写真を中心にした簡略版はこちら→ 「地球の旅(ブログ版)」





   N0.9
(&ルクセンブルク)




11.ゲント観光
 
今日は今度の旅の最終日。時の過ぎるのは早く、今日でもう9日目だ。明日は帰国の旅かと思うとなごり惜しく、一抹の寂しさを感じる。そんな気持ちを振り払い、最後のエネルギ−を振りしぼってゲント観光へ出かけよう。今朝は7時に起床して、久々に充実した朝食にありつく。パン、ソ−セ−ジ、ハム、ミルクにコ−ヒ−、ジュ−スと食べ放題、飲み放題で、最後はオレンジとリンゴでしめくくる。
 

8時半にホテルを出発して目の前の南駅へ向かう。見上げる空は青空で、最後の最後まで快晴に次ぐ快晴の好天続きだ。おかげで、こんな快適な旅はない。駅に来たついでに、その足で帰路の航空券とTGV乗車券のリコンファ−ムに行く。成田のカウンタ−ではリコンファ−ムの必要はないと言っていたが、南駅にエ−ルフランスのカウンタ−があるので、念のために再確認をしておこう。


分かりにくいエ−ルフランスの事務所
エ−ルフランスの案内表示に従って行ってみると、その方向には見当たらない。不思議だなあと思いながら引き返し、TGVの窓口に尋ねてみると、そちらの方向へ行って上のホ−ムへあがり、そこから下へ下りるのだと教えてくれる。なんだか意味の分からないままに階上のホ−ムに上ると、その中央にリフトがあり、その横にエ−ルフランスの案内表示が出ている。なんと、このリフトで下りよというのか? どうしてこんな変なコ−スを辿らせるのだろう? これは初めての人には、とてもじゃなく分かりにくいぞ! 
 

リフトで階下へ下りて1階フロアに出ると、その一角にエ−ルフランスの事務所がある。なんとまあ、不便な場所にあることだ。ここは駅の裏手の方になるのだが、ここへはコンコ−スから通り抜けできない構造になっている。だから、駅舎の外側を回って来るか、今の変なコ−スを来るかしかないのだ。とまれ、事務所に入ってリコンファ−ムを申し出る。ちゃんと受け付けてくれるところみると、リコンファ−ムが必要なのかもしれない。「明日は9時にこの事務所に来てください。」とのことである。いよいよ最後のお別れだ。


ゲントへ
リコンファ−ムを終わると、9時20分発の列車に乗ってゲントへ向かう。今日は日曜日とあって乗客が多く満席状態。そんな中、赤ん坊を抱いた婦人が側で立ちんぼになっている。気の毒に思い席を譲ることにする。すると間もなく、少し離れた席からおばさんが私に手招きをしている。その隣に席が空いていると教えているのだ。この国にもやはり親切な人がいるものだ。快く好意を受け入れ、礼を言って座席に座る。だが、そんな必要もないほど、ゲントは近いのだ。もう、そろそろ到着するころだ。このIC列車が最初に止まる駅がゲントで、出発から20分の近距離である。


ゲントのこと
中世の面影を残すこの町は、その繁栄の基盤であった毛織物が繊維産業に受け継がれ、また郊外には日本のホンダの工場も見られるなど、今では東フランドル地方の中心都市として近代産業都市に生まれ変わっている。中世以来絶えずブル−ジュとライバル関係にある歴史のある町でもあるが、今日では一般的な観光ル−トからはずれており、日本人の訪問者もそれほど多くはないという。この町に来たら見逃せないのが聖バ−フ寺院の大祭壇画「神秘の仔羊」で、ゲントの栄光を象徴する中世フランドル絵画の大傑作である。


サイクリングで市内観光
ゲントの町の鉄道の玄関口、セントピ−タ−ス駅で降りると、真っ直ぐにインフォメ−ションに行き、レンタサイクルのことを尋ねる。ここでもサイクリングで観光しようとの魂胆である。すると、ブル−ジュの場合と同じ要領で借りられることが分かる。そこで、駅の窓口で1日の借り賃9ユ−ロ(1,300円)とデポジット20ユ−ロ(2,800円)を支払って貸し出しの窓口へ。
 

