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  No.7
(エストニア・ターリン編)




7.エストニアの首都・タ−リンへ
 
5日目。朝、いつものように目覚めて外を見ると、またもや糸を引くような小雨模様である。昨日の午後からは雨も止んで傘いらずだったのに、今朝は早くも雨になっている。その変わり身の早いこと。と言うことは、逆にこの雨も間もなく止んで、晴れ間がのぞくというのだろうか? ま、当てにしないで、まずは朝食を済ませよう。今日は再び高速バスに乗って隣国エストニアへ移動する日だ。10時50分発と遅いので、それまでゆっくりと過ごせる。
 

旅先ではよく動き回るので、お腹が空いて朝食も普段よりいける。今朝の朝食も時間をかけて、ご馳走をたっぷりといただく。満腹になったら、部屋で小休止だ。今日の目的地、タ−リンは、二度目の訪問なので懐かしさを感じるだけで心配はない。バルト3国の首都のうちでは一番小さな可愛い街である。7年前と変わらぬ風情を保っているのだろうか? 出発まで余裕時間があるので、この街と最後のお別れを惜しむことにしよう。
 

最後の散策
傘を差しながらホテル裏のヴァリニュ通りを北へ向かって歩く。まだ人通りは少なく、ここでも台車に乗せた琥珀売りの露店商が店開きの準備をしている。小雨が降る中、おばさんたちも雨除けのシ−ト張りが大変だ。車の通らない静かな通りだから気をつかうことはない。今日もまた、終日観光客や通行人を相手に琥珀の商売をするのだろう。こんな露店の行列で、各店ごと果たしてどれほどの商いがあるのだろう? これらの露店風景は、この街の風物詩と言えるのかもしれない。だが、気根のいる商売ではあるようだ。
 

駆け足の旅で旧市街のほぼ全域と新市街の自由記念碑、国立オペラ座、中央市場を垣間見たわけだが、リガの街はトラムも走り、なんとなく都会的な雰囲気を持つものの、どこも静かで喧噪な賑わいがなく落ち着きが見られる。まだそれほど観光客に毒されていないからかもしれない。それに物乞いの姿も見かけず、街も清潔だ。道行く人々も明るく自由な雰囲気に包まれて、のびのびと暮らしているようだ。また、この街は教会に埋もれていると言っても過言ではなく、街の至るところに教会とその尖塔が見られる。それだけに、敬虔なキリスト教信者が多いのかもしれない。そう言えば、この旧市街にはロシア正教のネギ坊主の教会が見当たらない。 


そんな思いに耽りながら歩いていると、街の中心部を東西に走るお馴染みのカリチュ通りに突き当たる。最後の見納めに右手遠くに雨に煙る自由記念碑を眺めやりながら、カリチュ通りを左へ曲がって再びリ−ヴ広場の方へ歩いて行く。雨の中、今朝も変わらず琥珀売りの露店商が並んでいる。やはり、リガの記念に琥珀を買おうと心が動く。そこで、小さな台車にぎっしりと陳列された琥珀のアクセサリ−を物色しながら右往左往する。値段が高いから、自分の予算と容易に折り合わない。ようやく合意に達したところで、ネックレスを買うことに。ひょっとすると、私が今朝の初お客かも……。
 

そこからきびすを返して自由記念碑の方へ歩を進め、電車通りに出て右へ曲がると白亜のオペラ座が目に入る。その途端、ふと昨夜の「眠りの森の美女」が思い出されてくる。百年の眠りから目覚めたオ−ロラ姫は王子と幸せに暮らしているのだろうか? ひょっとして、前の公園で二人が遊んではいないだろうか? 目を凝らしても、そこには姿は見えず、ただ、したたるような緑が小雨の公園を静かに覆っているのみである。「眠りの森の美女」は英語では“Sleeping Beauty”となっているのだが、誰がこれを翻訳したのか、実にうまい題名を付けたものである。これは名訳といっていいだろう。
 

