(12 日 間)
ゲルマンとラテンがたくみに調和した小国ベルギー
深い渓谷と緑の森に覆われた堅固な城砦都市ルクセンブルク
(2003年5月23日〜6月3日)
ベルギー・ルクセンブルク旅行日程
日付 |
日数 |
ル − ト |
泊数 |
タイムテ−ブル・内容 |
2003年
5/23
(金) |
1 |
成田 → パリ
|
機内 |
21:55発 →
|
24(土) |
2 |
パリ → ブリュッセル |
5 |
パリ着04:15 → ブリュッセル着09:02 |
25(日) |
3 |
ブリュッセル |
ブルージュ観光 |
26(月) |
4 |
〃 |
ブリュッセル市内観光 |
27(火) |
5 |
〃 |
アントワープ観光 |
28(水) |
6 |
〃 |
ブリュッセル市内観光 |
29(木) |
7 |
ブリュッセル → ルクセンブルク |
2 |
ルクセンブルク観光 |
30(金) |
8 |
ルクセンブルク |
ルクセンブルク観光 |
31(土) |
9 |
ルクセンブルク → ブリュッセル |
2 |
午前ルクセンブルク観光、午後ブリュッセルへ |
6/1(日) |
10 |
ブリュッセル |
ゲント観光 |
2(月) |
11 |
ブリュッセル → パリ → 成田 |
機内 |
ブリュッセル10:25発、パリ13:15発 |
3(火) |
12 |
成田 |
− |
7:50成田着 |
1. 5種類の乗物と足でめぐった充実の旅
どんより曇ったパリの空の下、シャルル・ド・ゴ−ル空港を飛び立った機は急角度に上昇しながら北を目指して飛行する。空いた座席に一人深く腰を沈めながら、満ち足りた旅の回想にふけり始める。正味9日間、5都市を実によく駆け巡ったものだ。
今度の独り旅は、西ヨ−ロッパ地域で見残していたベルギ−とルクセンブルクの2ヶ国を訪問するものであった。それほど大国ではないので、鉄道をフルに利用しての旅でもあった。また各都市では、メトロ(地下鉄)、トラム(路面電車)、バス、レンタバイク(貸し自転車)をよく乗り回し、心ゆくまで旅を楽しむことができた。さらにまた、緑したたる美しい風景に魅せられて、ルクセンブルクの市内を歩きに歩き尽くした。
それまでずっと続いていた小雨けぶる肌寒い天候は、到着後一転して快晴に次ぐ快晴の日々となり、ヨ−ロッパの春を満喫するには絶好の日和に恵まれた。汗ばむ陽気に喉を枯らし、頻繁にジョッキを傾けながら、ビ−ル王国ベルギ−の本場の味を堪能することもできた。また、ベルギ−の名物料理「ム−ル貝の白ワイン蒸し」やワッフル、お菓子なども逃さず味わい、名門ゴディバのチョコはお土産に持ち帰った。
今こうして、カリヨンの音が響き渡るベルギ−とルクセンブルクの街々の思い出にひたりながら、めぐった足跡を記してみたい。
2.成田発……パリへ
エ−ルフランス機はお馴染みである。これでパリへ向かうのは3回目。東ヨ−ロッパ、モロッコ、そして今度の旅である。しかし、これらはいずれも乗り継ぎだけで、パリの街に足を踏み入れることはない。この便は成田空港第一タ−ミナルから出発するのだが、SARS(新型肺炎)騒ぎの最中だけに、どんな様子なのか気になるところだ。気休めに普通のマスク1枚を持参はしたのだが……。
ロビ−に入ってみると、マスク姿の乗客は誰一人見当たらない。スタッフさえマスクはしていない。ただ一人、清掃の係だけがマスクをしているのが目に付くぐらいだ。意外と気にしていないのだ。「SARS感染、みんなでマスクしなけりゃ怖くない。」という感じで、私もノ−マスクを決め込むことにする。念のため、警備スタッフに「みなさん、マスクはしないのですか?」と尋ねると、「えゝ、ここは出発ロビ−だからしていないんですよ。到着ロビ−ではしているようですが……。」という返事。そんな程度なのかと安心する。
夜10時前、定刻に離陸した機は一路シベリアを目指して飛行する。これからユ−ラシア大陸を横断し、バルト海上空を通過しながらパリへ南下する。13時間半の飛行は、なんと長いことか。ヨ−ロッパはほんとに遠い。その間、一度の燃料補給もなしに、よく飛び続けられるものだといつも感心する。
