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    no.
(南アフリカ・ケニア・タンザニア・ジンバブエ・ザンビア・ボツワナ)



(タンザニア編)






8.ンゴロンゴロ早朝サファリ、そしてナイロビへ・・・・ クレ−タ−での
  サファリ

 
クレーターでサファリ
すばらしい景観のクレ−タ−を見下ろすンゴロンゴロのロッジに2泊し、7日目の朝を迎える。昨日はセレンゲティの大草原に野性の動物たちを早朝から日暮れまで追い求めたが、今朝は眼下のクレ−タ−の中に下りてのサファリである。それが終わると、再びナイロビまであのハ−ドなロングドライブで大移動だ。それを思うと気が重くなる。
 

今朝は5時半に起床、6時半からの朝食を済ませ、一服しながら7時半からの出発に備える。雨こそ降ってはいないが、今朝も山上は霧に覆われている。昨日の経験から、下界の天候は問題なしと勝手に高をくくっている。昨日ホテルに居残ったカップルも今朝は復帰し、一行は4台のジ−プに分乗して出発。
 

今度は昨日と違って、クレ−タ−に向かうル−トへハンドルを切り、ジ−プは荒れた急坂の道を徐行しながら下りていく。狭い上にかなりの傾斜があり、それに穴ぽこだらけの悪路ときているので、ドライバ−も慎重だ。その途中に、クレ−タ−を見下ろす絶好のビュ−ポイントがあり、そこでフォトストップ。厚い雲に覆われながら、眼下には曙光に映える湖面を抱いたクレ−タ−が静かに広がっている。早朝のクレ−タ−で、動物たちは獲物を探して活発に動き始めているのだろうか。





 クレーター、朝のパノラマ景観




ようやくクレ−タ−の底に下り立ったところで、4台のジ−プは集結して小休止となる。ドライバ−をはじめ、珍しくみんなもくるまから出て地面に降り立つ。サファリ中は危険だから車外へは出られないことになっているのだが、いったいどうしたのだろう。ここはチャンスとばかりに、クレ−タ−を背景にドライバ−たちと記念撮影をお願いする。おかげで、たくましいドライバ−たちとの和やかな記念写真を得ることができた。



 ドライバーたちとクレーターで記念撮影。中央が筆者。





再びジ−プに乗り込むと、いよいよサファリの始まりだ。湖のほうへ向かって走っていると、遠くに4頭のゾウの群れが見える。だが、ちょっと遠すぎて、撮影には不向きだ。






遠くにゾウの群れが・・・











とにかくカメラに収めて先へ進んでいると、大きな角と骨だけになった屍骸が草っ原にゴロンと転がっている。この角は明らかにバッファロ−のものだ。恐らく、ライオンの餌食になったのだろう。弱肉強食の世界のすさまじいうたげの跡である。
 





バファローの屍骸
角と骨だけになっている。









湖の側に近づくと、水際にフラミンゴの姿がちらほら見られる。その中に、1頭のカバがこれも水際で泥まみれになりながら巨体を浮かしている。
 





泥まみれのカバさん











ライオンとの遭遇
そこから少し進むと、今度は水のほとりにライオンの群れが寝そべっている。この群れは数が多い。全部で11頭はいるようで、それぞれ数頭ずつ分散して寝そべっている。ここはライオンの村になっているのだろうか。それにしても、こう水際に陣取られたのでは、他の動物たちが水飲みに近寄れないだろうに……。
 





ライオンの休息
たてがみがカッコイイ









今度は草むらではなく、砂地の地面に横たわっているので、彼らの様子をつぶさに観察できる。これだけの数がいると、迫力満点である。ドライバ−に、「今、車外に出たら、どんなことになりますかね。」と質問すると、「1分としないうちに、間違いなく襲われるでしょうよ。」という返事。そういえば、以前、ある女優がライオンにかまれたことがあったなあ……。彼女は、いったいどんな状況でかまれたのだろう。そんなことが、ふと思い出されてくる。
 

ここはライオンの見せ場だけに、数台のサファリカ−が集まっている。ふと、目をそのほうへ移すと、1台のくるまが落とす日陰に4頭のライオンが折り重なるように寝そべっている。くるまにぴったり寄り添っているので、車内にいる者はかえってライオンが見にくいに違いない。これは、なんとも珍しく、微笑ましい光景である。ここには木陰がないから、こんな日陰でさえも目ざとく見つけて集い寄ってくるのだ。恐らく、毎日やってくるサファリ・カ−がつくる日陰を、彼らは本能的に知っているのかもしれない。そのくるまがそっと立ち去ると、「あれっ?」というような様子で仕方なく立ち上がり、とまどった顔をしている。野性のライオンが見せる人間との唯一の接点が見られて面白い。
 





暑い、あつい。 とにかく日陰だ!









ところが、今度はその隣に止まっていたわれわれのくるまの日陰に、のそりのそりと集い寄ってくるではないか! おや、おや、今度はおれたちの番なのだ。さっきと同じように、車体に寄り添って寝そべっている。私の窓側なので、のぞいて見たい衝動に駆られるが、さすがにその勇気は出ない。窓の真下で1mも離れていないのに、閉めたままの窓からは意外に見にくいのだ。窓から自車の車輪が見えないのと同じである。これでは写真にも撮れない。ただ、薄い鉄板一枚を隔てた外に、のどかに寝そべるライオンたちの気配を感じ取るしかない。やがてくるまは、そっとここを立ち去る。
 

このライオンの溜まり場で少々時間を費やした後は、クレ−タ−の中に広がる草原をあちらこちらと走り回る。だが、ヒヒの群れやバッファロ−の群れに出会うぐらいで、めぼしい動物たちの姿は見られない。ここで、そろそろ引き上げて戻る時間となる。
 