バス・ターミナルへ
リガの街の風景に名残りを惜しみながら部屋に戻り、小休止した後、少ない荷物をまとめると出発準備OKだ。1階でチェックアウトを済ませると、「パルディエス(ありがとう)」と礼を言ってホテルを後にする。再びホテル裏のヴァリニュ通りをタ−ミナルへ向かって歩いて行く。5分ほどで行けるので、便利至極である。見馴れたバスタ−ミナルに着くと、早速ユ−ロラインのバス会社の事務所に入ってチケットを見せ、「このNordekaと言うバスラインの事務所はどこですか?」と尋ねると、向こうの部屋ですと教えてくれる。
 

そこで出発時刻と乗場を再確認し、売店で昼食用にパンとジュ−スを調達する。このバスのチケットはス−パ−のレシ−トとそっくりで、小さな薄い紙片に乗り場、座席番号、料金が7ラッツ(1,470円)と印字されているだけで、ほんとに通用するのかと頼りない感じ。ユ−ロラインのチケットはちゃんとした大きさで氏名まで記入されていたのだが……。しばらく待っていると、1番乗り場にタ−リン行きの白い車体のバスが入ってくる。チケットを見せて5番の座席に座ると、タ−リンまで世話なしだ。今度も乗客は十数名と少ない。
 





ターリン行き高速バス











国際バスでターリンヘ
定刻の10時50分に発車したバスは、市街を通り抜けてハイウェイに乗る。タ−リンまで約5時間の行程だが、このバスも2人のドライバ−が交代運転だ。霧雨の中をバスは北へ向かって走り続ける。緑の美しい木立ちを切り分けるように走るかと思えば、緑の草原の広がる中を一直線に走り抜ける。対向車にも滅多と出会わない。ヴィリニュス〜リガまでのコ−スと似たような風景が車窓に流れて行く。






小雨に濡れるハイウェイ















こんな草原の中をひた走る









こんな車のいないコ−スを運転するのは、さぞ気持ちのよいことだろう。それに比べ、日本の高速道路はどうだ。押し合いへし合いの状況で、大型トラックなどは車間距離1〜2mにまで迫って追い立ててくる。なぜそんなに急ぐのだろう?
 

ドライブイン
2時間近く走ると例によって途中休憩である。広いドライブインには小さな食堂と飲物や菓子類を売っている店があるだけで殺風景な場所である。ドライバ−たちは早速食事に消えてしまう。出発時間が遅かったためか、乗客たちはトイレに立つ程度で食事する様子でもない。車内で食事しているのは私だけである。
 






ひなびたドライブイン









食事をすませると、こぎれいな建物があるので探索に出かけてみる。バスを待っているのか十数人の子供たちが引率されて店の前にたむろしている。ここでも人懐こい笑みを浮かべながら、その澄んだ瞳の奥に好奇心をたたえて私を注目している。みんな申し合わせたようにアイスキャンデ−をしゃぶっている。多分、この店で買ったのだろう。なんだか私もそれが食べたくなり、「ラブディエン(こんにちは)」と声を掛けながら店内に入る。すると、みんなぞろぞろと一緒に入ってくる。私の行動を見たいのだろう。
 

店内にはアイスキャンデ−やアイスクリ−ム類がボックスに入れて売ってあり、他には駄菓子類やジュ−ス類があるだけで大したものは売っていない。子供たちが食べているキャンデ−はどれかな?と探していると、それを察したのか1人の男の子が指でさしてこれだと教えてくれる。言葉は通じないが、こうして以心伝心で分かるものなのだ。「パルディエス(ありがとう)」と言って1本買うことに。大しておいしいものでもないが、食後のデザ−ト代わりだ。 


エストニア入国
ここで20分ほど過ごすと、あとは草原の1本道をさらに北へ向かってひた走る。この辺りはリガ湾の沿岸地帯を走っているはずなのだが、海岸線が遠くて海はよく見えない。かなり走ったところでエストニアの国境検問所に到着。






エストニア国境検問所










ここでも女性の係管がやって来てパスポ−トを集め、事務所へ持って行く。ところが、10分以上経ってもなかなか返却に来ない。混雑しているわけでもなく、しかも乗客は少人数なのにどうしたことだろう? 不審に思っていると、20分ほど経ってからやっと返却される。やれやれだ。
 