こうして自転車を借り受け、旧市街のセントロ(中心部)を目指していざ出発である。駅から2kmの距離だから、歩くと結構な距離になる。だが、トラムが走っているので足の便は問題ない。ところで借りた自転車だが、ブル−ジュのそれより車輪が大きくてサドルの位置が高い。サドルを最低にしても股がって足が届かない。そのため助走をつけながら乗ったり、下りる際はペダルに足を乗せないといけない。少し不便だがやむを得ない。こんな時、短足の悲哀を感じてしまう。
 







ゲントの町の玄関口・セントピ−タ−ス駅




















 駅前の噴水










とまれ、駅前の噴水や駅舎を写真に収めると、颯爽とゲントの風を切って走り出す。途中で道を尋ねながら、中心部の広場へ到着。するとその片隅では、何やらマ−ケットが開かれている。なんと花市場が開かれているのだ。小さな小鉢にいろんな種類の花の苗が植えてある。今日は日曜日で家族連れが多く、一緒にこれを持ち帰ってガ−デニングをするのだろう。
 





広場では花市場が・・・










広場の端に立って眺めると右手に四角で高い鐘楼が建っている。1300年頃に建てられたと言う古いものだが、ここでも美しいカリオンの音を響かせている。ここのカリオンは16世紀から鳴り続けているというから驚きである。この鐘楼が造られたもともとの目的は、非常時に軍隊を招集するためのものだったと言う。入場料を払えば鐘楼に上られるのだが、ブル−ジュの鐘楼に上ったことでもあるし、今日は疲れて上る気力はない。
 







 1300年ごろに建てられた鐘楼















この広場にはブリュッセルのグラン・プラスのようなきらびやかな建物はないが、ここでもベルギ−特有のギザギザの装飾屋根の建物が並んでいる。ここは広場の四面を囲むほどの建物群はなく、四方のうちその2辺は写真に見られる建物や鐘楼が立ち並び、他の1辺には祭壇画で有名な聖バ−フ寺院が位置し、残りの1辺は芝生の庭園になっている。



 ゲント旧市街の広場。見応えのある建物はない。右端が鐘楼。




聖バ−フ寺院
ここで超目玉の祭壇画を拝謁しに行こうと、自転車を横に止めて聖バ−フ寺院に入ってみる。すると、今ちょうど日曜日のミサの真っ最中だ。大勢の信者たちが座っており、多数の牧師に取り囲まれた司祭の話を聞いている。一般観光客は座席のほうへは立ち入り禁止となっている。両側のステンドガラス窓から漏れ来る青い光を反映した中央礼拝堂の天井は高くそびえ、それを見上げているうちに思わず天に通じる思いがしてくる。横幅があまりないだけに、余計に高く感じられる。
 





聖バーフ寺院の内部
ミサの最中
















同上、中央礼拝堂。
天井のライトが十字に並んでいるのがおもしろい。













この寺院の建設は12世紀に始まり、実に4世紀後の16世紀に完成したという。それだけではなく、この寺院には多数の絵画の傑作が収蔵されていることでも有名で、なかでも15世紀フランドル絵画の最高傑作と言われるヤン・ファン・アイク作の大祭壇画「神秘の仔羊」はここの至宝となっている。
 

そこで、まずはこの至宝を拝見しようと、入口に座っている案内係にその在処を尋ねると、「そちらですが、今は入室できません。午後に来てください。」とのことである。入口を入ったすぐ左手にその展示室はあるのだが、今はミサの最中でもあり、閉鎖中となっている。そこで、この間に昼食としよう。


レストランで昼食
昼食には少し早い時間だが、広場に面して並ぶレストランの掲示メニュ−を見比べて回る。そのうちの良さそうな1軒に入り、テラスのテ−ブルに座る。出てきたウェイタ−が言うには、「まだ昼食の準備ができていません。しばらくお待ちください。」とのことである。急ぐことはないので、のんびり待つことにする。
 