ヒヒの親子連れ










約2時間ほどのサファリたが、それほどの成果は見られない。ただ、暑そうに日陰を求めるライオンの群れを見に行ったようなものである。しかし、至近距離からの迫力あるライオンの姿が見られたので、良しとしよう。走りながら、遠くの火口縁を見上げると、われわれが宿泊したロッジの建物が見える。あんな好立地に建つだけに、抜群の眺望を誇れるわけである。  






山上に見えるのがロッジ











アリュ−シャへ
くるまは再び急坂を上りあがって火口縁に出ると、そこからアリュ−シャに向けて移動を開始する。ここからが長い道程で、まず休憩地点のアリュ−シャの町まで3時間のロングドライブが続くわけだ。この間が地道なので、くるまの振動の衝撃はたまらなく身にこたえる。2日前に来た同じ道を戻るだけなので、余計に疲れるのである。ドライバ−も大変であろう。
 





ンゴロンゴロからアリューシャの町へ、こんな道を3時間かけて走る。









アリュ−シャの町で昼食
辛い3時間をかけて走り抜けると、広い舗装道路に直角に突き当たる。これを左に曲がって一直線に走ると間もなく休憩地点のアリュ−シャの町である。ここは標高1400mの高原都市で人口は約20万、ケニアとの国境の町ナマンガまで車の往来が頻繁な交通の要所である。また、セレンゲティ国立公園やンゴロンゴロ自然保護区、アリュ−シャ国立公園などへの入口となる町で、キリマンジャロ国際空港が近く、整備された一流ホテル、国際会議場などがある。 午後1時ごろ、くるまは先日休憩した郊外のみやげ品店に入り、そこに設けられた木陰のテ−ブルセットで昼食となる。空は晴れて直射日光は強く、気温も上昇してかなり暑い。ランチボックスを開けると、いつもとほとんど同じ中味で、チキンやサンドなどが入っている。リンゴをデザ−トに、お腹いっぱいとなる。
 

午後2時、食後の一服を終わると、再びくるまに分乗して出発だ。これから国境まで2時間の行程である。この間は舗装道路だから、まだましである。くるまはアリュ−シャの下町にさしかかり、人込みと喧噪の中を通り抜けて国境へと走り出す。戻りの道とあって珍しい風景はなく、ただ緑の草原風景が車窓を流れ去っていくのみである。
 

ケニア再入国
出発して2時間後の午後4時ごろ、ようやく国境に到着。ここでタンザニアの出国、ケニアへの入国手続きを済ませる。相変わらず、駐車場の白線ラインには多数のみやげ品売りがわいわいと大声でセ−ルスしながら並んでいる。果たして、彼らにとって、どれほどの商売になるのだろうか……。彼らを見送り、3日前に休憩したレストランのある場所へ移動する。ここで小休止の後、これまでのジ−プから、出迎えに来ているケニアの旅行社のサファリ・カ−へ乗り移る。そしてナイロビへ向け、3時間のロングドライブが始まる。
 

ようやく雑踏するナイロビの街へ入ったのは、暗くなった7時過ぎのこと。うんざりするほどのドライブもようやくこれで終わりだ。そう思ってほっとする間もなく、今度は都会特有の大渋滞だ。ビルの谷間には灯が輝いて素敵な夜景をつくり出しているが、くるまはのろのろといっこうに進まない。これから夕食にレストランに向かうのだが、これではいつになることか。 


和食レストランで夕食
やっと渋滞を抜けてはずれのレストランに着いたのは夜の8時である。なんと、朝の7時半にロッジを出てからというもの、昼食時間を除いて12時間ずっとくるまに揺られっぱなしである。思えばよく走りに走ったものだ。覚悟はしていたものの、サファリの旅は容易なものではなく、ほんとに体力との勝負といった感じである。
 

おや? このレストランのシェフは年配の日本人だ。話を聞くと、20歳代にケニアに住みつき、10数年前にこのレストランを開業したという。現地在住の日本人客がぼつぼつ訪れているようだ。今夕は中華料理にミソ汁、それにご飯のメニュ−である。久しぶりに日本の味に出会い、思わず舌鼓を打つ。やはり、日本人が作った和食の味は違うものだ。米の味も内地と変わらない。日本からの輸入米だろう。ミソ汁とご飯の懐かしい味にビ−ルで喉を潤し、やっと元気を取り戻す。
 

ホテルへ
今宵の宿は、ここからすぐのザ・パナフィック・ホテルである。ホテルへ到着すると、ロビ−に現地旅行社の社長とスタッフが出迎え、アンボセリでのくるまのトラブルについてお詫びの挨拶を受ける。そして、女性には花束と民芸調バッグ、男性には同じバッグのプレゼントを受ける。何かいい匂いがバッグの中から漂うので開けてみると、その中には粉にひいたコ−ヒ−1袋とチョコレ−トが入っている。いろいろと気をつかってくれたのだ。
 

部屋に入ると、今度はテ−ブルの上に差し入れのフル−ツの盛り合わせが置いてある。それもスイカ、パイン、リンゴ、バナナ、パパイヤ、その他と豪華版である。これほどまで気を回してくれるとは、ちょっと恐縮である。だが残念ながら、食後の満腹状態では手も足も出ない。大好物のフル−ツの山を目の前にしながらダルマさん状態とは悔しい。もう一つ胃袋が欲しいなあ……と思いながらも、みすみすやり過ごすしか手はない。ここは目をつぶって風呂に入るとしよう。こうして床に就いたのは11時である。



(次ページはジンバブエの首都「ハラレ編」です。)










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