途中休憩
国境を越えても依然として風景は変わらず、美しい緑一色に包まれてひっそりとした道路をひた走る。






緑に埋まるハイウェイ










国境からひとしきり走ると、急にスピ−ドを落とし、タ−リンの方向案内板とは違う左方向へ曲がってハイウェイからそれて行く。おや? どうしたのだろう? といぶかしがっていると、小さな町の中に入って行く。バスはその一角のモ−タ−プ−ルに停車する。ここで二度目の休憩らしい。あまり必要を感じないが、付き合うとしよう。
 





とある町のモータープール









今度は15分ほどの休憩でバスは本線に戻り、タ−リンの街を目指す。タ−リンへ近づくにつれて、空がだんだん明るくなり、雨も止んでくる。このまま晴れてくれたら言うことないのだが……。そんな思いで行く方の遠くの空を眺めていると、いつの間にか町並みにさしかかり、タ−リンの街が近いことを知らせてくれる。やれやれ、間もなく到着だ。この街は7年前に来たことがあるので二度目の訪問である。それだけに新鮮味はないが、懐かしい気持ちでいっぱいになる。
 

ターリン到着
市内に入ってもなかなかタ−ミナルへ到着しない。一体どうしたのだろうと不審に思っていると、なんと港の方向へ行くではないか! そして、とうとう波止場のA、Bタ−ミナルに止まる。ここで数人の乗客が下車する。それからC、Dタ−ミナルと順に停車して行く。なるほど、乗客の便宜をはかって波止場まで周回しているのだ。これらの波止場からはフィンランドやストックホルムに向かうフェリ−が発着しているのだ。こうして結局、バスタ−ミナルへは一番最後の到着となり、ようやくタ−リンの地を7年ぶりに踏むことになる。夕方5時の到着である。都合、休憩も入れて6時間の行程である。長いバスの旅ではある。途中の道路工事の離合待ち合わせなどで予定より遅れたようだ。
 





ターリンのバスターミナル











ターリンのこと
ここエストニアの首都タ−リンは人口40万で、一国の首都とは言えリガの半分近い小規模の街である。長崎市と同規模の人口でもある。港町でもあるタ−リンは、バルト海を挟んでフィンランドやスウェ−デンなど北欧諸国と向き合う至近距離にあり、“バルトの窓”として北欧に開かれた街でもある。特にヘルシンキへは高速船で1時間40分の短距離圏にあり、その便利さゆえに北欧方面からの日帰り観光客が多く、旧市街はいつも人込みでごった返している。 


タ−リンではすでに11世紀頃から砦が築かれていたが、13世紀にはデンマ−ク王によって占領され、ト−ムペアの丘に城が築かれた。エストニア人はこれをTaani Lin(デンマ−ク人の城)と呼び、これが現在の都市名タ−リンの由来になったと言われている。その後はドイツ人の入植、そして13世紀半ばにはハンザ同盟に加盟し、ロシアとの貿易の中継点として栄えた。今の旧市街は、この豊かな時代の所産と言ってよい。
 

しかし、その繁栄も16世紀のリヴォニア戦争で終焉を告げ、その後はスウェ−デン、ロシアの支配が続き、そしてさらにソ連の占領によって半世紀にも及ぶ長い窒息状態に陥った。それもこの旅行記の冒頭にも述べた91年のバルト3国の独立運動に伴い、ようやく主権を回復し、いち早く自由主義の風をなびかせながら、いま街は活気にあふれている。
 

タクシーでホテルへ
バスを降りると早速、小額を両替する。レ−トは1クロ−ン=10円。地図で見ると宿泊ホテルは遠そうだし、トラムも近くを通っていないので、タクシ−を利用するしかない。そこで、タクシ−をとらまえホテル名を告げて料金を尋ねると、交通状況によるが70クロ−ンぐらいだろうと言う。ここはメ−タ−制なので問題はない。それほど道路は混雑しておらず、10分ほどでホテルに到着。料金も予想の範囲内に収まる。
 

