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    no.12
(南アフリカ・ケニア・タンザニア・ジンバブエ・ザンビア・ボツワナ)



(ジンバブエ編)






12.ビクトリア・フォ−ルズ・・・・売店の青年、アフリカン・ダンス・
                                   ショ−


ビクトリア・フォ−ルズの町へ 
ジンバブエ国内へ入ると、バスはビクトリア・フォ−ルズの町へ向かって走り出す。やがて市内中心部に入ると、そこで10分間のバスストップとなる。その間に、午後の自由時間にオプションで行く予定のヘリコプタ−による滝見物とバル−ンによる見物について、その内容を調べておこう。
 

早速、メインストリ−ト沿いにある観光案内所を見つけて駆け込み、係にバル−ンの様子について尋ねてみる。このバル−ン(30人乗り)はロ−プに結ばれた固定式のもので移動はせず、ただ上空に上がって下界を見下ろすだけのものである。だが、上空から滝がつぶさに見れるなら値打ちものである。その期待から、「バル−ンに乗って滝の様子が見られますか?」と開口一番尋ねてみると、「いいえ、ただ遠くの方にスチ−ム(水煙のこと)が見えるだけなんです。だから、ヘリコプタ−遊覧をお勧めします。これは間違いなくすばらしいですよ。」という。商売上、やはり料金の高いヘリを勧めたがるのだろうか? それとも、お客の立場になって勧めているのだろうか? 少し離れた場所に、もう一軒の旅行社があるので、念のためそこでも尋ねてみると、前とまったく同じ内容の返事が返ってくる。いずれにしても、バル−ンからの滝見物は不可能のようだ。
 

もらったパンフレットで、バル−ンから眺める風景写真を見ると、確かに遠くに滝しぶきが眺められる程度である。これでは最大目的の滝の眺望ができそうにない。それでは意味がないので、バル−ン乗りは予定を変更して取り止めにしよう。そして、ヘリコプタ−も昨年の南米旅行の際、イグアスの滝で経験しているので、今度は見送ることにしよう。結局、午後の予定は何もなしで、独り静かに過ごすことになる。ヘリとバル−ンの料金であるが、ヘリコプタ−は12〜13分間の飛行で75米ドル、バル−ンは15分間の搭乗で25米ドルとなっている。けっこう高い料金である。
 

素敵なロッジに到着
バスは再び走り出し、間もなく本日の宿泊場所、ア・ザンベジ・リバ−・ロッジに到着。12時半過ぎのことである。旅装を解くと、すぐにバイキング料理の昼食が始まる。満腹した後は、夕方6時半まで自由時間である。その間に、希望者はヘリに乗ったり、バル−ンに乗ったりして楽しむことになる。
 

このロッジは、リゾ−ト気分を満喫できるなかなかデラックスなロッジで、ザンベジ川に面して建つリバ−サイドロッジである。その中央には素敵なガ−デンが広がり、片隅にはプ−ルが設けられている。観光客には、ゆっくりとくつろげる憩いの場所であろう。ここの宿泊料金を尋ねてメモしてもらったのだが、それを紛失してしまったらしい。



 ア・ザンベジ・リバー・ロッジの美しいガーデン。この左側にザンベジ川が流れている。




ここでも割り当てられた部屋は、お定まりの一番遠く離れた末端の部屋である。しかし、いいこともあるものだ。なんと、この部屋は2室にそれぞれベッドがあるスウィ−トル−ムになっているのだ。一人で寝るのにはぜいたく過ぎるスペ−スで、だれかを呼んできて一緒に過ごしたい感じである。あまり広い部屋だと、一人ではかえってわびしさがつのるばかりのようだ。 


売店の青年と
このフリ−タイムを利用して便りをしたためようと、絵葉書と切手を求めにホテル内の売店へ出向く。すると、そこには一人の青年が客のない時間を持て余すように座っている。切手を求めると、いま切らしているという。いつ入るのかと尋ねると、夕方には届くだろうという。これをきっかけに、時間を持て余した者同士で、いろいろ話を始める。割りと無口でおとなしいタイプの黒人青年だが、ぼつぼつと話に応じてくれる。
 

町の外れに母親と一緒に住んでいること、売店の仕事はサラリ−が安くて生活が苦しいこと、ガ−ルフレンドがいるが、デ−トにはお金がかかるので給料をもらう月末にしか会えないこと、デ−トは町中のレストランで食事をしながら楽しむこと、郊外は野生動物がいるため危険なのでデ−トはもっぱら町中で過ごすこと、などいろいろ話を聞かせてくれる。こちらも家族のこと、日本のサラリ−や家賃・物価のことなど、聞かれるままに話して聞かせる。そして、最後には互いのアドレスを交換して終わる。なんと、彼はパソコンを所有していて、メ−ルのアドレスを教えてくれる。数年前までは、アドレス交換といえば互いの住所を教え合うものだったが、ここ数年のうちに、それがEメ−ルアドレスに変わってきた。国際化時代の進展は速いものだ。
 

