3.ボロブド−ル観光
滞在3日目。6時に起きて窓外を眺めると、空は晴れ模様だ。今日はジョグジャカルタへの移動日で、その足で念願のボロブド−ル遺跡を観光する予定である。雨の心配がないので有り難い。今朝はホテルを10時出発なので、ゆっくりと過ごせる。
ゆったりした気分で朝食を取りに食堂へ。プ−ルサイドのテ−ブルに腰掛けて、今朝も盛りだくさんの食事をいただく。珍しくゆで玉子を所望してみたのだが、それがフル−ツを食べ終わり、コ−ヒ−を飲み終わってもまだ出来上がって来ない。その後も催促しながらのんびり待ってみるが、なかなか持ってこない。とうとう待ちくたびれて席を立つことに。
クタビーチへ
出発まで時間がたっぷりあるので、すぐ近くにあるクタビ−チに出かけてみよう。このビ−チは近年有名になっているらしく、サ−フィンの若者や観光客を呼び込んでいるという。食堂のレストラン前を走る道路を横切り、土産品店などが並ぶ通りを真っ直ぐ進むと、その向こうに白砂のビ−チが見えて来る。5分とかからない距離だ。
ビ−チに出てみると、これは広い、広い。インド洋に面するこのビ−チは、渚までの間隔が十分に長く、それがゆるやかにカ−ブしながら美しく長いビ−チラインを描いている。これはなかなか素敵な海浜である。これはニュ−・カレドニアのヌメアにあるアンスバタビ−チよりもスケ−ルが大きく、マリンスポ−ツを楽しむのにも最適のようだ。早朝とあって、まだ人影もまばらで、朝日を受けながら静かな朝の風景を見せている。これが夕方から夜になれば、俄然人出も多くなり、また違った顔を見せるのだろう。しばらく木陰で休みながら、ビ−チの雰囲気にひたる。
ビーチラインが美しい広々としたクタビーチ(右側)
朝の静かなひととき(左側)
欲しいのはケイタイデンワ
ホテルへ引き上げ、プ−ルサイドのテ−ブルに腰を下ろして出発前のひとときを過ごす。一休みしてから部屋へ戻ると、もう早くもスタッフが部屋の掃除にかかっている。まだチェックアウトもしていないのに、なんと早いことだ。これでは部屋でゆっくり過ごすこともできない。それにこのホテルは珍しいことに、掃除スタッフがすべて男性なのである。この部屋の係も20歳前後のハンサム青年である。
部屋に入って「パギ〜」と挨拶を交わすと、「チップ アリガトウ。」と片言の日本語で礼を言う。枕銭のお礼なのだ。それから片言の日本語と英語で会話が始まる。話によると、最近まで日本人女性と交際していたが、別れたと言う。自宅はデンパサ−ルにあって両親と一緒に住んでおり、そこからバイクでクタのこのホテルまで通勤していると言う。うんと働いて、お金を貯めたいという。「いま、何が一番欲しいの?」と尋ねると、「ケイタイデンワ」だと言う。1万円ぐらいするそうだ。いずこの国でも、若者の必需品なのだろう。
そんな会話を交わしながら荷物をバッグに詰め、「バイバイ」と別れを告げると1階ロビ−へ。みんな揃ったところで出発だ。これから免税店へ行き、買い物時間をとった後、その2階で早目の昼食である。しばらく走ると間もなく免税店到着。なかなか大きな建物で感じが良い。でも、買い物がないのに、付き合わされるのはやりきれない。店内に入ると、何やらサ−ビス券をプレゼントされる。それはビ−ル1杯かコ−ヒ−1杯、または10分間マッサ−ジの無料サ−ビス券なのだ。
10分間の足ツボマッサージ
これは有り難いと、早速2階へ上がって日本語の堪能な受付の係に足ツボマッサ−ジを所望する。部屋に通され、リクライニングシ−トに座って待っていると、若い女性のマッサ−ジ師が現れる。「スラマッ・シアン(こんにちは)」と声を掛けると、にっこり微笑みながらマッサ−ジに入る。足先にポ−ダ−を塗って丹念に足裏のツボを指圧してくれる。旅行中はこれが一番効果的で、足の疲れが取れて軽くなる。気持ち良さにうっとり気分でいると、もう終了だと言う。10分間はあっという間だ。