半時間足らず待ったところで、注文取りにやってくる。準備が整ったらしい。そこで、店頭の掲示板に書き出されている本日のメニュ−の中から、ランチセットをオ−ダ−する。これがいろいろ考える必要がなくて手っ取り早い。内容はス−プ、チキンソテ−、ポテト、コ−ヒ−で、料金は9ユ−ロ(1,270円)である。昼食には、少し多過ぎるぐらいである。
 

やがて運ばれてきた料理は、どれもいい味で文句はない。目の前の広場を行き交う人々を眺めながら料理を味わい、昼時ののどかなひとときを過ごす。今日でベルギ−最後の昼食かと思うと、名残惜しい気がしてならない。この広場も寺院も鐘楼も、しっかり目に焼き付けておこう。次はいつの日見られるのか分からない。


ゲント祭壇画(神秘の仔羊)
デザ−トのコ−ヒを飲んで一息入れたところで、やおら腰を上げ、真向かいの聖バ−フ寺院へ向かう。もう開かれているだろうと思って中に入ると、すでに目的の祭壇画は開放されている。そこで受付にて拝観料2.5ユ−ロ(350円)を支払い、すぐ左手の展示室に入る。目の前にはガラスケ−スに入れられた至宝の大絵画「ゲント祭壇画」(神秘の仔羊)が展示されている。現物はかなりの大きさで、開扉時ではタテ375cm、ヨコ520cmとなっており、大迫力となって見る者を圧倒する大きさである。まずは、その見事な祭壇画を見てみよう。 




 ゲントの至宝・大祭壇画の全容。板の上に描かれた油彩画で、中央の上下4枚を中心に両翼は観音開きなっている。(日本経済新聞より転載)


 「神秘の仔羊の礼拝」。上の祭壇画の中央下段部分を拡大したもの。中央にはいけにえの仔羊が置かれ、森の向こうにはゲントの町が見える。見事な遠近法が駆
 使されている。
 (日本経済新聞より転載)












 祭壇画の両翼を閉じた裏面

















これは板の上に描かれた油彩画で、中央の4枚を中心に両翼は観音開きになっている。そして、その裏面には受胎告知など様々な絵が描かれている。この絵は当初寺院内の小さな礼拝堂に飾られていたが、1986年に寺院入口近くの部屋に移され、ガラスケ−スに収められたという。この観音開きの祭壇画は、日曜や祝祭日のミサの時など以外は普通閉じられているそうで、今日は日曜日のミサの日に当たり、その扉が開かれて全面を目視できる幸運に恵まれたわけである。
 

ファン・アイク兄弟が描いたとされるこの大祭壇画は、扉の枠に次のような意味の銘文が書かれているという。「だれよりも偉大な画家フ−ベルト・ファン・アイクがこの絵の制作を始め、技量では彼に次ぐ弟ヤンが完成させた……」と。この絵の全体の主題は「ヨハネ黙示録」に基づくとされるが、複雑な図像構成の解釈にはさまざまな説があるという。兄弟の執筆分担についても詳細は分かっておらず、上段の両端に配されたアダムとイブがヤンの筆とする見方が強いという。
 

中央上段の玉座に宝冠をいただいた「父なる神」。その左に聖母マリア、右に洗礼者ヨハネを配し、さらにその下に「ヨハネ黙示録」に基づく「神秘の仔羊の礼拝」が置かれている。こうして全体は11枚の独立した絵画から構成されている大祭壇画で、その裏面に描かれた画面の数も入れると19面にもなる。
 

この名画にも受難の歴史があるそうで、その一つは1934年に起こった盗難事件で、「正義の裁判官」(開扉時写真の下段左端)と「洗礼者ヨハネ」(閉扉時写真下段左から2枚目)が何者かに持ち去られた。半年後に「洗礼者ヨハネ」は犯人から戻されたが、もう1枚はついに見付からず、現在は模写がはめ込まれている。ほかには、フランス軍に一部を持ち去られたり、両扉がプロセイン王の所有になったりもした。第二次大戦中にはドイツ軍に奪われ、ヒトラ−が美術館建設のために集めさせた膨大な数の美術品と共にオ−ストリア山中の岩塩の鉱山に隠され、危機一髪で米軍に救い出されたという歴史がある。それほど、この祭壇画が最高の油彩画として尊重されたからにほかならない。
 

