(ジンバブエ編)
9.首都ハラレ(ジンバブエ)・・・・ユニティ広場・ハラレガ−デン・国立
ギャラリ−
ジンバブエへ
8日目の朝。今日はジンバブエへの移動日で、早くもアフリカの旅の後半に入るわけだ。今朝の起床は5時前と、かなり早い時間である。というのは、ジンバブエへの飛行便が朝の8時10分発なので、6時にはホテルを出発しなければならないからだ。昨夜泊まったこのパナフィック・ホテルは、数十階建ての高層ホテルだが、少々古い建物である。ここでも、洗面・バスなどの水は茶色に濁っており、バスタブの底には少々の泥が溜まる状況である。首都のホテルでこんな状況だから、サバンナの中にあるロッジなどでは推して知るべしである。でも、これを飲むわけではないので心配することはない。
ダブルブッキング
眠い目をこすりながら、5時半からの朝食を済ませると、一服する間もなく出発である。空はどんより曇って、時折シャワ−が降っている。ここからナイロビ空港までは、バスで20分の近距離にある。ところが空港に着いてチェックインの際に、やっかいなトラブルが発生する。いつものように添乗さんがチェックイン手続きに行ったのだが、搭乗時刻が迫っても、なかなか手続きが終わりそうにない。話を聞くと、航空会社の予約受け付けの段階で手違いがあったらしく、われわれが搭乗予定の飛行機には座席が取れていないというのだ。要するにダブルブッキングの状態で、結局、われわれがはみ出したわけである。次の旅行予定があるというのに、これは困った事態だ。
会社側のミスなので強力交渉を続け、結局、別便を用意することで決着。その間、待たされることなんと4時間、折角の早起きも徒労に終わってしまう。これだから飛行機の旅はやっかいである。もし今日、ジンバブエへ移動できなければ、その後の予定が大幅に狂って、一部省略の憂き目を見ることになるところだ。とにかく移動できて、めでたし、めでたしである。
首都ハラレへ
4時間遅れで、なんとか経由便に乗り込み、ジンバブエへ飛び立つ。ケニアのナイロビから南下してタンザニア、マラウイの2ヶ国を飛び越え、ジンバブエの首都ハラレへ到着したのは2時間半後の午後1時半のことである。ケニアとの時差があるので、ここで時計の針を1時間戻すことになる。予定どおりならば、朝の10時には到着して、今ごろは町中をほっつき歩いているところなのだ。そもそも、今日のハラレでの予定は到着後自由行動になっており、市内観光は特に組まれていない。たまたま、それが幸いして、4時間遅れの到着もうまく調整できたわけである。ただ、自由の時間が4時間吹っ飛んでしまったことになる。でも、とにかくジンバブエに移動できたのが、何よりの救いである。
こぢんまりとしたハラレの空港に下り立つと、気温24度で空は青く晴れ上がり、すがすがしい雰囲気が流れている。出迎えのバスのドライバ−に尋ねると、この地では雨季が終わりかけのころだという。これだと雨の心配はなさそうだ。これまで時折シャワ−に遭ったが、それもくるまで走行中のことであり、幸いなことに、これまで一度も傘を開く機会は訪れない。
ハラレの空港
正面の白亜の空港ビルは間もなくオープン予定の新ビル
ジンバブエのこと
ここジンバブエ共和国は、アフリカ南端の南アフリカ共和国の北に隣接し、東側をボツワナ、ザンビアに、西側をモザンビ−クの諸国に囲まれた内陸部に位置する国である。国土面積は39万580uで、その大部分は海抜900m〜1700mの高原地帯となっている。食糧とエネルギ−は自給しており、石炭などの鉱物資源も豊かである。
ジンバブエ共和国は聞き慣れないなじみの薄い国名だが、世界に名だたるビクトリアの滝や、南部アフリカでは一番の規模を誇るグレ−ト・ジンバブエ遺跡、それに広大な野性保護区でのサファリなど、豊富な観光資源を有している国である。そもそも「ジンバブエ」とは、「石の家」という意味を持つそうだ。人口は約1230万人で共和制を施行し、首都はこのハラレである。民族はショナ族が71%を占め、その他アフリカ系黒人、アジア系、ヨ−ロッパ系民族となっている。宗教は部族固有の宗教を信仰する人々が全体の24%、キリスト教が25%、その両方を信仰する人々が50%となっており、公用語は英語となっている。
この国の独立年は1980年、それ以来ムガベ政権が続いている。そのなかで、1年ちょっと前から黒人による白人の農場占拠が続いている。今年(01年)2月現在でも2万5千人近くが900〜1000ヶ所の農場を占拠しているという。最高裁は繰り返し農場占拠の違法性を指摘し、警察に占拠者を排除するよう指示している。しかし、ムガベ政権は逆に「白人の利益を代弁している」と判事批判を強めているという。こうした中、経済は困窮を深めている。農場占拠によって農場労働者が職を失い、失業率は6割に達しているといわれ、石油価格の高騰などからインフレ率は60%近いとされる。(この項、01年2月付朝日新聞記事による)
出迎えのバスに乗ってホテルへ移動する。こんなお国の事情を抱えているものの、ハラレの街は緑豊かで静かな雰囲気がただよっている。バスの中でガイドさんを通じ、農場占拠のことを尋ねてもらったが、ドライバ−の話では、そのことで特に問題はないということだ。いや、占拠された白人にとっては重大問題なのだろうが、黒人の人々には当然のことと思われているのかもしれない。
この首都ハラレの街は人口200万人の大都市で、ガラス張りの高層ビルが立ち並び、しゃれたブティックやみやげ品店、ファ−ストフ−ド店などが軒を連ねる都会である。この街は標高1484mの高原に位置するため、年間を通して気候はさわやかであり、緑にあふれている。今日は土曜週末とあって、町中はくるまや人出も少なく、静かな雰囲気がただよっている。
ホテルへ
バスは空港から20分かかって午後3時前、今日の宿泊ホテルとなるクラウン・プラザ・ハラレ・モナマタバへ到着。新しい感じのこのホテルは、245室もある大規模なデラックス・ホテルで、目の前にはハラレ・ガ−デンが開けるロケ−ション抜群のホテルである。部屋に入ると、窓から写真のようなすばらしい景観が飛び込んでくる。ここではすべての部屋の窓から、この景色が見下ろせるらしい。 |
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