この売店で、ついつい1時間半も彼との雑談に時を過ごし、部屋に引き上げる。グル−プのみなさんは、いまごろそれぞれヘリやバル−ンの搭乗を楽しんでいるのだろうか。昼下がりの静かな部屋で絵葉書に家族への便りをしたため、それが終わると今度はガ−デン側のドアの外に置かれた椅子に体を沈めて休息する。広いガ−デンの中にポツンポツンと立っている樹木の緑と芝生の緑が目にしみて美しい。アフリカの空の青と地上の緑は、私の目にはとても優しく、美しく映える。こうした環境が保てるのも、経済未発展の地域だから可能なのだろうか。経済発展という名の下に開発が進めば、この環境も破壊されて一変するのかもしれない。環境維持とどちらを優先すべき問題なのか判断に苦しむところである。
 

ザンベジ川の風景
この時間を利用して町のダウンタウンへ出かけてみたいのだが、歩くのにはちょっと遠すぎる位置にある。だから、ここで過ごすしかしようがない。そこで、やおら椅子から立ち上がり、部屋からカメラを取り出して川沿いに出かけてみる。広いガ−デンを横切って行くと、すぐその先にはザンベジ川がゆったりと流れている。草深い岸辺に立って眺めると、数隻のクル−ザ−が夕日を浴びながらのどかに航行している。遊覧をかねてサファリを楽しんでいるのだろう。 






ザンベジ川の風景
ずっと先の奥がビクトリアの滝









この足元の悪い岸辺には2隻のクル−ザ−が停泊しており、細い桟橋をつたって乗船するようになっている。いま、その1隻に乗客が集まりかけている。そこで乗船口に立って案内しているガイドと立ち話を始める。このクル−ザ−はロッジの所有かとただせば、これは別会社が所有運営しているもので、このロッジの宿泊客を主に扱っているという。いろいろ話ししている間に、次々と乗客たちがやってくる。すべて欧米人だが、乗り合いのようだ。彼の応対振りから察すると、ドイツ、フランス、アメリカの乗客たちである。勢揃いしたところで、川上に向け静かに出航して行く。夕暮れ近いザンベジの川面に流れる平和で和やかな風景である。  


クラフト・ビレッジへ
こうして午後のひとときをのどかに過ごした後、いよいよ6時半から町の中心にあるクラフト・ビレッジへ出かける。ここにあるシャ−タ−で行われるアフリカの伝統舞踊のショ−を観るためである。劇場内には約200人収容の屋根付きスタンドが設けられ、ショ−が行われる舞台は屋根なしの地面である。これだと、雨天の場合は中止せざるを得ないだろう。
 

ここで5つの部族が出場して、それぞれの伝統ダンスを披露してくれるのである。開演になると、一人の解説役が登場し、これから披露されるダンスについて説明の口上が述べられる。それが終わるとショ−の始まりである。アフリカン・ドラムのリズムに乗って素朴な歌と踊りが演じられていく。最初に登場したのは、女性4人のチ−ムで歌とダンスを見せてくれる。伝統ダンスを踊る彼らの足には、現代的なズック靴が履かれており、そのいかにもアンバランスな出で立ちにとまどいを感じる。伝統ダンスとうたいながら、なぜ彼女らは裸足で踊らないのだろうか。裸足が普通だろうに……。アフリカの伝統が、こんなところから崩れ始めているのかもしれない。
 





女性のダンス
ズックを脱いでね。









これに続いて、伝統衣装を身に着けた勇ましい男性のダンスやユ−モラスな仮面をかぶって踊る物語り風のショ−など、次々に披露される。ユニ−クな面白い仮面を使ったダンスが意外と多いものである。このアフリカの地には多数の部族がいるが、生活の節目節目に使われる伝統ダンスが、それぞれに受け継がれているのだろう。彼らにとって、こうしたダンスは生活に不可欠の要素となっているのかもしれない。その多くは、やはり男性中心のダンスが多いようだ。
 





勇壮な男性の踊り















ヤリと盾を持って・・・















仮面をつけた奇妙なダンス










ガーデンで夕食
1時間ちょとのアフリカン・ダンスショ−を見終えるとロッジに戻り、8時からバイキングの夕食が始まる。ここの食堂はまた特にすばらしく、あの広々としたガ−デンに接してオ−プンになっている。そしてガ−デンの上では、先ほど見てきたばかりのアフリカン・ダンスのショ−がここでも演じられていて、食事の間中お客を楽しませてくれる。なんと素敵なアフリカの夜であろう。アフリカンム−ドがいっぱいにただよう中で、おいしいダチョウのステ−キにビ−ルで乾杯する。






ガーデンを望む食堂










ここのバイキング料理では、ビ−フ、オストリッチ(ダチョウ)、チキンなど数種のステ−キを焼いている。それを担当している陽気で人懐こい中年の黒人コックさんがいるのだが、彼と挨拶を交わしていると、なんと半年ほど名古屋のホテルでコックをしていたというのである。そのことを聞くと、俄然、親しみがわいてきて話がはずむ。お金を貯めたら、また日本へ行きたいという。もっといろいろ話したいが、忙しそうなので、これ以上話すことができない。思わぬところに、思わぬ人がいるものだ。このロッジにも日本人客が多いという。
 

ショ−付きの華やかなガ−デンパ−ティ−のような素敵な夕食を終わり、部屋に戻って床に就いたのは10時過ぎである。



(次ページは「ビクトリア大瀑布編」です。)










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