中華料理の昼食
ここを出ると、階下の店内をひと巡りしながら、ただ見るだけのショッピングに付き合う。間もなく時間となり、2階の中華レストランヘ。ここの食堂は天井が大きなド−ムなっており、そのため素晴らしく広い空間が広がっている。こんなに快適空間の広い食堂は初体験で、何とも素敵ム−ドいっぱいである。料理はス−プ、焼き飯、焼きそば、その他の中華料理で、ボリュ−ムはそれほどなく、早目の昼食には手頃な分量である。
ジョグジャカルタへ
昼食が終わると、再びバスに乗ってデンパサ−ルの空港へ。今度は国内線でジョグジャカルタへ飛行する。午後1時発の飛行便は1時間10分の空の旅で、退屈する間もなくあっという間に到着。ここはバリ島との時差が1時間あり、時計の針を1時間遅らせる。だから、ここでは出発時間とあまり変わらないことになる。日本時間だとマイナス2時間の時差になる。空港には現地ガイドさんが出迎え、バスに乗ってそのままボロブド−ル遺跡観光へと向かう。
こぢんまりとしたジョグジャカルタの空港
ジョグジャの町
ここジョグジャカルタは細長いジャワ島の中部ジャワ州に位置し、人口約65万の日本で言えば京都に当たるインドネシアの古都である。独立戦争(1945年〜1949年)の時、インドネシア共和国の首都となり、現在はインドネシア州と同等の位置を有する特別州になっている。ジョグジャカルタの名は、ンガヨクヨカルト・ハディニンクラットを略したもので、その名は第二次世界大戦前、自治イスラム君主国として知られていた。ボロブド−ル観光の拠点の町でもあり、バティック(ジャワ更紗)の本場でもある。また、影絵芝居、ジャワ舞踊、アンティ−クなどがあり、古い文化と新しい文化が融合したこの街は、ジャワの文化・伝統の中心となっている。
高床式のバス
こぢんまりとしたジョグジャ(ジョグジャカルタの省略語)の空港を後にするとバスは、市内の混雑した道路を上手に泳ぎながら走って行く。とにかく車が多く、それに無数のバイクが入り乱れて走るのだから大変。ここを走るのにはかなりのドライブテクニックが必要のようだ。この地では、レンタカ−は借りないほうが無難。これでは事故を起こさない方が不思議なほどである。
道路はすごい混雑
それに当地のバスは床が高く、そのためステップも高くて乗降が困難である。乗る時は取っ手をしっかり握り、大きく股を開いてステップに足をかけ“よいこらしょっ”と勢いをつけて上りあがる。降りる時は、細いステップに足を乗せ、踏み外さないように慎重に降りる。こんな風だから、ご婦人方は大変だろう。また、車内も注意が必要だ。というのは、平面のはずの床に窪みの段差がついている。だから、それに気づかず歩いていると、思わずドスンと足を取られることになる。
そして今度は、天井が問題だ。床は高いのに天井は普通の高さのままなのだ。だから、注意しないと座る時にいやというほど上棚に頭をぶっつけてしまう。なにせ、日本のバスの感覚でいるものだから、当地のバスの車内感覚に合わないのである。注意はしているのに、何度頭を棚にぶっつけたかしれない。なぜこんなに床が高いのかを尋ねてみると、当地では水害が多いらしく、その際に水没しないようにするためだという。
ボロブドール到着
こうしてバスは大混雑の大通りを押し合いへし合いしながら走り続ける。やっと市中を抜け、郊外へ出ると車は少なくなり、快適な走行を続ける。1時間半ほど走ったのだろうか? やがて広大な公園地域に入って行く。ガイドさんの案内で右側の窓越しに遠くを眺めると、森の木陰の間に一瞬ちらりと石積みの黒っぽい塊が見える。これが目指すボロブド−ルなのだ!