このホテルはひっそりとした通りに位置しており、それでいて旧市街へは10分もかからないほどの観光至便な場所にある。レンガと石造りの古い建物だが、話を聞いてみると病院だったものをホテルに改造したのだと言う。規模は小さいが落ち着いた雰囲気のあるホテルである。早速、チェックインし、預けられていた明後日のヘルシンキ行き高速船のチケットを無事受領する。これで現地で手配してもらったチケットは、すべてトラブルもなく受領できたことになる。
 

旧市街へ
キ−をもらって部屋に落ち着くと、早速懐かしの旧市街へ出かけてみる。ホテル前の路地を通り抜けると何車線も走る大通りに出る。その地下道をくぐって上がると旧市街の南端に出る。ここから真北に走る細いハルユ通りがあり、そこを左手の丘に聖ニコラス教会の鋭い尖塔やネギ坊主頭のアレクサンドル・ネフスキ−寺院を眺めながら進んで行く。すると間もなく、急に空間が開けて旧市街の中心、ラエコヤ広場に出る。ホテルから一直線に続く道を歩いて5〜6分の距離である。
 







 聖ニコラス教会の尖塔




















丘の上にはネギ坊主のネフスキー寺院が・・・









懐かしい思いで広場の空気を胸いっぱいに吸い込むと、ここから東に走る旧市街のメインストリ−ト・ヴィル通りを進んで行く。ここを通り抜けた先に、以前泊まったことのあるヴィルホテルがある。ここは高層ビルで1〜2階はショッピングセンタ−街になっており、そこのレストランで夕食を食べようとの魂胆である。昔の城門を通り抜けると、その向こうにヴィルホテルが見える。勝手知ったる思いで中へ入ってみると、以前と変わらずきれいなショッピング街が広がっている。
 

ケバブ料理で夕食
ウィンド−ショッピングをしながらレストランを探すが、どこにも見当たらない。2階に上がってもありそうにない。そこに警備員らしき人がいるので尋ねてみると、この1階の奥の端に数軒あると教えてくれる。そこで行ってみると、レストランではなく、スナックのスタンドが数軒あるのみで、テ−ブルは共通のフロアテ−ブルを利用することになっている。期待外れでがっかりしながらも、他へ移動するのも億劫になり、ここで食事することに。
 

そこで、このスタンドの中にケバブ料理があるので、これを注文することにしよう。それとビ−ルを加えて780円である。肉にポテトも添えられているので、結構お腹は満腹となる。これでなんとかお腹を満たし、ほろ酔い気分で帰途につく。そこからエストニア大通りをホテルに向けて歩いて行く。人通りはほとんどなく、車とトロリ−バスが行き交うのみである。
 

右手にタムッサ−レ公園を見ながら進んでいると、何やら白亜の劇場らしき建物が現れる。もしかしてオペラ座?と色めき立って近寄って見るとドアは閉ざされている。ただ、ポスタ−がウィンド−に貼られている。写真がないのでよく分からないが、どうも何かのコンサ−トのようだ。エストニア語だから読めないのだ。これはホテルに戻って、イベント情報を確認してみよう。明日の晩、機会があれば行ってみたい。
 

そう思いながら横を見ると、すぐ奥に隣接してやや小さな建物がある。そこへ足を向けてみると、ドアは開いて人の気配がする。チケット売り場の窓口があるので尋ねてみると、ここはドラマのシア−タ−だと言う。これには歯が立たないと思い引き返す。もう夜の7時頃というのに、明るくてまだ日暮れの感じはしない。ヨ−ロッパの夏は日が長い上に夏時間で1時間繰り上がるため、日が暮れるのが遅く、夜がなかなかやって来ない。これではみんな夜更かしになるのではなかろうか?
 

先を急ぐが、なかなかホテルの通りが見えない。長い道程で脚も疲れてくる。この方向で間違いないと思うのだが……。やがて向こうに見馴れたストリ−トが見えてくる。やれやれ、これで方向は間違いなかったのだ。安堵の胸を撫で下ろしながらホテルに戻る。部屋に入ると、すぐに入浴し、ベッドに入って脚のマッサ−ジを始める。明日は一日がかりで市内観光の予定だ。明日の好天を祈りながら、脚をいたわっておこう。



(次ページは「ターリン市内観光」編です。)











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