うつらうつらとしている間に、なんとか時間をやり過ごし、機はド・ゴ−ル空港に着陸態勢に入っている。早朝の4時過ぎとあって、辺りはまだ暗い。パリの空は見えないが、案内によると曇りで、気温は15度という。機外に出るとひんやりと肌寒く、冬服の上着でちょうどよいくらいだ。ここで超特急のTGV「THALYS(タリス)号」に乗り継いで、ブリュッセルの南駅に向かう。この列車の運賃は航空運賃に含まれており、別途料金は不要である。日本からベルギ−へ入るコ−スはいろいろあるのだが、このコ−スが便利だとの判断から選んだわけである。ド・ゴ−ル空港までTGVが乗り入れているので便利である。
乗車する前に、成田空港でのチェックイン時にもらったスナック券を持ってタ−ミナルの一角にあるカフェへ向かう。早朝の到着とあって、お茶のサ−ビスがあるわけだ。この場所は分かりにくいのだが、1年前に経験しているので真っ先に荷物検査所を通過してカフェに入る。クロワッサン1個とコ−ヒ−一杯のサ−ビスのみだが、眠気覚ましのスナックにはなる。
3.TGVでブリュッセルへ……快適走行・田園風景・飲物サ−ビス
7時43分発の列車まで3時間半の待ち合わせだが、カフェでゆっくりと時間を過ごし、またトイレで用を済ませたりしながら時間を過ごす。カフェを出てTGVの空港駅へ移動しようと検査所でその位置を尋ねると、運良く通り合わせた日本人スタッフが途中まで案内してくれると言う。人気のない広いロビ−を通り抜け、その端から階上に上がって歩くエスカレ−タ−を3つ通り抜けると、シェラトンホテルの下に出る。そこを左に曲がれば駅だとのこと。彼女には途中まで案内してもらい、教えられた通りに進むと駅はすぐに分かる。
まだ人気のないだだっ広いロビ−でのんびり待ちながら時間を過ごす。すかっとしていて何もないように見えるのだが、周囲を歩いて見回すと切符売り場や両替所、それにちょっとした売店がある。
ようやく発車時刻が近づいたなあと思って座っていると、エ−ルフランスの女性スタッフが案内パネルを持ちながら、「エ−ルフランスからの乗り継ぎの方はいませんか?」と尋ね回って来る。そこで、「ウィ」と答えて合図すると、ロビ−のコ−ナ−に置かれた小さな受け付けスタンドを指差しながら、「あそこで乗車券と引き換えてください。」と言う。成田でもらったチケットでそのまま乗車できるのかと思っていたら、そうではないのだ。チェックインして飛行機の搭乗券を引き換えに貰うようなものだ。
無事、引き換えを済ませて待っていると、やがて長いホ−ムにあずき色とグレ−のツ−ト−ンカラ−のスマ−トなTGVタリス号が入ってくる。指定が1号車となっているので、号車番号を探すが、車体のどこにも見当たらない。ふと見ると、細い表示窓の端っこに小さく番号が示されている。それも薄い色で書かれているので、分かりにくい。これでは乗客は戸惑うだろう。日本の列車みたいに明瞭ではないのだ。
シャルル・ド・ゴール空港駅 TGV「タリス号」
7時43分の発車時刻が迫っているので、適当な車両に飛び乗り、多分この車両だろうと思うところまで移動しながら乗客の一人に尋ねると、やはり1号車だという。そこで指定の番号座席に腰を下ろす。こんな時、日本のように車両内にも号車番号が表示されていれば便利なのに、それがないので乗客泣かせだ。すぐにやって来た車掌が私のチケットを見るなり、この車両ではなく、隣の車両だと指示する。折角落ち着いたと思ったのに、再びバッグを持って移動し始める。すると、先ほど私が尋ねた外国人も間違っていたらしく、彼も同様に荷物を持って移動し始める。お互い顔を見合わせ、にやにや笑っている。
やっと間違いなく指定の席に着席し、これから1時間半の列車の旅が始まる。落ち着いて車内の様子を見回すと、車内のシ−トはこれも車体の色と同じ小豆色に統一され、飛行機のビジネスクラス並みのゆったりとしたもので、左側が2列、右側が1列になっている。後で分かったのだが、この車両は1等車なのだ。道理で、なんとなく雰囲気が違うなと思っていたのだ。
タリス号の車内
落ち着いてこれまでのことを振り返ると、TGVに乗り込むまでに入国審査がなかったことに気付く。おや、これはどうなっているのだ?