ビデオで事前学習
バスは公園を回り込んでその一角に停車する。下車すると、公園内に設けられた瀟洒なレストハウスに案内される。そこで一休みすると、今度はこの一角にあるビデオの上映室に案内され、そこで20分ほどビデオによるボロブド−ル遺跡の日本語ガイド説明を視聴する。これはなかなかよく作成されており、回廊の壁面に彫り込まれた釈迦誕生から生涯を閉じるまでのレリ−フ物語を実物画像の上に着色したりして分かりやすく解説している。また、戒めを示す譬え話のレリ−フについても同様の方法で解説している。これは遺跡見物の事前予備知識としてなかなか有効なビデオである。
こうして若干の予備知識を仕入れると、いざ出発である。よく整備された公園の広々としたガ−デンを歩き始めると、遠く向こうの木陰の間に階段状の黒ずんだ遺跡が少しずつ姿を現わし始める。初めてのご対面である。感動がじわ〜っと身体の奥底からわいてくる。世界3大仏教遺跡の一つであるボロブド−ルが目の前にある。アンコ−ルワットやミャンマ−のバガン遺跡はまだ見たことないが、とにかくこれらと肩を並べる世界的仏教遺跡なのだ。不信心ながら一介の仏教徒としては、心動かされるものがある。その姿は、ちょっとしたミニ・ピラミッドの感じである。
公園側から見たボロブドールの遠景
遺跡の発見
この世界最古といわれる遺跡が発見されたのは1814年、その後20年をかけて発掘され、その全貌が現れたのは1835年であったとされる。この遺跡の正面遠くに見えるメラピ−火山の泥流によってジャングルの中に埋没していたのが、その一部を一農民が発見した。この噂をもとに英国の植民地行政官ト−マス・スタンフォ−ド・ラッフルズが、オランダ人技師コルネリウスに調査を命じ、その結果ボロブドゥ−ルであることが確認されたのである。こうして、千年の長い眠りからやっと覚めたのである。
語 源
ボロブド−ルの語源だが、一般的に「ボロ」はサンスクリット語の「ビャラ(寺・お堂)」の転訛で、また「ブドゥ−ル」はバリ語の「ブドゥフル(丘の上)」から派生したものとされている。しかし、近年の研究によれば、ボロブドゥ−ルはサンスクリットで「ブ−ミサンバラ・ブダラ」と呼ばれていたらしく、このフレ−ズの中央部分の“バラ・ブダラ”がなまったものという。真実はどうなのだろう?
建造の時期
これが建造され始めたのは大乗仏教を奉じていたシャイレンド−ラ朝で、ダルマトゥンガ王の治世の780年頃。そして792年頃に一応の完成をみたが、その後増築されている。資材は安山岩や凝灰岩を使って高さ23cmのレンガ様のブロックにしたもので、丘に盛り土をした上にこのブロック100万個を使って115m四方、高さ42mの高さにまで積み上げたのである。こうして、ピラミッド状の巨大な石の山に組み上げ、大寺院を建造したのである。
寺院の構造
最下部の基壇は115m四方で、5段の方形の基壇の上に3段の円形の基壇が載る階段ピラミッド型の構造となっている。5段の方形の基壇の縁は壁になっていて、露天の回廊がめぐらされ、四面の中央には階段が設けられて最上部の円形の基壇まで上れるようになっている。方形基壇の回廊には1400面に及ぶ浮き彫りのレリ−フがあり、仏像は壁の窪み部分に432体、3段の円形基壇の上に築かれた釣鐘状の仏塔72基の内部に1体ずつが納められて計504体が安置されている。
ボロブドールの上空写真
高さはもともと42mあったが、現在は破損して33.5mになっている。長い年月の間に太陽の強烈な日差しや風雨によって崩壊の一途をたどっており、ユネスコの手による修復・整備がなされている。中心には釈迦の遺骨を納めたといわれる大きな仏塔がある。ガイドさんの話によれば、今はここにはないそうで、ジャワ島の別の場所に祀られているという。それは事実なのかと何度も念を押したが、彼は間違いないという。御釈迦様がこの地に眠っているとは、初耳のことである。釈迦の遺骨は8つに分けられて各地に祀られたというから、その一つなのかもしれない。
立体曼荼羅?
この壮大な石積みのボロブド−ルは、仏経の世界観をあらわした立体曼陀羅だと考えられている。(注:曼陀羅「まんだら」=仏語で、仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏・菩薩などを体系的に配列して図示したもの。)この寺院にはまだ解明されていない謎の部分が多く、諸説ふんぷんの状態にあるらしい。例えば、メラピ−山の噴火によって埋没していたといわれているが、本当は完成後すぐに埋められたのではないか?
この巨大な建築物が何のために造られたのか? 王の墓、寺院、王朝の廟、僧房、曼陀羅などと諸説が入り乱れている。
前置きはこのぐらいにして、この巨大遺跡に足を踏み入れてみよう。この寺院は小高い丘の上に築かれており、そこへの入口門をくぐって長い階段を上り、テラスに出る。そこに基盤が築かれ、ピラミッド状にそびえている。
長い階段を上っていく
目前で見る巨大な石積みの山は迫力満点で、凝縮された仏教の世界がひしひしと迫り来る感じがする。上層部を見上げると、逆光に映えながら天を突く無数のストゥ−パがノコぎりの歯のように美しいシルエットを浮かび上がらせている。ここで全体写真を撮っておこう。 |
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