この大祭壇画を間近に立ち寄って眺めると、その見事なまでの繊細な筆のタッチがよく分かり、色とりどりの衣装や文様、樹木や草花や陰影までが、1432年に描かれたそのままに息づいているのを感じ取ることができる。それほど、この大絵画は見る者に迫り来るものがある。この展示室では祭壇画の解説を各国語で聞けるイヤホ−ンが用意されており、無料で貸し出してくれる。その中には日本語も用意されているのでありがたい。これを耳に付けながら、それぞれ1枚ごとに絵の意味、その背景などの解説を聞くわけである。一通り聞き終わるのに約30分かかる。


祭壇画のレプリカ
30分間立ち続けながら解説を聞き終わり、圧倒される面持ちで展示室を後にする。その後、中央祭壇に出てその奥の廊下を回っていると、横手の小部屋に祭壇画の縮小版が掲げられている。実物は撮影禁止となっているので、これ幸いにカメラに収めることにする。これが次の写真で、開扉時と閉扉時の両面の写真を撮る。自由に開閉ができるようになっているので、勝手に開け閉めしながら撮影できる。


 祭壇画のレプリカ












 
祭壇画を閉じた裏面


















レイエ川沿いの風景

聖バ−フ寺院を後にすると、近くを流れるレイエ川へ向かう。ここはゲント観光の目玉とも言われ、この川沿いに並ぶギルドハウスの風景が観光ポイントになっている。途中、広場の近くに市庁舎があるので、そこへ自転車を回しながら立ち寄ってみる。Hoogpoort通りの角に位置する市庁舎は、15世紀に建築が始まり、300年後の18世紀に完成したため、フランボワイヤン・ゴシック様式、フラマン・バロック様式、ルネサンスやロココ様式など建物の各所に建築様式の変遷が見られるという。私にはどれがどうなのか判別できないが、歴史の刻まれた重厚な建物にただ圧倒されるばかりである。
 





市庁舎
建設から3世紀もかかって完成









ここを通り過ぎると、通行人に尋ねながらレイエ川へ向かう。やっと川に突き当たると、そこは運河のような淀んだ流れで、水も濁って河幅も狭い。橋が所々に架かっているので、その一つにたたずんで眺めると、左側のグラスレイ、右側のコ−レンレイと呼ばれる両岸には、中世の商人たちの富と力の象徴であるギザギザ屋根のギルドハウスが並んで往時をしのばせている。ここでもブル−ジュと同様に、川めぐりのボ−トがあり、観光客が楽しんでいる。だが、これは省略しよう。
 





レイエ川の風景
左側がグラスレイ、右側がコーレンレイ。













ここでも川めぐりのボートが・・・










ブル−ジュと比較してみると、このゲントの町は運河の趣といい、広場の様子といい、やや見劣りがする。町全体の雰囲気も、ブル−ジュの町には及ばない感じがする。だが、これは訪れる人の主観だから、人によっては異なる見方、感じ方があるだろう。ほんの一部を見ただけに過ぎないが、私の目にはそのように映る。でも、中世の面影を残す愛らしい町であることには間違いない。


帰途へ
ここを最後に帰途につく。駅へ向かおうとすると、通りの一角にアイスクリ−ム店が目に留まる。ここで自転車を止め、例によってバニラアイスを買って一休みする。今日も快晴で日差しがきつく、汗だくである。こんな時には、アイスクリ−ムが格好の気付け薬の役目をしてくれ、生き返る思いがする。
 

アイスで一息入れた後、駅へ真っ直ぐ走って行く。2kmの道程は結構遠く、なかなか駅舎が見えない。道を間違えたかな?と思ったころ、駅への道標が目に入る。このコ−スで間違いなかったのだ。やがてオレンジ色の駅舎と時計台が見え、ほっとする。すぐに自転車を係に戻し、窓口でデポジットの20ユ−ロの返還を受け、16時22分発の列車に飛び乗ってブリュッセルへ戻る。ゲントの思い出を振り返る間もないほど、あっという間にブリュッセル南駅に到着する。