機内では以前と違ってほんの簡単な入国カ−ドを書かされたのみで、それも日本語でOKという。そういえば、飛行機から降りるエプロンを出たところで係官が立ちながらパスポ−トをチェックしていたのだが、それが入国審査だったのだろうか? それなら、とても簡単になったものである。
スピ−ドを上げて走行するTGVの乗り心地は満点で、振動もあまり感じられず、ふんわりとソフトな車体感覚は日本の新幹線よりも良さそうだ。その昔、ジュネ−ブからパリのリヨン駅までTGVに乗って以来、2度目のことである。車窓からの眺めも実に素晴らしく、心が洗われるような緑したたる草原が広がっている。ドイツのロマンチック街道にも似た田園風景の中に、教会を中心に数十軒の家々が寄り添うように集落をつくっていて、そんな村落があちこちに点在している。村人たちは、宗教中心に日々の生活を営んでいるのだろう。
車窓の風景
こんな緑の田園風景が最後まで続いている。
窓外の美しい景色に見とれていると、ワゴン車を押しながら車内サ−ビスが始まる。なんと1等車には飲物とおつまみのサ−ビスがあるのだ。早速、ビ−ルとつまみをもらい、喉をごくりと鳴らしながら、快適な列車の旅に独り満悦の笑みを浮かべる。ベルギ−へ入るには、このコ−スがお勧めだ。なにせ距離が短い上に、終着点がブリュッセル市内の中心部なのだから!
もうそろそろベルギ−との国境に近いのだろうか? 昔のことなら、国境駅に停車して入国のためのパスポ−ト検査があるところなのだが、それが今はなくなり、8年前からノンストップでパリ〜ブリュッセル間を突っ走ることができるのだ。これは「シェンゲン協定」によるものである。窓外の風景も国境で変わることはないし、だからベルギ−入国の感覚はまったく感じられない。
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シェンゲン(SHENGEN)協定国間の出入国
シェンゲン協定とはEU内の出入国の簡素化を目的に1995年に発足した協定で、現在EU加盟国13ヶ国にEU非加盟のノルウェ−とアイスランドを加えた15ヶ国が加盟している。これで協定国間の旅行は国内旅行のようなもので、出入国審査は一切行われないという有り難い協定である。協定国外から協定国に旅行する場合は、最初に訪問する協定国で入国手続きを行い、協定国内から協定国外へ旅行する場合は、最後に出発する協定国において出国手続きを行うことになる。この夢の協定が全世界に広がることを願うのだが……。
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ビ−ルの酔いに誘われながら、ぼんやりうっとりと窓外を眺めていると、早くも到着の様子である。窓外の景色が緑の田園風景からビルなどが並ぶ都会の風景に変わったかと思うと、列車は終着駅の南駅(Gare Midi)に滑り込む。朝の9時2分。こうして1時間半の列車の旅はあっという間に終わりを告げる。もう、ここはベルギ−のブリュッセルなのだ!
