4.プランバナン遺跡とソロの町観光
旅行4日目。今朝もいつもどおり6時に起床。昨夜はマッサ−ジ効果もあって気持ち良く眠れたようだ。まだほのかにオイルの香りが身体に残っている。この部屋からの展望はきかないが、雨の心配はなさそうだ。今日の行動予定は、ヒンドゥ−教の遺跡で有名なプランバナン寺院の観光と、“ブンガワン・ソロ”の歌で有名なソロの町を観光する。今朝は早目の8時出発である。
ガーデン散策
一流ホテルとあって、豊富な料理が揃う朝食を終えると、食堂の横に広がる素敵なガ−デンを散策する。ジャングルのように生い茂る南国の樹木に囲まれて小さなプ−ルがあり、そこでは早くも泳ぎを楽しんでいる宿泊客もいる。周囲には、緑の木々の間に赤白の入り混じった花が咲き乱れ、素敵な雰囲気を醸し出している。
ジャングルに囲まれたようなプール
赤や白の花が咲き乱れる
その横を通り抜けて行くと、隣接してグリ−ンが目にしみる美しいゴルフ場が広がっている。人気のない芝生の上に立っていると、ゴルフの経験がない私でも、こんなに素敵なグリ−ンの上で南国の空高く白球をかっ飛ばしてみたい衝動に駆られる。さぞかし気持ちの良いことだろう。しばし見とれて部屋に引きあげる。
グリーンの広がるゴルフ場がなんとも素晴らしい
銀細工店の見学
8時に出発したバスはジョグジャの街を後にしてプランバナン遺跡に向かう。ところがその途中、ショッピングに付き合わされる。今度は銀細工の店である。こんなに早朝から店を開け、早くも仕事をしているのだ。店内に入ると、日本語の堪能なスタッフが作業現場に案内し、製品ができるまでの工程を説明してくれる。数人の職人さんたちがミリ単位の細かな細工を見事な手捌きで進めている。ここまでなるには5年以上の年期を要するらしい。結局、ここでセ−ルスにつられ、つい小物を2点買うことに。
見事な手さばきを見せる銀細工職人
ソロ通りの風景
プランバナン遺跡へ
ここを後にすると、バスはソロ通りを走ってプランバナン遺跡に向かう。この遺跡はジョグジャカルタの東方17kmの地点でソロとの中間にあり、車で20分ほどの所である。やがてのどかなプランバナン平原にさしかかり、道をそれて遺跡へ入る。その向こうには大きな竹の子のような尖塔が幾つも立ち並んでいるの見える。これが遺跡なのだ。
プランバナン遺跡の正面遠景
遺跡の規模
このサンジャ朝時代(856年)のヒンドゥ−遺跡として知られるプランバナン遺跡は5km四方に点在する遺跡群で、西方のボロブド−ル遺跡と並びインドネシアを代表する壮大な遺跡である。これは外苑、中苑、内苑の三重構造になっていたが、1549年の地震で大破し、全てがガレキの山と化して放置されいた。それが国際協力によって1937年から遺跡の修復作業が行われ、内苑の16基が蘇って、これを今われわれは見ることができる。外苑の224基はほとんど未修復の状態のままである。
神殿の構成
この110m四方の内苑には3つの主堂が建ち、その中央尖塔は高さ47mのシヴァ神殿、その左右にブラフマ−神殿(高さ23m)とヴィシュヌ神殿(高さ23m)が並んでいる。そして、向かい合わせのように、それぞれの神様の乗り物を祀った乗り物神殿が建っている。シヴァ神殿には雄の聖牛を祀るナンディ堂が、ブラフマ−神殿には馬を祀るハンサ堂が、ヴィシュヌ神殿には神鷹を祀るガル−ダ堂がそれぞれ建っている。ガル−ダ・インドネシア航空の名前は、恐らくこれから取ったものであろう。
シヴァ神はヒンドゥ−教の三大神(創造神ブラフマ−、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァ)の一つで、破壊、恩恵、生殖、創造など多面的な性格を備えた神であり、これを祀るのがシヴァ神殿。別名ロロ・ジョングラン(ジャワ語で“細身の乙女”の意味)と呼ばれている。このシヴァ神殿とブラフマ−神殿の側壁には、インドの古代叙事詩「ラ−マ−ヤナ」の話がレリ−フとして刻まれている。と同時に、この寺院には精密な男女混交の彫刻が施され、世界で一番エロチックな寺院とも言われているそうだ。
8世紀の後半に中部ジャワで強勢を誇っていたシャイレ−ンドラ朝は、大乗仏教遺跡ボロブド−ルを建造したのだが、その没落後、それまで抑えられていたサンジャ朝が復活し、ボロブド−ルに向こうを張るようにヒンドゥ教遺跡プランバナン寺院群を建立したのである。この世界的2大遺跡は偶像崇拝を禁じるイスラム社会(インドネシア人口の90%がイスラム教徒)の中にあって、今なお現存しているのが不思議なくらいである。というのは、これらの2大寺院が偶像崇拝の象徴ともいえるものだからである。イスラム教徒にとっては目の上のたんこぶであるのに違いない。
そんなことを考えながら進んでいると、正面中央にド−ンと突っ立つシヴァ神殿が見え始める。無粋な私は“竹の子のような尖塔”と表現したが、美的感覚のある人には、きっと“空に向かって燃え盛る炎”のように見えるのかもしれない。そう言われてみれば、確かにそう見える。これが朝日か夕日に映える姿は、まさにそんな感じになるのかもしれない。 |
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