最後の夕食はグラン・プラスで
いったんホテルに戻ってシャワ−で汗を流し、一息つく。足の届かない自転車というのは意外と疲れるものだ。乗り降りがいちいち助走をつけたり、直接降りられなかったりするからである。連日の快晴で気温が高く、その中を歩き回ったり、自転車を乗り回したりと、汗を流すことが多く、余計に疲れた感じである。
 

あまり外出したくはないが、この付近にはレストランや食堂がなく、わずかに駅のファ−ストフ−ド店があるのみである。これでは、やはりグラン・プラスまで出かけるよりほかはない。この旅の最後の晩餐でもあり、最後の力をふりしぼって出かけることにする。グラン・プラスとなれば、やはり行き付けの中華料理店となる。これで3回目の食事となる。
 

顔馴染みのウェイタ−に案内され、テ−ブルに着くと、これも見慣れたメニュ−を見ながらオ−ダ−する。その料理は焼き飯、ラ−メン、野菜炒め、それにビ−ルである。注文し過ぎの感じだが、焼き飯を少し残すぐらいで、ようやくお腹に収める。やはり、洋食よりも中華が落ち着くようで、最後の晩餐はこれで正解である。
 

満腹のお腹をさすりながら、まだ明る過ぎる通りを中央駅へ向かう。ここから地下鉄とトラムを乗り継いで南駅へ戻る。もう勝手知ったるコ−スなので、誰に尋ねることもなく、難なく到着する。ホテルに戻ると、最後の洗濯をして床に就く。明日はいよいよ帰国の日だ。ベルギ−最後の夜を惜しみながら眠りに落ちる。


12.帰途の旅
 
帰国の朝、6時半に目覚めて、ベッドの中でゆっくりと最後のひとときを過ごす。荷物はバッグ一つだから、準備する物がない。乾いた洗濯物を取り入れて仕舞い込めばそれで終わりだ。その点、気楽な旅である。
 

エ−ルフランスのチェックインは9時とのことなので、少し早目に出かけて、駅で最後のおみやげを買うことにしよう。最後の朝食を取ると、チェックアウトを済ませて道路向かいの駅に向かう。駅の構内にチョコの名門ゴディバの店があるので、そこに立ち寄ってほんのお印程度のチョコを買うことにする。日本国内より、少しは安いのだろうか?
 

これで最後の買い物を済ませると、昨日下見していたエ−ルフランスの事務所へ移動する。まだ9時前だが、チェックインできるかと思ってスタッフに尋ねると、カウンタ−は9時にならないと開かないという。仕方なく、前のベンチで待ちながら時間を過ごす。やっと開いたカウンタ−でいの一番にチェックインを済ませ、発車ホ−ムへ移動する。3番ホ−ムということなので、駅の掲示板でも再確認し、ホ−ムへ移動する。発車まで1時間以上もあるので、ホ−ムのベンチに座りながら、乗降客の様子をぼんやり眺めて過ごす。
 





 ブリュッセル南駅
 TGVの発着ホーム









初日にベルギ−入りしたのもこのホ−ムなのだが、これで見納めかと思うとなんだか心寂しい思いがする。次にこのホ−ムに立つのはいつの日だろうと思うと、少し感傷的にさえなってくる。カリヨンの響きに、ビ−ルとム−ル貝の味をも堪能させてくれたベルギ−よ、さようなら。そして緑のシャワ−をたっぷり浴びせてくれたルクセンブルクよ、さようならである。
 

やや遅れて到着したTGVに乗り込むと、あとはノンストップで一路ドゴ−ル空港までまっしぐらである。1等車のクッションのきいたシ−トにゆったりと身を沈めて、車内サ−ビスでもらったビ−ルを傾けながら、ゆっくりと旅の回想に耽り始める。車窓に流れる風景が飛ぶように過ぎ去って行く。時の流れも同じことだ。もう明日は母国日本なのだ。
                                           (完) 
                              (2003年8月23日脱稿)










inserted by FC2 system