ブリュッセル南駅ホーム
南駅(Gare Midi)のコンコース
ベルギ−のこと
ここでベルギ−のことを簡単にまとめておこう。EU(欧州連合)加盟国であるベルギ−は立憲君主制で、正式国名をベルギ−王国と呼ぶ。フランス、ドイツ、オランダ、ルクセンブルクと国境を接し、ド−バ−海峡を挟んでイギリスと向かい合っている。首都はブリュッセル、国土面積は約30,159uで九州よりやや小さく、人口は約1,005万人、宗教はカトリックが75%などとなっている。言語は北部がオランダ語、南部がフランス語で、ドイツ語圏もある。
民族構成はフラマン人55%、ワロン人44%で、ゲルマンとラテンというヨ−ロッパの二大民族の融合した国家でもる。現在のベルギ−の言語境界線や文化の原形がつくられたのはロ−マ時代にさかのぼるといわれ、長い侵略の歴史を持ちながらも、1830年にオランダから独立し、その後ゲルマンとラテンの文化がたくみに調和したベルギ−という小国を築き上げた。そうした背景がEU本部やNATOなどの機関が集まるヨ−ロッパきっての国際都市に仕立て上げている。
ベルギ−の別の顔はビ−ル王国であろう。人口、国土面積ともに日本の約12分の1でありながら、その中に約540社(ドイツは1200社)のビ−ル醸造元があり、400種を超えるバラエティ−に富んだ製法のビ−ルが存在する上、国民一人当たりの消費量は隣国ドイツをしのぐほどである。またゴディバチョコやワッフルで知られるお菓子類やム−ル貝料理でも有名である。
ホテルへ
駅の広いコンコ−スに出ると、その一角にある両替所に直行し、早速ユ−ロ通貨に交換する。キャッシュのレ−ト(03年5月24日現在)は1ユ−ロ=159.57とバカ高い。これなら成田で交換すべきだったと後悔する。この南駅には両替所、インフォメ−ション(旅行案内と鉄道案内に区別されているので要注意)、飲食店、土産物品店などが一応揃っている。しかし、飲食店はサンドイッチやマックなどのファ−ストフ−ド店ばかりで、レストランが1軒もないのが寂しい。せめて、カフェテリアぐらいは欲しいところである。
とまれ、両替を済ませて予約したホテルへ向かうことにする。駅前にあるということなので、コンコ−スの中央にある案内所にホテル名を告げて場所を尋ねると、その出口を出たところだという。教えられた方向の出口に向かい、そこを出て見回すと、なんとそのホテルは道路を隔てた目の前に見えるではないか!
これは便利でありがたい。駅に近く便利なホテルをと思って、インタ−ネットで探しながら予約したホテルなのである。駅の出口付近には浮浪者や物乞いがいて、辺りはなんとなく小便臭い匂いが漂っている。都会ではどこの国でも見られる風景である。
南駅前のメインストリート
トラムが走っている。
フロントで「J'ai une resèrvation.
Je m'appell Y.M.(予約しているY.M.という者ですが……。)」と定番のフランス語でチェックインを申し出ると、パソコンでチェックしてすぐに分かり、記入カ−ドを渡される。ちゃんと間違いなく予約ができていたのだ。すぐに部屋に入れてくれるので、ありがたい。通された部屋はこぎれいでスペ−スも広く、ゆったりとしていて感じがよい。ただ、バスタブがなく、シャワ−だけなのが惜しい。でも、これだけあれば文句はない。早速、シャワ−を浴びると、睡眠不足を取り戻すべくベッドに横たわる。
両替のこと
旅行期間中のユ−ロレ−トは、次に示すようにそれぞれまちまちで10円以上の差があった。
・成田空港の両替所(キャッシュレ−ト、03年5月23日現在)1ユ−ロ=
