壊されてしまう。この南海の果ての島でも、公害をまき散らす大都市の工場群と同じかと思うと、なんだか悲しい気持ちにさせられる。折角、公害のないリゾ−トを目指してはるばる尋ねて来たというのに……。
 

やがてバスはヌメア市内に入り、ここを通り抜けてアンスバタに向かう。しばらく走ると南国らしい美しい海岸線に出る。ここがこの島いちばんのアンスバタビ−チである。このビ−チ沿いに走るとすぐに目的のホテルに到着である。朝の10時ごろである。
 

ア−リ−・チェックインができるので、早速出迎えのスタッフに案内され、キ−を受け取って部屋に入り旅装を解く。おゝ、なんというデラックスな部屋だろう。部屋のスペ−スは広すぎるほどで、テラスからは眼下にしゃれたプ−ルが見下ろせる。プ−ルの中に椰子の木を植え込んで趣を出している。これだと十分にリラックスできて、快適な滞在ができそうだ。早速、冬の下着を脱ぎ捨て、シャワ−を浴びてベッドに横たわる。しばし、睡眠不足を取り戻そう。






南国ムードたっぷりのプール










午後の散策
ぐっすり寝込んで目を覚ますと、もうすでにお昼を過ぎている。お腹が空いたので、まずは腹ごしらえだ。ホテル前のビ−チ通りには、さまざまな商店が立ち並ぶショッピングセンタ−があり、食事するのには事欠かない。スナックカフェ、イタリア料理、中華、フランス料理、ベトナム料理など種類豊富である。
 





アンスバタのショッピングセンター。道路の左側がアンスバタビーチ。








その一角にあるスナックカフェに入り、メニュ−を見せてもらってハムサンドとオレンジジュ−スをを注文する。この地のすべてのレストランではメニュ−に日本語が併記されていてありがたい。このことは、日本人観光客がいかに多いかという証明でもある。やがて出されたサンドイッチのでかさにびっくり仰天。なんと、あの長い棒状のバゲットパンを半分に切ったものを使っているのである。長さ40cmは優にある幅のあるパンをスライスして、そこにバタ−を塗り込み、野菜とハムをたっぷり挟め込んだものである。圧倒されながらも、端からかぶりつき始める。日本と違って、外国のはボリュ−ムがある。
 

さすがはフランスパン、固いけど特有の風味と香ばしさがあってなかなかおいしい。だが、歯の丈夫な者でないと食べられたものではない。テラスを吹き抜ける南国の風に当たりながら、本生のしぼり立てジュ−を飲み飲み、時間をかけて少しずつかじり食っていく。やっとのことで食べ終わると、もうお腹は満腹である。
 

目の前には頻繁に車が行き交う道路が走っており、それを隔ててこの地いちばんのアンスバタビ−チが広がっている。食後の散策に、まずはそのビ−チに出てみよう。おや、目の前に真赤なプチトレインが止まっている。このトレインは観光用のもので、観光バスのないこの地では、市内を観光するのに便利な乗り物である。このショッピングセンタ−前が発着点になっている。これは後日の楽しみにとっておこう。
 





市内の要所をめぐるプチトレイン









ビ−チ沿いには椰子の木が立ち並んで、いかにも南国らしい風景を演出している。ゆるやかに湾曲しながら続くビ−チは1km以上の長さがあるのだろうか。週日とあってか、今日はビ−チで遊ぶ人影もまばらである。ビ−チに下り立って見ると、ありきたりの砂浜で砂粒も荒く、きめ細やかさもない。その上、色も輝くような白さはない。渚までの幅も短く、海の色や透明度も平凡で代わり映えがしない。南太平洋の透けるような海と白砂をイメ−ジしていただけに、その感動は得られず失望感はぬぐえない。やはり、イル・デ・パンやウベア島へ渡らないとだめなのだろうか?



 本島いちばんのアンスバタビーチ。左端に突き出たとんがり屋根の建物は工事中の海上レストラン。中央沖合いに小さく見える島はカナール島。




それでも、潮風が吹き抜ける椰子の木の緑陰と南国の太陽にきらきらと映える南太平洋の穏やかな海原は、はるばる日本からやって来た私をリラックスさせるのには十分である。この南国ム−ドにひたりながら、時の過ぎるのを忘れてしまう。そのためにこそ、この地までやって来たのだ。このゆったりとした時の流れに身をまかせながら、全身をリセットさせ、頭の中をすべて空っぽにする。ぜいたくな時が流れる。
 