141.03円
・ブリュッセルMIDI駅(同、24日・6月1日の2回) 1ユ−ロ=158.73〜
159.57円
・アンアントワ−プの銀行(同、27日) 1ユ−ロ=142.85
・ルクセンブルクの銀行(同、30日) 1ユ−ロ=153.84
・クレジットカ−ドのレ−ト(26日〜6月2日)1ユ−ロ=141.60〜
143.50
これから判断すると、ベルギ−では駅の両替所やホテルで交換すべきではない。銀行の場合でもアントワ−プの銀行レ−トが妥当なところで、ルクセンブルクの銀行は悪い。また、交通費やチップなどの小銭は別として、レストランやホテル代、土産品などのまとまった支出はできるだけクレジットカ−ドを利用したが割安だし、便利でもある。カ−ド使用の場合の交換レ−トは、どの国の通貨に対しても概して最有利なレ−トになっているからである。これは体験的に言えることである。出発日の5月23日には140円そこそこだったユ−ロ相場が旅行期間中に生憎と143円台まで急騰していた。その結果、いちばん高値での交換となってしまった。
市内観光
眠りから覚めると、もう昼時を過ぎている。急いで身仕度をし、午後の観光に出かける。そこでフロントにある観光パンフレットをもらい、その中からお勧めの市内観光を尋ねると、
「Brusseles city tour」がいいだろうと教えてくれる。ホテルまで出迎えに来てくれると言うので、午後2時発のバスに申し込むことにする。
この市内観光はダブルデッカ−バスで巡るもので、2階デッキからは見晴らしがよくきく。毎日午前10時から午後4時までの間、毎時ちょうどに中央駅前から出発する。所要時間は1時間半で、北駅、アトミウム、グラン・プラス、ルイ−ズ広場、ロイヤル広場など市内の主要な13ヶ所にストップしながら周遊する。料金は大人13.5ユ−ロ(約1,900円)、65歳以上のシニアと学生は12ユ−ロ、子供は9ユ−ロ。これは24時間有効チケットで、前記のストップ場所で自由に乗降できる。
出迎えが来るので1時半までにはロビ−で待つようにというので、その間に昼食を取ろうと向かいの南駅へ出かける。外気は肌寒く、空は鉛色の雲が低く垂れ込めて、時折霧雨が降るという冴えない天候である。これ以上、悪くならなければいいが……。そんなことを思いながら、ホテル前の大通りを横切って南駅へ向かう。コンコ−スの片隅に数軒並んでいるファ−ストフ−ド店を見回り、一軒の店でハムと野菜のサンド、それにオレンジジュ−スを注文して昼食とする。締めて5ユ−ロ(700円)。フロアのテ−ブルに腰掛け、食べ応えのある大型フランスパンのサンドを頬張りながら、お腹を満たす。
食べ終わると急いでホテルに戻り、出迎えを待つ。ところが1時半を過ぎても出迎えの車がやって来ない。ひょっとすると忘れられたのかもと思い、フロントの係に未だ迎えが来ないと催促する。すると、早速電話で確かめてくれ、間違いなく来ると言っているという。安心して待っていると、出発時間の2時を過ぎても未だ迎えが来ない。しびれを切らして、再度フロントをわずらわせ、連絡してもらう。すると、今迎えの車が出たところだという。今度は間違いなさそうだ。それにしても、すでに出発時刻はとうに過ぎてしまっているのに、大丈夫なのだろうか?
やっと到着した車に私一人を乗せ、混雑して渋滞気味の道路を中央駅へ向かう。10分少々で中央駅前に着くと、ダブルデッカ−バスが私の到着を待っている。2時発のバスが結局私の遅刻のために30分遅れで出発する。乗客には申し訳ないが、遅れたのは私のせいではございません!
市内観光のダブル デッカーバス(中央駅前にて)
景色が眺められるように階上のデッキに上がって座る。各シ−トには日本語をはじめ、英語、フランス、ドイツ、イタリア、スペインなど数ヶ国語に切り替えて案内が聞けるようにイヤホ−ンが付いている。案内を聞きながら、しばらくはあちこち珍しそうに眺め回していたが、吹き抜ける風は冷たく、とうとう寒さに耐えかねて階下に下りてしまう。
各ストップ場所では、結構乗降客が多い。今日のところは、どこでも降りずに、バスの上からただ市内の様子を眺めるだけにとどめるとしよう。大都市の風景は、いずこも同じで、それほど代わり映えがしない。バスは北の郊外にあるアトミウムまで走り、あとは市内の中央部とその周辺を回って終わりである。車上から眺めるブリュッセルは、あまり印象的な街でもない。これからぼつぼつ回って街の顔が次第に浮かび上がってくるのかもしれない。これで1時間半、終点は出発点の中央駅である。
ここブリュッセルはその歴史も古く、町が築かれて約1000年にもなる。古くはケルンとフランドル地方の毛織物通商の要衝地として発展し、現在では経済はもとより、政治・文化の中心地となりつつある。
ホテル探し
バスを下車すると、明後日から宿泊するホテルがこの付近なので、ついでに探してみることにする。ガイドブックの地図を片手に歩きながら通りの名を探してみるが、どうしても見当たらない。とある店に入って尋ねると、元来た方向だと言う。そこで引き返し探してみるが、なかなか見当たらない。そこでまた別の店に入って主人に尋ねると、そこの信号のある交差点から右に曲がった通りだという。
やはり元来た道りで、その交差点に出ると、道向こうには2つの塔を持つサン・ミッシェル大聖堂が神々しいばかりにそびえている。
サン・ミッシェル大聖堂
教えられたとおりに進むと、確かに目指す通りに出たのだが、今度はあるべきはずのホテルが見当たらない。またまたそこで、ホテル名を告げながら2軒の店に尋ねてみるが、いずれも知らないという。
目指す通りはここで終わりのはずなのだが……と不安になりながらさらに進んで行くと、グラン・プラスに近い通りの末端にそのホテルをようやく発見。ほっとして「ボンジュ−ル!」と声をかけながら中に入ると、狭いフロントに愛想のよい係がいて応対してくれる。「今夜お泊まりですか?」と尋ねるので、「いえ、明後日からの宿泊を予約しているんですが……。」と答えると、パソコンで私の名前を確認し、「はい、確かに承っています。では、明後日お待ちしています。」とにっこりしながら応答してくれる。意外とこじんまりしたホテルである。ここもインタ−ネットで予約したのだが、間違いなく取れていたので安心する。グラン・プラスと中央駅の中間地点にあるホテルを探して予約したのだが、地理的条件は正解である。
グラン・プラスで夕食
ホテルから歩いて1分とかからない目と鼻の先に、この街の中心グラン・プラスがある。この街を訪れる観光客のすべては、必ずここを目指してやって来るという中心的な大広場である。その方へ歩を進めて行くと、通りの途中からきれいなア−ケ−ド街が抜けている。これがギャルリ−・サン・チュベ−ルと呼ばれるショピングア−ケ−ドで、1847年に完成したヨ−ロッパで最も古いギャルリ−の一つだという。この洗練された造りのア−ケ−ド街には、ブティック、アンティ−クショップ、レストラン、カフェをはじめ様々な商店が並び、その一角には映画館や劇場もある。
洗練さと荘重さの雰囲気 が流れるギャルリー
ここを通り抜けると、大広場に出る。ここはその建築美を競い合うように並び立つギルドハウスに囲まれた約110m×70mの方形広場である。これらの建物は17世紀以前に建てられ、その後砲撃で破壊された後、再建築されたものだが、それぞれ繊細な装飾を施された個性的な建物群は、この広場に壮麗な雰囲気と中世の香りを漂わせている。このすぐ近くに、かの有名なベルギ−のシンボル、小便小僧の像がある。
広場は大勢の人々で賑わっており、その一角ではロボットに扮した大道芸人が見事なパフォ−マンスを見せながら見物客を集めている。
ロボットに扮する大道芸人
折しも週末の土曜日とあって、広場では何かのイベントが開かれている。近寄って見ると、なんと今日から3日間にわたって200チ−ムに上るア−チストたちによるマラソンジャズコンサ−トが催されているのだ。大きな舞台テントの中ではジャズ演奏の真っ最中である。聴衆は生憎の霧雨の中で傘や合羽を着ながら椅子に腰掛けて耳を傾けている。ちょっと気の毒である。
ジャズコンサートの舞台
とにかく広場の写真を撮っておこうと連続写真を撮り始めるが、コンサ−トの大きな舞台テントが邪魔して一部の建物が撮れない。これでは困るので途中であきらめ、後日の機会に回すことにする。 |
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