海浜で十分なリラックスタイムを過ごした後、ホテルに戻って島へ渡る日帰りツア−の申し込みをしておく。ホテル内には2つの現地旅行代理店が入っており、いずれも日本人スタッフが応対してくれる。いろいろと説明を受けなら、結局イル・デ・パンの日帰りツア−を申し込むことにする。美しいパウダ−サンドのクトビ−チやカヌメラビ−チ、それに天然プ−ルと称されるオロ湾など見所が多そうだ。
 

P社の離島日帰りツア−の料金(2003年2月現在)を示せば次のとおりである。
・イル・デ・パン…………  30,300CFP (34,240円)
・ウベア島………………… 38,200 〃 (43,170円)
・リフ−またはマレ島……  33,000 〃 (37,300円)
・テニア島………………… 14,040 〃 (15,865円)
・アメデ灯台島…………… 13,200 〃 (14,900円)

 
予約を済ませたところで、近くにス−パ−があるというので地図を見せてもらい、出かけてみる。公園を横切って行くと、やってるやってる。公園の片隅でペタンクをやっているのだ。鉄のボ−ルを投げて遊ぶ単純なゲ−ムである。恐らく、この地にもフランスから移入されたのだろう。ヨ−ロッパでは老人たちがのんびりと遊ぶことが多いようだが、ここでは若者たちがペタンクに興じている。今日は週日というのに、仕事はないのだろうか? お金のかからない遊びだけに、のんびりと遊べる。カレドニアらしいのどかな光景である。
 





ペタンクを楽しむのどかな風景










公園を横切って道路に出ると、目指す方向に進んで行く。だが、なかなかス−パ−が見当たらない。近くの住人に通りの名を言って尋ねるが、ピンと来ないらしく、よく分からない。今度は通行人に尋ねてみるが、これも要を得ない。結局、探しあぐねてとうとう引き返すことに。仕方なくホテルに戻って休息だ。 
 

今夜の夕食はディナ−ク−ポンがついていて、このホテルのレストランでディナ−が取れることになっている。だから、夕食の心配はいらない。果たして、どんな料理を食べさせてくれるのだろう? 楽しみな第一夜である。テラスの椅子に腰掛けながら、ぼんやり眼下のプ−ルの風景を眺めて時を過ごす。何人かの人が泳いでいる。今日は疲れているので、泳ぐのはよそう。 


ディナ−はフランス料理
のどか過ぎる時を過ごしていると、時計は夜の7時を回っている。そろそろ夕食にお出かけの時間だ。ホテルのレストランということもあり、ショ−トパンツを避けて長ズボンと半袖シャツ姿で出かける。1階のレストランに行くと、室内がいいか、それとも外のテラスがいいかと尋ねるので、南国のム−ドがただようテラスを選んで席に座る。
 

出されたメニュ−を見ると、丁寧に日本語が併記されている。オ−ドブルとス−プをそれぞれ数種類のメニュ−の中から選んでいいとのことなので、良さそうなものを選んでオ−ダ−する。ウェィタ−は優しそうなメラネシア系の男性で、フランス語と英語と片言の日本語を話す。飲み物は地元産のビ−ル“NO.1”という銘柄があるというので、それを注文する。
 

やがて運ばれてきたオ−ドブルを口にしながら、ビ−ルで喉を潤す。日本のビ−ルによく似て、喉越しもなかなかのもの。次いで、たっぷり注がれたス−プが運ばれ、これを飲み上げるとお腹はほぼ満腹状態。ここでメインディッシュの選択である。これも数種類のメニュ−から選ぶことができ、好みの鴨料理を注文する。
 

出された料理は鴨肉をロ−ストしたものらしく、それをスライスして口に入れると、鴨特有のコシコシとした歯応えがあり、なかなかいい味をしている。でも、かなり大きな肉が2片もあるので持て余してしまう。時間をかけて、ゆっくりと味わう。
 

フルコ−スのフランス料理のしめくくりはアイスクリ−ムにしよう。デザ−トも幾種類かのメニュ−から選べるので、バニラアイスクリ−ムを注文する。南国の高い気温に触れて解けかかるアイスクリ−ムをすくって、形が崩れないうちに口に運んで味わう。こうしてホテルのレストランでコ−ス料理を堪能しながら、カレドニアの第一夜は静かに更けて行く。
 

食後一服すると、夜のビ−チに出かけてみる。ショッピングセンタ−の灯が道路に光を投げかけていて明るい。それを横切って浜辺に出ると、渚は暗く、海上には漁火も見えない。見上げると、満天の星空が南十字星をひときわ輝かせながら、静かに広がっている。渡る潮風に頬を撫でられながら、南国の夜のム−ドに心ゆくまでひたり続ける。
 

夜半になって、ふと目を覚ますと、風がヒュ−ヒュ−と鳴っている。雨も降り始めているようだ。この分では、明日の天気は荒れ模様になるのだろうか?



(次ページは「プチトレイン観光編」です。)










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